第百三十一話「FLOW」
赤い盾が直進してきてクオンは咄嗟に命じる。
「ディアンシー! 弾いて!」
その声に応じてディアンシーがダイヤを精製し盾を弾くが赤い盾は回転して勢いを殺さずにブーメランのように持ち主へと帰っていく。その隙を逃すわけにはいかない。
「ディズィーさん!」
「分かってるっての!」
ディズィーの操るメガクチートが重い一撃を携えて盾の持ち主であるメガヤミラミへと肉迫する。今、メガヤミラミの防御はないも同然。突き刺さりかけたメガクチートの重い一撃だったがメガヤミラミはその痩躯に似合った素早さで回避する。赤い盾がまた偏向し、メガヤミラミから遠ざかった。
「ディアンシー、ダイヤストーム!」
ディアンシーが両手を合わせて放ったダイヤの嵐が赤い盾をさらに遠ざける。メガヤミラミを操るフヨウは、「なるほどね」と納得した。
「メガヤミラミの最たるものである攻撃手段であり防御手段でもある赤い盾を握らせないようにする。ディアンシーはメガシンカ時間に難があるから常にバックアップ。攻撃はメガクチートの専売特許。なかなかに考えたみたい」
フヨウは手を掲げ、「だけれど」と声にする。
「四天王が、その程度の戦術、読んでいないと思った?」
赤い盾が回転しながらメガヤミラミの元へと戻ってこようとする。また攻撃して遠ざければいい。そう考えていたクオンに冷水を浴びせるようにメガヤミラミが跳ね上がった。なんと攻撃を受け切るのではなく自ら攻撃を仕掛けてきたのだ。赤い盾のない状態ではメガヤミラミの攻撃力、防御力共に知れている。ディアンシーでさばける。そう判じたクオンが先行させようとしたその時であった。
「駄目だ、クオっち! メガヤミラミは!」
「遅い。メガヤミラミ、シャドークロー」
影の爪が放射される。そう確信してディアンシーに防御姿勢を取らせるがメガヤミラミが爪を払う気配もない。一体何をしたのだ。クオンが訝しげに見つめているとディアンシーを襲ったのは意外な方向から放たれた「シャドークロー」だった。
影の爪の放たれたのは今まさに回転しつつ帰ってこようとする赤い盾からだったのだ。当然、防御姿勢が間に合わず、ディアンシーはもろにダメージを受ける。その攻撃による怯みが起こった一瞬。メガヤミラミは赤い盾を受け止めた。
むざむざ赤い盾を返したばかりか自分がダメージを負ってしまった。メガヤミラミへの対策が無駄になった悔しさよりも赤い盾に意識の行かなかった自分が愚かしい。
「クオっち。立て直そう。メガヤミラミは再び鉄壁の防御を得た。今度あれを引っぺがすには、やっぱり二人がかりじゃないと」
ディズィーは冷静にメガヤミラミを無力化する方法を編み出そうとする。クオンは口惜しかった。もし、メガシンカの時間に難がなければ、自分とディズィーで一気に攻め切っているのに。それを読んでかフヨウが肩を竦める。
「もし、二人がかりで攻めてきたとして、アチキは負ける気はしないなぁ。だってメガヤミラミにまともなダメージを与えられていないでしょ」
その通りであった。メガヤミラミは赤い盾を手離そうが手にしていようが構うまいといった様子だ。まだ自分達は弱い。それを噛み締める。
「ダイゴが来るかなぁ。でもカゲツさんも相当勝ちにこだわっているし、もしかすると負けているかもね」
「ダイゴは負けないわ」
クオンの強い語調にフヨウは微笑んだ。
「だといいね。でも、勝負の世界ってアチキ達、女の子の思っているよりも残酷だよ?」
全ては実力の世界。勝利も敗北も紙一重でありながら、その溝は埋めようのない事実。勝った人間が栄光を掴み、負ければ地を這い蹲る。勝敗というたった一事だけで人生の全てを賭けたような気分に陥る。それが勝負なのだとクオンはこの半年で学んだ。
