INSANIA











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原罪の灯
第百二十八話「進むべきは」

「ぼくの右腕を、回収しただと?」

 一報が届いた時にはもう朝を迎えようとしていた。しかしこの肉体に休息は必要ない。初代はその持て余す時間を有効活用して自分の記憶と記録の齟齬を重ね合わせていた最中だった。繋いできたのはコウヤだ。

『ええ。初代の悲願でしょう?』

「それは、もちろんだが」

 このタイミングで自分の右腕が見つかるのは出来過ぎている。何か裏があるのだと勘繰るのは当然だった。

『ご不満でも?』

「……いいや。それで、右腕をどうする?」

『接合手術を設けましょう。随分と損傷していまして。すぐにでもオペしなければ』

 損傷。その言葉に初代は焦った。

「どのくらいだ?」

『目に見えるくらいには損傷具合が激しいですね』

 思わず舌打ちする。出来れば左足と右腕は無傷で接合したい。

「分かった。医者を呼んでおく。ぼくの言う通りに本社まで来てくれ」

 通話を切り、初代は歯噛みする。

「ぼくの与り知らぬところで、孫達は動いていたようだ」

 予期せぬ動きは時として危うい均衡を生み出す。初代は即座に会長権限で呼び出した。その人物はすぐさま現れる。

「何でしょうか? 初代」

 赤い帽子を傾けたギリーに言い放つ。

「仕事だ。ちょっと面倒な事になった」

「ネオロケット団ですかい?」

「そいつらなら蹴散らせばいいんだが、血縁というのはこういう時、厄介だね」

 初代の声音に尋常でない事を悟ったのか、ギリーは聞き返す。

「……何があったんで?」

「ぼくの右腕が見つかった」

 ギリーは大げさに驚き、「それはそれは」と言う。

「どこで」

「ぼくの優秀な孫達が情報を集めて炙り出してくれたらしい」

「よかったじゃないですか」

 よかった。本当に、そう思えればどれだけいい事か。だが孫達の厚意がただ単に忠誠によるものでない事くらいは分かる。

「……ギリー。ぼくが怖いか?」

「そりゃ、当然でしょう? 千の兵力を持つ初代は脅威ですよ」

 だがこの男の場合、いざとなれば殺しも厭わないだろう。初代は鼻を鳴らし、「形だけの賛辞は要らないよ」と返す。

「ぼくが恐怖に値するか、と聞いている」

 改めた声にギリーは、「まともな返事がお望みで?」と茶化した。

「ぼくがふざけているとでも?」

「まさか。初代は怖いですよ。敵に回したくない」

 ギリーの声に初代は何度も頷く。

「そのはずだ。ぼくの持つ鋼や岩、地面ポケモンに普通のポケモンで勝つ事は不可能。……だが、ツワブキ家ならば、ぼくのポケモンにカウンターを打てる可能性がある」

「初代のポケモンに? あれだけのタイプ構成に?」

「……ぼくの遺産がきっちり相続されているのならば、彼らに然るべきポケモンが渡されているはずだ」

 そう口にしてから、誰が、そのような手順を踏んだ? と疑問が浮かんだ。誰に、自分は頼んだのであったか。それが引っかかって出てこない。誰に、遺産の管理を任せたのであったか。

 それが重大な見落としのように感じられたがギリーの声で我に帰った。

「初代? どうなさいました?」

「……いや、何でもない。ぼくは、誰も頼っちゃいない。そのはずだ」

「えらく狭い考え方ですね。自分が死んだらどうするか、とか考えていらっしゃったんじゃ?」

 そのはずである。死んだ後、どうやって遺産配分をするのか。そもそも誰が――。

 疼痛が襲う。初代は額を押さえた。

「誰が、そうだ、誰に、ぼくは頼んだ?」

 ギリーが顔を覗き込んでくる。初代は手を払った。

「初代? 顔色が優れませんが」

「何でもない。忘れろ」

 この男は忘れろと言えば忘れる。初代の言葉にギリーは何も口を差し挟まなかった。ただ胸のうちに湧いた疑念を払拭するに至っていない。

 端末を一つ手にして声を吹き込む。

「ぼくだ。頼みがある」











 初代の右腕が発見された。

 その報告はギリーより暗号メールが届いた事でイッシンにも知れ渡る事となった。後は左足と心臓部。だが初代は心臓のない事を気づいていない。そのはずである。

 この場合、一番に守るべきなのはディアルガだろう。少しでも記憶が戻れば心臓がない事に気づくかもしれない。その場合、一番に手薄になるのはこの区画だ。イッシンは機密ブロックに向かい、報告を受け取った。

