第九十五話「守る事と戦う事」
どういう事なのかまるで分からなかった。
クオンの部屋に呼ばれたかと思えば誰とも知らぬ人間が部屋の主を主張するように真ん中で居座っている。目線で問いかけると、「ディズィーさん」とクオンが答える。
「歌手、らしい」
「らしいじゃなくってそうさ。よろしく、現ツワブキ・ダイゴ」
現、という言い方にダイゴは直感的に感じ取った。
「俺の事を、初代の事まで知っている?」
差し出された手にダイゴは後ずさる。ディズィーは、「君が思っている以上に君は有名だよ」とダイゴを指差す。
「ねぇ、現ツワブキ・ダイゴ。君はクオっちを守りたいと思っている? 本当に、守れると思っている?」
唐突な質問だったがダイゴは答える。クオンは家族だ。それに自分の中では大切な人である。
「俺は、俺の力の及ぶ限りならばクオンちゃんを守りたい」
「そっか。ならさ」
ディズィーと名乗った女性は手を離す。先ほどまで握られていたそれが落下する。
「オイラを倒してから言うんだね」
瞬間、床に落ちて開いたモンスターボールから解き放たれた光がダイゴ目指して飛びかかる。ダイゴは咄嗟に緊急射出ボタンを押した。
「メタング!」
飛び出したメタングの鋼の腕がそれを阻む。黒い顎を突き出した矮躯だった。
「ポケモン……。ポケモントレーナーか」
敵意を剥き出しにしたダイゴへとクオンが取り成すように声にする。
「ディズィーさん? 何で、ダイゴに攻撃を」
「ここでオイラに負けるようならさ。クオっち一人の女の子守るなんて出来ないって言っているんだよ」
挑戦的なディズィーの言葉にダイゴは反感を覚えた。この女性は何を言っているのだ、
「俺を、どうするって言いたい?」
「どうも。出来れば、殺さずにこの戦いを終わらせたい」
顎を突き出したポケモンがメタングに弾かれて跳躍する。着地したその姿は小柄であったが、背部の器官が発達しておりそれが猛獣の顎のようになっているのだ。
「クチート。オイラはさ、正義の味方だから。現ツワブキ・ダイゴ。君がそれに相応しくないのならば、ここで潰す」
クチートと呼ばれたポケモンが跳ね上がる。素早さは高いようだがこちらには先制を約束した一撃があった。
「バレットパンチ!」
メタングが弾丸のように腕を振るう。クチートへと叩き込まれた一撃には確かな手応えあったがクチートが後退する様子はなかった。それどころかメタングの拳をいなし、弾き返す。
「堅い……」
小柄のポケモンの持つ防御力ではない。ディズィーが手を振り払う。
「飛びかかれ、クチート!」
クチートの動きは細やかでメタングで追うには素早さが違う。ダイゴはメタングに次の技を命じた。
「思念の頭突き!」
メタングが床へと思い切り頭突きをかます。すると思念が床を走り、背後を取ろうとしたクチートへと絡みついた。クチートが身をよじる。
「動けないはずですよ。思念の頭突きは、そう容易く破れるものじゃない」
「そうか。容易く、は破れないかもね」
その余裕に疑問を呈する前にディズィーはペンライトを取り出す。点灯させるとそれを斜に振るった。
「クチート、メガシンカ」
その言葉に呼応してクチートの周囲の空気が変動する。たちまちクチートへと展開されたのは紫色のエネルギーの外殻だ。その殻が「しねんのずつき」のエネルギーを弾き、完全に無効化する。ダイゴがその様子を眺めている間にもクチートに纏わり付いた殻が収束し、やがて弾き飛ばされた。
そこにいるのは最早クチートではない。発達した顎のような器官を左右一対持ち、身体の形状も袴を思わせる井出達になっている。ほとんど別のポケモンと言っても差し支えなかった。
「この、ポケモンは……」
「メガクチート。オイラの切り札さ」
クオンさえも知らなかったのだろう。驚愕に塗り固められた表情で、「メガシンカ……」と呟く。
「そう、クチートはメガシンカの可能な個体。その鈍重そうなメタングで、どこまでやれるのか――」
メガクチートが身を沈ませる。来る、と分かっていながらもダイゴには対抗手段が思い浮かばなかった。どう動くのかまるで読めない。
