第九十二話「一人前の男」
「えっ、明日?」
ディズィーの部屋でマコは連絡を受け取る。ホロキャスターからディズィーの朗らかな声が聞こえてきた。
『そう、明日。明日動くから、マコっち、支援頼む』
「でも私、何も出来ていませんよ」
『充分だよ、音波攻撃でこっちはきちっとブツは入手出来たし、そっちの塩梅だけ聞こうと思って』
「塩梅、ですか……」
マコは視線を移す。端末を仕入れてきたソライシがオサムに見張られながらデボンのネットワークに侵入していた。ソライシは、「クビじゃ済まないな」とため息をつく。
「デボンのネットワークIDなんて秘中の秘。それが何者かに知られたとなれば当然の事ながら、連中は鶏冠に来るだろう」
「いいから、大人しくやりなよ」
コドラを出しているせいでディズィーの部屋は余計に手狭だ。男二人に女一人の状況は危うさよりもただ単に狭いという認識があった。
「オサム君、ディズィーさん、作戦決行の時に落ち合うって」
マイク部分を覆ってオサムに言いやると彼は肩を竦める。
「まぁ現地集合が無難だろうね。何せ、僕らは天下のデボンを敵に回そうとしているわけだ」
「でもどうするんです? デボンネットワークに介入しても、入れるのはソライシ博士くらいでしょう? ディズィーさんを含めて私まで入るのは不可能じゃ」
「そういう事もない。だろ?」
オサムの声にソライシが呻る。
「まぁ、君達の言う事だ。大体要求内容は頭に入っている。わたしとD036」
「オサムだ、オサム」
遮ってオサムが注意するとソライシは咳払いする。
「オサム君と君……ヒグチ・マコ君が入れるくらいの事は造作もない」
「本当ですか?」
マコの声にソライシは、「何年勤めていると思っているのだね」と襟元を正した。
「本来なら∞エナジーの研究に充てられてもおかしくない頭脳だって言うのに、今やっているのはハッキングだ」
ソライシが肩を落とす。マコは申し訳なさを感じたがオサムは、「自業自得さ」と声にする。
「僕らを顎で使ってきた、罰だと思えばね」
ソライシが口惜しそうな目線を向ける。使う側が使われる側に転じたとなればそれは不満があるだろう。
「わたしは何も悪い事はしていないのに」
「それがもう麻痺しているって言うんだよ」
オサムとソライシのやり取りを眺めているとディズィーが声を吹き込んできた。
『大丈夫、っぽい?』
「ああ、はい。こちらは。でもディズィーさんの入館証までは用意出来そうにないです」
『ああ、いいって。こっちにはこっちのルートがあるってね』
どっちのルートなのだろう、とマコが疑問を浮かべていると耳朶を打った声があった。
『ディズィーさん食べこぼし酷いですよ』
その声は紛れもない、ツワブキ・クオンのものであったからだ。マコは驚愕する。
「クオンちゃんがいるんですか?」
『うん、そう。もうマブダチ』
『そんなわけないでしょう』
クオンの冷たい声音にマコは声を上ずらせる。
「私だよ! クオンちゃん! マコ!」
『ああ、マコさん。大学はいいんですか?』
思わぬところからの攻撃にマコはたじろいだ。何せ、彼女はツワブキ家の問題児で有名であったからだ。
「クオンちゃんこそ、学校、行っているの?」
『行っていますが?』
その言葉も思いもよらない。クオンは不登校だと聞いたのに。
「あれ? 行っていないんじゃ……」
『失礼な方だとは思っていましたが、らら、ここまでだとは』
歯に衣着せぬ物言いにマコは閉口する。どうやら本当に学校には行っているようだ。
「何で?」
『ダイゴに、説得されたからです』
思わぬところで出てきた名前にマコは唖然とする。ツワブキ・ダイゴ。どうしてだか事象は彼を中心軸にして回っていた。
「ダイゴさんと、会っているの?」
この質問は野暮だ。ダイゴはツワブキ家なのだから。
『家族ですから、当たり前でしょう』
「でも、ダイゴさんは……」
オサムへと視線を向ける。オサムは知らない、というジェスチャーのためかバッテンを作った。
「その、色々と込み入った事情があると思うけれど」
結果的に濁したマコへとクオンが口にする。
『Dシリーズがどうとかいう話ですか?』
自分の震撼した話がクオンの口から出てマコはどう返せばいいのか分からなくなった。クオンは構わず続ける。
『知っていますよ。って言うか、知らずにこの作戦を強行しようとは思わないでしょう』
「えっ、クオンちゃんも?」
思わぬ返答にマコは戸惑う。クオンは全くの無関係のはずだ。
『無関係を決め込みたかったですが、家に来たのがトラブルの元凶だったみたいで』
暗にマコ自身が来なかった事を責めているようだ。クオンは昔から言葉の節々にマコを馬鹿にしている感じがある。
