第百二十九話「花よ舞え」
「戦って、勝たなきゃいけない」
ディズィーの声に靴紐を結んでいたダイゴは顔を上げる。
目の前には四天王が佇んでおり、倒さなければ先に進めない。隣にいるクオンが緊張の面持ちを浮かべている。彼女からしてみればメガシンカの継続時間の課題がまだ残っているのだ。ディズィーはその点、心配は要らないのだろう。
問題なのは自分だ。まだ一度としてメガシンカに至っていない。そればかりか、四天王の突破もまだだ。
「三人同時に来いよ。それくらいでちょうどいいかもな」
挑発するのは四天王の一角、カゲツ。彼は悪タイプの使い手だ。だからこの場合、自分は引き下がって二人に任せたほうがいい。
だが、そう簡単に割り切れないのが自分だった。
「ディズィーさん、クオンちゃん。最初は、俺に任せてくれないか?」
その提案にディズィーが反対する。
「悪タイプ相手に、鋼・エスパーのメタグロスじゃ効率的じゃない。フェアリーを持つオイラ達のほうが」
「それは分かっている。でも、有利な時だけ前に出るなんて、そんなのずるいじゃないか」
ダイゴはモンスターボールを掲げる。ディズィーは渋々了承した。
「……分かったよ。ただし、オイラはだけれどね。クオっちはどう思っている?」
「あたしは……、ダイゴに無駄な消耗をさせるべきじゃないと思っている」
それが当然と言えば当然。しかしダイゴは言い返した。
「無駄な消耗かどうかは、俺の戦い次第だ。もう何十回と、この半年間戦ってきた。俺は、もう逃げ口上を使いたくない」
その言葉にはさすがにクオンも押し黙る。カゲツが、「いいのかよ」と尋ねた。
「フェアリーが悪に有効だって事は実証済みなんだぜ? それに、ここから先、あと三人の四天王を勝ち進むのに、タイプ上有利を狙っていくべきだ。それくらい、トレーナーなら初歩の初歩だろ」
「ええ、ですが俺は、ここで勝てなければ、一生勝てない」
ボールを翳したダイゴにカゲツは鼻を鳴らす。
「随分と強気に出られたみたいだが、オレだって負けられねぇよ。何せ、このホウエンの上に立つ、最強の四人の一人だからよ」
「いけ、メタグロス!」
ダイゴがボールを投擲してメタグロスを繰り出す。まだメガシンカの兆候はない。カゲツは息を吐き出しつつ、「メタグロス、ね」と呟いた。
「そりゃ、弱いポケモンじゃねぇよ? 鋼・エスパーって実は結構、強い組み合わせだ。でもよ、お前は負けるぜ。オレの切り札相手にな」
カゲツがボールを投擲し、口にする。
「いけ、アブソル」
出現したのは白い体毛の獣であった。反った刃のような角を持っており、赤い眼光がメタグロスを睨み据える。
純粋な悪タイプのポケモン、アブソル。立ち現れた姿にダイゴは速攻の命令を発する。
「先手必勝だ! バレットパンチ!」
メタグロスの弾丸の勢いを誇る拳がアブソルへと打ち込まれようとする。しかしアブソルは軽くステップを踏んだだけで「バレットパンチ」を回避した。刃のような角を振るい上げ、メタグロスの腕へと風を纏い付かせた一撃を見舞う。
ぎしり、と軋む音。ダイゴはその一撃が的確に関節を狙ったものである事を確信する。
「関節が、見えて」
「当たり前だろうが。鋼タイプの堅牢な表皮にただ攻撃するとでも? 言っておくが、関節を含め、脆い部分は全部見えているぜ」
アブソルが下段へと回り込み、突き上げる一撃を放った。メタグロスが身体を振動させられ一瞬、挙動が怪しくなる。ダイゴは脳震とうを狙った的確な攻撃であると判じた。
「鋼を、脳震とうさせようなんて!」
メタグロスの腕がアブソルを捉えようとするが、アブソルは華麗にかわし、今度は背後に回った。
「メタグロス! 後ろだ、推進剤で吹き飛ばす!」
メタグロスの腕から発射された青白い炎がアブソルの視界を覆ったかに思われた。しかしアブソルは臆する事はない。それどころか推進剤に真っ直ぐに突っ込んできた。さしもの悪タイプとはいえ、推進剤の熱量の中、目を開けていられるとは思えない。
「推進剤の中に突っ込むなんて……」
「違う! よく見るんだ!」
ディズィーの声にダイゴはアブソルの狙いを理解した。推進剤に突っ込んだと思われたアブソルは角で推進剤の熱量を切り裂き、無風状態の場所を進んでいるのだ。それ以外の箇所は推進剤の熱量で焼かれるが、アブソルの的確な攻撃は推進剤の薄い部分を網羅していた。
「そんな……。咄嗟の判断で出来るレベルじゃ」
「言ったろうが。オレ達はホウエンの上に立つ四天王。全てを上回り、全てを超えている」
アブソルが躍り上がる。メタグロスは横合いから推進剤を焚かせて方向転換する。それでもアブソルの前足がメタグロスを蹴りつけた。よろめいたメタグロスへと空中のアブソルが攻撃を連続で浴びせる。
「辻切り!」
黒い瘴気が浮かび上がり、拡張した闇の刃がメタグロスを押し込んだ。ダイゴはメタグロスへと命じる。
「相手も動けないだろう! コメットパンチで」
「遅ぇ!」
返す刀で放たれた「つじぎり」による一閃が「コメットパンチ」を放つ前のメタグロスへと突き刺さる。メタグロスが後退した隙を狙い、アブソルは果敢に攻めた。
「鈍い、鈍いぜ! 判断力、速度、強靭さ、反応、そして何よりも!」
