INSANIA











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原罪の灯
第百十三話「死体兵団」

 世界は終わりを告げようとしている。

 口を開かれたその言葉に民衆はざわめき、次に紡がれる詩に思いを馳せた。

 朗々と響き渡る歌声に誰もがうっとりと時間を忘れている。この世界にあまねく全てのものへと捧げられた歌。その声が何を告げるのか。ギターがかき鳴らされ、ドラムが腹腔に響き渡る重低音を生じさせる。

 ベースの音程、歌声の音律、調停される音色の輝きが可視化されるようだ。

 その歌声を人々は聴き入っている。世界を終わらせる歌にもかかわらず、人々はその声から生まれる世界を享受し、今を生きる事に懐疑など抱かない。誰が終わらせるというのだ。

 この世界は終わりようのない地獄の連鎖と、支配と抑圧の向こう側にある。

 それを誰もがこの半年で知り得ていた。

 サイリウムを振り上げ、彼らは叫ぶ。

「ギルティギア!」

 その声にボーカルの赤い髪の少女が歌声で応じる。女神のようにその喉から放たれる声が反響し、若者達の心を打った。

















『現在、対象は三十二地区を目指して北上中。恐らくはゲリラライブから目を逸らすための』

「陽動、だな」

 入ってきた通信に断じる声を出したのは、ここ数ヶ月の煮え湯を飲まされた経験からくるものだった。対象の逃走経路を遮断したところで、もう一方では作戦行動は行われている。この場合、どちらを切ってどちらを潰すべきか。即断即決が望まれた。

『ツワブキ・リョウ主任の判断を』

 無線に入ってくる声にリョウは嘆息を漏らす。

「ゲリラライブのほうに送り狼を放ってやれ。対象Bのフタマルに関してはこちらの車両で追う。コープスコーズの出撃準備を」

 ガタンと車両が揺れる。重機械を思わせる灰色の大型車両はカナズミシティの街並みを横切っていた。次々と車両が停車し道を譲っていく。パトランプは鳴っていないし点いていないが、この車両には譲らなければならないという不文律が既に出来上がっていた。

「実際、どうなんですかね」

 部下が声を出す。公安の頃からの部下で今はコンソールに視線を落としている。

「何が?」

 次々と移り変わるモニターを眺めながらリョウは憮然として返した。

「コープスコーズの実力ですよ。こっちの、公安よりも優れた動きって。そりゃ認めたくない部分はありますよ? だってデボンが治安牛耳って半年で、こんなにも様変わりしちゃうなんて」

 リョウは唇の前に指を持ってくる。その仕草の意味を悟って部下は口を噤んだ。どこに耳があるか分かったものではない。

「……でも、聞かせてやればいいじゃないですか。公安の仕事がこんな、デボンの下請けみたいなものだなんて」

 部下の不満はもっともで、実際に公安という組織が一企業の傘下に入るなど半年前までは考えられなかった事だ。しかもその目的がデボンに反旗を翻す人員の確保など。

「監視社会ですよ」

「聞こえてんぞ。それに、オレもまたデボンの人間だって忘れているんじゃないだろうな?」

「リョウさんは、デボンの人間である以上に警察官でしょう?」

 この部下は高望みでもしているのだろうか。この社会においては警察に所属する人員であっても、最早意味を成さないというのに。

「警察官だからって誇りとかプライドとか矜持とか、そういうのに縛られるよりも長いものに巻かれろってね。実際コープスコーズのやる作戦ってオレらにゃ極秘。そりゃ勘繰りたくもなるのは分かるさ。こっちの情報は筒抜けで、あっちの情報は分からない。命令系統がぐちゃぐちゃだ」

 それでも存続しているという事は、このシステムに穴がないと思っても大丈夫なのだろうか。リョウの思案を他所に部下の一人が声を出す。

「コープスコーズ収容車両より。出ます」

 別働部隊――通称コープスコーズの放ったポケモンが宙を舞う。カナズミの夜を引き裂くその紫色のポケモンは飛行形態に移行しており、爪を仕舞って赤い眼をぎらつかせていた。威容だけ見れば、小型の無人機さながらの無骨さ。ポケモンというよりも兵器のそれ。

