第百二十六話「闇の一族」
その部屋はどのシステムからも隔離されており、誰からのアクセスも封じられていた。
電波遮断室として普段使われている場所を集合場所として指定しなければならなかった事に、少しばかりプライドが邪魔したがもうこの企業では自分が法ではないのだ。だから隠れて行動する必要があった。
ガラスで遮られた向こう側に人影を感知する。緑色の照明が降り立った電波遮断室で三人の影がそれぞれガラスの向こうに集った。
「揃ったわね」
その声に照明が上がり、それぞれの顔を照らす。久方振りに見る兄弟の顔立ちは全員、厳しいものだった。その中の一人であるレイカは口火を切る。
「私の提言に乗ってくれてありがとう」
「乗るも何も、いきなり無線も使わずにこれだ」
リョウが折り畳まれた手紙を差し出す。アナログな手段に頼るしか、この場合デボンを出し抜けないと考えたからだ。
「で? 集まったからにはそれなりの話があるんだろうな」
コウヤの声にレイカは髪をかき上げる。
「ここに来たという事は、今の会長、つまり初代のやり方に、疑問を持っている、と考えていいのよね」
そう書面にて記した。初代の考えに異を唱えるならば電波遮断室に来い、と。リョウは、「そう大それたものでもないが」と前置きする。
「オレは、本当に初代があの肉体に宿っているのか、ちょっと分からない気がする」
リョウの意見にコウヤが同調した。
「おれもだ。あれが初代だという、証拠というか、根拠がない」
「でも父さんは、あれが初代ツワブキ・ダイゴ、という前提で、私達の初代再生計画に歯止めをかけた」
もしイッシンが先んじて初代を降ろさなかったら、自分達はD015、ツワブキ・ダイゴに初代を降ろしていただろう。
「その点、やられたよな。何で親父にはオレ達のやろうとした事が分かったのか」
「いや、分かっていないのかもしれない」
コウヤの言葉にレイカは疑問を挟む。
「どういう意味?」
「つまり、親父は初代再生計画を止めるため。ただそれだけのために、リスキーだが初代の肉体を用意した、というのは?」
リョウが息を呑む。レイカもその意見には驚きだった。自分達の再生計画を妨害する最も有効的な方法として初代を逆に再生してみせた。
「でも、それじゃ私達の思う壺だと思わなかったのかしら?」
「いいや、おれが内偵を進めている結果、そうでもない事が分かってきてね」
「それは、どういう事だよ、兄貴」
コウヤは内偵を進めていたのか。レイカは改めて食えない兄だと感じ取る。
「初代は、完全な初代ではない可能性が出てきた」
「それは、どういう……」
「記憶と記録。どっちも切り離せないものだが、初代の記憶と記録が、予めあったものと食い違う。つまり矛盾しているんだ」
レイカは初代の義手と義足を思い返す。顎に手を添えて考え込んだ。
「初代は、あえて不完全な状態で再生された。そうすれば、私達が諦めると思って?」
「じゃあ、親父はオレ達の再生計画を止めるためにわざと初代をああやって召喚したと?」
リョウの言葉にコウヤは落ち着いて返す。
「そう考えれば、どこか腑に落ちる。親父からしてみれば、おれ達の再生計画は危うい代物だった、とすれば。自分にとって都合の悪いやり方だった」
「都合の悪い……。どういう事だよ?」
「二十三年前」
レイカはコウヤの言葉に即座にその事件を思い出す。リョウは時間がかかったものの結び付けたようだ。
「まさか、初代の死……」
「そう、あの死に様がどうやって計画されていたのか。そもそも初代を誰が殺したのか。それが初代の口からばれる事を恐れていた」
「ちょっ! ちょっと待ってくれよ! 兄貴! だったら、初代殺しの犯人って……」
そこから先はレイカも予想がついたがあまりにもおぞましく自分から言葉を継げなかった。コウヤはしかし、躊躇いながらも口にする。
「親父が、初代を殺した、か。あるいは露見すると不都合な事に首を突っ込んでいるか、だな」
「親父が殺したのはありえないぜ!」
リョウは初代殺しが自分の父親によるものだと信じたくないようだ。しかしレイカは事のほか冷静に事態を分析していた。もし初代殺しが父親の、イッシンによるものならば初代を不完全に再生する事も、初代再生計画を邪魔する事も全て辻褄が合ってしまう。