「ここであたし達が勝てば、ダイゴはまた一歩進める」
クオンの声にフヨウは意外そうだった。
「自分達の勝ち星じゃなくって、ダイゴのために勝つんだ?」
ディアンシーでは限りなく勝てる手立てが薄い。しかし、ディズィーのメガクチートとのコンビネーションならばメガヤミラミを消耗させる事が出来る。
「まぁ、それも一つの勝負のあり方かな。自分のために戦うんじゃないってのも。でもさ、そういうのって限りある、と思うわけ」
「限りある?」
クオンの疑問にフヨウは、「だってそうでしょう」と答える。
「人間って自分以外に出来る事って意外に限られているものなんだよ。自分以外のために、って誰しも聖人君主になれるわけじゃないし、それに自分以外って、自分のやりたい事とか、自分の価値観を殺しているみたいでアチキは嫌いかな」
自分以外の価値観を殺している。考えてもみなかったが、クオンは知らず知らずのうちに、ダイゴに託している自分に酔っていたのかもしれない。それが正しい事なのだと言い聞かせて。
「ここで、二人がダイゴに繋げるためにアチキを弱らせるのは勝手だけれど、それって本当に二人の望んだ事? 本当に、それでいいと思ってる?」
フヨウの繰り言にディズィーは断じる。
「戯れ言だ。聞いちゃ駄目だよ、クオっち」
「戯れ言かもしれないけれど、クオンちゃんは悩んでいるね」
本当は、誰のために戦うべきなのか。誰のためが正しいのか。迷宮に陥りそうな思考に水を差すように、「でもさ」とフヨウが手を掲げる。
「迷っている相手にわざわざ道を説いてあげるほど、四天王って慈善事業じゃないわけ」
メガヤミラミが飛びかかっていた。狙っているのはこちら側だ。クオンはハッとしてディアンシーに攻撃を命じる。
「ダイヤストーム!」
ダイヤが出現し、その暴風の中へとメガヤミラミが突っ込んだ。しかしダイヤの風はメガヤミラミを傷つける事はない。赤い盾が完全防御を約束している。
「ダイヤストーム。でも、メガシンカなしじゃ!」
メガヤミラミが赤い盾を放り投げる。ディアンシーに命中したかと思われた瞬間、赤い盾の四隅からそれぞれ影の爪が出現する。ディアンシーとクオンは即座に判断した。
「離れて! ダイヤストームで引き離す!」
咄嗟に放った攻撃で赤い盾に内包されていた「シャドークロー」を回避する。まさしく紙一重。少しでも遅れていれば直撃だった。肩で息をするクオンへとまだ余裕のあるフヨウが言いやる。
「メガシンカが出来るのにしない。それってさ、馬鹿にされているような気もするんだよね。そりゃ四天王全員を相手取るに当たって、全員に本気で立ち向かうのは愚策かもしれない。でもさ、四天王はこのホウエンの名だたるトレーナーの頂点。その四人に、本気でもなく、メガシンカもせずに戦うってのが、ちょっとさ。嘗めているのかな、っていう」
「クオっち、挑発だ。乗ったら駄目だよ」
分かっている。フヨウは自分にメガシンカを使わせ、これ以降の四天王戦まで持たないようにさせるつもりだ。安い挑発。メガシンカをさせれば、自分には時間制限と強い負荷が待っている。ここでメガシンカしてはならない。そう冷静に判じている自分と、本気を出さなくっていいのか? と疑問を浮かべている自分がいた。
本気を出して、その上で負ければそれでいい。だが、本気を出さず、中途半端なまま四天王との戦闘を終える。それが最も情けないのだと、クオンは直感していた。
メガヤミラミが赤い盾を携えて攻撃姿勢に移る。メガクチートが接近し、鋼鉄の頭部を振り翳して防御を破ろうとした。ディズィーは戦っている。自分は後ろでちまちま攻撃するだけ。
それを本当の勝利と呼べるか? このような攻勢を戦いだと呼べるのか?
