INSANIA











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世界の向こう側
第九十八話「暗黒地帯」

 激震した衝撃波は外まで伝わり、退避していたエンジニア達はめいめいに声を上げた。

「ツワブキ顧問……コウヤさんは無事だろうか?」

「そもそも、暗殺者って……。何であんなのが出てくるんだ?」

 エンジニア達の不安に応ずるようにメインルームから火の手が上がる。まさかの火災に誰もが戸惑った。

「おい、∞エナジーに引火したら……。いやそうでなくってもロケットエンジンなんかに……」

 誰もが転がっている状況をどうにかせねばと感じていたが具体的には何も出来ない。直後、巨大な岩が中空に現れたかと思うと火の手を塞いだ。たった一つの岩石によって火災は免れたのである。

「た、助かった、のか」

 しかし誰が? その疑問は解けないまま、研究員達は静観するしかなかった。

「捨て身の攻撃に最悪の場合自爆、か。肝の据わった奴であった事は疑いようがない」

 コウヤはスプリンクラーの発生したメインルームで一人、レジロックの展開する岩のフィールドに守られていた。火災はレジロックの攻撃で防いだが、先ほどまで戦っていた暗殺者はギガイアスと共に死した。何も得られなかったのか、と言えばそうでもない。

 今際の際にコウヤは相手に繋がるものを手に入れていた。ギリーの使っていた端末である。着信履歴は全て暗号化されており、もちろんどこにかけていたかなど分かるはずもない。だが、コウヤには自分を敵視する人間がデボンにいる事だけは明らかだった。恐らくはこの機を使ってデボンに大打撃を加えようというのだろう。コウヤは端末を手に、「無駄な事を」と呟く。

「デボンの支配は磐石だ。もし攻めてくるとしても、それは次のステージに行くために必要な事に過ぎない。犠牲が出ても、それはあるべくして起こった死だ。おれの感知するところではないな」

 コウヤはスーツの襟元を整えてレジロックをボールに仕舞う。救助用のヘリコプターが接近していた。コウヤは無害を装い、手を振った。間もなくはしごが下りてくる。救護班が、「大丈夫ですか?」とコウヤの状態を問い質す。傍から見れば爆発に巻き込まれた一般人。コウヤは少しばかり耳が遠いのを演じてみせた。

「爆発の余韻で、よく聞こえなくって……」

 半分は本当だが半分は嘘だ。それでも救護班は信じ込んだらしい。コウヤの肩を叩いて、「落ち着いてください」と言いやった。

「保護したのは一名。お名前は言えますか?」

「ツワブキ・コウヤです……」

 コウヤはまさにテロに巻き込まれた渦中の人物のように身を竦み上げる。救護班に連れられ、コウヤはヘリへと誘導された。

「にしても酷い爆発だ……。ポケモンの大爆発でも使ったのか?」

「操っていたトレーナーは無事じゃ済まないだろうな」

 救護班の言葉を聞き流しながらコウヤは考える。自分を狙ってくる依頼主は結局聞きだせずじまいだったが、見当はついている。死体さえも残らなかったギリーに嘲笑を向けてコウヤは呟く。

「血筋殺しはやはり血の宿命に入っているみたいだな。――親父」

 その皮肉はヘリの羽音に掻き消されて誰にも聞きとめられる事はなかった。
























 机の下の端末に表示されたのはギリーのバイタルサインがゼロになった事を示す数値だった。

 依頼は遂行されたか、あるいはギリーは失敗を悟って自爆したか。そうならば暗殺対象は生き残っている可能性があった。どうしても、殺す必要があったのに自分には結局何も出来なかったか。胸中に一人ごちて、イッシンはさてと頭を切り替える。

 ギリーという駒が使えなくなったならば次の駒を用意するべきだ。しかし、ギリー相当の暗殺者はそう容易く出てこないだろう。ギリーとて大枚をつぎ込んでようやく依頼を遂行する気になったのだ。いくらでもデボンから搾り出そうという輩はいるだろう。あるいはこれそのものを大きなスキャンダルとして利用しようという浅はかさも。

