第九十話「強硬策」
結論から言えば、意外という他ない。
コウヤに挑戦した事で最早、ツワブキ家での居場所はないものだと覚悟していたダイゴからしてみれば、夕飯の静けさは異様としか思えなかった。誰も化石バトルに言及せず、もっと言えば、ダイゴの真の目的に対してコウヤは何も言ってこない。不可思議と言えば不可思議だが、それで片付けるにはツワブキ家の人々は自然体であった。
自然体で、ダイゴの問題を全て棚上げして扱っている。ダイゴはいっその事自分から言ってしまおうかとも考えたが墓穴を掘るようなものだと口を噤んだ。
USBにホロキャスターはクオンが所持しているはずである。自分はクオンに会わなくては。会って解き明かすのだ。自分の謎を。ギリーという暗殺者とコウヤがどこで出会ったのかを。しかしクオンもどこか他人行儀で食事の後、すぐに菓子を持って部屋に取って返してしまった。
ダイゴはこの場合、誰を信じればいいのか分からなくなってしまった。だが、クオンとの協力関係が切れたわけではないだろう。機会を待つ事だ、と自分に言い聞かせる。今日中に成果が出るとは自分も思っていない。さらに言えばコウヤという存在が増えた事によって監視の眼が厳しくなったと思うべきなのだ。敷地内で密かに会おうとしても難しくなった。ダイゴはクオンにメッセージを送る方法をいくつか考えたが、どれも現実的ではなく、このような時、自由に出来るホロキャスターやポケナビレベルならば持っているべきだったと後悔する。
コウヤやリョウに勘付かれずにツワブキ家で自由行動するのはまず不可能に近い。ならば、とイッシンを頼ろうにもやはり息子が暗殺者と会っていた、という事は打ち明けるべきではないだろう。この状況で味方してくれる存在は一つしかいなかった。
ダイゴは、「ちょっと出かけてきます」と言い置いてツワブキ邸を出る。デボンコーポレーションの裏手にある社宅で待つ事数分、彼女は目立たない格好で現れた。
「言ったはずよね? 私は出来るだけあなたとは会わない、と」
怜悧な声にダイゴは言い返す。
「それでも、この状況で頼れるのは、あなただけだった」
視線の先にはコノハが佇んでいた。普段の給仕服とは違い、薄手のカーディガンを着込んでいる。給仕服一つで印象は変わるものだ。コノハは恐らく街角ですれ違っても振り向く事はないであろう服飾だった。
「出来れば、フランを取り戻す目星がつくまであなたとは接触を禁じるべきなのよ。もちろん、内でも外でもね。だって言うのに、こんな目立つ真似を」
コノハが手にしていたのはメモ帳の切れ端だ。そこに自分の筆跡で「九時半に社宅で」とある。ダイゴはこの状況で頼れるのはコノハだけだと判じていた。自由行動が許されるのは彼女しかいない。
「恐らく、あなたはマークされていない。だから俺は適切だと判断した」
「マークされないように、必死で略歴を隠しているのよ。いいわ。こうまでして会いたいという事は何か進展があったんでしょう。部屋に来て」
ため息を漏らしてコノハが社宅へと入る。社宅で気をつけるべきは一つの監視カメラだけなのでそれを潜り抜けてダイゴはコノハの部屋へと案内された。前訪れた時とほとんど変わるところはない。コノハも落ち着き払った様子で紅茶を入れていた。
「話があるのね」
見透かした様子のコノハへとダイゴは早速口火を切った。
「ツワブキ・コウヤに関する事だ。あなたは、彼の出張先を?」
「もちろん、知らないわ。ただの家政婦だもの」
家政婦に出張先を話すような間抜けではない、か。ダイゴはそれを確認してから疑問を発する。
「知らないのに、出かけたって?」
「よくある事だから。ツワブキ・コウヤはあれで次期社長。頻繁に出入りはあった」
「デボンに関して、以前よりも調べは?」
「ここに」
コノハは澱みなく書類を差し出す。恐らくこの書類はダイゴが見ても当たり障りのない内容、つまり本当の真実は知らされていないという可能性がある。それでもダイゴは目を通した。その結果、デボンの中でもDシリーズに関する事は少しだけ進展があったようだ。
「この、D036の失踪ってのは?」