「私は、特別飛躍した意見でもないと思う」
「おい、姉貴! あんたまで何を!」
「リョウ。いつまで父さんを裏切れない、善良な子供でいるつもりなの? 父さんは母さんの死に関してもずっと口を閉ざしているのよ」
それを引き合いに出すとリョウも押し黙る。自分達の母親の死。それこそが初代再生計画の一端を握っている事象だった。
「お袋が死んだのは病気だった。完全な偶然だよ」
「母さんが死んだのは偶然? お前、本当にそう考えているのかよ」
コウヤの挑発的な言葉にリョウは噛み付く。
「何だよ、兄貴。そうじゃないって言うのかよ」
「親父は、母さんの死に、何らかの形で関わっていた。だから、初代の死にも関わっている。この二つは決してイコールで結ばれるものじゃないが、母さんの死を隠していたような後ろ暗い人間が、初代の死に関わっていないはずがない。こういう論法ならばイコールになり得る」
「馬鹿馬鹿しい!」とリョウは頭を振る。
「オレはそうじゃなくってもコープスコーズのバックアップ、それに公安に根回しと忙しいんだ。もしかしたら、の話なら即刻打ち切って帰りたいくらいさ!」
苛立っているリョウにレイカは宥める。
「落ち着きなさい。母さんの死が、何も歪められたものだとは限らないんだから」
「でもよ! 兄貴はそう考えているんだろ?」
リョウの声音にコウヤは、「冷静に分析しての話だ」と口にする。
「母さんが死んだ時、親父は何て言っていた? 病死だって知ったのは随分と後じゃなかったか?」
三人して押し黙る。イッシンがずっと言っていたのは「母親は出張で出かけている」という話だった。それがいつの間にか、病気で死んだ、にすり替わっていたのだ。その苦い経験をした三人の兄弟は、もうイッシンを疑ってかかっていた。
「何であの時、出張なんて言っていたんだ……。親父は何を隠したかった?」
「おれの私見を述べるなら、もしかしたらその出張中に、何かを仕込んだのかもな。毒、とか」
リョウがガラスの仕切りを叩いて喚く。
「母さんの死を、侮辱するのかよ! いくら兄貴でも許さないぞ!」
「侮辱はしていない。ただ考えるに値するものだと」
「それが侮辱だって言ってんだよ!」
平静さを失ったリョウへとレイカは声を振り向ける。
「落ち着きなさいって。私達はいがみ合うために集まったわけじゃないでしょうに」
リョウは悪態をついて落ち着きなく歩き回る。昔からそうだ。リョウは一つの事にこだわるとそれが頭から離れない。
きっと今思っているのは母親の事以上に、半年前にいなくなったクオンの事だろう。
リョウはクオンを溺愛していた。表面上はそうと分からなくても家族のうちでの暗黙の了解だった。クオンのために何かしたいと思っていたのはリョウだけだ。他の家族は、もうクオンには関わらないようにしていた。
「また、親父はオレ達に隠して、何かしているってのかよ」
「まだそうと決まったわけじゃない。落ち着きなさいって」
いくら言ったところでリョウは平時の落ち着きを取り戻さない。レイカはモンスターボールを取り出し、それをコツンとガラスに当てた。リョウとコウヤが同時に肩を揺らして反応する。
「落ち着きなさい、リョウ」
命令の口調を伴って放った言葉にリョウが声を震わせた。
「おい、姉貴。ボールをこっちに向けないでくれ」
「私のレジアイスは。ボールの中からでも瞬間冷却を撃てる。精度は落ちるけれど今のあんたを凍らせるくらい造作もないわ」
この場での主導権は自分に欲しい。レイカの思惑にリョウは明らかに頬を引きつらせて頷いた。
「分かった、分かったよ、姉貴。落ち着こう……」
「しかし、レイカ。今回、一番の痛手はお前じゃないのか? 初代再生に一番賭けていたのは、お前だろう」
コウヤの声にレイカは、「そうかもしれないけれど」と応える。
「だから?」
「親父に一番恨みがあるのは、お前じゃないかって言っているんだ」
暫時、沈黙を挟む。レイカは視線をリョウへと振り向ける。リョウもそれは聞きたがっているのだろう。目に見えて動揺していた。コウヤが言い過ぎて、この集会そのものがご破算になるのではないかと。
