第百二十話「神殺し」
ディアルガは二人を前にして何一つ生体運動を起こさない。ともすれば死んでいるのではないかと疑われたが生きている事をイッシンが証明しようとパイルバンカーの一つに触れる。
その瞬間、火花が散った。青白い火花が生じ、イッシンの手を弾いたのだ。イッシンは退きどころを理解していたために軽症だったが今の攻撃でもやりようによっては手を焼け落とす事も容易いだろう。
それほどの力を内包しているポケモンだった。イッシンが手をさすりながら、「このポケモンは」と口火を切る。
「四十年前からなのか、それとももっとなのか、初代が手に入れた中で最強だろう。時を操るポケモンだ。生涯で、鋼タイプの発見に貢献し続けた初代でもこいつだけは秘匿した」
「それが、どうしてあんたのものに?」
その言葉にイッシンは笑みを浮かべる。
「ものに、じゃないさ。こいつのおやは依然として初代だ。わたしのものになっていない」
イッシンの声に、では危ういのではないか、とギリーは感じたが、「大丈夫だ」と返される。
「初代がここを察知して現われでもしない限り、ディアルガから初代のほうへと向かう事はない」
そのための義手であった。あの義手のアクセス権のあるボックスは百三だが、本当の所持数は百四である。その百四番目の、隠し通されたポケモンが目の前のディアルガであった。
「皮肉なものだ。データとして隠し通せないから物理的に隠すしか方法がないと。このような原始的な方法でしか封印出来ないのもそうだがな」
機密ブロックのさらに奥の奥。
原始的だが立ち入らなければ分かるまい。
「ディアルガは、生きているんですよね……」
ギリーの声にイッシンは頷く。
「もちろんだ。こいつを殺すのはさすがに骨が折れるよ」
一地方の神と呼ばれるポケモンだ。当然、凡人が殺せるほど弱いはずもない。
「だがその神は眠りについている」
「ああ。本来ならば赤い鎖と呼ばれる物体が相応しいようだが、生憎とそれは用意出来なかった。このパイルバンカーはデボンの技術力で再現した擬似的な赤い鎖だ。それでも、五、六本は要ったがな」
全身に突き刺されており、心臓部まで至っているように見えるパイルバンカーだが、実のところディアルガの動きを封じているだけでダメージでさえも与えられていないという。その事実には最初慄いたものだ。デボンの技術でも全く攻撃不可能なポケモンがいるなど。
「ホウエンの神……。時間を操るディアルガ。初代はいつ、こんなのと出会ったのか」
「見当もつかないが」とイッシンは額の汗を拭う。プレッシャーの波に二人とも晒されていた。
「わたしが社長職を引き継ぐ際、正体不明のデータファイルがあり、それを辿っていくとこいつがいた。初代はパイルバンカーでの封印ではなく、普通にボックスに預けていたが、後々わたしがこの機密ブロックを造り、ここにディアルガを再封印した。初代の記憶にないのは当たり前なのだが、ギリー、初代はこいつの事を」
「触れてもいない」
それが気がかりなのだ。初代が支配を磐石にしたいというのならばディアルガの所持は必要条件だろう。しかし何一つ、ディアルガに関して言ってこないのは……。
「やはり初代の記憶に細工したから、でしょう」
イッシンは、「役に立ってくれたか」とディアルガの足元にあるカプセルへと目をやった。
ギリーでさえもおぞましさを感じる。
カプセルの中にあるのは心臓だった。人間の心臓だ。誰のものなのか、イッシンと自分だけが知っている。
「初代ツワブキ・ダイゴの最後のパーツ。その心臓部」
唾を飲み下す。これがあるのとないのとだけの差で、初代は辛うじて人の身に収まっている。ひとたび、これが初代の手に渡れば。考えるだけで総毛立つ。
「心臓部がない事に初代は気付いているか?」
「いや、まだそこまでは。ただ失った右腕と左足は返してもらわないと、と言っていたが」
「やはり初代の補完は、全てのパーツが揃った時、成るか」
ギリーは安易な事の収束方法を示す。
「心臓部を、破壊すれば」
「いいや、それは不可能だ。右腕にせよ、左足にせよ同じ。初代のパーツは、この次元にあってこの次元にないのだ。だから我々の物理干渉を一切受けない肉体だと思ったほうがいい」
