第百三十六話「擦り切れ」
「……とまぁ、普通は落とすが、こいつにはまだ役目がある」
失神したコウヤの頭部を引っ掴み、カゲツはメガアブソルへと顎をしゃくった。命令されるよりも前にメガアブソルは拘束されていた女性を救い出していた。
「さすが、オレの切り札。男前だぜ」
頭を撫でてやるとメガアブソルは目を細めてくすぐったそうにする。カゲツは歩み寄って尋ねた。
「コノハ、とかいう女だな?」
「……だったら、どうするって」
「あんたを助けに来た。立てるか?」
カゲツの言い分が意外だったのだろう。目を瞠っている。
「……私は、もう死んでもいいと思っていた。何よりも大切なものも、守れないで……」
「こいつの持っている拘束用のモンスターボールに入ってるの、あんたのだな? 返すぜ」
ロックを解いて差し出すとエルレイドが飛び出してコノハを庇った。ナイトの様相だ。
「いいねぇ。手持ちの鑑だな」
エルレイドへとカゲツは敵意のない事を示す。
「安心しろ。てめぇの敵は、ここで伸び切っている間抜けだ」
コウヤを見やる。起き上がる気配はない。その手持ちであるレジロックは断ち切られた断面を再生し、再び襲いかかろうとする。メガアブソルへと命令を下そうとするとそれよりも速く動いたのはエルレイドだ。紫色の思念の刃を突き出し、レジロックへと切りかかる。レジロックが抵抗し出すのをメガアブソルの攻撃が抑えた。
「なるほど、さすがはナイトだな。主人を痛めつけた野郎のポケモンなんて許せねぇってか。オレは好きだぜ、そういう奴」
メガアブソルがレジロックの拳を弾き肉迫する。至近距離で闇の刃が拡張した。
「浴びせろ、辻切り」
闇の刃の一閃の前にレジロックが崩れ去る。だがまだ再生する事が分かっていた。このポケモンは砂の一片になってでも抵抗するだろう。
「ある意味、主人とは真逆だな。まぁこういうポケモンのためにあるのがこれだ」
先ほどまでエルレイドの入っていた拘束用のモンスターボールを放る。レジロックは吸い込まれ、ボールの中に入った。
「使われる側ってのは意外に気付かないもんだ。さて、コノハとか言ったか、あんた」
コノハはエルレイドに肩を貸してもらい、立ち上がっていた。その眼差しがどこか決心したように映ったのは気のせいではないだろう。カゲツはその行動を悟った。
「……初代を、殺しに行くつもりか?」
「……私のせいで初代が完全体になってしまう。それだけは防がなければ。あの人……、フランにも、ダイゴにも顔向け出来ない」
「ツワブキ・ダイゴ、か。あいつも罪だねぇ。女にそういう眼をさせるってのは」
コノハが睨みつける。カゲツはハンカチを差し出した。
「拭きなよ。血で汚れた顔のままじゃそこいらを歩かせられない」
コノハは一瞬の警戒の後にそれを手にして唇の端を拭う。それでも彼女の顔は傷だらけだった。
「あんたも、初代を殺す気でいるなら、オレ達と協力しないか?」
カゲツの提案にコノハは訝しげに応じる。
「協力? 私は今まで、協力なんて誰にも仰がなかった」
「そいつは立派な心がけだが、初代の残りパーツが左足だけならまずい。左足を揃えられた途端に強くなるってのは勘弁だぜ」
コノハはカゲツを見据えながら、「左足……」と呟く。
「ツワブキ・コウヤはもう完全体だって」
「左足の持ち主はそう易々とやられる奴じゃねぇよ。オレが保障する。問題なのは、左足の持ち主がいくら強くっても人海戦術の前じゃ不利って話だ」
コープスコーズを退けたオサムはリョウの自由を奪い、このまま初代抹殺へと向かうだろう。ただ、コープスコーズがこのまま終わるとはどうも思えない。
「死体兵団……。意味なくそんな名前にするはずがねぇんだ。あの趣味の悪い初代ならな。コープスコーズはまだ先がある。初代もそれを見通しての行動だろう」
「……どうするって言うの?」
「オレは仲間が応援に来るまでに初代にケリをつけるべきだと感じている」
カゲツの言葉にコノハは、「無理よ」と答える。
「初代に隙はない」
「何年もツワブキ家にいたあんたがそう言うんじゃそうかもしれねぇが、今は千載一遇のチャンスだ。初代は右腕の接合手術。今は隙だらけってわけさ。代わりにレイカが張っているみたいだが、なに、ツワブキ家の誰にも負ける気はしねぇな」
「自信過剰は死をもたらすわ」