「初代を再生して、お前は一番に独占したかったはずだ。初代の技術でも、ましてや経験でも王としての素質でもない。男として、初代をお前は愛していた」
自分の歪みを言い当てられてレイカは押し黙るしかない。リョウも分かっていながら言えない事なのだろう。コウヤを止めようと何度か口を開きかける。
「兄貴、そのくらいにしたほうが……」
「初代の血筋を取り込みたい、という歪んだ欲望を一番に持っていたのはお前だ。だから当然、再生した時に恩を売っておきたかったのもお前。そのために危険なDシリーズの管理を一任されていた。D015、いずれ自分の伴侶となる人間を見つめた気分はどうだった? あれに初代が降りれば完璧だったんじゃないのか?」
コウヤは挑発したいわけではない。ただ自分はどのスタンスにいるのかを明確にしないレイカに怒りを覚えているだけだ。リョウとコウヤだけの矛盾を浮き彫りにする議論は正しくない。この場合、泥を被るのはお前も同じだと。
「……確かに、最終目的は初代の子を宿す、ではあったわ」
初代再生計画。その一因をレイカは語り出す。
「今のままでは、ツワブキ家は遠からず滅びてしまう。それは兄さんも、リョウも分かっていたでしょう?」
二人とも何も言わない。分かっていなければ初代再生計画を持ち上げる事もない。それを支持する事も、もちろんなかった。
「ツワブキ家の没落だけは避けなければならなかった。次期社長が、たとえ兄さんでも、その次もツワブキ家が主権を握れるとは限らない。カリスマの再生。それこそが急務だった」
そのための初代。そのためのDシリーズ。だが、今やDシリーズの管理から外され、血筋としての価値が消えかけている。このままでは自分の計画は潰えるだろう。
「だからこそ、二人とも分かっていたから、今も集まってくれているんでしょう?」
レイカの言葉にリョウは首肯する。
「そうだよ。姉貴の願いがどうであれ、オレ達の目的は一つだろう?」
「初代の再生。だがもうそれは成されてしまったぞ?」
どうする、と問いかける声音。レイカはかねてより用意していた言葉を発した。
「私達が主権を取り戻す手段は一つだけ。現状の初代を、抹殺するしかない」
イッシンの作り上げた初代を殺し、また再生計画をやり直す。それを提案するために二人に集まってもらったのだ。リョウは顎に手を添えて、「難しくないか」と声にする。
「だって、実力は知っているだろう? あの義手、初代の全てのボックスにアクセス権がある。今のオレ達の戦力を統合したところで、岩、氷、鋼だ。初代にアドバンテージを打てるタイプ構成じゃない」
忌々しいのはボックスを管理しているあの義手であろう。義手のアクセス権を奪えればまだ勝算はあるに違いない。
「義手をどうにか出来れば……」
「その話だが、どうにも初代はあの義手を、何とかして取り外したいと思っているようだ」
思わぬ言葉にリョウとレイカは二人して瞠目する。
「何で……。あれはすごい戦力だろ?」
「あれほどの力を手離したいなんて……」
「義手は言うなれば首輪のようなものだ。あの域に初代を拘束するための、親父が作った安全装置。恐らく親父ならば、無効化するパスコードを持っている」
「親父に協力を仰ぐのは無理だろ」
「だから、初代を味方につけるのさ。初代が右腕を欲しがっている、と言っただろ?」
その言葉の赴く先をリョウは理解していないらしい。しかしレイカには分かった。
「右腕の交換時を狙って、初代を暗殺する……」
呟いた言葉にリョウが視線を振り向ける。
「おいおい、無理だろ! そんなの、右腕の当てがなければ……」
「当ては、あるのよね? コウヤ兄さん」
そうでなければ話に上げまい。コウヤは、「内偵を進めるうちに、な」と声にする。
「ネオロケット団が親父に先んじて奪ったのは右腕のみ。他は全て親父に押さえられていた。左足は今、奴らの手にあるがそれもDシリーズに接合された状態。いつでも取り戻せる。問題の右腕は、ネオロケット団の尖兵として再利用された廃棄Dシリーズに使わせたらしい」
