INSANIA











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原罪の灯
第百十六話「歪んだ玉座」

 ゲノセクトの解析データが送られてきたのでコウヤは別の端末に送り返すように命じた。

 元々自分の分野ではない。ゲノセクトとコープスコーズの管理はリョウとレイカに任せてある。

「社長、お荷物を」

 車から出る際に付き人が声にする。コウヤは、「いや」とそれを断って眼前にそびえ立つ威容を目にする。

 デボンコーポレーション本社ビル。半年前の傷跡は色濃く、未だに修復中の場所があるくらいだったが、自分の関わったものではないとコウヤは考えを打ち切った。

「二十三時より会合が。社長、対テロ法案を通すべきか、とホウエンの首脳が話し合いたいと」

「後にしてくれよ。おれはまだ疲れが残っているんだから」

「失礼」と付き人が応じてから次のスケジュールを読み上げる。

「では対テロ法案については明朝に回しておきますが、会長が社長に話をしたいと」

 来た、とコウヤは身構える。会長、という言葉が用いられるのはコウヤにとっては凶兆だった。

「またあの人か。おれと話してどうするって言うんだ」

「これも後に回しますか?」

「いいや、あの人はしつこい。後々忙しくなってから組み込まれると面倒だ。今行くと伝えろ」

 かしこまりました、と付き人がエレベーターの扉を開ける。直通エレベーターはほとんど振動もない。その中でコウヤはこれから会う人間の顔を思い返して苦々しい思いが湧き上がって来た。

 どうして自分があの男の下につかねばならない。どうしてあの男はこうしてたまに押さえつけをしてくるのだ。コウヤは嫌気が差していた。

 社長は自分だ。全てを支配したつもりだったが、実のところこれから会う人物に掌握されている。それが我慢ならない。

 エレベーターが到着し、コウヤは一室の扉の前に立つ。付き人がノックした。

「どうぞ」と声が返され、付き人が下がる。ここから先は、ツワブキ家しか謁見を許されていない。当然の事ながら付き人は来た道を戻っていく。悪魔に会うのに、一人では正直心細かったが、コウヤはおくびにも出さずに室内に入った。

 金色のシャンデリアが存在感を示す豪奢な室内の奥には執務机がある。

 その執務机に足を置いている男にコウヤは目に見えて嫌悪感を示した。

「ギリー・ザ・ロック。お前はいつから会長になった?」

 コウヤの厳しい声に赤い帽子を被った男は鍔を持ち上げる。

「悪いね、ツワブキ家のお坊ちゃん。会長はちょっと席を外している」

「その会長に呼ばれてきたんだ。おれに話があると」

 ギリーは口笛を吹かす。

「忙しいもんだ。さすがは天下のデボンかな」

「茶化すんじゃないぞ。あの時殺したお前が目の前に生きているだけでも、おれからしてみれば神経を逆撫でされている気分だ」

 半年前に自分はこの男を殺した。トクサネでレジロックによって殺したはずなのだ。しかし、カナズミに帰ってきてみればこの男は何食わぬ顔で生きていた。まずそれに驚愕したがこの男からしてみれば自分の命など替えの利く存在だと聞かされ納得せざる得なかった。