 ここから先は慎重にならざるを得ない。殺しの一件が明るみに出ればそれこそ身の破滅だ。端末から視線を外し議題に向き合う。

「それで、どこまで話は進んだだろうか」

 声にすると幹部達が渋面をつき揃え、「∞エナジーに関する事ですが」とこの議会を切り盛りする進行役が返答する。

「やはりツワブキ顧問一人に任せるのは危険が伴うかと。バックアップを用意しておくべきです」

 この議会でもコウヤ一人の権限は持たせるべきではない、という結論に達しようとしていた。重々しく口を開く。

「やはり∞エナジーは我が社の要。一人に権限が寄り過ぎるのはよくないな」

「ご子息とはいえ、その点では不満が?」

 一人の幹部の声にイッシンは応ずる。

「不満ではないが、不安はある。もし、コウヤの身に何かがあれば∞エナジーの研究そのものが頓挫しかねない」

 その糸を引いているのは自分なのだが、と心中に付け加えた。ギリーによるコウヤの抹殺。これは必要事項であった。何故ならば、コウヤこそが恐らくはおぞましい研究の第一人者だからに違いないからだ。

 デボンの暗部――D計画。

 それを先導しているのが息子達の誰かまでは特定出来ない。しかし長兄であるコウヤは何かしら関わっているのは間違いなかった。たとえリョウが先導していようが、レイカが実質的な権利を握っていようが兄弟の死はそれだけのダメージになり得る。

 血筋殺し、と自分の中で呟いた。

 ダイゴにあなたが初代を殺したのか、と問い詰められた時、肝が冷えたのは事実だ。初代、父親は殺していない。逆だ。殺した犯人を見つけ出したいと思っている。しかし、その気持ちとは裏腹に自分は血筋殺しを冷徹に命令していた。

 初代ツワブキ・ダイゴを殺したのは誰なのか。

 内偵を既に命じてある人物はいるし、そちらに任せればいいだろう。問題なのは子供達が進めているD計画。自分は何も教えたつもりはないのに、彼らは自分達で初代の力が必要だと判断した。

 その結果、おぞましき事に何人もの人間が犠牲になった。イッシンの心情からしてみれば、自分の息子達の過ちは自分が拭わなければならない。そういう風に思い詰めていた。だから兄弟のうち、誰がやったのか、という話ではない。少しでも過ちを自負するだけの人格でないのならば、もうデボンから排斥するべきだ、とイッシンは強く感じていた。そのための腕利きの暗殺者、ギリー・ザ・ロック。

 だがギリーは恐らく倒され、コウヤは血筋殺しの因縁を胸に抱えたまま帰ってくるだろう。その場合、自分の身が一番に危うかったが、イッシンは逃げるつもりはない。コウヤが殺しに来るのならば、立ち向かうしかない。

 自分の中の正義は、初代の再生計画という世迷言を実行する存在への嫌悪と憎悪であった。魂の再生など、あってはならないし、そのために流される血もあってはならないのだ。イッシンは少なくともその正義だけは胸に抱えていた。ただ、一つだけ気がかりでもあったのはダイゴの発した血筋……。

 フジ家とツワブキ家を取り持った第三者の存在。

 それだけはギリーに命じられなかった事だったので後悔があった。内偵の任を命じているほうに振るべきか迷ったが、この事実はしばらく胸に置いておく事が適切だろう。イッシンはそれを考えるだけで恐ろしく心苦しくなる。

 自分の父親、初代の死とこの血筋をコントロールしようとする何者か。怒りよりもあるのは何故、という疑問だ。

 カントーから流れてきた没落家系、フジ家。ホウエンの名家、ツワブキ家。その両方をどうしてだか存続させようとした何者かには畏怖の念を感じる。一体どういうつもりだったのか。もしくは、このような結末を辿る事さえも感知して、その第三者は行動したのか。初代が存命の頃に何度か会っただけだ。叔父さん、と呼ぶほかなかったが、その叔父さんという人物の顔さえも思い出せない自分が今は恨めしい。

