INSANIA











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原罪の灯
第百二十二話「真の強者」

 放たれた氷の光条に息を呑む。

 少しでも逸れていればトレーナーである自分が凍結させられていた。凍てつく空気に改めて対面する相手の手持ちを見やる。

 浮遊する鬼の首を思わせるポケモンだった。黒い一対の角が生えており、表皮は薄氷である。シャッター状の口腔部から放たれる「れいとうビーム」は強力かつ、こちらの戦意を削ぐには充分だった。

「まだ、やりますか?」

 奥で佇む紫色の衣を纏った女性の凛とした声音。それがまだこの戦いを終わらせるのには不充分であると告げている。萎えかけた闘志に、火を灯した。

「まだです。俺は、まだ進むと決めた」

 声に宿った闘志はそのまま自分の手持ちへと伝播する。傍にいる四足の鋼ポケモンが咆哮した。

「――ツワブキ・ダイゴ。それにその手持ちメタグロス。確かに素晴らしく、素質はあると思います。ですがそれと勝てるかは別の話」

 非情なる宣告だった。それでもダイゴは受け入れざるを得ない。

 相手は氷タイプ使い。本来ならば鋼・エスパーのメタグロスの苦戦する相手ではない。だが絶対的な氷結に包まれた戦場を一度でも目にすれば、タイプ相性など所詮は一般論である事がよく分かる。

 鋼は氷に強い。それが分かっていても、メタグロスは相手のポケモン、オニゴーリに一撃すら見舞えていなかった。

「プリムさん。オニゴーリを、メガシンカさせないんですね」

 相手の名前を呼びダイゴはどうしてなのかと問う。プリムは、「単純な話です」と手を掲げた。

「今のままでも、貴方は私に勝てない」

 圧倒的な現実は相性上有利などという幻想を叩き壊す。メタグロスを自分はまだ、使いこなせていない。

「……嘗められている、って思ったほうがいいんでしょうか」

「そう思いたければどうとでも。ですが勝てないのは事実でしょう?」

 ダイゴは歯噛みしてメタグロスに攻撃を命じる。

「メタグロス! バレットパンチ!」

 メタグロスが弾丸の勢いを誇る拳をオニゴーリへと放つ。しかしオニゴーリに届く前にその動きに制限がかかった。関節が伸びないのだ。爪の先端に氷の粒が詰まり、一瞬でメタグロスの拳を硬直させる。

「オニゴーリは冷気を放っただけですよ。これは技ですらない」

 ダイゴは手を振り払い、再度命じた。

「もう一度、バレットパンチ!」

 もう片方の腕が持ち上げられ、メタグロスが拳を放つ。オニゴーリは冷気の網を放出した。その網がまるで巨大な釈迦の手のようにメタグロスの拳を止める。

「まだ、冷気の網さえも突破出来ないようですね」

 やはりこの状況を打開するにはあれしかない。ダイゴは決心して息を詰めた。

「メタグロス、やるぞ」

 その声にメタグロスが吼える。胸元に留めておいたペンへとダイゴは指を当てた。

 その瞬間、紫色の皮膜がメタグロスを包み込もうとする。エネルギーが昂り、その身へと纏いつきかけた。

「メガシンカ……」

 しかし次の言葉を放つ前に皮膜は霧散し、エネルギーは散り散りになる。それを目にしてプリムが息をついた。

「やめましょうか。メガシンカは、やはり不可能なようですし」

 プリムがオニゴーリを戻す。ダイゴは悔しさを滲ませていた。

「何で……。キーストーンもあるのに……」

 氷結のバトルフィールドが解け、靄が晴れてくる。プリムはゆっくりと歩み出て、「キャプテンの言う通りですね」と声にする。

「貴方は、何故だかメガシンカが使えない」

 ダイゴからしてみればそれは敗北よりもなお色濃い屈辱だった。半年前、自分は初代に負けた。負けただけならばまだよかった。気がついた時にはネオロケット団を名乗る組織に捕らえられており、彼らが言うには自分はこのまま死ぬか、それとも反逆するかのどちらかしかないのだと告げられた。