「その、ゴメン……」
『謝る事ないって、マコっち。君はよくやってくれている。今もきっちりソライシ博士から情報を得て、オサムも飼い慣らしている。充分だよ』
飼い慣らしている、という言葉にオサムが反応するかと思ったが彼は思いのほか冷静であった。
「私、その……。そんなにすごい事をしているとは」
『もちろん、気負う事はないよ。軽くやってしまえばいい』
軽く、にしては深入りしてしまっている。マコは不安げな声を滲ませた。
「ディズィーさん、その、私達のやっている事は本当に正しいのでしょうか?」
オサムの拉致とソライシ博士の奪取。それにディズィーはツワブキ家へと不法侵入。ここ数日で起こった事が全て現実離れしていた。
『正しいかどうか? どこに仰ぐ? お天道様? マコっち、正しい間違ってイルの判断は後からついてくる。今は、行動する事だと思うな。だってこのままじゃオイラ達消されちゃうし』
それだけは間違いないのだ。オサムを追ってくる連中か、あるいは自分の生存だけでも危うい綱渡りである。
「消されないように、頑張るしかないんですかね……」
『マコっちにしては弱気だなぁ。オサムを最後にやっつけたのはマコっちでしょ?』
それはその通りだが、あれは相性がよかったからだ。そう言いかけて、これも結果論だと口を閉ざす。
「自信を持っても、いいんでしょうか?」
『オサムはオイラよりもマコっちを信頼しているだろうし、マコっちは思いのほか強かだよ。お姉さんの血筋、きっちり流れているのかもね』
サキに似ているとは今まで数えるほどしか言われたことがなかったのでその人物評は意外でしかない。
「ディズィーさん、会った事もないのに」
『分かるよ。マコっちがどれほどお姉さんを大事にしているのかも、その影響もね。あの時、オサムをやっつけたマコっちには確かに、熟練のトレーナーの戦闘意識と、それと同時に臆する事のない図太さがあった』
図太い、とは褒められているのか分からない評価だ。
「それ、褒めて」
『もちろん、褒めているって。図太いってのは世渡りに大事さ。時に自分の意見を押し通す場合にはね』
それだけの強さが自分にあるのかは全くの不明であったが、ディズィーに言われるとあるような気がしてくるから意外だ。
「ディズィーさん、無茶はしないでくださいね」
『あいよ。マコっちも無茶しないでね。もう君はただのファンじゃない。オイラの見定めた同志だよ』
それを潮にして通話は切られた。マコは同志、という言葉に胸が熱くなっているのを感じた。
「同志、かぁ」
「単純だね、マコちゃんは」
オサムが後頭部で手を組んでそうこぼす。単純は言われなれているので違和感はない。
「かもね。楽観主義かも」
「僕的に言わせてもらえば、こうだ。ディズィーを過信するな」
それはオサムもディズィーを信じていない事に直結するのか。マコは問い返していた。
「どうして? オサム君だって、ディズィーさんに命を拾われたようなものじゃ」
「僕の命を繋いでいるのは、これとこれだ」
示したのは命の薬と左足だった。マコは気になっていたので尋ねてみる。
「何で、オリジナルの初代の部位が、あなた達に移植されているの?」
オサムは、「言い辛い人物がいるなぁ」とソライシに目線をやった。ソライシは鼻を鳴らす。
「いいんじゃないか? もう、わたしだってデボンに戻れるとは思っていない。機密だろうが何だろうが」
どこかやけっぱちのソライシの声にオサムは左足を指差す。
「オリジナルのパーツにはね、精神エネルギーが宿っているとされている」
「精神エネルギー?」
それこそ初代再生計画に必要なものなのだろうか。マコは、「再生計画の?」と訊いていた。
「それもあるけれど、こう言えばいいかな。偉人の死体、あるいは伝説の存在の死骸ってさ、昔からある種の神格を持っていたんだ。伝説の死骸で有名なのは、ドラゴンタイプとかかな」
マコも民俗学の講義で聞いた事がある。伝説のポケモンの死骸にはある種の霊的な要素が宿っているのだと。その要素を数値化する事は出来ないが、数々の事象がそれを物語っている。ゴシップのような話だ。
「噂でしょ?」
「噂なら、何で移植手術なんてやるのさ。それに、実際このパーツがあるから、僕はコドラを上手く扱えている」
「何でコドラなの?」
マコの質問にオサムは少し考えてから、「説明、しなきゃいけないか」と呟く。
「初代ツワブキ・ダイゴが好んで使っていたのは鉱石系、つまり岩や鋼タイプのポケモンだった。それだけじゃない。鋼タイプ、という新タイプの発見に貢献した人物だ。鋼への造詣が深い。だから鋼タイプとは不思議な縁があるとでも言うのかな」