「メガシンカ使いが一人もいないってんじゃ相手の手数は限られてくるさ。いくら優秀なレジ系といえども、オレとオサムが同時にかかれば勝てる。その算段はあるさ」
コノハは暫し口を閉ざした後に、「戦力差なんて」と呟いた。
「初代一人で一気に覆る。あの初代がどれだけポケモンを保持しているのか知っているの?」
「ボックスは百と三だって聞いた。だが一回に百と三のボックスをフルに使えるわけじゃねぇだろ。オレは勝ち筋があると考えている」
「希望的観測よ」
「それでも、あんた一人で初代に立ち向かうよりかは確率は上がると思うぜ?」
カゲツの言い草にコノハは逡巡したように口を開きかけては閉ざした。迷っているのか、とカゲツが感じているとコノハは前に進む。
「……今が好機だってのは分かった」
「手は組まないのか?」
「私は誰も信用しない」
コノハはあくまで自分だけの力で決着をつけようというのだ。カゲツは肩を竦める。
「涙ぐましいねぇ。だが、そういう女ってのは早死にするぜ」
メガシンカを一旦解き、カゲツはコウヤをアブソルに背負わせて後を追う。
「行くか。初代をここで倒す」
「……手は組まないと」
「だから、利害の一致だよ。オレは初代を倒すし、あんたも目的は同じだ。ただ単に目的地が同じだから同じように歩いているだけ。手を組むって言ってはいない」
その言葉にコノハは何か言おうとしたが諦めたらしい。
「……好きにしなさい」
「ああ、好きにするともさ」
カゲツはオサムに通信を繋ぐ。
「オレだ。リョウはどういう感じだ?」
『押し黙っていて逆に不気味なくらいですよ。ただ初代を殺したいってのは本音みたいですが』
ここに来てツワブキ家内部での分裂が露になった。初代という歯車を巡っての対立。元々初代は死人だ。それを蘇らせようとしたツケとも言える。
「そうかい。初代を殺すって言っても、何かプランがあるのか? まさかノープランで殺すって言うほど、ツワブキ・リョウは無計画じゃないだろ?」
『どうやら右腕を取り外した際を狙うようです。ボックスに干渉出来る右腕の義手が取り外された瞬間は』
「最も初代が無力化された瞬間でもある」
合理的だが初代はそこまで考えなしであろうか。手術中であろうとも、初代は何か手を打っている可能性がある。
「オレは、もうちょっと熟考の上で仕掛ける。オサム、悪いがリョウのお供を頼むぜ」
『分かりました。こちらは真正面から仕掛けるつもりでいいんですよね?』
「ああ。せっかくだし、リョウのレジスチルを使って破壊光線で手術室を焼いてもらえ。それくらいしても死ななそうなのが初代ではあるがな」
オサムは冗談だと判じたのか笑い声を返す。
『こっちとしてもツワブキ・リョウとコープスコーズの無力化にここまで成功するとは思っていませんでしたから』
「コープスコーズの無力化、か」
呟きながら考えを巡らせる。コープスコーズ。死体兵団。Dシリーズの量産型。情報では内部高速演算チップにより処理能力の向上と全員の並列化が成されているとあった。最早人間というよりも一種のコンピュータ群だ。
「その死体兵団が、すぐに無力化、か……」
『何か気になりますか?』
「お前の手際のよさは理解しているつもりだし、こっちのプラン通りに進んでいる部分もあるだろう。だが、油断するな。どっかで初代は仕掛けをしているに違いねぇんだ」
コープスコーズがただのDシリーズの量産型ならばツワブキ・ダイゴの姿を模す必要がない。Dシリーズのノウハウを使ったにせよ、それは意味がないスキャンダルを生む。
「何かあるはずだ。くれぐれも」
『分かっていますよ。ツワブキ・リョウが下手な動きに出ればすぐさま対応します』
「気をつけろよ。奴さん方、案外用意周到だからよ」
通信を切ってコノハへと目を向けると彼女は通信の一部を聞いていたらしい。
「……いい趣味しているのね」
「オサムの事か? 意外だな。あんた知っているのか?」
「半年前のテロ事件に関しては情報統制が敷かれているとはいえ一部の人間には筒抜けよ。ダイゴ以外のDシリーズが居たって言うのもね」
「オサムはいい奴だよ。オレが保障する」
「あなたの保障は要らないわ。どう考えたって怪しいもの」
コノハの評にカゲツはフッと笑みを浮かべた。
「あんたもまぁ、どこか歪んでるな」
「お互い様よ」