INSANIA











小説トップ
原罪の灯
第百二十五話「ナンクルナイサ」

 会議室を出ようとしたところで見知った顔に出くわした。

 カゲツは明らかに自分の顔を見るなり、硬直する。

「あっ、オサム君じゃん」

 フヨウの間の抜けたような声が今は少しばかりありがたい。場の緩衝材になる。自分とカゲツだけならば、きっと今にも掴みかかっていただろう。

「カゲツさん。話があります」

「んだよ、帰ってきて早々」

 悪態をつくカゲツにプリムが言い添える。

「聞いてあげなさい。貴方の部下でしょう?」

 微笑みを浮かべるプリムにオサムは返礼する。

「感謝します」

「頑張ってねー」

 フヨウが手を振って離れていく。二人が廊下の角を曲がってから、オサムは口火を切った。

「僕を、前線から外してください」

「それはてめぇが戦うのが怖くなったからか?」

「違います。僕なんかが、前で戦っていちゃいけないと思ったからです」

「理由言え。言えねぇなら帰りな」

 カゲツが肩で風を切って歩んでいく。オサムはその背中へと言葉を投げた。

「僕は、四天王に勝っていません」

「勝っただろ。四人とも一日で倒した」

「でもそれは! メガシンカありじゃなかったでしょう!」

 オサムの声にカゲツが足を止める。振り返ったカゲツは戦闘時のような緊張をはらんでいた。

「だから、何だって言うんだ?」

「僕に、最初からポケモンを操る才能がないからって、遠慮して戦って――」

 その言葉を発する前にカゲツが掴みかかってきた。ほとんどスキンヘッドのその顔には凄味がある。睨みつけられるとそれだけで足が竦み上がりそうだった。

「てめぇ! いいか? オレ達はいつだって全力だ! 全力でやって、てめぇに負けた。だから前線に出してやってるって分からないのか?」

「でも、それは他の三人が、まだ伸びしろがあるから……! 僕にはないからでしょう?」

 思いの丈をぶちまける。メガシンカなしで四天王を勝ち抜いてもそれが本当の実力じゃないような気がしていた。自分だけが特別に下に見られている気がして、オサムには我慢ならなかったのだ。だから頭を丸めて覚悟の表明にしたつもりだったが、それだけではまだ足りない。

 カゲツは突き放し、「んな事で、呼び止めんな」と声にする。

「強い弱いって。お前、本当にそんな事で悩んでいるのかよ」

「……悩みもしますよ。だって、メガシンカを使わないで」

「甘ったれんな。ここがどこだか、忘れたのか」

 遮って放たれた声にオサムはこの場所の名前を口にする。

「サイユウシティ。全ての、ホウエンのトレーナーならば誰もが憧れる夢の舞台」

「そう、ポケモンリーグだ。その頂点に立つ四人、四天王に勝っておいてそれでてめぇの実力じゃねぇ、だと? それが驕りだって言ってんだよ。いつだって手ェ抜いて戦っているつもりはねぇ。真っ向勝負に勝った自分を恥じないには、勝ったという自負くらい持ってろ」

 つまりあの勝負も全力勝負。今、ダイゴ達にやっているのと変わりないというのか。オサムは納得出来ない。

「……じゃあ何で、あいつらにはメガシンカを」

「適材適所って言葉がある。お前には、メガシンカなしでも充分に通用する力があるって判断したからメガシンカなしでやった。それだけだ」

「でも……。僕のポケモンを操る才覚は、この左足のものですよ」

 初代ツワブキ・ダイゴの左足。この能力が働いていないとは言えない。カゲツは、「それも含めて、てめぇの力だって言ってんだ」と応じた。

「左足が自分のもんじゃねぇから納得出来ないってか。じゃああのツワブキ・ダイゴはどうなる? あいつは、全身、借り物だぜ」

 ダイゴの正体は既に聞いていた。かつてネオロケット団の構成員だったフラン・プラターヌ。その血が入れ換えられ、Dシリーズとして組み込まれた。仕組まれた人生を持つ彼こそ、本当の悲劇だろう。