「不思議な縁」
繰り返してみてもそれがどうしてコドラを使う、という風に結びつくのかが分からない。オサムは眉根を寄せた。
「……マコちゃん、分かっていないでしょ?」
言い当てられて不服ながらマコは首肯する。
「だってそれは初代の話であって、今のオサム君の話じゃないじゃん」
「それが僕らはDシリーズで、なおかつ初代のパーツを割り振られている意味なんだって。この初代のパーツには先に言った通り、精神感応波とでも呼ぶべきか、手足のように鋼タイプを動かせる特権みたいなのが付いている」
「何でそんな?」
「知らないよ。こいつに聞くといい」
オサムが指差すのはソライシであった。ソライシは今もハッキング作業中だがマコの視線を感じ取って声に出す。
「……ポケモンと人間の垣根を超える存在。ポケモン側に意識を引っ張られる事を同調現象と呼ぶ。大学やどこかで聞いた事は?」
「あります、けれど……、それって眉唾じゃ」
「実際のところ、我々研究者の間ではまことしやかに囁かれている現象で、その第一人者が初代ツワブキ・ダイゴだとされている」
ここで繋がってくるダイゴの名前にマコは目をしばたたいた。
「だから、何で? 初代がそうだったって言うの?」
「確証はないが、その可能性があった。現に初代が成し遂げた偉業は第一回ポケモンリーグ優勝、玉座の一度の防衛、さらに鋼タイプ発見の貢献にデボンコーポレーションの今日までの繁栄に、何よりも、メガシンカの確定」
「そこが分からないんですけれど、メガシンカがどうしてそんなにすごい事だと思われているのかってのが」
ソライシはオサムと目線を交し合う。何を確認しているのだろう。
「……失礼ながら、名前をヒグチ・マコと聞いた。という事はヒグチ博士のご息女で?」
「うん、まぁ」
後頭部を掻いて照れたように笑うとソライシは真剣な面持ちになって、「ならばどうして」と口にする。オサムも差し迫ったような表情だ。
「研究者の娘さんなのに?」
二人の重苦しい沈黙を受けてマコは思わず喚いてしまう。
「もう! 何だって言うの?」
失礼な話である。女子大生の前で男二人が渋面をつき合わせるなど。ソライシは思い切ったように口にする。
「ヒグチ博士は、その部門の研究者ではないはず」
「その部門って、メガシンカ? そりゃポケモン群生学って言う地味部門研究者ですけれど」
「地味だとしても、ポケモンに携わっている以上、メガシンカ云々の業績を知らないはずがない」
遮って放たれた声はマコの存在それそのものが奇矯だというような調子だった。マコは思わず言い返す。
「私が興味ないって言ったから」
「そうだとしても、一言もなしに? だってポケモンを持っているはず」
「うん、フライゴン」
ソライシはますます難しい顔になり、オサムは、「ちょっと信じられないんだけれど」と手を挙げた。
「研究者なのにツワブキ・ダイゴに関して何の疑問も挟まなかった、っていうのが」
そういえばダイゴが一度だけ自宅を訪れた。あの時、サキが何かしら秘密を抱えていたのは明白である。それが後に聞くDシリーズの話だったとするのならば、父親と結託していないほうがおかしい。この段になってマコは気付いた。あの時点で状況が動いていたのだ。
「……もしかして、サキちゃん、もうあの時からダイゴさんが怪しいって分かっていて」
「何らかの調べを済ませた可能性はある」
ソライシの言葉にマコは今すぐにでも父親に連絡するべきか迷った。しかし自分の危険を誰かに悟らせるわけにはいかない。それが親類ならば余計だった。
「……駄目。今の状態じゃ、お父さんと話せないよ」
母親も弟の出産を控えている。この状態で心労をかけさせるわけにいかなかった。
「まぁ、順当な判断だ」とオサムは評価する。
「ヒグチ博士が重要な秘密を知っていたとして、今のマコちゃんに教えるかどうかは五分五分だし、それにその秘密が重要であればあるほどに、ヒグチ博士自身に危険が及ぶ」
マコは呼吸を整える。暴れ出した動悸を鎮ませようとした。
「きっと、お父さんは大丈夫だよね?」
オサムもソライシも確定した事は答えない。しかしマコは大丈夫だと信じたい。そのような危険は自分の家族にはないのだと。
「どちらにせよ、それを知ったヒグチ・サキの行動のほうが、ヒグチ博士よりも目立ってしまった、というのが本音だろう」
ソライシの評にマコは胸が締め付けられそうだった。
「マコちゃん。ここまで踏み込んだんだ。もう大丈夫とか、そういう適当な慰めは吐けないよ。でも僕は、悔しいけれどディズィーに命じられた。マコちゃんを守れって。まぁもし命じられなくっても同じ事をしたろうけれど」
