第百二十一話「戦場を、舞う」
「いけ! ヤミラミ!」
青い衣を翻した少女が声を張り上げる。
その手にはモンスターボールがあり、ハイビスカスの花飾りをつけた少女の快活な声に応じて飛び出したのは小柄なポケモンであった。猫背気味の黒い影のようなポケモンで、両目が宝石のような銀色である。
それと対峙するのは二つの人影だった。
赤い長髪を払い、ホルスターからモンスターボールを抜き放った少女は声にする。
「そんな小さいのでいいの? オイラ、本気で戦うよ?」
その声には青い衣の少女も受けて立つとでもいうように拳を握り締めた。
「ヤミラミが小さいからって油断しちゃダメだかんね! アチキのゴーストタイプの強さ、四天王のフヨウ! 全力で戦う!」
フヨウと名乗った少女の声に赤い髪の少女は、「じゃあ」と口を開く。
「二体一でも」
その声に少女の後ろからもう一人、紅の巻き毛の少女が言葉を継いだ。
「文句は言わない、ですよね?」
声にした少女――クオンはフヨウを見据える。自分一人ではこの戦い、恐らくは不利に転がる。だからこそ、条件としてはかなり優位になるが彼女――ディズィーと共に戦う事を決めたのだ。
フヨウは、「まぁちっとばかし」と頬を掻く。
「面白い戦闘にはなりそうだよね」
フヨウは負ける気はしていないらしい。こちらとて、及び腰になっていては倒せない相手だ。少しのハンディくらいはあっても当然と心得よう。
「行きますよ、ディズィーさん」
「はいよ、クオっち。オイラ達のコンビネーション!」
ディズィーがモンスターボールを投擲する。中から現れたのは彼女のベストパートナー、クチートであった。クオンもボールから繰り出す。
ディアンシーが攻撃の構えを取ってヤミラミ一体と対峙する。
「さぁ、どう出る?」
どうやら相手はまだ奥の手を使う気はないようだ。その場合示し合わせていた通りにこちらは動くべきだろう。クオンはディズィーと目線を交し合った。
「じゃあこちらから行くよ」
ディズィーが手を払う。クオンも右手をすっと掲げた。薬指に輝くのは虹色の宝石を設えた指輪である。左手を当てて一気に力を解放した。
クオンとディアンシーの間でエネルギーが行き交い、紫色の殻が構築されていく。ディアンシーが殻の外側へと手を伸ばした。その瞬間、掌から一本の剣が引き出されていく。ディアンシーが自らを覆った殻をその剣で引き裂き、滾る力を解き放った。
ディアンシーは今までの姿よりもより装飾華美な姿へと変貌を遂げていた。
ピンク色のダイヤモンドはまさしくドレスのように纏われ、ディアンシーを象徴する頭部のダイヤも一回り大きくなっている。
「メガシンカ、メガディアンシー」
クオンの声にメガディアンシーが剣を掲げる。姫でありながら武装した騎士の迫力だ。
ディズィーが息を詰めて声にする。
「クチート、こっちもメガシンカ」
クチートの周囲に紫色の甲殻が纏いつく。クチートは特徴的な後頭部の角で突き崩し、跳躍した。既にその姿はメガクチートへと変化している。
メガシンカ直後は隙が多い。その法則を逆に利用したメガクチートの奇襲にフヨウはどう対応するかに思われたが存外に落ち着き払った声が放たれる。
「シャドーボール」
ヤミラミが空気中の磁場を纏いつかせ、腕で空気を練ったかと思うと瞬時に黒い影の弾を数個、構築した。すぐさま弾き出された闇の砲弾をメガクチートがその細腕で払っていく。
「シャドーボールくらいで! クオっち!」
「分かって、います!」
メガシンカはトレーナーにも無理を強いる。メガシンカ時、クオンにはメガディアンシーに合わせて身体的な変化が訪れていた。いつもよりも反応が遅い。少なくとも呼吸三つ分は遅れてしまう。
メガディアンシーが煌く粒子を放出しながらヤミラミへと突き進んでいく。片手に備えた剣をそのままヤミラミに振るい落とした。
「ヤミラミ、防御!」
ヤミラミが片手でメガディアンシーの剣を防御するが、その腕を輝く剣は容易く断ち切ってしまった。
「メガディアンシーは攻撃が上がっている! それにこれはダイヤモンドの剣! 何よりも硬い!」
