第九十六話「岩石の罠」
トクサネシティは人工島である。
元々、海抜の高い山であったのを切り崩して島としての体裁を整えた。しかし島になった当初は何も名物がなく、経済状況は悪化。
一時期は本土の偽物の調度品で食い繋いできた歴史を持つ少しばかりの手垢に塗れた街。そこに介入したのがデボンのロケット事業である。∞エナジーの研究も人工島ならば本土に被害を及ぼさずに済む。
何よりも地理関係が理想的だった。本土より離れ過ぎているわけでもない。かといって、少し行けばルネシティやミナモシティのアクセスの便もよく、決して不自由とは言えない。
ロケット開発事業はデボンが主軸に据えている事業の一つで、ホウエンでの多額の出資者や、豊かな自然環境を活かした事業である。元来、ホウエンは土地だけには恵まれており、ロケット開発など本来は環境破壊だ、地域の越権行為だと喧しいところだが、余った自然と効率的に活かしてくれると最初から歓迎ムードであった。
トクサネシティは物流も盛んであり、ペリッパーを使っての空輸も簡単に行える。資材を集める事はさほど難しくなく、この事業そのものは初代ツワブキ・ダイゴの父親、ツワブキ・ムクゲからプロジェクトとして組み込んでいたものだ。その事業を今や次期社長のポストが約束されたコウヤが引き継いでいる。ツワブキ家からしてみれば永遠の夢であり、またデボンからしてみればこの事業に賭けるものも大きく、事業の成功如何によって株価が大きく変動するのだ。まさしく社運をかけた一事業。コウヤはメイン宇宙センターに足を運んだ際、トクサネの技術者は優秀だと褒めそやした。
軽んじていたわけでも、ましてやその力を過信していたわけでもない。ただただ圧倒された。カナズミシティがいかに箱庭なのかを思い知らされる。だからこそ、旅は尊い、とコウヤは考えている。イッシュに渡った時もその圧倒的な集団の力にコウヤは閉口したほどだ。イッシュとは様々な種族が集まった事を示す名前。デルパワーの集積地点を基軸として、建国された太平の国は今や一軍事産業も視野に入れて拡大を続けている。ホウエンと並ぶ豊かな資材に恵まれた国。コウヤは出張先で出会った男の名を思い出す。
太陽の鬣を持つ初老の紳士、アデク。イッシュの王であり、なおかつ第一回ポケモンリーグにおいては自分の祖先と鎬を削った間柄だ。アデクにコウヤはいくつか質問をした。
初代ツワブキ・ダイゴは強かったか? あるいはあなたの前では些事だったか。それとも強者として立ち塞がったか?
アデクは、「今さらに四十年も前の話をほじくり返そうとは思わん」とどこまでも快活な男であった。
「ワシも相当に老いた。第一線を語るには少しばかり歳を取りすぎたものよ」
それでもアデクが王である事に違いはないではないか、とコウヤが切り返すとアデクは微笑んだ。
「今次のポケモンリーグで王権を渡す手はずが整っている。もう次の王の時代よ」
アデクは寂しげに語ったのだ。自分の王の時代はもう終わりを告げると。コウヤは意外であったが、その継承者の名前を聞いて納得した。
イッシュにおける龍の一族、ソウリュウシティの守り手の末裔である少女であった。
名をアイリス。
八番目のジムバッジの守り手として防衛成績はトップの少女である。彼女になら、と四天王も納得の上らしい。それでも形式上、王位継承のための四天王戦が待っており、アイリスはそのためにイッシュ東部のブラックシティで修行の最中らしい。ブラックシティには宿泊施設も数多い。コウヤも幾度か訪れたが、あの街は全体規模でトレーナーの育成を行っている。修行にはもってこいだろう。
「しかし、イッシュの四天王と言えば、エスパーの使い手でありかつてはフロンティアブレーンとして確固たる地位を築き上げたカトレア、ゴーストの使い手であり小説家としても名高い、シキミ。盟友カントーの四天王シバの血筋である、レンブ、悪タイプの第一人者として学会に呼ばれることも多い、ギーマと名だたる精鋭達ではないですか。彼らの防衛成績も決して悪くはない。ドラゴン一辺倒のトレーナーが玉座、というのは考えられますか?」