「ゲノセクト。あれも鋼タイプのポケモンだって言うんだから驚きだ」

 半年前まではあのようなポケモンを運用するなど考えもしなかった。ゲノセクトの編隊が一斉に向かっていったのは反政府団体が所有していると思しきライブハウスだ。そこで密談が行われているというのである。

 もちろん、事前の下準備は欠かさなかった。そこに人が居るのは明らかであるし、公安であった頃の鼻は今でも利く。しかし公安の機能がきっちりと動いていた頃に比べれば随分とぬるま湯のような位置に自分はいるのだ。

 別働隊の補助と情報の分析。そのための情報蓄積車両。箱型の車両にパラポラアンテナを設えた自分の乗っている車がカナズミには常時十台は存在している。それぞれが情報を同期し、別働隊に送っているのだ。

 否、正しくはこれらの情報を統治し、分析する最大の地点。

 デボンコーポレーション分析室に一度送られ、情報は選別された後に別働隊の司令部へと送られる。実質的にリョウの乗っている車両は情報を中継するための一種の中継地点であり、本丸とは程遠い位置だ。

 戦闘に割く人員はなく、なおかつこの車両から「動かなくてもいい」という任務。

 飽き飽きしている、といえばそれが本音で、実際もう公安である必要性もないのではないかと感じていた。これではデボンの狗だ。

「……家に使役される存在だけには、なりたくなかったのにな」

 ぼやくとコープスコーズの放ったゲノセクトに装着されたカメラからのリアルタイム映像が流れ込んでくる。空中を自在に飛び回るゲノセクトの機動力をもってすれば敵陣への潜入など容易いらしい。瞬く間に敵地と判断した場所へと入り込んでいく。

 それを阻止したのは放たれた業火であった。甲羅から蒸気を噴き出すポケモンが先んじて張っており、そのポケモンの放つ噴煙攻撃にゲノセクトは晒されているのである。

 鋼・虫のゲノセクトでは分が悪い。

 このまま退くか、と思われたが先を行ったゲノセクトの犠牲を無駄にしないためにか、後続部隊のゲノセクトは接地し、変形を試みた。

 ゲノセクトの視界が一瞬、上下反転し回転しながらその形状が変化する。

 左右に隠し持っていた爪を展開し、あばら骨を想起させる細さの身体が拡張し脚部が地面を踏みつけた。

 ゲノセクトの地上戦闘形態だ。ゲノセクト部隊は姿勢を沈める。背部から生えているのはどこからどう見ても人造物そのものの砲台であった。

 その砲台から色とりどりの光線が放たれる。甲羅に入っていた敵ポケモンが咆哮し、熱線を放射する。いくつかのゲノセクトが倒れたがその代わり、いくつかの敵ポケモンもダメージは免れなかった。

 ゲノセクトは装着する「カセット」と呼ばれる拡張機器によって属性を変えられる武器を持つ。カセットの相性は最初に決められており、それによって複眼の色が違った。

 水色の眼を持つゲノセクトが先行し、甲羅のポケモンへと光条を浴びせる。

「テクノバスター」と呼ばれるゲノセクト専用兵装は甲羅のポケモンを射抜き、その堅牢な防御に亀裂を走らせた。

 水タイプのカセット。それを持っているゲノセクトの放った攻撃は水タイプになる。

 どうやら相手の甲羅ポケモンは炎タイプのようで水のゲノセクトの前に次々と無力化させられていく。

「こりゃ、消耗試合かな」

 リョウがそう呟くと、一体のポケモンが甲羅のポケモンの合間を縫って躍り出てきた。

 手裏剣のような形状の腕を持ち、天狗を思わせる鼻が尖っている。リョウは即座に叫んでいた。

「奴、だ! 各員、情報収集に当たれ! 近くにトレーナーがいるぞ!」

 全員がゴーグルをつけ、情報処理に割いた。リョウも送られてくるリアルタイムの動画を凝視する。

「こいつ、たった一体で他のポケモンを使役しているのか。ポケモンがポケモンを使うなど……」

 恐らく「おや」は同一トレーナーなのだろうが、一体のポケモンを司令塔に置き、他の多数のポケモンを操る術は一線を画している。どう考えても通常のトレーナーのそれではない。