追撃の剣戟を放とうとするとヤミラミが片腕で影を練り上げ、防御幕として「シャドーボール」を連鎖させる。メガディアンシーは即座に切り捨てるが距離を取られてしまった。
クオンは舌打ちする。ただでさえ呼吸三つ分ほどの指示と命令のロス。それにメガディアンシーは素早さが劣っている。距離を取られれば不利に違いない。
「でも! そのために二体一なんだから!」
クオンの声にメガクチートがヤミラミの背後へと回り込んでいた。ディズィーが操り、「そうとも」と声にする。
メガクチートが一対の角を突き出した。牙がヤミラミへと襲いかかる。
「これで、詰み!」
ディズィーの声に、「かもね、フツーなら」とフヨウは髪を払った。その耳にはピアスがされており、虹色の宝玉が埋め込まれている。
瞬間、ヤミラミの周囲の空間が歪んだ。紫色の甲殻の光がメガクチートの攻撃を阻害する。
「させない!」
追撃するメガクチートの攻撃を防御したのは赤い宝石の盾だった。メガクチートの全力攻撃を容易く弾く。
「メガシンカ、メガヤミラミ」
変貌を遂げたその姿は凶悪な代物だった。煌々と輝く赤い眼に、自分の身の丈よりも一回り大きい宝石の盾を前に構えている。
あれがメガヤミラミ、とクオンは思わず息を詰まらせる。
「メガディアンシーと同じ、宝石を使うって言うの?」
「似ているけれどこの宝石はディアンシーよりも硬いよ」
フヨウの声にクオンは、「だったら」と命令する。
「剣で切り落とすまで! メガディアンシー!」
再び肉迫したメガディアンシーの剣が突き上げられるがメガヤミラミは掲げた宝石の盾で防御する。火花が散りそれなりの硬さである事が窺えた。
「でも、挟み撃ちなら!」
後方から迫るメガクチートに反応出来まい。そう確信しての攻撃だったがメガヤミラミは背後へと手を回した。メガシンカ時に修復された腕から拡張された影の砲弾が発射される。
ほとんど予備動作のない「シャドーボール」をメガクチートが受け止め仰け反った。驚くべき事に今、メガヤミラミはメガシンカしたポケモン二体を相手取っているのだ。
しかしこちらが気持ち負けするわけにはいかない。クオンはよりディアンシーとの繋がりを意識する。
「メガディアンシー! 叩き切る!」
剣を振り上げてメガディアンシーが盾の防御を破ろうとするもメガヤミラミの器用さが上回っている。盾を掲げたまま、メガヤミラミはもう一方の手でメガクチートの動きを牽制し続ける。
「クオっち。このままじゃ消耗戦だ。あのヤミラミ、戦い慣れている。クオっちの攻撃もさばかれるだろう」
ディズィーの判断は間違っていない。先ほどから攻撃の通るイメージがないからだ。
それに比して明らかにこちらの疲労の度合いが強い。クオンは額に弾粒の汗を浮かべていた。
「まだ……、まだやれます……!」
声に張りを持たせようとしてもメガディアンシーの速力が落ちている事が明らかな証明だった。
――やはりまだメガシンカは……。
その気持ちに差し込むようにメガヤミラミが攻撃に転じる。盾をホッケーのように突き出すとそのままメガディアンシーを押し出してしまった。
剣で咄嗟に弾く事も叶わず、メガディアンシーが後退する。
もう自分ではメガヤミラミを攻略出来まい。だが今ならば、とクオンは声を張り上げた。
「ディズィーさん! 今なら、ヤミラミの防御は!」
その声を潮にしたようにディアンシーから光が消えていく。メガシンカの時間切れだ。だがディズィーのメガクチートはまだスタミナ切れを起こしていない。防御の盾を失ったメガヤミラミへとメガクチートが攻撃を仕掛ける。
「よし来た! クオっちの作ってくれた隙ィ!」
メガクチートの一撃がメガヤミラミへと食い込む。突き上げられた拳にメガヤミラミが金色の歯を見せて息を吐き出す。
「もう一撃食い込めば!」
メガクチートが角を用いて追撃を放とうとするがその時には呼び戻された赤い盾がメガクチートの横腹に突き刺さっていた。
「こんな自在に……!」
「メガヤミラミを、侮らないでっ!」
メガクチートが吹き飛ばされる。
それほどの速度を伴った一撃でもないはずだが完全に隙を突かれていたのだろう。メガクチートは角を振り回し、地面に突き刺して制動をかけた。だがその時には既にメガヤミラミの姿はない。