コウヤの質問をナンセンスだというようにアデクは笑い飛ばす。
「そちらの王とて鋼の使い手じゃったろうに」
一本取られた、という風にお互いに笑ったものだ。コウヤはあれほどさばさばとした人格の人間ならば王になるのもさもありなんと考えていた。
「ツワブキ顧問、現在の∞エナジーの稼働率です」
そう言われてようやくコウヤは思案から現実に引き戻された。イッシュでの出来事は楽しい思い出として刻まれた事だろう。
ディスプレイに表示された∞エナジーの稼働率にコウヤは顎に手を添えて考え込む。
「稼働率は六を切っているな。もう少し安定稼動にはならないのか?」
「これでも随分と調整したんですが、やはり安定稼動にはエネルギーの絶対量が足りませんよ」
∞エナジー。
ロケットを成層圏まで飛ばし、さらにはあらゆる物流、及びエネルギーの代替案としてデボンが進めている夢の媒体。デボンはこの先、このエネルギーを主軸にして社運をかけてロケット開発とエネルギー部門に力を注がねばならない。自分はそのために次期社長を任されているのだ。決してコネや世襲制という古い因習だけで社長のポストを狙えるわけではない。
「頼むよ、これからのエネルギーは君達にかかっている」
「言われなくとも」
エンジニア達は即座に他のプログラムを組み上げる。コウヤが舌を巻いたのはガラパゴス的に進化した技術者達の行動である。動きも先鋭化され、最早自分の挟む口などほとんどなかった。彼らに任せていれば∞エナジーはきっといいほうに向かう。コウヤはそう信じて疑わなかった。
「しかし、ツワブキ顧問も大変ですね。イッシュからとんぼ返りしてきてそこからトクサネとなれば苦労はお察しします」
研究員の声にコウヤは、「疲れなんて吹っ飛ぶさ」と腕を振るい上げた。
「これだけ頑張っている社員の姿を見るとね」
コウヤの声にコンソールに向き合っている研究員達がめいめいに声を上げた。
「ツワブキ顧問の実地データ、とても役に立っていますよ。イッシュのデータと、カロスのデータは特に」
自分が出張している間に、他国の技術者から得たデータはもう流入させている。それを一朝一夕でやってのけるのがトクサネのエンジニア達だ。
「君達の実力に比べれば。おれなんてただ飛び回っているだけだよ」
「いや、ただ飛び回っているだけにしちゃ、毎回手際がいいじゃないですか」
「こら、軽率だぞ」と他の職員がいさめる。コウヤは朗らかに、「いいって」と肯定する。
「まぁ、昔から纏めるのだけは上手いんだ。この技術が今後、役に立てれば――」
「そいつはちょっと無理がかさむな」
割って入った声に全員が目線を振り向ける。トクサネ宇宙センターのメインフレームの扉に寄りかかった男の姿があった。赤い帽子に野性味溢れる無精ひげを生やしている。全身が赤で装飾されており、男の姿はそれだけで記憶に残った。
「お前は……」
コウヤが思わず発した声に相手は歩み寄ってエンジニアの仕事を窺い見る。
「ちょっと野暮用があってね。あんたらの仕事場にお邪魔させてもらった」
男の声にエンジニア達は反感の声を上げる。
「何だ、お前は!」
そのエンジニアへと岩の散弾が突き刺さる。男の放ったモンスターボールから出てきたのは要塞と見紛うほどの岩石ポケモンであった。赤い鉱石が光り輝いている。
「ギガイアス。エンジニア一人の命を奪うくらい、造作もない」
恐慌状態に陥らなかった研究員達をコウヤは優秀だと判じた。仲間が一人やられても誰もパニックにならない。いや、ただ単に事実を呑み込めていないだけか。
「お前……イッシュで襲ってきた……」
覚えがあった。自分がアデクと行動を共にしている時、襲い掛かってきた岩タイプ使い。その時には全く相手の姿が見えなかったのだが、ギガイアスの威容には見覚えがあった。
「ご周知いただけて光栄だね」
「暗殺者風情か。ここに何をしに来た?」
「改めまして。オレの名はギリー・ザ・ロック。雇われの殺し屋だよ。殺し損ねた命、貰い受けに来た」