 メモリークローン。

 記憶を外部メモリに入力し、引き継ぎ、当たり前のようにもう一つの肉体で死んだはずの人間が活動を再開する。

 一種の人体実験だが成功例があるとは聞かされていなかった。メモリークローンは実証実験を行っている最中だと言われてきたからだ。さらに言えば倫理的な問題も発生する。

 それらをクリアしてメモリークローンがこのような、暗殺者程度の人間を生かすために存在しているなど看過出来ない事態であった。

「嫌だねぇ、ツワブキ家のお坊ちゃん。おれを見る目が殺人の目だぜ?」

 事実、殺したはずの人間がこうもぺらぺらと喋られては不愉快極まりないのだが、コウヤは我慢した。

「会長は?」

「だから席を外しているんだって」

「お前のような下賎な輩に執務机を譲ってまで、か?」

 一触即発の空気にギリーが顔を上げる。

「いいねぇ。あの時オレを殺したのと同じ目つきだ」

 コウヤはスーツの襟元を整えて、「言葉には気をつけろ」と告げる。

「貴様程度、いつでも殺せる」

「暗殺者のオレが言われたんじゃ形無しだな」

 ギリーは肩を揺らして笑ってみせる。この男は、とコウヤが憎悪の眼差しを向けようとした、その時である。

「悪いね、ちょっと留守を預かってもらっていたんだ」

 背後から聞こえてきた声にコウヤはハッとする。振り返る前に、その手が肩に置かれた。銀色の、機械で出来た右手だ。条件反射的に硬直する我が身を顧みて、コウヤは思う。

 ――この人間には気配がない。

 いやそもそも人間と定義していいのだろうか。

 肩から手を離されてようやく収縮していた心臓が元に戻る。目線を振り向けてきた人影にコウヤは一礼した。

「失礼しております、会長」

 すると相手は首を振った。

「やめてくれよ。コウヤ、ぼくと君の仲だ。もっとフレンドリィでいい。そうだな、お爺ちゃん、と昔みたいに呼んでみな」

 眼前の人物はしかし自分よりも年下にさえ映る。当然、そのような軽口が吐けるわけもない。

 実質そうであったとしても。

「傑作だな。孫よりも年下のジジィかよ」

 ギリーの下品な笑い声にふつふつと怒りが湧いてくる。どうしてこの男は高尚な一族であるはずのツワブキ家に口出し出来るのか。

「やめなよ、ギリー。君の仕事は社長職を茶化す事じゃない」

「用心棒、だろ。今時こういうのは流行らないと思うがな」

 ギリーは会長の用心棒という名目で雇われている。実際、この男がどれだけの防御機能を持つのかは疑問だがいざという時の弾除け程度にしか考えていないのかもしれない。

 それだけ相手の存在感が圧倒的だった。

「ツワブキ・ダイゴ会長。お話というのは」

「ああ。ギリーは席を外してくれ。ちょっとばかし重要な事なんだ」

 初代ツワブキ・ダイゴは何でもない事のようにギリーに命じる。ギリーは肩を竦めた。

「格好の殺し時じゃないか。そんな危ない状態を目にしてオレにいなくなれって?」
「頼むよ」と初代は微笑む。

 ギリーはその笑みに従って部屋を出ようとした。その途中、コウヤの肩に手を置く。

「せいぜい、お話しておくんだな。お爺ちゃんと」

 殺意をむき出しにしかけたが、「ギリー」といさめる初代の声で我に帰った。

「はいよ。余計な事も言えないんじゃつまらないぜ」

 ギリーが部屋を出たのを確認してからコウヤは口火を切る。

「何であのような、下賎なる者を」

「うん? 彼が失礼をしたかな? ならばぼくが謝ろう」

 初代は執務机を見やり、口元に笑みを刻んだ。

「こりゃ酷い。靴の痕がぴったりだ」

 泥のついた靴でこの執務机に居座っていたというのか。それだけでも許せなかったが初代は笑って済ました。

「まぁ彼のスタンスは尊重すべきだよ。ぼくは彼を雇っている身だからね。最大限、彼の魅力を引き出したい」

「魅力? 暗殺者なんですよ」

 ほとんど日陰者に等しい存在にここまで権限を与えてやる事はないと、コウヤは暗に言ってやったが初代は微笑むばかりだ。

「そんな彼でも役に立っていてね。ぼくに纏わりつく影を排除してくれている。それもこっちが気付く前なのだから仕事が早くって助かっている」

 コウヤは内心舌打ちする。初代の正体を追うために放った草も既に駆逐されているのだろう。初代は自分の目の前で自分のやっている事は無意味だと言ってのけているのだ。豪胆であり、なおかつ相当な自信がなければ言えない。

「……ネオロケット団に関する調査報告書は」

「目を通した。リョウも苦労しているみたいだね。現場主任なんて任せるべきじゃなかったかな?」

「リョウも公安です。これでは裏取引があったのだと勘繰られる恐れが」

「誰が勘繰るって言うんだ? このカナズミで」

 違いない。勘繰るとすれば、それは内側から、だ。外側から突かれる事など滅多になければ、突かれたところで痛い腹を晒す事もない。

「それはそうですが、治安当局もコープスコーズの戦果に賞賛よりも戸惑いを覚えています。どれだけゲノセクトを投入すれば気が済むのかと」

 金も資財も投入している。これ以上の消耗戦は無意味ではないか。そう言ったつもりだったが初代は違う風に捉えたらしい。

「ゲノセクト、なかなかに無敵だろう?」

 誇示するように、あるいは自慢げに初代は口にする。コウヤはゲノセクトのデータを呼び出した。ホロキャスターに表示されたゲノセクト部隊の損耗率とそれが及ぼした戦果を比較するグラフである。明らかにゲノセクトの量産体勢が整っておらず、困窮気味であった。

