INSANIA











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原罪の灯
第百三十五話「尊い存在」

 報われない思いというのはどうしてここまで焦がれられるのだろう。

 目の前のこの女がそうだ。

 一室で両腕を縛り上げられ、自分の尋問を受けても顔色一つ変えない。なるほど、何年も潜入して能面を貫けたのも頷ける。

 コウヤはまず口火を切った。

「コノハさん。あなたが裏切っていたのは意外だったし、おれも言われるまであなたが怪しいとは思いませんでしたよ」

 コノハは唇の端から血を流している。頬も腫れ上がっているが自分の折檻に音を上げる様子はない。まだ諦めていない人間の眼の光をしていた。

「だがツワブキ・ダイゴ。あいつを入れた瞬間、あなたは揺らいだはずだ。いや、外見は全く違うから揺らぎもしなかったかもしれない。それでも、あれの正体がフラン・プラターヌだと知っているから、非干渉を貫けたんでしょう? そうでなければあなたはとうに食いかかっていてもおかしくはない。デボンとツワブキ家に恨みあるなら、ね」

 コノハは項垂れたまま無言を貫く。コウヤは息をついた。

「そのまま黙っていても、状況は進みますよ? 今に初代が右腕を得て、さらに左足も来たと、リョウから報告がありました。初代は完全体となる」

 その宣告にもコノハは動じる気配はない。コウヤは上っ面の言葉を取り払う事に決めた。どうせ、この女に先はないのだ。

「……と、いうのがツワブキ家の長男の言い分としては真っ当かな?」

 突然コウヤの態度が変わったものだからコノハは戸惑っている。だがその表情をほとんど出さない。これだからこの女は長くツワブキ家に居られた。

「正直なところ、この配置にも不満がある。どうしておれが、レイカの、妹の言う通りに動かなければならないのだ。いっつもそうだ」

 コウヤは歩み出す。コノハなど見えていないように、自分の主張を続けた。

「おれはいっつも、いっつもだ! 貧乏くじを引かされる。親父に殺されかけた事も、その殺し屋がまだ生きている事も、おれはデコイ相手にむざむざ戦力を晒したという間抜けになってしまった。ふざけるな!」

 払った拳がコノハの頬を張る。コウヤは怒りに任せてコノハの背筋を蹴りつけた。

「おれが、おれが社長なんだ! 支配者なんだ! だって言うのに、誰も、誰もだ! おれを崇めようとも、ましてやその職務がいかに偉大かを分かっていない。レイカ、それにリョウ……。あのツワブキ・ダイゴもだ! あいつ、おれに半年前、恥を掻かせやがった。おれの領分である化石バトルで勝ちやがって! 空気も読まずに!」

 コノハを打ちのめす。呻いたコノハだがまだ失神するような重傷ではない事は理解していた。その顎を無理やり上げさせてコウヤが告げる。

「おれが支配者だ。それも分からない三下共が、喚き散らす。それが我慢ならない。正直ね、コノハさん。おれは初代を完成させたくないんだ。その点、レイカとは別だな」

 意外な言葉だったのだろう。コノハは目を見開いていた。初めて反応らしい反応が返ってきてコウヤは昂る。

「レイカは、どうして初代再生にこだわっているのか、知っていますか? コノハさん」

 コノハは押し黙っている。コウヤは思い切り殴りつけた。血が拳についたのでハンカチで拭う。

「……分からないのか、それとも言う気がないのか知らないが教えてやる。レイカはね、自分の肉体で初代との純血の子孫を残そうとしたんです。このデボンのために。ひいてはツワブキ家のために。レイカの調べによるとツワブキ家の優秀なDNAはあと三代もすれば完全に途絶えてしまう。つまり、王の眷属などまるで意味がなくなる時代が来るのです」