アブソルが仰け反って拡張した刃を薙ぎ払う。バトルフィールドが捲れ上がり、その余波である攻撃の波がメタグロスを打ち据えた。
「確信的に、弱い!」
声と共に浴びせられた刃の攻撃にメタグロスが怯んだ。ダイゴも拳を握り締める。
「俺が弱いだって……」
「そうだとも。てめぇ、オサムのほうが随分と骨があったぜ。メタグロスの強さの三割だって引き出せてねぇ」
カゲツの言葉にダイゴは言い返す。
「そんな事!」
「ねぇってか? だが、これが圧倒的な現実って奴だ」
鞭のようにしなった闇の刃がメタグロスの攻撃をぶれさせた。渾身の「コメットパンチ」はアブソルのすぐ傍の地面に突き刺さる。
「命中しねぇ上に、高威力の技を無駄撃ちか。これじゃ、メタグロスが可哀想になってくるな」
四つの腕のうち一本を切り離してまで使った「コメットパンチ」は命中しなかった。その事実にディズィーが前に出る。
「ダイゴ! やっぱり、見ていられない。オイラが」
それを制したのはクオンだった。思わぬ行動に、「クオっち?」とディズィーがうろたえる。
「このままじゃ四天王を打ち破るどころじゃないよ」
「分かっています。ですけれど、まだ、ディズィーさん。まだ、ダイゴの戦いです」
その言葉の意味が分からないのか、ディズィーは言いやる。
「そのダイゴの戦いも、ここまで差があるんじゃ意味がないって言っているんだ。まさか最初の四天王とだけでもこれだけだとは。見ていられない。オイラ達のフェアリータイプならば――」
「ディズィーさん。まだ、勝負はついていない」
クオンの声にディズィーは困惑する。カゲツが声を上げた。
「ざまぁねぇな。ダイゴ。女子供に心配されるとは、堕ちたもんだぜ」
ダイゴはフィールドを見やる。アブソルは「コメットパンチ」の腕の傍におり、カゲツは奥に。自分とメタグロスの距離間は、三メートル前後。これならば、手はあった。
「カゲツさん。三割も引き出せていない、って言いましたね?」
ダイゴの声にカゲツは胡乱そうに返す。
「言ったが?」
「だったら、その残り七割を、今、引き出しましょう」
思わぬ言葉だったのだろう。カゲツは頬を引きつらせていた。
「おいおい、三割も引き出せない奴がいきなりもう七割引き出すって? 笑わせんな。それ以上に、四天王嘗めんな」
「嘗めているのは」
ダイゴが指を鳴らす。
次の瞬間、地面に突き刺さっていた腕から推進剤が噴き出した。突然の事にカゲツが狼狽する。噴き出した白い煙はたちまち視界を覆い尽くした。
「何だって言うんだ……」
「カゲツさん。あなたのポケモンは全部、素早さを重視している。だからメタグロスで、ただ単純に攻撃を当てようとしても当たらないし、逆に消耗する結果になるのは目に見えている。だからこそ、あえて、コメットパンチの腕を分離させた。今の状況じゃ、その素早さは殺されたも同然」
カゲツがハッとして声を張り上げる。
「やべぇ、アブソル! そこから離脱――」
「遅い」
アブソルが声に気付いて離脱する前に、メタグロスの拳がその身体にめり込んでいた。推進剤からの白煙のせいで接近するメタグロスが視認出来なかったのだ。
アブソルが咄嗟に回避行動に移ろうとする。その前に叩き込んだ。
「アームハンマー」
もう一方の腕がアブソルへと突き刺さり、間断のない拳の軌跡を打ち込ませる。ネオロケット団に訪れてから覚えさせた技「アームハンマー」は格闘タイプの技。悪であるアブソルには効果抜群であった。
攻撃から逃れるようにアブソルが闇の刃を地面に突き刺す。上がった粉塵による一瞬のメタグロスの隙をつき、アブソルが後退する。しかし「アームハンマー」の威力は推し量るべきだった。アブソルが荒い呼吸のまま、メタグロスを睨み据えている。肋骨も何本か折れているに違いない。今にも膝をつきそうだった。
「呼び戻せ」
ダイゴの声にメタグロスは発炎筒代わりに使っていた腕を呼び戻す。装着された腕がもし「アームハンマー」に使われていれば確実にアブソルを沈めただろう。カゲツもそれを分かっていたに違いない。
「……なるほどな。オレに油断をさせるために、わざと今まで抑えて戦っていたわけか。嘗められた……いいや、メタグロスの性能を活かす、最大限の戦い方ってわけか」
カゲツはアブソルを呼びつける。アブソルは今にも危うかった。攻撃に転じられるほど体力が残っているとは思えない。
「俺の勝ちです」
確信した声音にカゲツは、「だろうな」と答えた。
「普通なら、ここで勝敗は決している。だが、ダイゴ。今回はメガシンカありでの戦いだって事、忘れてんじゃねぇか?」
カゲツが首から提げたネックレスを出す。虹色の石があしらわれたネックレスが光り輝き、カゲツが指を当てる。
直後、空気が逆巻いた。エネルギーの甲殻がアブソルへと収束してゆき、全身を纏った瞬間、咆哮と共に甲殻が晴れる。そこにいたのは最早アブソルではない。
翼のように白い体毛が発達し、片方の目を隠す形で伸びた前髪は一段階上のポケモンである事を示している。先ほどまでよりもより鋭敏化した刃のような角を振り翳す。攻撃力の上昇は見るも明らかだった。
「――メガシンカ、メガアブソル」