第九十四話「永遠の命題」
部屋に戻るとどこから仕入れたのか、ディズィーは朝食のパンを頬張っていた。
「うまっ。いいパン食べてるんだね」
昨夜から作曲ソフトを立ち上げっ放しである。クオンは尋ねていた。
「そんなに時間が?」
「いんや、足りているんだけれどストック作ってるんだよ」
「何のために?」
「デボンコーポレーションの事故の後から、ギルティギアの新曲出なくなったねー、ってしないため」
事故。ディズィーはあくまで事故にしようとしている。これから起こる事は謀反と大差ない。自分の父親を騙し、デボンの秘密を明け渡そうとしている。
「ディズィーさんは、何を信じているんです? ホウエンの未来で何でもなく、あなたは何か違う事を信じている気がするわ」
「そうだよ。オイラにとっちゃ、デボンが何に成り代わろうが知ったこっちゃない。でも、当事者たる君や、他の人達は変わるだろうね」
振り返ったディズィーが自分を指差す。クオンはベッドに腰かけた。
「あたしに、父様をどうしろって言うの?」
「それはキャプテンに聞きなよ。ネオロケット団はどこまでデボンを追い詰める気なんですか、って」
電話番号は預かっている。もしもの時はかけてくれと言われているが、もちろん勇気が湧かなかった。
「出来れば、誰も争わない道はなかったのかしら?」
「それが欲しければ、まず初代ツワブキ・ダイゴの存在だろうね。彼が発端だ」
フラン、という青年がデボンの闇に踏み込まなければ。Dシリーズに改造されなければ起こらなかった悲劇。クオンは固く瞼を瞑る。これほどの犠牲も、何も必要がなかったのに。誰しも初代の亡霊に衝き動かされて、狂気に身を落としていく。
「初代は何がしたかったのかしら? あたし達を逃れえぬ運命に縛り付けて、その本人の魂は今もその辺りを彷徨っている、って言うんでしょう?」
「ツワブキ家の考え方ならね」
クオンは祈る。お爺様、あなたはもうこの現世に関わらないで欲しい。もう、誰も悲しませないで欲しい。それが無理な願いだと分かっていても。自分達、現世の人間こそがあの世の初代の影にすがっている張本人だと知っていても。
「初代に言わせても迷惑かもね。あるいは誰がこんな間違った事をやり出したのかって話になるけど水掛け論だ。誰が泥を被っても解決しない、喉元まで来てしまっている」
ツワブキ家の全員が当事者。その咎人の一人が自分なのだ。ならば終わらせるのも自分の役目。
「レイカ姉様が関わっているのならば、間違っているとあたしは言うわ。リョウ兄様がやっている事なら、それは駄目だって。コウヤ兄様も、きっと怒るだろうけれど、あたしが説得する。……父様が関わっている事なら」
そこから先が容易には言えなかった。父親さえも否定して、この狂った計画を終わらせられるのか。クオン一人には重かった。
「オイラもいるよ」
不意にディズィーが口にする。彼女は作曲しながら、「オイラもいる」と繰り返す。
「クオっちだけ背負わなくっていいって。オイラやダイゴにじゃんじゃん背負わせなよ。どうせ一蓮托生なんだからさ」
クオンは今にも折れそうな心を持て余しながら、「でも……」と口にする。
「でもじゃないよ。ヒーローに守られるのはヒロインの特権だ」
自分は守られる側なのか。改めて己の弱さを自覚すると共に、どうすれば、という思いが強くなる。どうすれば、皆を救う事が出来る? どうすれば、ダイゴを本当の意味で解き放てるのか。
永遠の命題のように果てしないように思える。
元よりこの名前を引き継いだせいでダイゴは負わなくてもいいものまで背負っている。彼個人の究極の望みは何よりも記憶を取り戻す事なのだ。それがいかに危険で、そのために何人が犠牲になったかなどダイゴには聞かせたくない。彼には記憶を取り戻して欲しい。だが記憶を取り戻した時、もう自分の知るダイゴはいないかもしれない。ダイゴは掴もうとして消えていく砂のように儚い。
「どうすれば、ダイゴを楽に出来るんだろう?」
「クオっちの考える事かな? それこそキャプテンやら他の人達に任せれば」
キャプテン。
ネオロケット団を率い、なおかつ初代と顔見知りであったという。この街でも何人か初代の関係者はいた。
教師であるハルカは初代の思い出話を語ったし、初代がどれほど愛されているのかも分かった。しかし、クオンは今のダイゴが何よりも愛おしいのだ。どうして記憶を取り戻さなければならないのだろう。どうして今ではない自分になる必要があるのだろう。
「あたし、言わなきゃ」
立ち上がったクオンを胡乱そうにディズィーが見やる。
「どうするってのさ」
「ダイゴに、彼に聞きたい」
扉を開けようとしてその背へと声がかかった。
「待ちなって」
「止めないで。あたしは」
「止めやしないよ」
意想外の言葉にクオンは振り返る。ディズィーは胡坐を掻いて、「一蓮托生だって、言っただろう?」と笑みを浮かべる。
「現ツワブキ・ダイゴ。連れて来なよ」