 コウヤはコノハの髪の毛を引っ掴み、顔を近付けて言い放つ。

「おれにはそれが、どうしても我慢ならない。優秀なDNAを持つ人間がいなくなるからって? だから初代を蘇らせて子孫を造る? 血縁を絶やさない? 全てが些事だ」

 手を離し、コウヤは俯くコノハに言葉を浴びせた。

「狂気に取り憑かれているのは妹のほうなのが明らかなんですよ。おかしいでしょう? そんな考え。……だがデボンはおれのプランではなく、レイカのプランを取った。だからこそ進められたDシリーズの量産。人材の確保。これまでの計画の円滑。全てレイカのお陰、レイカのせい、レイカの勝手! おれは、次期社長だったのに蚊帳の外だ! そのほうが手垢がつかないから、ある意味では便利だと思っていましたよ。もしレイカの計画が成功したとしても、おれが支配するならね! だが実際はどうだ? 初代が会長職に就き、おれは社長職、それも張りぼても甚だしいものだ。おれが支配するはずだったのに! 全て二十三年も眠っていた死人に取られてしまった、この気持ちが! あんたに分かるか?」

 コノハの頭を蹴りつける。軽い脳震とうでも起こしたのかふらふらと視線がおぼつかなかった。コウヤは口角を吊り上げて言いやる。

「安心してください。痛めつけるだけです。あなたの女性としての尊厳を奪うだとか、そういう気分はさらさらない。無名の家系の女になど興味はない。ツワブキ家はおれを基点に存続する。おれのやりたいように、おれの自由に! ……だから初代は邪魔なんだ。すぐにでも消したいが、兄弟同士でいがみ合っているところをネオロケット団に突かれれば面白くないのは分かっている。その辺、冷静な自分がある種嫌になりますよ。何もかもかなぐり捨てて、全てを投げ打ってレイカもリョウも殺し、親父も殺して全てをおれの物としたい! 初代なんておそるるに足るものか! あれは死人だ。いくらでも殺す手段はある。だが、問題なのはまだ生きているであろうツワブキ・ダイゴ。それにDシリーズとコープスコーズ。出来損ないを今すぐに抹消する手段を、あなたも一緒に考えてくれませんか? コノハさん」

「……ないじゃないわ」

 コノハが呟く。コウヤは耳を傾けた。

「何だって?」

「出来損ないじゃない。少なくとも、あのツワブキ・ダイゴは……」

「そう考えたいのは分かります。だってあなたの恋人の肉体ですからね」

「……そんなのは、関係がない」

 ぴくりと眉を跳ね上げさせる。コウヤは問い返していた。

「関係がない、とは?」

「あの人が誰であろうと関係がない。フランであろうと、その記憶も、記録もなかろうと、あの人は、ツワブキ・ダイゴは! あんた達なんかよりもよっぽど崇高だった! 人間だった!」

 喚かれた声にコウヤは眉をひそめる。

「人間? あの出来損ないが人間だと?」

「あんた達は一人では何も出来ないくせに、寄り集まる事を嫌う羽虫のよう。でもダイゴは違った。彼は、たった一人でも自分の記憶を取り戻そうとしていた。そこには信念があった。賭けるだけの価値があった。でもあんた達は、ただお互いの欲望を喚き合って、そのくせ譲歩も妥協もしない、最低の輩」

 コウヤの張り手が見舞われた。それでもコノハは続ける。

「あんた達よりも、ダイゴのほうが尊い!」

「黙れ!」

 コウヤはコノハの身体を蹴りつける。何度も何度も、繰り返し叫んだ。

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇ! 尊いのはこのツワブキ家だ! ホウエンで最も尊いのが我が家系だ! だというのに、レイカは、ああ、くそ、この左足」

 コノハに一杯食わされた結果、傷つけられた左足が今さらにじくじくと痛み出す。かさぶたが剥がれて血が滲み出した。

「ゴミ虫が! ゴミ虫の分際で、おれの足に! だから、レイカが言いやがった。兄さんはこの女の処理を頼むわ、って。いつもみたいに澄ました声で。……あのアマぁ! ふざけやがって! おれの仕事がこんな……、こんなゴミ虫の処理だと? おれは社長だぞ? ツワブキ家で一番の出世頭だ! だって言うのに、あいつも、親父も、レイカも、リョウもまるでおれを尊ぶ事がない。もっとおれを見ろ! おれの言葉に従え! それがあるべき姿だ!」

「あんたなんかの言葉に従うくらいなら、死んだほうがマシ」

 コノハの言葉はコウヤの神経を逆撫でするのには充分だった。コウヤは鞭を手に取る。本来、使うつもりはなかった。自分は高尚な存在なのだ。鞭など、原始的な拷問手段に打って出なくとも相手は圧倒されるだろうと信じ込んでいた。