全員の目線がコウヤへと集まる。コウヤは鼻を鳴らした。
「イッシュでの借りを返そうって言うのか」
あの時、アデクの援護によって事なきを得た。しかし暗殺の脅威が去ったわけではない。
「まぁね。オレもあんたも大変だ。イッシュとホウエンを行ったり来たり。それもこれも、アリバイ作りに他ならないんだが、あんたは違ったかな?」
ギリーの試すような物言いに全員が次の対応を決めかねている。コウヤは声を張り上げた。
「全員、退避ブロックへ! おれが、こいつをやる」
コウヤはモンスターボールを手にギリーへと歩み寄る。ギリーは肩を竦めた。
「おいおい、間違えんなよ、デボンの御曹司。オレと一対一でやり合えるとでも?」
「そちらこそ、おれの事を過小評価しているようだが言っておく。イッシュでの襲撃時、おれは逃げたんじゃない。誰の目にもおれの手持ちを晒したくなかったんだ。こいつは特別な一体だからな」
エンジニア達がエレベーターへと雪崩れ込む。それを視野に入れてからコウヤはギリーを睨み据えた。
「エンジニア、部下にも見せないか。徹底しているじゃないか。それほどまでに秘密の手持ちとやり合える事、光栄と思うべきかねぇ」
「光栄?」
コウヤは笑い声を上げる。ギリーが眉根を寄せた。
「……何が可笑しい?」
「光栄も何も――そんな事を考える前に、お前は死に絶える。行け」
コウヤがボールを放る。そこから飛び出してきたのは無数の岩だった。あるものはコンソールへとそのまま落下し、あるものはギリーの背面に落下した。ギリーが、「おいおい」と笑い飛ばす。
「ジョークにも程があるぜ? まさかモンスターボールに岩入れているなんて。これが奥の手? ちょっと笑わせるなよ、御曹司」
ギリーの対応にもコウヤは鉄面皮を崩さない。それが本気だと分かった時、ギリーの態度が変わった。
「……嘗めてんのか? オレは一流の暗殺者なんだぜ? もう射程に捉えている獲物を逃すほど、間抜けじゃねぇ」
ギガイアスが頭部を沈める。額を割る形に構成された一枚岩が光り輝いた、その時である。
紫色の思念がギガイアスの首に引っかかった。ギガイアスの照準がぶれ、発射された岩の弾丸はコウヤに命中しなかった。
「たまたまだ! ギガイアス!」
再度、照準を合わせるギガイアスだったが今度は後ろに引っ張り込まれその頭部が地面を穿った結果となる。ギリーは二度も照準のブレが起こるはずもない、とようやく察知したらしい。
「何をしやがった……!」
「おれはね、自分好みのフィールドに仕立て上げるのが好きなんだ。相手との戦闘において真っ先に思い浮かべなければならないのはそれさ。自分の領域に踏み込ませる。もうお前は、おれの距離に至っている」
コウヤが歩み出る。ギガイアスは確かに照準しているというのに、その弾丸が一度として命中しなかった。ある時は弾丸そのものが多いに攻撃精度を落とし他のコンソールへと突っ込む形となる。ギリーは慄いた眼を向ける。
「ただの、岩じゃねぇのか……」
「ただの岩だと思ったか?」
コウヤが指を鳴らすとギガイアスが全身から砂を噴き出した。それが岩タイプにとっては血潮そのものなのだとギリーは理解しているようだ。突然ギガイアスが流血した。その現象にギリーが戦慄する。
「馬鹿な……。どこから攻撃を」
「全方位、と言ったほうが正しいか」
ギリーは即座に命令する。
「ギガイアス! そこいらの岩を破砕しろ!」
ギガイアスがそちらへと攻撃を向けようとするも岩はまるで足でも生えているかのように移動した。ギガイアスの岩の弾丸を一発だって食らう事はない。
「ちょこまかと……。てめぇ! 戦う気があるのか!」
張り上げられた声にコウヤは首を傾げた。
「はて、戦う気、だと? 何か勘違いしているな、一流の暗殺者。おれを相手取りたかったら、本当に暗殺手段を用いるべきだった。こんな、真正面から愚直に向かわずに、おれの寝首を掻くべきだったのだ。まぁどうせ、おれの隙をつく、なんて事は不可能なんだが」
岩が浮き上がる。それぞれに紫色の思念を棚引かせた岩の浮遊現象はギリーにとって不気味に映ったに違いない。手を振り翳し、「んなこけおどし!」と自身を鼓舞する。