どこへ、と視線を巡らせる前に中天に浮かぶ眩い照明から何かが舞い降りてくるのが視界に入った。
「まさか……、メガヤミラミは……」
クオンの声が確信に変わる。
メガヤミラミは盾をスケートボードのように用いて推進剤として躍り上がっていた。ディズィーでさえもその扱い方には驚愕したのだろう。メガクチートの反応が目に見えて遅れる。
直下まで滑り降りてきたメガヤミラミが盾を構えた。盾の内側で黒い砲弾を連ねる。
「盾の中でシャドーボールを作っています! ディズィーさん! クチートを下がらせて!」
クオンの声にディズィーは歯噛みする。
「下がらせたいのは山々なんだけれど……」
目を凝らすとメガクチートの影が地面に縫いつけられていた。いつの間に、とクオンは息を呑む。
メガヤミラミは自分が躍り上がるのと同時に「くろいまなざし」で逃げられないように布石を打っていたのだ。
「メガクチート! 攻撃を――」
「遅い! メガヤミラミ、シャドーボールを連撃!」
蓄えられた「シャドーボール」の攻撃の波が逃げられないメガクチートへと遅いかかる。メガクチートの身体から光が失せ、元のクチートに戻っていた。メガヤミラミがその上で盾を振り上げて勝どきを上げる。
「負けちゃった、か……」
ディズィーの声にクオンは謝る。
「すいません……。あたしの集中力が足りていれば」
「いいっていいって。メガシンカをあそこまで扱えれば上等だって」
フォローしてくれるディズィーだが自分がもう少し切り込めていれば、戦局は違っていたかもしれない。その後悔はクオンの胸にあった。
「まぁ、メガシンカ戦は難しいからね。アチキも物にするまでに一年はかかったし」
フヨウがメガヤミラミをボールに仕舞ってこちらへと歩み寄ってくる。クオンは唇を尖らせた。
「何だって、そんな強いんです?」
「そりゃアチキ四天王だから」
そう言われてしまえば立つ瀬もない。四天王に二体一で挑んでも敵わないのだ。やはり実力不足を実感する。
「汗、すごいよ」
フヨウが差し出したハンカチをクオンは受け取って汗を拭った。
メガシンカにおける一種の同調現象が自分に過負荷をもたらしているのは明らかであった。
「ディアンシーがもうちょっと素早ければ」
「だからそういう話でもないんだって。オイラももうちょっとやれた。負けた戦いってのは後悔ばっかりはあるもんなんだ」
クオンは腰を下ろしてディアンシーを見やる。主をディアンシーは不安そうな面持ちで眺めていた。
「大丈夫。あたしは、大丈夫だから」
ディアンシーをボールに戻す。フヨウは腰に手を当てて口にする。
「何事も経験だよ! アチキはそのお陰でゴーストタイプと心を通わせられるようになったんだから!」
フヨウの快活な声に勝負をしていた事など忘れてしまいそうだった。ディズィーが顎に手を添えて、「にしても負けるとはね」と呟く。
「今日はフヨウさんが初手だったですけれど、いつもは違いますからね……」
クオンは呼吸を整えてようやくいつもの感覚に戻る。バトルフィールドの四方には蓮の華が咲き誇っており、フヨウのスピリチュアルなイメージを引き立たせている。
ここは四天王の間なのだ。改めてそれを実感した。本当ならば全てのバッジを揃え、ようやく踏み込む事が許される聖域。その場所へと自分達は例外ながら踏み込み、戦いを挑んでいる。
奇妙な光景には違いないが、もう半年も経てば日常だった。
「いつもはカゲツにも勝てないから当然っちゃ当然か」
カゲツ、というのはホウエン四天王の先鋒を務める悪タイプ使いだ。半年前にデボンに踏み込み、自分達を連れてきてくれた人物でもある。
「四天王全員がメガシンカ使いで、なおかつ本気を出していないって言うんだから恐れ入るよ」
ディズィーの評はそのまま自分の意見だった。
「まぁアチキ達だって、挑戦者を相手取らないと腕が鈍るし」
フヨウの声にクオンは頭を振る。
「まだまだ、あたし達は弱い」
「強くなったと思うよ。少なくとも半年前よりかは」
半年前まではディアンシーを切り込み隊長にするなど考えもしなかった。全ては環境が変わったからだ。
「ネオロケット団……。あたし達、その一部なんですよね……」