「とある重要人物を抹殺するために、Dシリーズを使ったみたい。重要人物自体は記されていないけれど、その作戦遂行中にDシリーズの一つ、D036が行方不明に。さらに追跡調査をしていた科学者の一人、ソライシ・タカオ博士が行方不明に相次いでいる」
ダイゴはソライシ博士に関するプロフィールを読む。エネルギー調査部門に在籍しているようだがどうしてDシリーズの追跡調査に回されたのだろうか。
「エネルギー部門とあるが」
「デボンは今、社運をかけて一つの大プロジェクトを表向きに実行している。それが∞エナジーのエネルギー転用」
「∞エナジー?」
ダイゴが首を傾げているとコノハはそれに関する書類を手渡した。
「ロケットを大気圏突破させるために必要とされるエネルギーよ。本来はロケット事業部のものなんだけれど、そのエネルギーを他の事に使えないかっていう研究。表向きは、ね」
「裏があるって事か?」
「デボンは今まで裏しかないわ。Dシリーズ、初代再生計画、ツワブキ家。どれを取ってしてみても、裏しかない。この状況で、他人にばらされても痛くも痒くもないのが∞エナジーの研究」
ダイゴは書類に記されている∞エナジーの項目を見やる。曰く「これからの時代を率先する夢のエネルギー」、「世紀の大事業」と。
「それにしちゃ、イッシンさんもコウヤさんもその話はしないな」
「ツワブキ家は絶対に仕事の話を家庭に持ち込まない。これは私が長年見てきて、もう自明の理になった事よ」
つまりツワブキ家内でデボンが何をしているのかを探る事は難しい、という事だ。
「じゃあやっぱり、強攻策しかないわけか」
「あなた、何かしたのね?」
この段階になってコノハが訝しげな視線を向けてくる。ダイゴは正直に説明する。自分とイッシンを狙った暗殺者、ギリー・ザ・ロックに関して。そのポケモンの痕跡が僅かながらコウヤにあった事。全てを聞き終えるとコノハはまず嘆息をついた。
「呆れたわ。それだけ証拠が揃っているのならば直談判も出来るでしょうに」
「イッシンさんは人格者だ。でも自分の息子を疑えるような、そういう人じゃない」
「あなたの人物評が確かかどうかは知らないけれど、でもツワブキ・イッシンが他人を疑えないのは本当ね。それも自分の息子ならば、なおさら」
やはりこの場合、コウヤを攻めるほかなかった。化石バトルでコウヤのPCに入れるホロキャスターとUSBを手に入れた事を明かすとコノハは目を見開いた。
「よくもそこまで……。動き過ぎればどつぼにはまるわよ」
「でも俺にはそれしかなかった。俺が動いても、所詮俺は記憶喪失の人間だ。だから注意は逸らせられる」
「それを所有しているのが、ツワブキ家のツワブキ・クオン……。随分と危うい綱渡りをさせたみたいね」
自分とて分かっている。クオンに無理をさせた事くらいは。しかし誰かの協力なくしてこの攻勢は覆らなかった。
「クオンちゃんとも話を統合させたいんだけれど、彼女はどうやら俺を避けているらしい」
「当たり前と言えば当たり前ね。ツワブキ・コウヤに喧嘩を吹っかけた奴と仲良くしていれば自分も怪しまれる」
ダイゴは書類を置いて、「意見を聞きたい」と仰いだ。
「何? 言っておくけれど、私の知る限りでは、ギリーという暗殺者はリストにも挙がっていない」
「コウヤは、どういう奴なのか」
その質問があまりにも突飛だったからだろう。コノハは、「返答に困る質問ね」と評した。
「ツワブキ・コウヤが悪人だと言えば、あなたはそう信じるのかしら?」
「悪人なら、俺は自分の身を挺してでもクオンちゃんを守らなくてはならない。彼女に危険が及ぶならば」
「よく言うわ」とコノハは紅茶に口をつけて厳しい口調になる。
「あなたが、そうさせたんでしょう? ダイゴ、あなたが吹き込まなければツワブキ・クオンは究極的に無関係でいられた」
痛いところをつかれる。その通りなのだ。クオンを巻き込まなければ、彼女を守る、などという筋違いの事を言う必要もない。
「……俺には頼れる誰かが必要だった」
「まぁあの家であなたが協力を仰げるのは確かにツワブキ・クオンだけでしょう。でも彼女は何の力もない高校生よ。それに高望みし過ぎなんじゃない?」