「一体、何者なんだ……。ダーテング使い……」

 忌々しげにリョウはそのポケモンの名前を呼ぶ。ダーテングと呼称されたポケモンは吼えて甲羅のポケモン達を鼓舞した。

 緩慢な動作ながら首を巡らせた甲羅のポケモン達が全身から蒸気を噴き立たせそれそのものを結界とする。

「噴煙の膜! これじゃ炎に弱いゲノセクトは近付けないって寸法か!」

 いくらゲノセクトが水の属性攻撃を纏おうとその根本は鋼・虫タイプ。不利には違いない。それも考えての行動だろうがコープスコーズはこの程度で歩みは止めないはずだ。

 その証拠にゲノセクトの後続部隊は即座に空中機動形態へと変形し、甲羅のポケモンとの戦闘継続を諦めた。それよりもライブハウスに巣食う悪の芽を摘む事を優先したのだ。

 毎度の事ながら恐れ入るのはその状況判断の速さ。それにはやはり「あの男」が一枚噛んでいるに違いなかった。

 彼がいるから、コープスコーズは自分達が使ってきたような失態は犯さない。

 苦々しい思いを噛み締めているとゲノセクトを撃墜しようとダーテングが舞い上がってきたのがカメラに大写しになった。

 思わずリョウはうろたえる。ゲノセクトが水の「テクノバスター」を放つ前にダーテングがその刃を想起させる手でゲノセクトを切り裂いた。

 切り裂かれたゲノセクトを踏み台にしてもう一体のゲノセクトへとダーテングが肉迫する。リョウは叫んでいた。

「まだか? まだ敵トレーナーの位置は割れないのか?」

 甲羅のポケモン達は確実にダーテングの指示で動いている。だから動きがワンパターンだ。しかしダーテング本体はトレーナーの指示で動いているはずなのだ。そうでなければあまりにも迅速なその動きの説明がつかない。

「周りの人々が多過ぎて……。把握出来ません!」

「絞るんだよ。ポケモントレーナーだっていうんなら、目立つ挙動の一つや二つ……」

「ゲノセクト部隊! 残存戦力五割を切りました!」

 甲羅のポケモンによるしつこいくらいのワンパターン戦法はゲノセクトに効いている。相性からして悪い相手に立ち向かうのは難しかった。さらにいえばワンパターンの隙を突かせないダーテングの活躍。これではゲノセクトはいくら健闘したところで実地では役立たずである。

「……仕方がない! 中継車両を全速力で走らせて、現場に急行出来るか?」

 リョウの言葉に部下達がうろたえた。

「リョウさん? そのような命令は本部からは出ていませんが……」

「出ていなくってもここで出なきゃゲノセクトは全滅だろうが。不本意だが手を貸さないとな」

 リョウはホルスターからモンスターボールを引き抜く。中継車両がブレーキをかけ、すぐに現場へと走り出した。

「何分で着く?」

「二十分は必要かと」

「じゃあ別の質問だ。何分で射程に入る?」

 部下達は演算機器を操作して射程に入る距離と時間を弾き出す。

「射程には五分で!」

「充分だ」

 リョウは天井のシャッターを開き、車両の上に出た。風圧がスーツをなぶり、重なったテールランプが血潮のように視野に映る。

「行くぞ。レジスチル!」

 緊急射出ボタンを押し込み、リョウが繰り出す。出現したのは風船のような膨れ上がった身体を持つポケモンである。胴体から直接手足が生えており、細やかなオレンジ色の目が闇夜を見据えた。金属の光沢がライトを反射する。