 話の中からダイゴはネオロケット団こそが自分の抹殺を表明していた側であり、フランの古巣である事が分かった。

 ネオロケット団は同時に四天王であり、この地方での頂点に立つ四人であった。

 悪タイプ使いのカゲツ、ゴーストタイプ使いのフヨウ、氷タイプ使いのプリム、そしてそれらを束ねる長でありキャプテンを名乗っていた最後の四天王。ドラゴン使いの――。

「俺は、どうしてメガシンカを使えないのでしょう?」

 悔しくてプリムに尋ねていた。プリムは落ち着いた物腰で、「要因は、数多く考えられますが」と前置きする。

「メガシンカは精神エネルギーをポケモン側に飛ばす行為。考えられるのは精神エネルギーの不足。あるいは同調に至っていない、トレーナー側の実力不足」

 同調現象。だが半年前、初代との戦闘時にそれに等しい領域には達したはずだ。

「同調は、経験しています」

「一度昂った神経が経験した事を、経験とは呼びません。それは偶然と言うのです。常に使えるようにしておく事、それこそが戦術であり、戦略」

 ぐうの音も出ないがダイゴはキーストーンの設えてあるペンに視線を落とす。ハルカから預かっていた初代への贈り物。それがまさかメガシンカを仲介するキーストーンだったとは思わなかった。しかし特別な感情が宿っているものだというのは受け取った時から感じていたのだ。

「メガシンカが扱えなければ、俺はいつまで経っても弱い」

「現状では、初代に拮抗するにはあまりにも脆弱。せめて私のポケモンにメガシンカなしでも勝てるようになさい」

 プリムの言葉は厳しいが現状を言い当てている。メガシンカも使えない状態で初代に立ち向かっても返り討ちに遭うだけだ。

「メガシンカさえ使えれば、俺は……」

「メガシンカだけが強さの極みだと思うな」

 振りかけられたその声にダイゴは視線を向ける。階段を降りてくる人影にプリムが声をかけた。

「キャプテン。そろそろ会合ですか?」

「ああ。それを言いに来たのだが、こっぴどく負けたようだな」

 眼光の鋭い老人であった。口髭を蓄えており、キャプテン帽を被っている。黒いコートのような服装をはためかせていた。絶対的な強者の雰囲気。それがその男の全てであった。

 この男こそ、ネオロケット団を束ねる人間。キャプテンとあだ名される四天王最強の存在。

「ゲンジさん。俺は、やっぱり弱いですか」

 その名前をダイゴは口にする。ゲンジはぎょろりとダイゴを睨んだ。一睨みだけでも他人を威圧する。この老人はそれだけの研鑽と強さを携えているのだ。

「ここではキャプテンと呼べ」

 その声にダイゴは応じる。

「厳しいんじゃないですか。一両日中に四天王全員を倒さなくては、デボンへの攻撃を一切禁止するなんて」

 条件であった。ネオロケット団で戦うには四天王を全員、その日のうちに下さなければならない。しかし腐ってもこの地方の頂点。そう易々と突破出来るはずもなく、ダイゴとクオン、それにディズィーは毎日のように挑戦していた。

「今まで一人でも勝てていたか? 言っておくが初代は王だ。それを倒そうと思えば、我々四天王を突破しなければ不可能だと思え」

 ゲンジの声は相変わらず冷酷だ。現実の非情さをどこまでも突き詰めている。

「でも、クオンちゃんや、ディズィーさんにまで強いるなんて」

 ダイゴからしてみれば、戦うのは自分一人でいいつもりだったが、彼女達から言い出したのだ。自分達も戦う、と。

「我々は最大限に戦力が欲しい。ツワブキ・ダイゴ。お前が強ければ、何の問題もないのだが、女子供のほうがメガシンカを扱える辺り、大した事がないな」

 挑発にダイゴは拳を握り締める。メガシンカに一度して成功していない自分に比すればクオン達のほうに可能性があるのだ。

「でも、俺は……!」

「ワシを倒せないのならば、初代に立ち向かうなど夢のまた夢だと思え。半年前の手痛い敗北を忘れたか?」

 メタグロスを全力で使っても初代にはまだ余裕があるように思われた。ゲンジの言う通り、まだ自分は弱い。

「会合に向かう。ポケモンの回復をしておけ」

 プリムと共にゲンジが部屋を後にする。ダイゴは階段をとぼとぼと降りた。二階層にいつもいるフヨウも会合だろう。今しがたまで戦闘していたと思しき痕跡がそこらかしこにあった。

「あっ、ダイゴじゃん」

 ディズィーの声にダイゴは顔を上げる。ディズィーとクオンが自分の手持ちを調整していた。この二人はメガシンカが使えるのだ。自分よりも強いのは明らかだった。

「四天王は全員、会合ですか?」

「みたいだね。オイラ達もさっきこっぴどくやられたところさ」

 メガシンカが使えるからと言って常勝が約束されているわけでもない。メガシンカがトレーナーに及ぼす影響も未知数なのだ。

「クオンちゃん、大丈夫?」

 ダイゴの声にクオンは腰を下ろしたまま首肯した。

「うん、あたしは別に。ディアンシーのほうが心配かな」

 メガシンカを得て今まで引っ込み思案だったクオンが切り込み隊長レベルの強さを得た。それは彼女自身の性格も少しばかり変えたらしい。活力のある瞳でクオンはディアンシーの調整をしている。半年前にはほとんど戦闘用に見えなかったディアンシーも磨き上げられているのが分かった。

