第八十九話「生きる意味」
「精神……」
Dシリーズの果てにあるとされる初代再生計画はその精神を復活させようというものなのだろうか。初代ツワブキ・ダイゴの精神。それがどれほどのものなのかは推し量るほかない。
「精神だけで物事を語るのはよくないかもだけれど、オイラはさ。一度それを捨てているから、余計そう思うわけ」
ディズィーは元々彼女という人格だったわけではない。別人の肉体にディズィー、つまり「D122Y」の人格が入った事で彼女となった。今の彼女と肉体そのものは断絶しているのだ。
「肉体の断絶と精神の断絶……。ディズィーさん。ダイゴは、じゃあ記憶を取り戻す事が幸福とは限らないって事ですよね」
「まぁ有り体に言えばね。考え方によっちゃ、もう少し前向きになれそうなものだけれど、今の彼を取り巻く状況が楽観視させてくれない。Dシリーズの殲滅を目的とするネオロケット団からしてみれば、怨敵であり、身を投げ打った英雄でもある。デボンからしてみれば何か意味のある実験体。だから重要視すべきではあるけれど、ある一点では捨て駒でもある。なかなかにツワブキ・ダイゴという一人物を取ってしてみても簡単に物事は見えてくれない」
クオンはベッドに寝そべって息をつく。今すぐにダイゴに伝えてしまいたい。あなたはツワブキ・ダイゴではなくフラン・プラターヌ。ネオロケット団に命を狙われていると同時に英雄でもあり、あなたが覚悟してネオロケット団に投降すれば、もしかしたら記憶が取り戻せて、命も助かるかもしれない?
クオンは頭を振って否定する。とんだ夢物語だ。今考えただけでもそう容易くはない。
「ダイゴは、でも記憶を取り戻そうとしますよ。そのために、コウヤ兄様と戦ったんですもの」
「覚悟は買うよ。でも無鉄砲なところもある。ツワブキ家はそうでなくっても危険だし、まぁポケモンバトルも強いと考えたほうがいい。正面切って戦うのは危ないなぁ」
ディズィーでもそう判断するのだから臨戦したダイゴはもっとだろう。クオンは天井を見据えながら呟いた。
「……でも、あたしを頼ってくれた」
「見方によっちゃ、君しか頼れなかった。ツワブキ家以外で彼の行くところはないよ。彼を管理していたのはツワブキ・リョウだし、Dシリーズに関しちゃツワブキ・レイカの独壇場だ。ツワブキ・イッシンもなかなかに曲者な気がする」
「家族を疑わないで」
クオンは起き上がってディズィーに言い含める。ディズィーは肩を竦めた。
「疑わないで生きていけるならどれほどいいか。作曲と同じだよ。このコードが間違いだって言ってくれる人間なんてどこにもいないんだ。だって作るのはこれからだし、答えは誰も知らないんだから。オイラ、作曲作業は嫌いなほうだけれど、作曲って行動そのものは尊敬する。何もないところから何かを作るってのはさ、難しいんだよ。作るってのは同時に、あらゆる人々に公開可能なステータスとして存在する事にもなる。オイラの作った曲がギルティギアの人気云々になるわけだ。なかなかに気が重い」
そう言いつつもディズィーは口元に笑みを浮かべていた。本心ではきっと作曲が楽しいのだろう。新しいものを作り出すことも、きっと楽しいに違いない。
では、既存のものから置き換えられたダイゴは? 生きていて楽しいのだろうか。クオンは疑問の胸中に陥る。
「ねぇ、ディズィーさん。ダイゴって、生きていて楽しいのかな。こんなに、周りに管理されて、妨害されて、取り戻したくっても取り戻せないものがあって」
自分ならばきっと膝を折る。許しを乞う。しかしダイゴはそのような無様な真似はしない。自分から勝ち取りに行く。
「分からないなぁ。オイラは楽しいけれど、ツワブキ・ダイゴくらいになると、もう何も感じていないのかもしれない。それこそ、人格の命じるままに、ただ生きているだけなのかもね」
ただ生きているだけ。それは生存とは呼ばない。機械のように決まった動きだけならば、それは人間でなくとも出来る。
「ダイゴは、自分の生きている目的が知りたいのかもしれない。だから記憶を求めている」
「記憶が失った半身か。まぁ生きる目的が欲しいってのは同意。だって、なかったらそもそもオイラだって生きちゃいないよ」
Dシリーズの刻印があっても、ディズィーは既に別人としての道を歩んでいる。ダイゴにはそれがない。ツワブキ・ダイゴという名前を与えられ、ツワブキ家での立ち居地を与えられ。与えられてばかりだ。しかしダイゴは作り出そうともがいている。その中で自分は衝き動かされた。ダイゴの行動に。その勇気に。
「きっと、人は与えられるばかりじゃないのね」
「何を当たり前の事を。与えられているばかりじゃ何も成せない。誰かに与えられて初めて、その生には意味があるんだ」
ディズィーが珍しくもっともらしい事を言う。クオンは、「意外ですね」と口にした。
「そんな、教科書みたいな言葉がディズィーさんの口から聞けるなんて」
「オイラ、教科書って大嫌いだけれどさ、まぁ載っている事はそれなりに納得出来る部分もあるんだわ。ああいうのから与えられた人間は、きっと与えたいって自然に思えるんだろうね」
与える側、とクオンは胸中に問いかける。自分は与えられたのだろうか。ダイゴに何かしてあげられたのだろうか。
「最悪なのは、だ。教科書を斜め読みする人間だと思うなぁ。だってさ、教科書くらい普通に読めっての。確かに載っているのは当たり障りのない人間関係の築き方のアーキタイプだったり、あるいは格言だったりするもんだけれど。馬鹿にするもんじゃないよ、教科書ってのは。オイラ、嫌いなものでも認めるべきところは認めるもんだと思っている。もちろん、それが上か下かは関係がない」
きっとそうやって生きてきたのだろう。ディズィーの人生の一端に触れた気がした。
「ディズィーさん、じゃああんまり、その、挫折とかって」
「いや、あるよ。挫折しまくり。今の作曲作業も挫折だし」
クオンはモニターを覗き込む。しかしディズィーが迷っている様子も、あるいは打ち損じているようでもない。どこに挫折があるのか、と問おうとしていると、「作曲ってさ」と口が開かれた。
「自分の理想とのギャップに苦しんだりするわけ。産みの苦しみだよね。この場面のリズムは出来れば弾きたくないとかあるんだよ。でも弾かなくっちゃ前には進めない。案外ね、オイラも挫折組なのさ。他人からしてみれば何の迷いも悩みもないように見えるかもしれないけれどね」
その通りだったのでクオンはそれ以上言葉を重ねられなかった。ディズィーはそれこそ、全て自分の自信の上に成り立たせているような気がしてくる。
「ま、クオっちにも分かるよ」
ディズィーが手を振る。この話は打ち切り、という事なのだろう。クオンは菓子の包み紙をくずかごに捨てて思案する。
ダイゴは何を望むのが正しいのか。自分は与えられてばかりだ。何か出来る事はないのだろうか、と。