信じられない事だが、初代を滅するには今の人類では出来ないのだという。ではどうやって八個に分割したのか。その疑問が立ち上ってくる。
「八個に、どうやって分割を?」
「正確には、八個の部位に分割したのではなく、既に分割されていたのだという。死んだ時、初代は肩から血を噴き出した状態だった。それだけでもセンセーショナルな事件だが、解剖を行う際に誰もメスが通らない事を不審がっている間に、もう既に、八個のパーツになっていたのだという」
怖気が走る。まさか、という思いに囚われた。
「偶然でしょう?」
「だと思いたいが、それだけ王の加護、というものがあったのかもしれない。我々が思っているよりも、カントーの四十年前の第一回ポケモンリーグの王というのはラベルでも何でもなく、初代を神の段階まで引き上げた可能性がある」
イッシンの言葉は誇張でも何でもない。何よりも自分の父親がそのような常人離れしていたなど恐怖しかないはずだ。
「だとすれば、初代殺しの犯人は……」
「さしずめ、神殺しか」
神殺しの犯人は今でも生きているのだろうか。生きて、この地上に存在するよりももう死んでいると仮定したほうがまだ納得出来る。
「しかし、心臓も破壊出来ない。その心臓を持っているとヤバイってのに。ディアルガを殺そうにも」
それだけでディアルガの殺気が飛んでくるような気がした。
「無理だ」
「そう、不可能な事象が多い。だがわたしはこうも仮定している。もし、ディアルガと全ての部位が揃った初代を殺せる存在がいたとすれば、それはたった一人なのではないか、と」
「当てはあるんで?」
イッシンの目が遠くに注がれる。思い浮かべていたのは同一人物だろう。
「……どちらにせよ、初代にだけはこの場所を知られてはならない。ギリー。右腕の所在地は分かったか?」
初代を封じるためには初代のパーツがどこにあるのかも先に掴まなければならない。ギリーは、「まだ、だが」と濁す。
「カナズミからは出ていない。初代がそう言っているんだ」
「カナズミに右腕の気配があると?」
「左足はネオロケット団の下にあるらしい。だから左足だけは奪還という形になりそうですが、右腕に関しちゃまだやりようはあると」
イッシンは一度ディアルガを仰ぎ見てから、「やりよう、か」と呟く。
「心臓の破壊も出来ず、かといってあの朽ちた肉体でも繋ぎ合せれば初代の魂の依り代に成り得た。初代の再生計画をわたしは何としてでも封じなければならなかった。息子達が悪魔を蘇らせるのを黙って見ているわけにはいかなかったのだ」
父親を悪魔と断ずるか。ギリーの中に生まれたのはこの男は父親を一生敵だと思わなければならない悲哀だった。イッシンからしてみれば、全ての元凶とも言える。
「ギリー。もう一つ、頼んでおいたな。初代殺しの犯人は」
「そちらも、割れていませんが……。ここで話すのはやめませんか?」
ディアルガに見られている気がする。それだけではない。この空間が異様で、あまりにも自分達人間が浅ましく思える。
「そうだな。一度出るか」
半球状の機密ブロックを抜けると空気が明らかに違った。ギリーは少しばかり解放感を覚える。
「初代殺し、継続して追っていますが、やはり尻尾も掴めないってのが現状で」
イッシンは顎に手を添えて考え込む。遅々として進まない捜査に苛立っているのだろうか。
「あんた、やっぱり犯人を見つけたら殺す気なんですかい?」
ギリーの質問にイッシンは、「いや」と首を振る。
「逆に問うてみたい。どうやって初代を殺したのか、と」
冗談にもならない返答にギリーは話題を逸らす。
「しかし、奇妙なもんですなぁ。死体兵団と名付けられた子供達がカナズミの治安を守り、死体の王がデボンの玉座にいる」
「本当ならば、このような事態は避けなければならなかった」
イッシンは疲れの滲んだ声音で後悔を漏らす。
「わたしが言えればよかったのだ。初代を蘇らせようなど、考えるな、と。そもそも誰が、息子達に初代再生なんて吹き込んだ? そいつも見つけ出して欲しいのだが」
