第百十四話「天獄」
部門は違えど一度警察が実況検分に立ち会わなければならない。
一課のエリート達が現場に急行し、調べ始めたのが事の収束した一時間後なのだから、及び腰にも程がある。
「うまい具合に先行部隊に揉み消されちゃっていますよぉ」
その声に、「みたいだね」と中年の男性が応じる。
「シマさん、やっぱりデスクワークをしたほうがいいんじゃ? 今回みたいな、その……」
女性警察官が咳払いする。
「まぁ血なまぐさい事件ではある。これがほぼ毎週なのだから、カナズミも変わったな、と言わざる得ない」
シマと呼ばれた刑事は歩きながら物的証拠を集めていた。その一つがホロキャスターの部品だ。
「ちまちました事が好きですねぇ。あたし、そういうの苦手なんで」
その時、パトカーから一人の女性が歩み出た。威厳のある姿に女性刑事とシマが敬礼する。
「アマミ君、ホシは見えてきたかね?」
アマミと呼ばれた女性刑事は、「全然ですよぉ」と間延びした声を返した。
「やっぱりデボンに先を取られちゃうってのが痛いですね。残っているのは何の変哲もないガラクタばかり」
「だがそのガラクタから真実を見出すのが我々の役目だ」
「後始末って言ったほうが早いんじゃ」
アマミの声にシマが苦笑する。
「そう言わないで。何事も地道に、だよ」
アマミが不服そうに頬をむくれさせながら捜査に戻る。シマは耳打ちしていた。
「実際、デボンが出張るようになってから全く事件の概要が見えません。課長、ここは一度デボンと実際に話し合うべきでは」
「このカナズミでは、もうデボンコーポレーションが法だ。半年前からな。学園都市だ、便利だと浮かれていたら、まさかの実権を奪われる始末。正直、警察としては面子の丸潰れだろう。だから、我々を後始末に寄越す。一応は捜査をしている、という名目付けにな」
「ですが、これでは本当に後始末、というよりも残飯処理と言ったほうが早いですよ。何の価値もない」
シマの声に課長は額に手をやる。
「全く笑えん事態だ。連中の掻っ攫った後を我々が捜査、という名目の後始末。これではいくら必要経費があっても足りん。さらに言えば、全く見えないのはデボンだけではない」
「敵対組織の名前すら明かせないなんて、これじゃ管理社会と何ら変わりありませんよ」
デボンから降りて来ないのは一連の騒動を引き起こしている組織の名前でさえも、だ。デボンは「統治の限界」に達しているとあらゆるメディアで言われている。そもそもデボンは巨大企業ではあったが統治組織ではなかった。
「デボンの統治を金で買ったものでも何でもなく、ただ今の社長のスタンスとしてカナズミの管理の全面見直し。及び組織立ったテロへの対抗。……公安はそれに全面協力。これではどこの軍隊だか、と呆れざるを得ない」
「実際、軍隊レベルのポケモンによる支配が行われているとのリークが」
「ゲノセクトか」
シマが懐から取り出した写真を課長は受け取る。カナズミの空を飛翔する紫色のポケモン。カナズミ市民はもう見慣れたのかもしれないがこれは支配の象徴以外の何者でもない。
「他に情報は?」
「デボン内部にこのポケモン専用の部署が存在し、PMCなんて目じゃないレベルでの行動が許されているとか」
「噂、だな」
潜めた声でありながらも、シマは確実な情報を持って来る。それは一課では当然の事だった。
「しかしゲノセクト。人造のポケモンをこうも大っぴらに使われるとなると、我々の面目も丸潰れだ。戦争紛いの事を毎週のようにやってのけられれば、カナズミとて持たんぞ」
「街のそこいらが工事中ですってぇ。みんな言っていますよぉ。不便になったな、って」
どこから聞いていたのか、アマミが口を挟む。課長は噴煙を上げるライブハウスに放水を続ける消防隊を目にした。
いざこざも、全てデボンが処理する。警察が動くのは全て事後処理。これでは治安機構が麻痺していると言われても何ら不思議ではない。
「他地方からの監査が入ってもおかしくないが」
「その噂はあります。カントー辺りが監査官を送り込んでいるとか」
火花の舞い散る中で胡乱な話が続く。カントーほどの大国がホウエンに睨みを利かせる。あり得ない話ではない。
「ロケットの技術大国だ。ロケット技術が欲しければ干渉するな、というだけで落ちそうだが」
「あるいは大陸弾道ミサイルの計画案ですか」
「調べたのか?」
「ええ」
大陸弾道ミサイル。デボンが半年前からちらつかせている大計画であった。今まで平和利用に使っていた技術を急に兵器転用も視野に入れると言い出したのだ。当然、反感の声が上がったが、今の社長のスタンスだと黙認されている部分でもある。
「デモ隊は、最近めっきり見なくなったが」
「諦めでしょうね。一切顔を出さないデボンの社長。それに比して、反比例的に強くなっていく情報統制。もうホウエンはカナズミの時代が終わったと思っているんじゃないでしょうか」
「終わらせて堪るものか。ここを無法地帯にするとでも?」
それだけは警察の面子にかけて絶対に阻止せねばならない。しかし懸念事項がついて回った。
「しかしデボンの統治に異を唱えるものは要らないと、こうも言われてしまえば……」
シマの言葉に、「かたなしですよぉ」とアマミも答える。
「警察だとか、そういうのってもう要らないって言われているみたいでぇ」
必要のないはずがないのだ。しかしここまでデボンという企業が大きくなってしまった手前、言い出せる事がほとんどない。
「カナズミではもう、デボンの介する通信技術以外では外界に情報を発信する術もない。どうやってそのテロ団体が、通話しているのかさえもある種の謎」
「逆に言えば、テロ団体のやっている事の裏返しだな。デボンは、民衆に分からせようとしているのさ。自分達にすがる以外に、この支配と呪縛から逃れる方法などない事を」
投光機を握り締めた鳥ポケモンが宵闇を裂く。光は瓦礫の中に吸い込まれていく。今夜も何人、犠牲になったか分からない。
「消防隊と警察がどれだけ駆けずり回っても犠牲者は増える一方。正直なところ、デボンにしろテロ団体にしろ、いい加減にして欲しいってのが民衆の意見なんじゃないですか?」
「お祭り騒ぎはやめて、手を取り合え、か。それもまた、一つの見方ではあるな」
または、と課長は考える。このお祭り騒ぎでさえも、ある種の陽動なのではないだろうかと。もしかしたらもっと重大な事から、自分達は目を逸らされているのではないか。しかもその重大な事を何一つ知らないままに。
「目を閉ざし、耳を塞いで安寧を貪るか。あるいは目を開いて地獄を見るか。人々の悲鳴を聞くか」
「極端ですよ」
「この世界は極端なものさ」
課長は投光機の光が目に入って手を翳す。アマミが、「眩しいってー」と声を上げた。
「この地獄を、君も見ているのか? ヒグチ・サキ警部」
半年前に行方不明になった部下の名前を呼び、課長は踵を返した。