オサムの声にマコは疑問符を挟んだ。
「オサム君が私を守る義理はないんじゃ……」
「あるよ、男だからね」
オサムの言葉にマコは耳まで赤くなって狼狽する。
「お、男って、私はいつ、オサム君と男と女の関係に――!」
「誤解生むような事言わないでって。僕はただ、ディズィーもマコちゃんも女の子なのに、男が前に出ないのはかっこ悪いって言っただけの話」
「あ、そういう話……」
拍子抜けすると同時にマコはそれほどまでにオサムが自分達を守る事は、やはりないのではないかと感じた。
「でも、オサム君、デボンの側だよね?」
「もうどっちの側だとか言っていられない。一度裏切ったし、もう帰れないだろう。僕の帰る場所を守るために僕自身が戦うまでだ」
ぷっとマコは吹き出す。
「なんか一人前の男の人みたいだね」
オサムは唇を尖らせて、「それこそ心外だな」と言った。
「僕は一人前の男のつもりだよ」
「私に負けたのに?」
ぐうの音も出ないらしくそこから先は咳払いで誤魔化した。
「とにかく、戦力は多いに越した事はない。僕とマコちゃんが前に出る。ソライシ博士、バックアップは頼めるね?」
「どうせデボンに忠誠を誓っても、このタイミングでは不利にしか働かないからね」
「このタイミング?」
マコが聞き返すとオサムはまたしても怪訝そうにする。
「まさかマコちゃん、何の考えもなしに明日決行にするって思ってる?」
うろたえ気味にマコが頷くとオサムはため息を漏らした。
「何よ。私だって色々と考えて」
「明日は幹部総会がある」
ソライシが口を挟み、眼鏡のブリッジを上げた。
「幹部総会、つまり社長であるツワブキ・イッシンがデボン本社に来る。それに併せて幹部連も顔を合わせる事だろう。その時に攻撃する事によってデボンに致命的なダメージを与える事が出来る」
「まさか、社長を誘拐とか?」
「そんな映画みたいな真似はしないよ」
オサムはゆっくりと首を横に振った。
「僕らがやるのはかき回しだ。ディズィーが恐らく本丸を押さえる。そのための準備をしている事だろう。僕とマコちゃんはせいぜい場を掻き乱す。ただこの場合、恐れるべきなのは後から追われる事態を防ぐ事」
そうだ、監視カメラもあれば警備員もいる。どれだけポケモンの腕が立っても物量で攻められれば勝ちようがない。情報戦も向こうが上ならば負け戦だ。
「そのためのわたしだろう? 情報網で君達の顔を意図的に消して、なおかつ足跡さえも残さない。我ながら地味で、なおかつ一番に危うい場所に立ったものだ」
ソライシが必死にやっているのは事後処理の事もあったのだ。そう考えるとマコは自然と物腰が下になっていた。
「その、すいません……」
「謝る事ないよ、マコちゃん。こいつら、非人道的な実験に手を染めた悪逆非道の輩だ。人間的思考なんて」
オサムが鼻を鳴らす。ソライシは、「理解してもらおうとは思っていないよ」と応じるだけだった。
「でも、その、私達が戦うための準備をしてくれているんだから。オサム君、ありがとうって言おう!」
マコの提案にオサムは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「何だって? こんな奴に頭下げたって」
「何言っているの! 一応さ、助けてもらえる立場なんだから、ありがとうって言わなきゃ」
この場において恐らくおかしいのは自分のほうだ。普通の価値観を持ち出して、尋常ではない場所に入り込もうとしている。オサムやソライシ、それにディズィーの思考回路が正解だが、それに順応したくなかった。頭のどこか隅っこで、同調しては駄目だと感じていた。
「……分かったよ。何でそこまでなれるのか分からないけれど」
「ソライシ博士、ありがとうございます。それに、明日の事、よろしく頼みますね」
マコの笑顔にソライシは頬を引きつらせて、「なるほどね」と呟く。
「あのディズィーとか言うのがわたしの監視を君のような女子大生に任せた意味が分かったよ。君の笑顔に、何故か逆らえない」
自分はそのような打算に満ちた顔をしていただろうか。マコが頬に手を当てていると、「逆だよ、逆」とオサムが手を振る。
「打算も何もなくって、逆らえないんだ」
その意味はさすがに分からなかった。マコは真剣に考えようとしたが難しい顔をするマコを尻目に今度は逆に二人が笑い始めた。わけが分からない。
「もう! 何なんです!」
堪え切れずに憤慨するとオサムは、「いやゴメン」と顔を背ける。
「真剣に考えるところじゃないって」
「まったく。純朴というのか、純粋というのか。ヒグチ博士は娘さんの育て方を分かっていたようだ」