「確かめてみなよ!」
メガクチートが跳ね上がる。想像以上の動きであった。アクロバティックにメタングを追い詰めようとする。ダイゴは思わず声を発していた。
「メタング、バレットパンチ!」
「遅い!」
一喝した声にメガクチートは小さな細腕で「バレットパンチ」を弾いてみせる。ほとんど触れたか触れていないか分からないような動きであったが指先だけでいなしたのだと分かった瞬間、ダイゴは震撼した。
「そんな……、こんな小さなポケモンのパワーじゃ」
「ポケモンの体格の差が、戦力の決定的差になるわけではないと、教えてやる!」
懐へと潜り込んできたメガクチートがメタングへと思い切りヘッドバットをかます。メタングが傾ぎ、その鋼の身体に残響した。
「このダメージ……」
「アイアンヘッド! 効果はいまひとつだろうけれどパワーは分かったはずだよね」
小柄なポケモンのパワーではない。ダイゴはメタングが分からぬ程度の脳震とうを起こしている事に気付いた。トレーナーである自分とて、深く観察していなければ分からないほどの。それだけメガクチートの攻撃が正確でなおかつ威力が高いのだ。ダイゴは特性に恐らく秘密があるのだと看破した。
「特性、か」
「分かる? 特性、力持ち。物理技の威力を問答無用で倍にする。これ、あんまり馬鹿に出来ないのはトレーナーなら理解が出来る」
問答無用で倍。それがどれほどの脅威なのかはすぐさま判断出来る。たとえ効果がいまひとつでも倍にすれば通常ダメージだ。効果抜群を通せば四倍のダメージ。ダイゴは恐れるべき相手と戦っている事を実感する。
「メガクチート、手加減とか出来る相手じゃなさそうだ」
「分かってきたじゃないか。そうだよ、オイラは勝つつもりで出しているんだから」
メガクチートの背面にある一対の角から蜃気楼が巻き起こる。ダイゴは炎タイプの技の予感に身を震わせた。
「炎の牙。これ、鋼対策に入れているんだ」
「いいんですか? 先に言ってしまって」
「構わないよ。どうせ、メタングには」
指揮棒を振るうようにディズィーは言い放つ。
「これを防ぐ術はない。行け! メガクチート!」
メガクチートが駆け抜ける。立体的に攻めてくるせいでメタングの「バレットパンチ」が通常のように通るとは思っては駄目だろう。しかも手応えからして相手のタイプは鋼にとって性質が悪い。この状況でメタングの勝つ確率は万に一つもない。
「……でもだからと言って、俺は諦めない」
メタングが腕を振るい上げる。「ほのおのキバ」を使用したメガクチートの一撃が食い込んだ。鋼の表皮を容易く融かし、その深層へと至ろうとする。
「勝負を捨てたか!」
「俺は、自分の記憶を取り戻す。そのために必要ならば」
ダイゴの赤い眼差しがメタングのそれと同期する。メタングが腕を振るい落とした。メガクチートはしかし強く噛み付いており離れない。
「――俺は、悪にだってなる!」
瞬間、先ほどまでメガクチートの噛み付いていた腕がメタングから分離した。その動きにディズィーが狼狽する。メタングは自ら腕を射出し、攻撃から逃れたのだ。
「ダンバルであった頃の習性……。メタングの腕を切り離した……」
「それだけじゃない!」
分離したメタングの腕が輝きを放つ。ディズィーは慌てて指示を出した。
「まずい、メガクチート離脱……」
「爆ぜろ! コメットパンチ!」
射出された腕が次の瞬間、起爆する。メガクチートはまともにその攻撃を受けた。メガクチートが転がり落ち、メタングが片腕だけで浮遊する。
「まさしく、肉を切らせて骨を絶つ戦法か。メタング、片腕だとまずいんじゃないの?」
ディズィーの挑発にもダイゴは、「そうかな」と返す。
「そっちだって、今の攻撃、全く防御姿勢を取れなかった。メガクチートだって追い込まれている」
メガクチートがよろよろと立ち上がる。ダメージは明らかだった。ディズィーはしかし攻撃姿勢を取らせる。一対の角を突き出してメガクチートが威嚇した。
「メガクチートの属性はフェアリー・鋼。鋼タイプはさほど痛手ではない。今の攻撃、まずったのはどっちか」