 だが、その自負が跡形もなく吹き飛ばされた。目の前にいるのは、ゴミ虫以下でありながら自分を罵る女一人。

 コウヤは鞭を振るった。血が飛び散り、頬につく。それさえも気にせずに振るい続ける。

 この女を生かしておく価値はもうなかった。

「コノハさん。あなた、そんなに醜いのに、まだ生きていたいんですか?」

 膨れ上がった頬を見てコウヤは哄笑を上げる。しかし、コノハは変わらない声音で答えた。

「あんたなんかに生かされるくらいなら、死んだほうがマシ」

 その一言はコウヤに殺人を決意させた。鞭を振るい上げる。今度こそ、殺す勢いで。

「ちょーっと待った」

 だから、放たれた声に気づけなかった。肩に手が置かれてようやく背後に人がいる事に気付く。

 その人影が頬に拳を見舞った。重い一撃にコウヤはよろめく。

 スキンヘッドの男は怒りを湛えたまま、静かに告げた。

「なるほど、確かに。こいつに生かされるくらいなら、殺されたほうがマシだな」

 男の声にコウヤは手を掲げる。

「何だお前! ここはデボン社内だぞ!」

「知ってんよ、んな事。分かりきってる事説明すんな」

 自分の言葉に全く動じない目の前の男にコウヤは怒りを覚えた。

「そうか、お前も、ゴミ虫かぁ!」

 自分の身体に巻きつかせていた岩の蛇がのたうち、眼前に出て人型を形成する。

「レジロック、分からせてやれ、こいつらに! 何が尊いのかをな」

「何が尊い? 分かりきっている事ばっかり言うな、てめぇ。それでも社長か?」

「だ、黙れ! 貴様ァ!」

 レジロックが跳ね上がり、岩石の拳を振り上げる。勝った、とコウヤは確信した。レジロックは無敗。この一撃を避けられるはずがない。

「本当に、分かりきっている事を。てめぇじゃ勝てねぇよ。メガシンカ」

 紫色のエネルギーが渦を成し瞬時に何がか視界を横切った。その時にはレジロックが断ち切られていた。その何かは目にも留まらぬ速さでコウヤを足蹴にする。ようやく視界に映ったそれは白い体毛のポケモンであった。翼のように膨れ上がった威容と赤い眼光にコウヤは恐れを成す。

「な、何だこいつは?」

「メガアブソル。首を落とすか、久しぶりに」

 メガアブソルと呼ばれたポケモンが刃のような角をコウヤの首筋に当てる。殺意の籠った冷たさにコウヤは身も世もなく叫んでいた。

「レジロック! お前、こんな時に何も出来ないなんて! このクズが!」

 断ち切られたレジロックは再生速度が間に合っていない。今の一撃が決定的な断絶であったと告げている。

「出来ねぇ奴ほど、手持ちのせいにするのさ。さて、どうする?」

「お、おれを殺せば、デボンが黙っちゃないぞ!」

「だから、分かりきった事を言ってんじゃねぇってさっきから何べん言わすんだよ。今さらデボンが敵だとか味方だとか、んな事こだわっていねぇんだよ」

 その段になってコウヤは相手が何者なのか推測がついた。顔面から血の気が引いていく。

「まさか、ネオロケット団……」

「んで、どうするよ? 新社長さんよ」

「おれの権限なら! お前達の罪を免除出来る! ど、どうせなら全て帳消しにして、デボンで働くといい! そうすればみんなが」

「みんながハッピーで、めでたしめでたし、ってか?」

 男が笑みを浮かべてコウヤへと目線を向ける。コウヤは何度か頷いた。すると途端に男の眼差しが厳しくなる。

「ナマ言ってんじゃんねぇぞ。無抵抗の女をこんな風にする奴の下になんて誰がつくかよ。それにてめぇ、さっきから自分の事を棚に上げて、全部他人のせいだ。誰かのせい、誰かのせい、ってな。悪いがこっちから願い下げだね。メガアブソル、やっちまえ」

 メガアブソルが首を振るい上げる。コウヤは訪れるであろう激痛に、絶叫した。


オンドゥル大使 ( 2016/03/15(火) 21:17 )