「レジスチル、射程に入ったら破壊光線を撃て。連中の命令系統を掻き乱す」

 レジスチルが両腕を掲げる。オレンジ色のエネルギーの瀑布が広がり、リョウは小さく映ったライブハウスを睨んだ。

 今もゲノセクトとダーテングの戦闘が行われているのだろう。渦中にある戦闘区域には様々な野次馬とマスコミの人々が押し合いへしあいだ。リョウは舌打ちした。

「巻き添え食らっても知らないぞ。愚鈍な奴らめ」

 光線のエネルギー球が凝縮する。リョウは声を放っていた。

「撃て」

 直後、エネルギーの奔流が戦闘区域を掻っ切る。ゲノセクトを巻き込みかねない勢いだったが、ゲノセクト部隊は操っている連中が悟ったのか、直前に退いていた。

 それに比して甲羅のポケモンやダーテングはまともに攻撃を受ける。

 爆発の光が広がり、炎のポケモンから放たれた爆炎が渦巻いた。当然、狂乱の渦に巻き込まれた人々が騒ぎ、声を上げる。警察官達がそれを制そうとするが、割り込むようにリョウの乗る中継車がねじ込んでいった。

 黒煙が棚引き、咳き込んでいると中継車と並走する何かを発見する。

 ゲノセクト部隊の生き残りだ。ほとんど地面すれすれを飛翔し、ゲノセクト達が砲塔をライブハウスに向けている。

「……手を貸したつもりはないからな」

 リョウの声が聞こえているのかいないのか、ゲノセクト達は意に介さず防衛ラインを抜けてライブハウスに直行する。

 レジスチルをボールに戻し、リョウは息をつく。

「主任のポケモン、さすがの一言ですね」

 半年前まではこのレジスチルでさえも秘密の内であったが、もう隠し立てするようなものでもない。何よりも戦力を秘匿するほうが不利に転がるのならば出来るだけ有利なほうを選ぶまでだ。

「破壊光線で何体倒せた?」

「破壊光線の余波で倒したほうが大きいですね。甲羅のポケモン――コータスは元々防御力重視のポケモン。防衛ラインとしての意味合いが強かったんだと思います」

「じゃあ、やっぱりダーテングはやれていないか」

 手応えがなかった。

 リョウは先の攻撃でダーテングは倒せていないのだと確信する。しかし、相手トレーナーに相当な脅威は与えられたはずだ。今はそれでいい。

「野次馬の中に混じっているんだとすれば、もう追う手立てないですよ」

「馬鹿。トレーナーを追うんじゃない。ダーテングだ。奴を追ったほうがトレーナーを追うのに繋がるんだよ」

 その言葉にハッとして部下達がダーテングをサーチするも、やはり追跡不能だろうな、とリョウは達観していた。

 その程度で尻尾を掴ませてくれるのならば半年もいたちごっこを繰り返してはいまい。

「どこにいるのかねぇ。本体とやらは」

 ぼやくと同時にリョウはゲノセクト部隊のカメラに視線をやっていた。

 ゲノセクトが光線を撃ってライブハウスに雪崩れ込む。中には観客達がサイリウムを振っており、全員が現れたゲノセクトに驚愕していた。音声は拾えないが恐らくは悲鳴のるつぼだ。

 ゲノセクトのうち一体が舞台へと光線を放つ。何の事前宣告もない攻撃だったが、その必要はなかったようだった。

 何故ならば、舞台には映像を投射するホロキャスター数台だけが置かれており、そこには誰もいなかったからだ。まさしく狐につままれた心地を味わいながらリョウは嘆息を漏らす。

 毎回の事ながらやはり今回も外れか。

 落胆を隠せなかったがゲノセクト部隊を大いに混乱させた相手の術中には恐れ入る。

「どこまでやるのかね……。ネオロケット団さんよ」

 呟くとまだ煙の棚引く舞台でノイズを走らせるホロキャスターが何台か生きていた。中継車がゲノセクト部隊の到着より数分を遅れて辿り着く。リョウは舞台に上がり、ホロキャスターを検分する。やはりホロキャスターの型番から割れる物証はなし。どのホロキャスターもただ「動画を中継する」ためだけに使われている無記名のタイプだ。

「今回も、この手口ってわけか」

 リョウはホロキャスターを踏み潰す。ノイズを走らせていた動画が掻き消えた。一瞬だけ網膜の裏に居残った残像には、赤い髪の女の像が垣間見えた。


オンドゥル大使 ( 2016/02/24(水) 20:55 )