第百十八話「未完成」
怪しまれていないか、という心配をせねばならないとは。
初代はデボンの摩天楼から望める景色を視界に入れる。会長という職務は楽だ。実質何もしなくても構わない。居るだけでいい。だがそれ以上を望んでいる事を彼は察知していた。自分をわざわざこの世に呼び戻したのだ。理由もあるだろう。
「まだ、ぼくには右腕と左足、それに……」
濁して胸元を握り締める。いくら名誉を得ようとも決して得られないものがある。地位があっても決して追いつけないものがある。
自分が行き当たっているのはそれだ。人間ならば誰しも抱えているそれが欠落している。
その欠落の理由が復活方法である事は周知だった。リョウやレイカが挙げていた復活計画ならば自分の復活は遅れていただろうが、このような懸念に至る事もなかったのだ。
自分をこの世に呼び戻した相手が意図的に排除したとしか考えられない。
「イッシン……。息子でありながら、ぼくに何をした?」
イッシンが息子である事は分かる。自分が二十三年もの間「死んで」いた事も知っている。自分が四十年前には王であった事も分かっている。
だが欠落しているのはもっと重要な事だ。不完全の象徴とも言える義手を振るう。ガラス張りの壁に皹が入った。
「何をしたんだ……イッシン。ぼくは完全じゃない。それは自分が一番よく分かっている」
試しに右腕を用い、ポケモンを一体繰り出す。出てきた色違いのメタグロスへと初代は手を開いて命じる。
「メタグロス、メガシンカ……」
しかし何も成されない。メガシンカの兆候もなければ、その予感もない。メタグロスは浮遊するばかりだ。これが第一の自分の欠陥である。
「メガシンカに必要な精神エネルギーが、体内にない」
メガストーンとキーストーンは揃えてある。しかしメガシンカ出来ないのだ。初代は歯噛みする。
「ぼくが死んだ時、あの時どうなったんだ?」
何度も確認したデータを閲覧する。二十三年前に死んだ時、いいや殺された時、何が起こった? 報告書には「メガシンカを達成した」とある。
「あの時のぼくと今のぼくの、何が違う?」
その見当がつかないのが欠陥その二だ。記憶の中に曖昧な部分が存在する。
自分を殺した相手が誰なのか依然として分からないのだ。
殺されたのは分かる。だが誰がやったのかは自分でも掴めていない。イッシンが教えてくれるかに思われたが、イッシンは逆にその事象から遠ざけたいようだ。
「メガシンカ出来ないんじゃ、完全体じゃない、というわけか」
メタグロスを戻し、初代は呼び鈴を鳴らした。すぐにノックがされる。
「どうぞ」
現れたのはギリーであった。席を外していたギリーは呼び戻された事に首を傾げる。
「オレの手助けが必要ですかい? 初代」
「ああ。残念ながら今のぼくは完全じゃない。少なくとも右手と右足は取り戻したいんだ」
「ですが、その行方が」
「分かっていない。左足はネオロケット団にいるDシリーズ。だが右腕がどこなのかはまだなんだろう?」
「コープスコーズにやった処理チップでハッキングしてやればいいんじゃないですかね」
ギリーにはコープスコーズの真の目的も教えてある。何のための「死体兵団」なのかも。
「ハッキングするとしてどこに、って話だよ。デボン以上に堅牢なセキュリティなんてないんだ。当てがない」
「ネオロケット団は」
「羽虫だよ。弾いてやればいいだけの話。今は遊ばせてやっているんだ。本気を出せば、コープスコーズが追い詰められないわけがない。なにせ、彼らは……」
そこまで口にして初代は話題を変えた。
「メンテナンスをきっちりとやっているはずなんだよね」
鋼の右腕を掲げる。ギリーは、「そりゃもう」と応じた。
「義手とボックスのアクセス権は初代にしかないものでしょう?」
「そのはずだ。だがそれさえも疑ってかかっている」
義手と通じているはずの自分の所有する百のボックス。それが全て開いていると仮定して動いているが……。
「不都合な点が多過ぎる。ギリー。仕事だ。外部からぼくのボックスの数を調べてくれ」
「そりゃ随分と手間のかかるお仕事で」
「都合はつけるし、金も人材も派遣する。君はぼくのボックスが記録通りで記憶通りである事をぼくに報告してくれればいい」
「初代の記憶では?」
「百と三。それだけボックスを所有していたはずだが、義手で咄嗟にアクセスするだけじゃ普段使いのボックスしか見ないからね。問題なのはどのボックスにどのポケモンを割り振ったのか。その確認だ」
「初代の権限で出来ないんで?」
「この辺りはぼくでも再アクセスすると怪しいと思われる。イッシンがぼくのために用意した最強の腕のはずだが、もしこれが、ぼくの一番の枷だったとすれば」
「枷は外しておきたいのが人情ですね」