クオンは歩み出ていた。
「クオっち?」
「ディズィーさん。あたし、メガシンカをします」
思わぬ言葉だったのだろう。ディズィーは目を見開いていた。
「いや、それは不利に繋がる。メガシンカポケモン二体を使うよりも、一体ずつメガシンカをローテーションさせたほうが、この先――」
「先の事なんて考えて、本気を出さない事のほうが、四天王に対して不義理だと、あたしは思うんです」
クオンの言葉にディズィーは迷っていた。ここでメガシンカさせる事は恐らくディズィーの戦略では芳しくない。しかしクオンの決意は固かった。
「メガディアンシーなら、一気に攻め込めばメガヤミラミを破れます。ディズィーさん!」
ディズィーは頭を振ってから、「まったく」と呟く。
「お姫様はこれだから、やりにくいったらありゃしない。クオっち。いいよ。ただし、本気だ。後先考えなくっていい。本気で戦ってくれよ」
クオンは指輪を掲げる。虹色の宝玉のあしらわれた指輪が輝き紫色のエネルギーの甲殻がディアンシーを包み込んだ。
瞬時に咆哮と共に弾け飛んだエネルギーの核を宿し、ドレス姿のようなメガディアンシーが顕現する。
「メガディアンシー、一気に決める!」
メガディアンシーの右腕からダイヤの剣が出現する。即座に掻き消えたメガディアンシーはその巨躯を全く感じさせない速度でメガヤミラミへと迫っていた。振り下ろした剣の一撃をメガヤミラミが防御する。
「メガシンカしたね! でも、勝つのはアチキ!」
「勝つのは、あたしです!」
弾き返し、側面から切りかかる。メガヤミラミがそちら側へと盾を移動した。その隙を狙ってメガクチートが現れる。
「蹴りつけろ!」
メガクチートの渾身の蹴りにメガヤミラミの身体が傾ぐ。メガディアンシーはその頭部へと、攻撃を見舞った。ダイヤの剣がメガヤミラミの頭を切り裂く。
勝った、とクオンは確信した。しかし、メガヤミラミは頭を断ち切られたまま影を棚引かせている。何かがおかしい。そう感じた時には、赤い盾が分散し、四つに分かれて頭上からこちらを狙っていた。
「メガヤミラミ、身代わり。読み辛かったでしょ? だって赤い盾に二人とも気が散っているから、いつ身代わりを指示したかなんて見えなかったに違いないし」
今しがた切ったのは「みがわり」のメガヤミラミだった。ならば本体は? 首を巡らせると四つの赤い盾の向こうにそれぞれメガヤミラミが存在した。
「分身? 四体なんて……」
「いいや。こいつもまやかしだ! メガクチート!」
跳躍したメガクチートがそのうち一体を叩きつける。影が分散し、メガヤミラミの姿が掻き消えた。
「その通り。そのうち三体は身代わりで作った偽物。だけれど、本物を見抜く事が出来る? 今に三体が同時攻撃をするよ」
赤い盾の内側で三体が「シャドーボール」を練る。どれが本物であるにせよ、このまま攻撃を受ければメガヤミラミの優位になる。
「クオっち! こうなればこっちも分散する! どれが本物であれ、三体しかいないんだ。残りの一体が本物でない事を祈って同時攻撃する!」
ディズィーの意見は正しい。戦い慣れている。二体攻撃して、それが本物であれ偽物であれ、威力は極限まで殺ぐ事が出来る。
だが、それでいいのか?
そのような逃げの戦い方で、これから先、勝っていけるのか?
クオンはメガディアンシーへと命じていた。
「メガディアンシー。攻撃準備」
「クオっち? まさか一体に絞るつもりじゃ……」
「ディズィーさん。確かにその戦法なら、こっちもダメージは最小限だし、外れてもさして痛くはないです。でも、そんなんじゃ、いつまで経ってもここを超えられない。四天王を超えるには、それ以上の覚悟が必要なんです」
メガディアンシーが剣を構える。狙うのはたった一体のみ。その攻撃に全神経を傾ける。
「クオっち、でももし外したら」
「シャドーボールがあたし達を襲う。トレーナーが戦えないのならば、もう戦闘続行は不可能」
分かっている。だが、分かっていても、ここで退けば勝ちはないと思っていた。
分身したメガヤミラミが影の砲弾を作り上げる。もう発射寸前だった。クオンはメガディアンシーへと思惟を飛ばす。
――狙うのはたった一体。
ディズィーが判断をつけかねている。クオンは叫んだ。
「メガディアンシー! 狙うのは、赤い盾に影の反射している奴。右側のメガヤミラミだ!」
メガディアンシーが跳ね上がり、そのメガヤミラミを切り裂く。赤い盾に亀裂が走り、メガヤミラミの脇腹を掻っ切った。