「ギリー。初代に付き従っているのか」

 それが正解だろう。自分ならばそうするように命じている。問題なのは誰が、右腕を発見したのかという事だ。三つの暗号をイッシンは用意しておいた。

 ツワブキ家のものならば「5」を。

 ネオロケット団のものならば「6」を。

 それ以外ならば「7」を末尾に送信するように指示していた。メールの末尾をイッシンはスクロールする。 

 そこで震撼した。

「5……、つまり我がツワブキ家の者……」

 答えは一つしかない。息子達が自分の計画に気付き、阻止するために動き出した。

「駄目だ。初代だけは、完全復活させてはならないのだ」

 イッシンは打てる手を打っておく必要に駆られた。まずはディアルガの完全封印だがそれは事実上不可能である。もしもの時にデボンごとこのブロックを爆砕する。そのためのスイッチが手にはあった。

「もう一つは、ギリーが初代の暗殺に成功する事だが……」

 息子達がその場に居合わせたならば封じられる可能性がある。イッシンは最後の手を打つ事にした。履歴不明の電話番号へとイッシンは電話をかける。このデボンにわざと足跡を残して侵入している人間がいた。その人物の行方は分からないものの明らかに自分とデボンに持ちかけているのが分かった。もしもの時の最後の手段を。

「……出てくれ」

 通話が繋がる。返ってきた声は意外な人物であった。

『……ようやく、ここに来たか。ツワブキ家』

 イッシンは自分の耳を疑う。しかしその声は幼い頃より慣れ親しんだ声の持ち主であった。

「まさか……! 君だったのか、ヒグチ・サキ……!」

 電話口の相手は動じる事もなく、イッシンの声に返答する。

『やっぱりルイのシステムは完璧だ。ここに至るまでリョウのおじさんは私の正体に全く掠りもしなかった』

『当然です』と誰かの声が重なる。まさかヒグチ・サキには協力者がいるのか。

「どうして君なんだ……。デボンに何を」

『それを語る前に、この番号にかけてきた、という事はのっぴきならない事態なんじゃ?』

 サキの言葉にイッシンはうろたえながらも口火を切る。

「リョウが、いいや息子達が、悪魔の計画に手を貸そうとしている。わたしだけでは止められない」

『だから、私達の力が必要だと』

「初代を止める手立てが見当たらない。右腕を手に入れれば、恐らく記憶の一部も戻るだろう。そうなった時、最後に残っている部位を発見されれば困るのだ」

『心臓部、ですよね』

 自分とギリー以外に知らないはずの心臓部の事を言い当てるサキにイッシンは舌を巻いていた。一体どこまで、サキは踏み込んでいるのか。

「……心臓部を手にされれば勝つ手段がない。心臓部の奪取はディアルガを手にされるのと同義だ」

『ルイ。構成防壁を張りつつ初代のボックス操作を阻止する事は?』

『難しいです。初代のボックス操作は他の権限とはまるで別なので』

『じゃあやっぱり、この手しかないみたいだ』

 誰と話しているのだ、と一身が訝しげにしていると、『おじさん』と声がかけられる。

『初代を倒す事に、協力しても構いません』

 ただし、と条件が付け加えられる。イッシンは何でも捧げる覚悟をした。

『ツワブキ・レイカだけは、私が倒します。他に手助けをしないようにしてもらえれば』

 レイカ。どうしてここでレイカの名前が出るのだ。しかしイッシンは認めざるを得ない。自分以外に初代を止められる手段はサキだけだ。

「……いいだろう。レイカと君の勝負には口出ししないよ」

『感謝します』

 一体、どのような因縁があるというのか。イッシンは怖くて聞けなかった。自分の娘と懇意にしていたヒグチ・サキがどのような確執を抱えているかなど知らないほうがいい。

『初代のオペを遅らせて、何とかして合流します』

「いや、わたしは地下から動けないんだ。心臓部をどうしても守り切らなければ」

 その間に初代が完全復活を遂げれば自分の落ち度でもある。サキは、『仕方がないとはいえ』と声にする。

『その場合、バックアップは期待出来ないと思ったほうがいいですか』

 自分はサキを支援出来ない。随分と一方的な交渉だとは思う。

「すまないね。わたしに出来る事は少なくて」

『いえ。僥倖なのはおじさんに気づかれていないという事は初代も気付いていないという事です。つけ入る隙はありますよ』

 いつから、彼女はこのように知略の巡る人間になったのだろう。それほどまでに苛烈な人生を歩ませたのは誰なのか、とイッシンは他人事でありながら割り切れない部分を感じた。