 しかし、自分とて納得が欲しい。

「今は、僕の話をしているんです」

 その言葉にここで呼び止めたのが伊達でも酔狂でもなく、直訴のためだとカゲツはようやく悟ったらしい。

「……何が言いたい?」

「前線から外すなら外してください。もう一度、僕はメガシンカありで、今度は四天王を下してみせます」

 強気な発言にカゲツは鼻息をついてから、「やめとけよ」と返す。

「一回取った勝ち星をふいにする事はねぇ」

「何でですか? ダイゴと同じ土俵じゃ、僕は話にならないとでも?」

 食ってかかるオサムにカゲツは後頭部を掻く。

「言ったろ。適材適所だって。ダイゴには、メガシンカが絶対に必要だ。でもお前には絶対じゃねぇ」

「それは、何でです」

 カゲツは少しばかり逡巡の間を置いたが、「まぁ、こいつにはいいか」と口にする。

「ツワブキ・ダイゴ。あいつには絶対に、初代を超えてもらわなきゃならねぇ。あいつが初代を倒すんだ」

 真正面から放たれた声に、本気なのだと知れた。

「あいつじゃないと、勝てないとでも?」

「そうだ」

 迷いなく返された言葉にオサムは歯噛みする。

「僕じゃ、勝てないとでも?」

「そうだ。お前じゃ分が悪い」

 思わず前に出ていた。拳を振るい上げるもカゲツがそれを受け止める。

「悔しいか? だがな、言ったろ? 適材適所だって」

「納得出来ない! 僕でも初代を倒す権利はある!」

 半年前に煮え湯を飲まされた。ボスゴドラを同じボスゴドラで敗退させられたのは自分のプライドを大きく傷つけられた。

「てめぇのは負けて悔しいって言う、ガキみてぇな駄々が入っている。だがな、あのツワブキ・ダイゴは違う」

「何が違うって言うんですか。あいつだってDシリーズだ」

「あいつは勝たなきゃならない。勝たなきゃ、自分には価値がないんだと思い知っている。もう後がないんだ。こっちだって慎重になる」

「僕にはまだ戻れるものがあるとでも?」

 こっちだって意地だ。オサムの問いにカゲツはため息をついて言い放つ。

「そうだ。てめぇは戻れる。まだ間に合うって言っている」

 カゲツがオサムの拳をひねり上げる。呻いたオサムにカゲツは口にした。

「マコちゃんだって、てめぇの理解者だろ。何で身近な大切なものを、守ろうと思えない?」

「マコちゃんは、僕なんて見ていない!」

 振り払ったオサムが後退する。カゲツはオサムを睨んだまま黙していた。

「見ていないんだ……。彼女が見ているのは、行方不明になったお姉さんと、ダイゴだけですよ……」

 マコの視界にさえも入れない。自分は所詮、造られた存在だから。

 カゲツが歩み寄ろうとする。それをオサムは制した。

「来ないでください! 今、甘やかされると……、もう一生、負け犬みたいで……」

 ダイゴほどの人間になれればよかった。だが自分は半端者だ。Dシリーズという、造られた存在には本当の人生を歩む資格さえもない。

「……お前が考えているほど、マコちゃんは冷徹じゃねぇと思うが」

「いいえ、マコちゃんは、僕なんか見ていませんよ。あの時、初代に負けたんだ……!」

 それを見られたのが何よりも恥だった。オリジナルのツワブキ・ダイゴ。それに自分は所詮、及ばない駒なのだと。

「勝てばいいだろうが。前線ならばいくらでも勝つ手段は見えてくる。今日まで、よくやってくれているさ。コータスの統率も、お前の能力があっての事だ。オレは評価しているよ。本当さ」