光に翳した鋼の右腕を初代は降ろしてギリーに再確認する。
「出来るか?」
「やりますよ。オレは所詮、飼われている身ですからね」
「メモリークローンの増設も約束しよう。死なない暗殺者だ。最強だな」
笑みを浮かべるとギリーもフッと笑った。
「そいつはすげぇ。死なない暗殺者って世界広しといえオレぐらいじゃねぇですか?」
最高のジョークだったが今の初代には笑い飛ばせるだけの胆力もなかった。どこまで事が及んでいるのか。どこまで自分が掌握されているのか。それを知らなければ道化を演じるはめになる。
「イッシンがどこまで企んでいるのか、という部分でもある」
「ツワブキ・イッシン。王は息子でさえも疑いますか?」
「疑うとも。そうでなければぼくは君に命令も出来ていない」
自分を再生した人物は全員、疑惑の対象だ。何か自分に首輪でも付けている可能性はある。
「なるほど。初代を好きにさせておいて、実質の王者は自分、というわけですかい。そいつはこすい事で」
「ぼくとしてもね、王は一人でいいんだ。頂に登るのに、同行者が必要なほど落ちぶれてはいないつもりだよ」
ギリーは口笛を鳴らし、「なかなか言うじゃないですか」と返す。
「さっすが、四十年前の過酷なポケモンリーグの生き証人でいらっしゃる」
「二十三年間は死んでいたんだ。生き証人、ってのはちょっと違うね」
このように軽口が吐けるのも誰かのコントロールの下だとすれば。そう考えると悔しさが滲む。ここまで辿り着いたのは誰でもない、自分の実力のはずだ。だというのに今さらこびへつらう理由がない。
「ぼくを操っているかもしれない人間のリストアップ。出来るな?」
「初代ほどの人間を操るなんてそいつはとんだ大人物でさぁ。オレでも手間取るかもしれませんね」
初代はモンスターボールを転送装置の上でシャッフルし、ギリーに投げつける。受け止めたギリーに、「これを使え」と告げた。
「ギガイアスよりも使い勝手がいい。とっておきだ」
「こいつは……。初代、本当にオレがこれを使っても?」
「使えるかどうかは君次第だが、なに、メモリークローンの素体に問題がなければ作用するさ」
「後で返せってのはなしでお願いしますよ」
ギリーはホルスターにモンスターボールを留める。初代は鼻を鳴らした。
「そこまでけち臭くないつもりだよ」
「しっかし、分かりませんなぁ。そうまでして初代の反感を買ってどうするって言うんです? オレなら無条件に従いますよ」
自分を怒らせて得をする人間がいるとも思えない。少なくともこのデボンにはいないはずだった。二十三年前にも、現在にも。だが居たのだ。居たから自分は死に、そして再生を遂げた。自分でさえも見抜けなかった悪の芽が育っていたのだ。
「ぼくの眼も全てを見通す万能の眼ってわけじゃない。過去も未来も見えていれば何の恐れもないのだが、生憎とこの眼は現在しか見えていなくってね」
今しか見えないもうろくの眼。二十三年前にはそれこそ王者の目線だったのかもしれないが、その記憶さえも曖昧だ。
「初代、今しか見えないのは人間だからですよ。意外なもんで初代も人間らしい」
ギリーの声に初代は口元を綻ばせる。
「ぼくは人間以上であろうというほど傲慢ではないつもりだよ」
王者ではあった。しかし人間をやめると宣言したつもりはない。
ギリーはわざとらしく頭を垂れる。
「お達しの通りに。初代をたばかっている連中、始末すりゃいいんでしょう」
「あんまり荒事にはしたくない。それこそ暗殺者としての手腕、期待している」
「了解。そのオーダーで行きますよ」
ギリーが笑いながら身を翻す。初代は今一度、ボックスのアクセス権を確かめる。
誰も、この所有ボックスに細工は出来ないはずだ。だが何かがおかしい。根本的に何が、とは言えないが、何かが。
そうでなくてはこの支配は磐石であるはずなのだ。だというのに、その感触がない。支配している、というよりかはされている感覚。
「誰だ? ぼくが蘇る際に、何かしたのか?」
呟いても答えは出ない。ボックスに干渉する術を持っている人間はそれこそエンジニア辺りに限られてくる。預かりボックスの創始者、マサキにかけあってみてもいいが向こうは自分が蘇った事を知るまい。きっと幽霊からの電話だとかけ合わないだろう。
自分の知っている預かりボックスに関する管理者はおらず、ボックスそのものを疑う事は不可能だが初代はボックスの管理とメガシンカが出来ない事はイコールに近いものだと感じていた。
メガシンカのエネルギーが自分の中に足りてない。あるいは存在しないのは意図的に奪われたからだ。
誰が奪ったのか。それを明らかにして、と初代は鋼の拳を握り締める。
「始末する……。そうしなくてはぼくのものではない。このデボンも、この世界も」