「君は、どうする気なんだ?」

『決まっています』

 サキは一呼吸置いてから答える。

『初代を抹殺し、ホウエンを救う』













 ルイがタイムラグなしで情報を掻き集める。サキは出かける準備をする事にしていた。コートを羽織ってルイに語りかける。

「ルイ。私がいない分、デボンの情報に目を光らせておいて」

『ご主人様のいない時なんて考えられませんよ』

 ルイの言葉にサキは口元を綻ばせる。

「でも、私はこれから死ににいくようなものだから」

 デボンに突入するという事はもう命がないようなものだ。煙草の箱の底を叩き、くわえて火を点ける。

『煙草は健康に害を及ぼす可能性が』

「パッケージみたいな事を言うな」

 このやり取りももう終わりだろう。サキは半年という短い間でありながら懐かしんだ。

「ルイ。お前、どうあって生まれたのか、まだ聞いていなかったな」

 プラターヌが作り上げた人工知能。一体どうやって生まれたのだろう。ルイは、『プラターヌ博士は最初から』とサキに言葉を振り向ける。

『自分の死を前提として、ボクを作ったみたいです』

「最初から、か。いつから、というのも愚問かな」

 最初からならば自分と出会った時、もうプラターヌは死を覚悟していたのだろう。そうでなければルイのような高度なシステムを作る時間がない。

「プラターヌ博士は、では病院にいた頃から?」

『はい。自分の人生の清算だ、とよく言っておられました』

 清算。恐らくは自分の人生に満足いっていなかった男の言葉だ。その納得を得るために、彼は外に出た。自分と出会わなければ、死なずに済んだかもしれないのに。

 いや、この考えも違うとサキは感じていた。きっと博士は緩やかな死さえも自分にとっては死なのだと感じていたのだろう。

「博士は、どういう気持ちで、お前を作ったんだろうな」

『博士には娘はいませんでした。だからその点以外は苦労しなかったんじゃないでしょうか。だって子育ての経験はあったわけですし』

 博士の息子、フラン・プラターヌ。それが同時にダイゴでもあった。皮肉な事実にサキは苦々しい思いを噛み締める。

「全ての発端はツワブキ家だ。だって言うのに、博士は……」

 自分の子供を奪われ、尊厳を奪われてもなお諦めなかった。その魂の輝きがルイという存在なのだろう。

『ご主人様、不審な動きの団体があります』

 ルイの報告にサキは応じた。

「ネオロケット団だろう。この状況で動くのは」

『いいえ。ネオロケット団ではありません。第三戦力と思しきアクセス履歴を発見しました』

 その言葉にサキは改めて座り直し、ルイのシステムに介入する。ルイが洗い出したシステムの閲覧履歴の中に今までにないコードが含まれていた。

「何だ、これは……。どこから……」

 逆探知して場所を洗い出す。ルイのシステムならばそれが可能だった。特定された意外な位置にサキは狼狽する。

「何てことだ……。という事はつまり、初代を殺したのは奴だった、というのは……」

『恐らく事実でしょうね。この事態にデボンを嗅ぎ回るのは初代殺しに関係している人間以外、あり得ませんから』

 しかし、とサキは信じられなかった。どうして初代を殺さなければならなかったのか。その疑問が氷解していない。

「どうして奴が、初代を殺した……?」

『状況証拠だけでは特定出来ませんね』

「ルイ。私はもうデボンに向かう。ツワブキ・レイカと決着をつけるために」

 ホルスターに留めたモンスターボールをルイに突き出す。ルイは、『お気をつけて』と見送ってくれた。

『ご主人様、ボクは出来る限り、初代殺しの犯人の情報を集めておきましょう。どうして殺さなければならなかったのか。一番に明らかにしなければいけないのはツワブキ家の人々のはずだからです』

 最悪の場合の交渉に使える、という判断だろう。ルイは自分を守る事を第一に掲げられたシステムだ。だから命を守る事を優先する。

「ありがとう、ルイ」

『らしくありませんよ、ご主人様。しっかりやっておけよ、くらい言ってください』

 減らず口にサキは微笑む。このシステムも随分と人間らしくなってきたものだ。

「ああ、行ってくる。戦って、勝つために」

 サキはコートを翻し、部屋を出て行った。


オンドゥル大使 ( 2016/03/05(土) 17:00 )