「四天王強いよねー。こりゃなかなか突破は無理な話かな」

 ディズィーが後頭部を掻いて笑う。しかし事は一刻を争うのだ。

「少しでも早く、俺達は強さを得ないと」

 ダイゴの声にクオンが返す。

「でも強さは一朝一夕では身につかないよ」

 その通りなのだが、一人として四天王を倒せない現状は看過出来るものではない。

「俺のメタグロスが、もっと強ければ……」

 悔恨を噛み締めたダイゴの口調に、「まーだ本調子じゃねぇだろ」と声がかけられた。

 黒いフルフェイスヘルメットを被った男が二人、二階層に上がってきた。彼らはヘルメットを外し、頭を振るう。

「オサムに、カゲツさん」

「何で僕は呼び捨てなのさ」

 不機嫌そうにそう返したのは髪の毛をスポーツ刈りに刈り上げた少年であった。髪型以外はほぼ自分の生き写しである。彼もDシリーズの一人であった。D036。ディズィーからオサムと呼称されているのだと知り、ネオロケット団内でも彼の呼び名はオサムだった。

 ただそのままだとダイゴと区別がつかないため、彼は髪型を変えたのである。彼曰く、自分がもう一人いるのは気持ち悪いから、との事だった。

「オサムはコータスの管理を頼むぜ。ゲノセクトに有効打打てるの、やっぱり強いからよ」

 オサムはカゲツと共にカナズミシティでの前線に参加しているのだ。本当ならば自分もその戦列に加わるべきだったが、自分達にはまだ強さが足りていない。

「コータスも、そう何体もいるわけじゃない。ダーテングがもっと強ければ楽なんだけれどね」

「言うじゃねぇか」

 カゲツは口元を緩めて拳を突き出す。オサムは拳を当てて身を翻した。

「まだ勝てない?」

 オサムの声にディズィーが答える。

「皮肉なもんだよね。オサムの実力のほうがオイラ達より下なのに、何で前線に加わっているのさ」

「仕方ないだろう。僕はきっちり四天王を倒したんだから」

 その通り。オサムはこの四天王の試練を突破した。メガシンカが扱えるのかまでは不明だが、四天王を倒したのは大きい。

「何でオイラ達だけメガシンカ込みでの戦闘なんだろ。オサムはそれなしだったんでしょ」

「失敬だな」とオサムは眉をひそめる。

「なしだって言っても四天王は本気だったんだ。それを何とか、ボスゴドラでいなしただけで」

 オサムの使うのは鋼・岩タイプのボスゴドラというポケモンであったが、彼には別の適性もあり今はコータスというポケモンの管理を全面的に任されている。

「ゲノセクト、思っていたよりずっと厄介になっている。カナズミはほとんど戦場だよ。それもこれも、初代の支配の磐石さか」

 デボンコーポレーションは初代の傘下に下り、実質的には初代の命令通りに全てが進んでいるのだという。ダイゴは半年前に対峙した初代ツワブキ・ダイゴの実力を思い返した。

 思い出すだけで総毛立つ。どのようなポケモンを出しても対応してくる王の威容。あれほどの敗北感は今まで感じた事がない。

「俺は、一刻も早く強くなりたい」

「だから、カゲツさんの言う通りまだ本調子じゃないんだろ? メタグロスへの進化だって急だったらしいじゃないか。そのメタグロス、まだ本当にお前を信頼し切っていないんだよ」

 オサムの言葉にダイゴは何も言えない。メタグロスに進化したのは昂った精神の作用。だから操る操れないの前提にまだ立てていない気がするのだ。

「メガシンカさえ使えればと思っているのなら、とんだ思い違いだ。メガシンカなしでも立ち向かえなければ真の強さじゃない」

「オサム風情が、言うようになったねー」

 ディズィーの茶化しにオサムは、「これでも実戦経験はありだからね」と答える。

「生意気になっちゃって」

「どうとでも。僕はコータスの調整に戻る。四天王は会合らしいし、しばらく休むといい。ポケモンもトレーナーも、本調子じゃないと勝てる試合も勝てない」

 身を翻すオサムへとダイゴは一つだけ尋ねていた。

「オサム。一つ聞きたい。俺に、何が足りないと思う?」

 オサムは振り返らずに答える。

「努力だとか、情熱だとか、そういう話じゃないだろ。単純な話さ。お前はまだ弱い。それだけの、本当にシンプルな話」

 歩き出したオサムへとディズィーが、「嫌な奴」と陰口を叩く。ダイゴは考え込んでいた。

「本当の、強さ」

 掌を見つめても、答えは出なかった。


オンドゥル大使 ( 2016/02/29(月) 20:59 )