「もちろん、継続捜査は行っています。コウヤ方面にも、色々と張って。しかしその人物ってのが、全然浮上してこないんですわ」
ギリーからしてみてもここまで手応えのないのはおかしいと感じている。ここまで時間も金もかけたというのに、全く見えてこないというのが。
「初代を殺す方法も分からなければ心臓を破壊も出来ない。ディアルガもな。初代は今のところ無力化には成功している。あれでも大軍勢と戦えるだけの兵力があるが、ディアルガ一体を手にされるよりかはマシだ」
神のポケモンを手にされればそれだけでこちらの敗北となる。ギリーは重々理解した。
「オレは今まで通り、初代とあんたの二重スパイってわけか」
「表向きは初代に味方しろ。あれで自分への敵意には敏感だ。わたしを殺せ、と言われればそう動け。でなければお前が殺されるぞ」
忠告でもなく警告。息子であるイッシンは恐らく一番に初代の危険性が分かっている。
「分かっておりますよ。オレだってメモリークローンがあっても死にたくはないですし」
「メモリークローンか……。その管理は初代だな?」
「正しくは孫娘のレイカですが、それが何か?」
「いや、何でもない。一つ、予感が出てきたが杞憂だと思いたい」
ギリーは追及せずに機密区画をイッシンと共に抜けてくる。白色の廊下に入ると軽口も叩けるようになってきた。
「しかし、末恐ろしいですな。何であんな男が王に」
「なるべくしてなったのだろう。四十年前のポケモンリーグに関しては謎が多い。その時、何が起こったのか。わたし達の祖先であるツワブキ家と没落貴族フジ家はどこで繋がったのか。初代にかまはかけてみたか?」
「怖くって出来ませんね」
血縁に関しては初代にも聞けない。イッシンは深く悩んでいるようだ。
「そう、か。血縁に関して分かれば、もしかしたら初代殺しの犯人も割れるかと思ったが」
「まさか、フジ家とツワブキ家を取り持った人間こそが、初代殺しの犯人とでも?」
あまりに出来過ぎているとギリーは否定したかったがイッシンの声は深刻だった。
「わたしはな、それが一番あり得ると思っている。その第三者の存在はダイゴを通じて知ったのだが、もしその第三者が全てを動かしているとなると辻褄が合うんだ。初代殺しと初代再生計画。この二つも、独自に存在するのではなく、セットとして最初から設定されているとすれば……」
「考え過ぎです! 考え過ぎ!」
さしものイッシンでも参っているのが窺えた。このような飛躍した理論に行き着くなど。
「そうだな。考え過ぎ、か。だが全体を俯瞰するのに、それほど適したポジションもあるまい。その第三者の手引き、という形をわたしは最も危惧している。もし、仮定の話だが第三者が今も生きていて、今でも手ぐすねを引いているとすれば、我々のこの行動も踊らされている事になるのかもな」
ツワブキ家を実質的に支配しているのは初代でもなく、さらに上を行く第三者。そうだとすれば驚異的だ。先見の明があったのか、あるいはそれが既に示されていたのか。
「……恐ろしい事に、オレは巻き込まれちまったみたいですね」
「ギリー・ザ・ロック。今さら逃げ帰るか?」
イッシンの問いかけに、「まさか」とギリーは肩を竦める。
「ここまで踏み入っちまったら同じでしょう」
「協定関係は続く、と思っていていいのだろうか」
「思っていて、もなにももうデボンの支援がなきゃオレの肉体の維持さえも出来ないんでしょう?」
メモリークローンへの細工だ。イッシンは懐から錠剤を取り出す。
「分を弁えている相手は嫌いじゃない」
Dシリーズとメモリークローンに存在する縛り。それは命の薬を一定期間飲まなければ壊死してしまう事だ。自分の肉体にはそういう時限爆弾が仕掛けられている。デボンを裏切ればすぐさまこれが発動する事だろう。
「感謝しますよ」
錠剤を受け取ってギリーは廊下を歩き出す。
イッシンの懸念も、初代の野望も、全て踏み越えた場所にいる何者か。考えるだに恐ろしいが自分は中立点にいる。その考えがあるだけマシだろう。
「ご愁傷様なのは、本当に踏み込んじまっている奴だよ。地雷原を地雷原だと知らずに、踏み抜いちまっている奴だ」
誰が、とは言わなかった。