「ゲノセクトはもう限界です。他の手を打つべきだとおれは思いますが」

「ゲノセクト以外で取り回しの利くポケモンを? それは結構な無茶だ。ゲノセクトは育成期間と実地試験のデータが取れる期間のバランスがとてもいい。理想個体と言える。ぼくがボックスに持っていなかったら、デボンにもたらされなかった繁栄だろう?」

 実際、その通りなのだから言い返せない。

 初代の持つ百をゆうに超えるポケモン預かりボックス。そこにはあらゆる鋼、岩、地面の強力なポケモンが集められていた。ボックスの存在を知ったのは半年前にカナズミに帰ってからで、その説明は他ならぬ初代からされたのだ。

 ボックスにあるポケモンを使ってカナズミシティを攻略不可能な要塞にする。

 鋼タイプのエキスパートであった初代からしてみればそれは容易かった。誰よりも鋼タイプを熟知している。だからゲノセクトなるポケモンを見出したのも初代の貢献だ。本来ならばコープスコーズの運用以前に適したポケモンが見つからなかった事だろう。

「会長の言いたい事は分かります。それにどれだけデボンに貢献していただいているのかも」

「他人行儀だな。いいよ、もうギリーもいないし、孫と祖父の関係でも」

 自分より若々しい男を祖父と呼べるものか。コウヤは歯噛みし、「そうは参りません」と佇まいを正す。

「一応は、社内ですから」

「どこに耳があるか分からない? まぁぼくという存在ですら、デボンからしてみれば極秘だ」

 コウヤが次の言葉を継ぐ前に初代は手を振る。

「安心しなよ。その辺を出回ったりだとかうろついたりだとかそういう迂闊な事はしていないし、それにぼくだって研究分野に必死だ」

 初代の研究分野。それは二十三年前に潰えたメガシンカ研究であった。もうメガシンカのメカニズムは明らかになっているというのに、初代は何かに取りつかれたようにメガシンカ関連の情報を漁っている。

 何かが、初代を駆り立てているのだと知れたがそれ以上はコウヤでも関知出来ない。

「会長、お言葉ですがギリーのような、いつでも鞍替えするような人間を傍に置くのはやはり危険です。おれが、社長のお傍にいたほうが」

「だめだめ、駄目だって。そういう風にさ、一家が一企業を牛耳るってのを表沙汰にしちゃ。ギリーはいい具合に異分子だ。彼がいるからこの半年のデボンの繁栄は成った」

 ギリーは外せないというのか。この自分よりも。

 コウヤの中で怒りがふつふつと湧いてくる。自分達家族よりもこの男は、正体不明の暗殺者に心を許しているとでも。

「コウヤ? 眉間に皺を寄せて何を考えているんだい?」

 そのような心境を知ってか知らずか、初代が顔を覗き込んでくる。コウヤは慌てて取り繕った。

「ですが後ろ暗い人間に変わりはないでしょう。突かれては困るスキャンダルを抱えているんですよ」

「そうだね。もうちょっと自省するように、くらいは言っておくか」

 ふざけているのか。コウヤは注意の声を向けようとしたがこの男はどうせ聞くまいと諦めた。

「会長、前社長からお話があったと思いますが、あまり研究機関に寄り付かないでいただきたい。あなたそのものが、大きなスキャンダルです」

 初代を蘇らせたなど。他の研究者にばれればどうするのだ。しかし初代は、「そうだねぇ」と聞いているのだかいないのだか分からない声を出す。

「研究機関もぼくを縛って二十三年前と同一の人間か調べる、なんて事はしなさそうだけれど」

 笑い話にする初代にコウヤは厳しい声を向けた。

「その可能性もある、とおれは言っているんですよ」

 ネオロケット団が調べを進めるのならば同一個体かどうかを確かめる事もまた、初代を攻略するのに必要だろう。初代は眉を上げて、「そんなに心配?」と聞き返す。

「当たり前でしょう。あなたそのものがデボンの、ひいてはホウエンの遺産なんですよ」

「王の身体に王の記憶か。それにぼくの右手からは無限の兵力が出せる。それを危惧されちゃ確かにね」

 初代が義手を翳す。緑色の光が掌から上がり、いつでもモンスターボールを転送出来るのを示していた。初代の所有する百幾つかのボックスにはそれぞれ三十体前後の鋼、岩、地面ポケモンがいる。それぞれの最強個体から最弱個体、あるいは調整した個体など初代の遺産の一つとしては充分なほどだ。