「何のために?」
「ダイゴの抹殺のためだ。元々連中はダイゴにいい印象を持っていないはずだろう。元はフラン・プラターヌなんだからな」
「いつ、右腕が行方不明になったか」
レイカは議論を急いだ。
「それなんだが、廃棄Dシリーズそのものはもう死んでいる。シグナルを追うにも苦労した。なにせバラバラに砕けさせられたらしいからな」
「誰が、という事に繋がるわけね」
そのDシリーズを葬った人間こそ右腕の持ち主。コウヤは、「情報に対して対価は平等に与えられるべきだ」と話を持ち出す。
「分かっているわ。初代再生計画が気に食わないのならば兄さんが主導すればいい」
「物分りがいいじゃないか」
半年前まで無欲の塊のような男だったくせに、ここ数日で一気に強欲になった。それにはきっと初代に一杯食わされている恨みがあるのだろう。
「この闘争で、最も無関係な人物を洗い出した」
この闘争、とはもちろん自分達とネオロケット団の戦いだ。
「デボンでもなく、ましてやネオロケット団でもない。どちらにも与しない勢力を見つけ出そうとしたが」
「いたのか?」
コウヤは首を横に振る。
「いんや。本当に無関係となると一般市民を疑わなければならない。それでも逆効果だ」
コウヤの結論にリョウが毒づく。
「何だよ……。結局手がかりなしか」
「そうでもないわね」
レイカの声にリョウは訝しげに眉をひそめた。
「何で? オレ達の闘争の中にいなければ完全に無関係な人間達だろ? そんなもん、一人一人取調べしていたらどれだけ時間がかかるか」
「そんな必要はないんだ、リョウ。おれ達家族にも非協力的で、なおかつおれ達の内情を知るのに一番に適したポジションがあった。……逆に、どうして今までおれ達は無関係を装って彼女と接してこれたのか、不思議なくらいだ」
コウヤの言葉にリョウは、「もったいぶるなって」と急いた。
「誰なんだよ?」
「毎日のように会っている」
「毎日? 親父でもなければ、警察関係者でもなく? 言っておくがコープスコーズってのもなしだぜ」
「馬鹿。まだ気付かないのか。おれ達家族に何の気兼ねもなく、それこそ数年前から牙を研げるポジションは一つだけ、だ」
レイカは愚鈍なリョウに答えを言ってやった。
「家族のように接してきたのにね」
その言葉でリョウは勘付いたらしい。だがまさか、と目を戦慄かせる。
「まさか……。あの人なのか……」
「他に考えられない。何でこの状況でも、普通に在宅業務をしているのか、疑問に思わなかったのか?」
「いや……。あの人なりの気遣いで、家族が離散しないように、とか……」
「そんなやわな人間じゃないわよ、この人は」
予感があった。この人物ならば、冷酷に、なおかつ的確に動く事が出来ると。
「素性を調べようとしたが、複数の部門でアクセス防壁があった。つまりこの人物の素性はデボンでも追えない、という事だ」
「それが、逆におかしい。カナズミで追えない人物はいない」
リョウは歩み寄って放心したように声にする。
「でも……本当にあの人なのか……。あの、家政婦の……コノハさんが……」
この場で浮かんでいる名前にようやくリョウが行き着く。レイカは一番に疑うべきであったのに、と後悔していた。
「そいつの経歴は?」
「内偵の人間に追わせているが難しい、という事はもう」
「逃げる準備はしている、と見ていいわね」
レイカは身を翻す。コウヤもこの部屋から出て行こうとした。取り残されそうになってリョウが戸惑う。
「おい、どこへ」
「コノハなる人物を追う。……カナズミから出ていなければ」
「まだ追跡出来るかもな」
「で、でもよ! コノハさんが本当に右腕を持っているって決まったわけじゃ」
「持っていなければ逃がしてやればいい。持っているかどうかの確認も取れない、というよりも何者かも分からない人間をよく今まで家に置けたな」
その不自然さにどうして気付けなかったのか。初代再生に眉一つ動かさない冷徹さ。それを逆に怪しむべきだった。
「もう、逃げているのかもね」
レイカの声にリョウは渋っていた決断を迫られていた。
「コノハさんが、敵……」
敵でないにせよ、味方ではない。それは確かだった。