デボンの次期社長の秘密。それを引き出せるなど一高校生にはどだい無理な話だろうか。しかしダイゴは言い返す。
「クオンちゃんだけなら、な。でも俺は協力するつもりだった。泥を被ってでも、俺は自分の事を知りたいし、暗殺者の影があるのならば守りたい。自分の身は、最終的には自分でしか守れない」
それを痛感したのはギリーの明らかに殺意の感じられる戦い方からしてもだ。今のままでは自分は飼い殺しだ。この状況から脱するには、自分から動くほかなかった。コノハは、「行動力、大いに結構」と頷く。
「でも、あなたは自分のエゴで、ツワブキ・クオンを巻き込んだ。それだけは自覚せねばならないわ」
「……分かっているさ。でも俺は、そうしてでも知りたい。俺が何者なのかを」
コノハからしてみればこの問いは無為なのかもしれない。彼女が自分の正体はフラン・プラターヌだと言ったのだから。
「失われた記憶、ね。その鍵を持つ者は、ツワブキ家ではコウヤが一番怪しいってのは分かる」
「コウヤはポケモントレーナーだ」
明らかになった事実を告げる。コノハはさして驚くでもない。「でしょうね」と返された。
「何らかのポケモントレーナーでなければ状況を動かせないだろうし。それに何よりもその手持ちは? 明らかになったの?」
言葉に詰まる。結局、何らかのパワーを持つ岩ポケモンである事以外は不明だ。ダイゴの無言にコノハは察したらしい。
「……存外に犠牲を払った割には、分かった事は少ないのね」
「だからこそ、聞きたいし意見が欲しい。ここからどう動くべきだろうか」
コノハならば何かを掴んでいてもおかしくはない。そう思っての対応だったがコノハも渋い顔をする。
「難しい攻勢ね。ツワブキ・コウヤは叩けば埃が出るでしょうけれど、深追いは禁物。リョウは公安だし、レイカもその実態は分かっていない」
「動画を作るOLなんじゃ」
「隠れ蓑よ、それは」
すかさず返されてダイゴは言葉を失った。レイカでさえも敵である可能性があるというのか。
「確証は?」
「食事中によく、端末を弄っているでしょう?」
イッシンに見咎められるあれか。ダイゴの了承にコノハは口にした。
「あの通信履歴を追おうとするとデボンのセキュリティに阻まれる。普通のOLは、こんなセキュリティ対策はしていない」
レイカも何らかのポケモントレーナーなのだろうか。その問いにはコノハも顔を伏せて首を振った。
「分からないわ。ツワブキ・レイカはちょっとやそっとの闇じゃない。呑み込まれればこっちがやられる。だから付かず離れずの距離間を取るしかない」
深追いすれば危険なのはツワブキ家の全員に言えそうだ。その中でもクオンはやはり無害に思えた。
「ツワブキ・クオンに着目したのは悪くない、と思う。でも彼女が出来るのはせいぜい手伝いレベル。あなたの記憶をどうこうするだとか、デボンの秘密を知るには若過ぎる」
クオンを選んだ人選ミスをなじられるようだった。ダイゴは、「手がない」と返す。
「俺だけじゃどこにも入れないし、何も出来ない。自分の無力さは、悔しいけれど一番よく知っている」
拳をぎゅっと握り締める。自分一人で出来るならば既にやっている。だが記憶喪失の一個人が動くにはこの社会はもう複雑なのだ。
「賢明ね。自分の力量を弁えている」
「だからこそ、問いたい。俺に何が出来る? 何ならば、役に立てる?」
コノハは長年ツワブキ家に潜伏している。ならばどこかしら隙を窺っていてもおかしくはないのだ。ダイゴの考えにコノハは書類の一つに視線を落として、「そうね」と呟く。
「実は今回、静観するつもりだったんだけれど、あなたの考えで気が変わったわ。ちょっと仕掛けてみるのも悪くないかもしれない」
何の事なのだ。ダイゴは目線で問いかける。
「ツワブキ家、いいえ、デボンコーポレーション幹部総会。それが明日に開かれる。その時に、もしかするとデボンの秘密を解き明かす鍵があるかもしれないと思っていたからハッキングして少しでも情報を仕入れようとか小賢しい事を考えていたのだけれど、ちょっと攻めに転じてみるのも悪くないわね」
「どういう意味だ?」
「あなたが、その幹部総会に殴り込みをすればいい」