「それで、∞エナジーを誰に担当させるかですが」

 司会進行が全員の意見を伺う。幹部の一人が、「しかし、ツワブキ顧問に勝る人材はいますかね」と疑問を呈す。

「今までほぼワンマンのプロジェクトだったんです。どうですか、社長? ご子息か、あるいは任せられる人材の候補は?」

 レイカもリョウも駄目だ。この二人はもう再生計画の虜だと思っていい。だからと言ってクオンは、とイッシンは渋る。クオンには、血の宿命も、デボンの家柄の重さも感じさせずに生活させたい。きっと、いつかいい出会いに恵まれ、彼女は巣立つはずだ。クオンを溺愛する気持ちに嘘はないし、何よりも間違っていない自負があった。

「いや、わたしのほうでは。誰か、頼めるような役柄はいるか?」

「∞エナジーに関する事ならば、キンセツシティのテッセン殿は? あの方は敏腕だと聞く」

 テッセン。キンセツシティジムリーダーであり、敏腕経営者としても知られる。デボンに続く子会社の設立。それを維持させるために人工島であるシーキンセツの建造、それに海底ケーブルの設置など活躍は耳に届いている。

「しかしキンセツとなると少しばかり距離がありますな」

「テッセン殿を技術顧問として雇う、というのはどうですか?」

「そうなってくると正式な書類が必要になってくる。∞エナジーを任せるには、テッセン殿の理解の程も知らねば」

「やはり、会合を設けるべきですか」

 首をひねる幹部達を尻目にイッシンは次の手を講じていた。何とかして、自分の息子達を抹殺出来る人材はいないものか。暗殺者を探すのは骨が折れる。今回とてイッシュの僻地まで手を伸ばす必要があった。

「社長、何かご提案は?」

 話を振られてもイッシンは動じない。社長というポスト柄か、一度に数人の会話ぐらいは聞けるようになっている。

「テッセン殿は保留、という形で行こう。適任者を探すのは、今は急がなくってもいいのではないか?」

「確かに。シーキンセツの経営維持の失敗など、テッセン殿も一枚岩とは言えない部分がある。過酷な労働条件による死者が数人出たらしいが、揉み消しただとか」

「ならば技術一課から人材を募るべきですな。リストアップしたものがございますのでそれぞれの端末に送っておきます」

 幹部達の声を聞きつつイッシンはとある人物の存在に行き当たっていた。暗殺者ではないが、敏腕の経営者として名高い。

「マツブサ、という人物がいる」

 その言葉に幹部達が僅かに色めき立つ。

「マツブサ……。確かベンチャー企業の社長でしたか」

「宗教法人の立ち上げも行っていましたな。確か、マグマ団とかいう」

 陸地を増やすべき、と主張する宗教団体だ。その陰に隠れてマツブサという人間の手腕はあまり表沙汰にはならないが彼の経営方針には見習う部分がある。

「マツブサ殿にアポイントを取れれば、一度会合の席を設けよう。わたしと彼は旧知の友人でね。彼も嫌な顔はしないはずだ」

 それは事実であった。マツブサは学生時代、イッシンとは友人関係であったがその後疎遠になってしまった。しかし今や社長とは。偉くなったものである。

「それは初耳でしたな。ではマツブサ殿に一度連絡を取りましょう。その線で∞エナジーに関しては。次の議題ですが……」

 議題が移りイッシンは息をつく。ペットボトルの水を飲んで喉を潤し、視線を据えた。しかし議題に集中しているのではなく、イッシンの考える事は、間違った血筋を絶やす事だけだった。


オンドゥル大使 ( 2016/02/08(月) 21:41 )