 惜しむらくはそのアクセス権が初代にしかない事。それがコウヤにとっては何より歯がゆい。もしその力を自分も手に出来ているのならば支配構図が変わっているだろう。このような、初代だと思しき人間と喋っている事もないのだ。

 レジロックだけでも力の誇示にはなる。しかし初代の有する何百体のポケモンに敵うものか。それぞれが固有の能力を持つポケモンがそれぞれ王の側近に相応しく育て上げられているのだ。王の軍団、と評しても何ら過言ではない。

 その王の軍団から小分けにされたのがゲノセクト。

 ゲノセクトの孵化量産体勢はすぐに整い、今も孵化と育成が同時に行われている。ゲノセクトは個体ごとのばらつきが少なく、コープスコーズにやるには適しているのだという。

 ――そのコープスコーズとて。

 コウヤはコープスコーズの正体を思い出して苦々しい感情がこみ上げてくるのを感じた。どうしてあのような、デボンの恥部をこの男は部隊に据えたのだろう。

 全く読めない初代の横顔を注視していると不意にホロキャスターが鳴った。

「失礼」と通話を取る。

『社長。ネオロケット団に関する追加レポートが通過しました。チェックをお願いします』

「分かった。おれのパソコンに送っておいてくれ」

 そのやり取りに、「疲れないかい?」と初代が尋ねる。

「ぼくも二十三年前には随分と疲れたもんだ。社長の仕事ってのは誰かに任せられればいいのにね」

「生憎と仕事ですので」

 かわしながら、この男は、と忌々しさが募る。

 二十三年前とてメガシンカの研究で放浪していた男が今さら何を言えるのか。家族の事とて、この男は本心では省みていまい。二十三年前にやっておけばよかった事を繰り返すような愚鈍な人間ではなく圧倒的な「現実」としてこの男は屹立している。メガシンカ研究とて道楽に等しいのに、それを二十三年経った今、繰り返す意味。それを問い質すほど自分は向こう見ずでもなかった。

「会長、出来るだけ社員には見られないように。研究は極秘でお願いしますよ」

「分かっているって。ぼくの正体からデボンの偉業がばれたんじゃ話にならないからね」

 偉業? 秘密の間違いだ。この男を擁している以上は、デボンは言い逃れの出来ない秘密を抱え続ける事になる。逃れるにはこの男を殺すしかない。

 だが二十三年間の願望でもある。

 デボンが二十三年もの間に必要と判じたのは初代の魂とその再生。それを望んだのは他ならぬ子供達だ。ツワブキ家がそれを推進してきた。自分も一枚噛んでいるため、この行いをただ単に馬鹿げているとは言えない。

 しかし初代の再生、これは正しかったのか、という一抹の疑問はある。

 レイカとリョウに一度問い質した時、彼らはこう言ったのだ。

「あれは自分達の望んだ初代ではないのかもしれない」と。

 では初代の皮を被っているこの男の正体は何だ? 一体自分達は何を育て上げている? 言い知れぬ恐怖に襲われ、コウヤは踵を返した。

「失礼します。こちらも仕事があるので」

「お堅いねぇ。お爺ちゃんの話を聞いてあげるって言う優しさはない?」

 嘲るような口調にコウヤは仕事の声を振り向けた。

「まだ仕事が残っていますので」

 部屋を出る。その時、初代が声を上げた。

「コウヤ。ぼくの望みを叶えてくれてありがとう。ツワブキ家には感謝してもし切れない」

 初代の望み。それが復活だったのか。それとも自分達が再生計画に着手する事も、初代の計画通りだったのか。

 脳裏を過ぎった考えを打ち消すようにコウヤは口にしていた。

「いえ。我々は正しい事したまでです」



オンドゥル大使 ( 2016/02/24(水) 20:58 )