 きっとカゲツの言葉は本当なのだろう。だからこそ、答えられなかった。身に沁みて、自分が弱いのだと実感させられる。

「でも、僕には、どうしたらいいのか……」

 このままでは進む事も、戻る事も出来なくなりそうで。

 カゲツはその心中を察したように舌打ちを漏らした。恐らくこういう時、慰められるタイプではないのだろう。そのまま立ち去ってしまわれてもおかしくなかった。しかしカゲツは、オサムの肩を叩き、ふと呟く。

「ナンクルナイサ」

 初めて聞いた言葉だった。オサムが呆気に取られていると、「親から教わった言葉でな」とカゲツは肩を竦める。

「はぐれもののオレが教わった言葉の中でも、一番響いている。どうにかなるさ、って意味だそうだ。本来、ホウエンのごく限られた地域でだけ使われていた言葉らしい。もう、存在しないんだそうだ」

「何で、そんな……」

 オサムが目を見開いているとカゲツは独白を始めた。

「オレはよ、このサイユウの生まれなんだ」

 それは考えられない。サイユウシティはポケモンリーグのためだけにある街。その街での出身はいないはずだった。

「オレも、戸籍がねぇんだ。あのツワブキ・ダイゴと、言っちまえば同じさ。サイユウシティで、流れ流れて行き着いた夫婦の産んだ子供。それがオレらしい」

 カゲツはポケットに手を入れて口にする。思わぬ言葉にオサムは繰り返していた。

「らしい、って……」

「それ以上は分からんのだと。オレを拾った、キャプテン……いいや、ゲンジの爺さんが、そう言っていたってだけで」

 カゲツはホウエンの、他の街の人間ではないのか。オサムは問いかけていた。

「だって、他の四天王は、きっちり故郷があって」

「オレだけ故郷はここなんだそうだ。サイユウの街で生まれ、ここで育った。ゲンジの爺さんが育て親だ。本当の親の事は、どうしてだかあの人は教えてくれない。オレを拾ったのも、本当にここなのかどうか、詳しくは聞いてねぇんだ」

 カゲツの出生の秘密にオサムは口を噤む。まさか彼がそのような闇を抱えているとは思わなかった。自分にも、ましてや他人にもそのような重石を感じさせる事はない。

「そんなの……。カゲツさん、あなたは」

「なに、生まれ故郷がないくらい、なんて事はないさ。それよりも、オレには目指せる場所がないほうがしんどいと思うぜ」

「目指せる、場所……」

「ツワブキ・ダイゴは、あいつの眼を、きっちり見た事があるか?」

 自分とは違う、赤い眼。しかし眼の色の事ではないだろう。ダイゴの抱えている闇を、直視した事があるのか、と聞いているのだ。

「いいえ……。僕と、本質的には変わらないと思っていましたが」

「あいつは後には退けねぇ。もうどこにも行けないんだと思い込んでいる。勝つしか、もう手段がないんだ。それはあいつの肉体がフラン、つまりかつてのオレ達の仲間だった事に起因している。あいつはな、恐らく初代と刺し違える、なんてつもりはないんだ。勝って、その肉体を、フランに返す。そのつもりだろう」

 思わぬ言葉だった。ダイゴがその肉体を持ち主に返す? だがそれは……。

「それは……、ダイゴという人間の消滅を意味しているんじゃ」

「そうだよ。あいつは、それ相応の覚悟を負っている。勝っても、万々歳で済ますつもりはないんだ。初代を倒した後、自分の居場所なんてねぇって思い込んでいるのさ」

 それは苛烈な生き方だ。自分の生存目的が初代打倒にしかないなど。そこまで決め付けてかからなくってもいいのではないだろうか。

「ダイゴが、そう考えているのなら、僕は間違っていると思います」

「だな。だから、てめぇも気負うなって言ってんだよ」

 ハッとする。ダイゴの覚悟があまりにも壮絶で見失っていたが、自分も今、カゲツに似たような事を進言したのだ。それは自分を大切にしていない事に直結する。他人を引き合いに出されて初めて気づくなんて。