その瞬間、もう二体のメガヤミラミが霧散する。その一体がオリジナルだと判じたディズィーの動きは素早かった。
「メガクチート! とどめ!」
跳躍したメガクチートが鋼鉄の角を振り回し、メガヤミラミを地面へと叩きつける。メガヤミラミが両手を掲げる。攻撃姿勢か、と身構えたが、赤い盾が分散し、メガシンカが解けた。
フヨウが、「なるほどね」とモンスターボールを突き出す。ヤミラミがボールに戻されていった。
「負けちった」
ちょっとしたいたずらのようにフヨウは舌を出す。ディズィーは放心していた。
「勝った、だって……」
クオンもまだ認識出来ていない。しかしフヨウの言葉でようやく現実認識が追いついてきた。
「どうしてメガヤミラミの本体が分かったの?」
クオンはその時感じていた事を口にする。
「赤い盾に反射しているかどうか、ってのもあったけれど、何よりもあたしが重要視したのは、ダイヤの剣」
メガディアンシーがダイヤの剣を掲げる。その刀身にフヨウの姿が反射していた。
「あたしは思い出した。このディアンシーで本質を見抜くテストを行っていた事を。ならば、ダイヤに映るのは、その本質。つまり本体しかいないと」
あの時、ダイヤの剣に映ったのは一体だけだった。賭けの部分も大きかったがそれがなければフヨウを出し抜けなかっただろう。
「なるほどなぁ。一枚上手だったわけか」
フヨウは悔しがるでもない。負けてもこの少女は快活に笑っている。
「これで二階層は突破ですよね?」
「待ちなって。回復してからでも遅くはないでしょ」
フヨウが回復の薬を投げる。ディズィーとクオンはメガシンカを解かせてからそれぞれの手持ちを回復した。
「にしても驚いたなぁ。勝っちゃうなんて」
フヨウはメガヤミラミに相当な自信があったのだろうか。髪をかき上げてふんふん頷いている。
「執念でもぎ取った勝ち星。せっかくだから無駄にしないでよ。次の階層でプリムさんが待っている」
プリム。三人目の四天王であり、氷タイプ使い。勝てるか、という目線をディズィーと交し合う。ディズィーは首肯した。
「こっちは鋼と岩が揃っている。弱点タイプは補強しているから」
勝てる算段はある、という事なのだろう。しかしフヨウは腕を組んで、「どうかな」と声にした。
「タイプ相性だけなら、今だってフェアリーを持っているそっちのほうが圧倒的に有利だった。それでも二体一。あまりタイプ相性を過信しないほうがいいと思うよ」
フヨウの言う通りでもある。二体一でようやく勝てた。彼女よりも強い人間が待っているのだ。
「それでも、あたし達は負けません」
クオンの強い口調にフヨウは息をつく。
「まぁ、負けない気概を持つってのは大事だと思うよ。それが勝利に繋がるかは別として」
クオンは歩み始めた。ディズィーも続く。
「生憎だけれど、オイラ達もう負けるわけにいかないんだ。勝たせてもらう」
ディズィーの声にフヨウは肩を竦めた。
「もうアチキは負けちゃったからその言葉には何とも返せないけれど、気をつけなよ」
「それは心配してくれているんですか?」
質問するとフヨウは返す。
「心配? いいや、これは警告だよ。四天王の三人目、プリム。氷タイプ使いである彼女が何故、温暖な気候であるホウエン地方にいるのか。その意味を理解するべきだって事」
「負けませんから」
そう言い置いて階段を上っていく。三階層に入った瞬間、凍てつく空気の波を感じ取った。瞬時に体温を奪われたような感覚。クオンはまだ勝負の前だというのにディアンシーを繰り出していた。それはディズィーも同じのようでクチートをもう出している。
それほどまでに、中央に佇むプリムは驚異的だった。椅子に腰かけているだけなのに、感じられる戦闘意欲。柔らかく凪いでいるようであるが、その本質は刺々しい攻撃の意思。
ここでポケモンを出さなければまず戦意を削がれる。二人の防衛本能に瞼を上げたプリムが声にする。
「来たのですね。という事は、四天王も二人、やられたという事」
プリムはまだポケモンを出さない。ゆったりとした声音で言葉を重ねる。
「恥、とは思いませんが、それほどの実力者なのか、あるいはビギナーズラックでここまで来たのか。それを見極めるのに、三人目というのはとても適しています。一人目は、まだ力押しでいける。二人目、も確率的に勝てる、かもしれない。でも三人目、となれば話が全く違う。ここから先は、真の実力者のみ、進む事の許された聖地。ホウエン四天王を、甘く見ない事ですね」