「オレのギガイアスの敵じゃない! ギガイアス、御曹司に攻撃を――」
「それは果たされないな」
ギガイアスの前足が突如として砕け散り、その姿勢を崩す。バランスを崩したギガイアスは攻撃の手を緩めた。
「だからどこから……。オレのギガイアスを遠隔攻撃なんて」
「遠隔? またしても勘違いだ、暗殺者ギリーよ。おれはずっとお前を真正面から打ち砕いている。それこそが誉れ高い暗殺者にとってしてみれば最大の苦痛だろう」
ギリーは周囲を見渡す。どこから自分の手持ちが攻撃しているのか未だに分からないに違いない。
「ええい! ならこれでどうだ! 全体攻撃! ロックブラスト!」
ギガイアスの全身にある鉱石が光り輝き、全方位に向けて岩の散弾が撃ち出される。当然、姿を消している類のポケモンでも逃れようのない攻撃の網であった。コウヤは一つだけ命じる。
「こちらへと飛んでくる三発だけ落とせ」
その声にコウヤに命中するかに思われた「ロックブラスト」の弾丸が三発だけ霧散した。ギリーは目を見開いて、「何でだ……」と呟く。
「この攻撃で、捕捉出来ないはずがねぇ! エスパーがどれだけ姿を消していても、あるいはフェアリーがどのような幻術を使っていても、この攻撃の前には姿を晒すしかないってのに……!」
「だから、何度も言わせるな」
コウヤはすっと指を持ち上げる。ギリーを指差し、言葉を添えた。
「既に姿は見せていると」
またしてもギガイアスが破砕された。今度はもう一方の前足である。下段からの攻撃にギガイアスとギリーは透明なポケモンの存在を疑ったのだろう。至近距離で振動攻撃を放つ。
「地震! そこだ!」
「外れだ、間抜け」
今度の攻撃はトレーナーそのものを狙ったものだった。ギリーが後ろから不意に叩きつけられ不格好に床を転がる。
「さて、一流の暗殺者、だったか? おれのポケモンがどこから来るのかも分からず、なおかつここまで防戦一方だとそのラベルは返上せざるを得ないな」
ギリーは赤い帽子を握り締めて歯噛みする。恐らくはどこから攻撃しているのか、どうやって攻撃しているのかも分かるまい。一生かかってもこの俗物には自分のポケモンを捕捉出来ないだろう。
「さて、先ほどの攻撃で一発で脳天を分からなかった意味が分かるか?」
コウヤの質問にギリーは恐れ戦く。
「雇い主を吐かせるためだ。誰に、おれの暗殺なんて依頼された?」
ギリーはギガイアスへと再三命じる。
「御曹司を貫け!」
「腕一本」
指を鳴らすとギリーの左腕が吹き飛んだ。血潮を撒き散らしギリーが悲鳴を上げる。
「今ので分からなければ度し難いとしか言いようがないが……。雇い主を吐け」
「……腐っても暗殺者だ。誰が言うかよ」
「そうか。期待通りの答えだ、ギリー・ザ・ロック。その身体、よほど要らないと見える」
今度は右脚が後部からの一撃で吹き飛ぶ。しかしギリーはその犠牲を無駄にしなかった。即座にギガイアスへと命令する。
「オレの後ろだ! ギガイアス、全身全霊で攻撃!」
ギガイアスが照準を向けて背面へと攻撃する。さすがにその攻撃を事前に予期する事は出来なかった。岩の弾丸を受け止めたそれが浮遊する。ギリーは目を瞠った。
「そうか……、最初っから、見えていた……」
コウヤは舌打ちする。このような三下に自分の手持ちを見せるつもりはなかったのに。
「こうまで来ると仕方あるまい。寄り集まれ」
コウヤの傍に岩が集合し人型を形作る。それぞれの岩は種別も大きさも違うがきっちりと人型を形成した。人間ならマッシブな筋肉を連想させる岩の荒々しさに中央に据えられた細やかな眼光がギガイアスとギリーを睨む。
「こんな……。岩だけのポケモンなんて……」
「おや、おれの見間違いか? お前のギガイアスだって岩だけだろう」
もっとも、純粋に岩だけのポケモンはこの一体しかいない。目も口もなく、ましてや同じ種類の岩石で出来上がっているわけでもない、パッチワークのようなポケモン――。
「レジロック。おれの手持ちだ」