 オサムは恥じ入ったように顔を伏せた。

「僕、とても恥ずかしい事を……」

「いい。何も言うな。誰だって道に迷う時はあるさ。ただその時に道を示してやれる奴がいるかどうか。きっとそれだけなんだ」

 カゲツの言葉にオサムは佇まいを正す。

「申し訳ありません。過ぎた事を、言っていました」

 改めて、カゲツには謝らなければならないだろう。カゲツの傷口を抉ってまで、自分は自分を大切にしない事を言っていた。

「いいって事よ。それが分かったんならな。ただ、あのツワブキ・ダイゴは分からないだろうな。最初から自分には価値がないんだって思い込んでいる。その思い込みを矯正するには、ただ真正面からぶつかるだけじゃ足りねぇ。それこそあいつの生き方を揺さぶってしまえるだけの圧倒的力が必要だ」

 それがメガシンカ。オサムは納得と共に声にする。

「しかし、メガシンカありで四天王を破るってのは、やはり難しくないですか?」

 カゲツはその言葉に鼻を鳴らす。

「これでも充分にハンデだぜ? メガシンカを使っていいって言う、な。それにこっちもメガシンカポケモンは一体しか使えない。一対一だ。ハンデだろ」

 真っ向勝負を仕掛けるつもりなのだ。オサムはカゲツ達四天王の実力を知っている。自分のボスゴドラで体感した。

「ボスゴドラは、偶然、全員のタイプと相性がよかっただけです。僕のように一発で、は無理でしょうね」

「だろうな。そもそも、あいつらにもあまり時間がない。デボンがこちらを索敵する前にこっちがデボンを標的に据えなければ、やられるのはこっちだぜ」

 メガシンカを使用し、デボンに乗り込む。それにはまだ戦力がおぼつかない。

「ゲノセクト部隊、コープスコーズを倒していても、やっぱり相手の戦力を削った事には」

「ならないな。コープスコーズ自体、捨て駒の感がある。何かを、初代は待っているのかもしれないな」

「何か……」

 呟くがそれらしい記憶はない。Dシリーズの一員となってから、記憶も曖昧であった。この肉体が元々誰のものであっても、恐らくダイゴのように、返すために戦うなどという事は出来ないだろう。自分のためにしか、自分は戦えない。

 きっとそれが普通なのだろう。ダイゴは使命感に囚われている。

 彼しか初代は倒せない。それもさもありなん。自分を投げ打てる覚悟を持った人間しか、二十三年の月日を経て再生した王を倒す事は出来ないだろう。

「っと、無駄話しちまったな」

「いえ。……一つ、いいですか?」

 オサムは尋ねていた。これは禁に触れる質問かもしれない、と思いながら。

「何だ? 何でも言ってみろ」

「産みの親を、憎んでいないんですか?」

 カゲツが一瞬、呆気に取られたように沈黙する。逆鱗に触れたか、とオサムは身構えたがカゲツの言葉は静かだった。

「憎しみ、か……。存外、そういうのは感じた事ねぇんだ。ゲンジの爺さんが、育ての親をしっかりやってくれたお陰かな。それに、ナンクルナイサの言葉もある。むしろ、オレはこの言葉のお陰でいつでも両親を感じられる。オレをこの世に産み落としてくれた事に、意味があったんだと」

 カゲツは誇っているのだ。自分がこの世にいる事。産んでくれた親の事を。少しでもカゲツが憎しみを持っているかもしれない、と考えた自分が浅ましい。きっと彼は難しい問題でも、自分の試練として立ち向かう事の出来るタイプなのだ。

「でも、意外でした。ゲンジさんにも、そういう一面があったなんて」

 軽口めいた感覚でオサムは口にする。カゲツも口元を緩めた。

「だろ? 案外、あの人の心は広いぜ。ま、普段の顔が羅刹みたいなもんだからな。みんな警戒しちまうのは無理もない」

「確かに」とオサムも微笑んだ。


オンドゥル大使 ( 2016/02/29(月) 21:02 )