緊張の間が流れる。しかしダイゴは徹底抗戦の構えを崩すつもりはなかった。たとえ両腕を取られても、頭突き攻撃で対応のしようはある。
ダイゴの眼差しを見据えてディズィーはしばし戦闘姿勢を取っていたが、やがてフッと口元を緩めた。
「やめたやめた。やっぱり、それなりの覚悟は持っているか」
ペンライトを逆に振るうとメガシンカが解除される。クチートは長大な角を撫でてもう戦闘意識がない事を示した。
「何のつもりだったんだ?」
「別に。大した事じゃないよ。たださ、クオっちを守るって言っているんならそれなりの覚悟が欲しかっただけ」
ディズィーはモンスターボールにクチートを戻す。ダイゴは目線でクオンに問いかけた。
「ゴメン、ダイゴ。あたし、止められなくって」
「いや、それはいいんだ。ただ、結局あなたは誰なんです?」
ダイゴの質問にクオンは言い辛そうにする。ディズィーは、「全くの無関係じゃない間柄かな」と告げた。
「無関係じゃない……。俺の失う前の記憶に関係しているのか?」
「そこまでは判別つけようがないけれど、一つだけ」
ディズィーは手を差し出す。ダイゴは気後れ気味に、「何です?」と口にした。
「鈍いなぁ。健闘を称えた握手だよ。やっぱり、君は本物だ」
ダイゴはクオンに確認してからその手を握り返す。
「敵じゃない、って思っていいんですか?」
「まぁ何よりもこれから先の行動は一致している」
鼓動が跳ねた。誰にも幹部総会を襲う事は言っていない。
「デボンを突く。準備はいいね?」
覚えずクオンを見やる。クオンは頭を振った。
「実は、ダイゴの事を知っている人達と、あたしはアクセス出来たの」
意外な事実に目を見開く。いつの間にクオンはそこまで至ったのだろう。化石バトルの後に何があったのか。推測するしかなかった。
「連中の名前はネオロケット団。その総帥が、君の事をよく知っていた」
自分の事を知っている人間。このホウエンではコノハを含むごく少数しかないのだと思っていた。それが組織単位でいるなど信じられない。
「本当に、俺の事なのか?」
「嘘じゃないと思うけれど。詳しかったからね、クオっち」
クオンも気後れ気味に頷いた。クオンが認めるのならば確かなのだろう。
「でもだとすれば、どうして俺本人に接触してこない?」
「危険があると分かっているからさ。このツワブキ家には容易に介入出来ないと」
それでも、自分の事を知っているのならばダイゴは望みを繋ぐ事が出来た。自分が何者なのか。本当にフランという名前だったのか。どういう人間だったのかを知りたい。
「その人達と話している時間は?」
「今はもうないよ。デボンに攻め込むには一番いい時間帯がある」
このディズィーという人物は何者なのだ。自分の全てを掌握されているような気がした。
「……誰にも言っていないのに、何で?」
「機密も、ある一定の場所にあればもうそれは閲覧可能な人間がいるって事だよ。そこから攻め込むのは得策じゃないから突かないけれどね」
イズミが漏らしたか。あり得ない話ではない。
「オイラ達はネオロケット団の力添えで侵入出来そうだけれど、現ツワブキ・ダイゴ。君のほうは?」
「俺にも伝手がありますから。そっちの話で」
「じゃあ攻め込む時間帯は一致しているはずだ」
部屋を出るとツワブキ家はもぬけの殻である事に気づく。だからこそディズィーは戦闘をしてきたのだろうか。
「行こう。現ツワブキ・ダイゴ」
再三のディズィーの言葉にダイゴは苦言を呈す。
「あの、現っての、やめてもらえます?」
何だか自分が自分でないような感覚だ。ディズィーは悪びれるわけでもない。
「失礼。初代を基点として考えちゃうとどうしてもね」
初代ツワブキ・ダイゴ。全ての糸が繋がる中心人物。ダイゴはツワブキ家を後にする。
もしかすると、何もしなければ、何も知ろうと思わなければ家族のままでいられたかもしれない場所を捨てるのだ。それなりの感傷が掠めたがダイゴは自分の意思を貫き通した。
「俺は、俺が何者であるのかを知りたい」