ホウエン四天王が指揮を執る組織、ネオロケット団。デボンに敵対し、毎週のようにカナズミで熱戦を繰り広げている。
主に戦うのはカゲツの役目で、自分達はそのバックアップだ。とはいっても矢面に立っているのはほとんどディズィーであるが。
「今回もライブハウスがやられたっぽいね」
ディズィーは危険な役目を引き受けている。カナズミの若者向けに強行ライブを行い、デボンの支配に亀裂を走らせようと言うのだ。無論、ディズィー自身がカナズミに赴くわけではないがそれでも彼女の世間での印象を悪くする。
「いいんですか? このままギルティギアが悪者みたいになっても」
「まぁ、オイラその辺気にしないし。大体、公的機関で揉み消されているでしょ。デボンだって探られればまずいんだしさ」
カナズミの映像を何度か見せられた事がある。鋼・虫タイプなのだというデボンの主戦力、ゲノセクト。それが空を舞い、砲撃を仕掛ける様はほとんど戦争だった。
自分達の故郷でそのような事がまかり通っている事実がクオンには恐ろしかった。
「ゲノセクトとかコープスコーズですよね……。でもデボンなら何でも消せそうですけれど」
「その一族の人間の言葉とは思えないけれどね」
ディズィーに痛いところを突かれてクオンは口ごもる。
「アチキも故郷が戦場になったら嫌だなぁ」
フヨウの生まれ故郷は送り火山なのだという。そこでゴーストタイプと心を通わせる術を学んだ、と聞いた。
「四天王相当の強さがないと、今のカナズミに帰る事も出来ない」
非情な現実が突きつけられる。自分はあの時、家族の手を払った。だからもう、敵としてしかカナズミに帰る事が出来ない。
後悔がないわけではなかったがあの時、リョウの手を取っていればもしかしたら自分はこの異常を異常とも思わず、過ごしていたのかもしれない。
「そろそろ会合かな? 時間帯的に」
フヨウが時間を気にし出す。彼女は今時珍しく携行端末を持っていなかった。それでも何となくで時間は分かるらしい。
「キャプテンや、他の四天王との顔合わせか。毎日のように飽きないね」
ディズィーの皮肉にフヨウは、「四天王だから」と返す。
「他の雑務もあるし。ネオロケット団の活動だけやっていればいいんなら楽なんだけれどね」
「オイラ、正直君が羨ましいよ。それだけ強さがあってなおかつ地位もあるなんて」
「ディズィーちゃん、地位とか名誉とか要らないんじゃないの?」
フヨウの声にディズィーは笑い返す。
「くれるなら要るよ?」
意外だった。ディズィーはそういう事に頓着しないのだと思い込んでいた。
フヨウが身を翻す。四天王の間は四つの階層に分けられており、階段を駆け上っていった。
「じゃあね! また戦おう!」
フヨウの背中を見送ってからクオンは息をつく。
「よくもまぁ、メガシンカ使った後にあれだけ元気ですよね。フヨウさん」
「オイラ達とは地力が違うんだろうね。それこそ四天王の名に恥じないレベルだよ」
ディズィーの声にクオンは改めて声にする。
「……あたし達、何で四天王と戦っているんでしょう」
「そりゃあっちの示してきたルールだからね。デボンに立ち向かうには四天王全員を倒せなくっちゃならない。メガシンカを扱い、その日のうちに全員を倒した者だけが精鋭に加えられる。厳しい条件だ」
キャプテンの提言した最低限の条件でもある。それが出来なければまずデボンに立ち向かう事など無理だ、と。
「そこまでデボンが強大だとは思っていませんでしたよ。そりゃ大企業ですけれども」
「今やゲノセクト部隊との戦闘の日々だからね。カゲツは毎回前線に出ているみたいだし、このままじゃカナズミも安全な場所とは言えなくなったね」
半年前まで安寧を貪っていた場所が今や戦場。クオンには正直、ついていけない気持ちのほうが大きい。
「……ネオロケット団が投降すれば、もしかしたら穏便には済むかもしれないですね」
このようなぼやきは組織の中では危ないだろう。しかしディズィーもそれを受け入れた。
「かもねぇ。でも、それを許さないのはキャプテンは元より、彼も、だ」
彼と呼ばれた人間は今、一階層上の四天王の間で戦っている。クオンはその名前を呟いた。
「ダイゴ……。あなたはどこまでやる気なの」