断章前編「死の帝」
瓦礫の一つを手にして初代は、「接続率」と声にする。すると右の義手に備え付けられた魂の適合率が示される。67パーセント、とあった。
「ぼくのオリジナルの素体を使ってもまだ六割だとは」
初代は瓦礫を一つずつ集めている。何をやっているのか、と気付いたギリーが首を振って質問する。暗転した視界を持ち直し、今の自分の肉体に合わせた。
「あの、初代。何をやっておられるんで?」
「見て分からないのかい? 石ってのは素晴らしいんだ。それをちょっと拾っているんだよ。ぼくの生前の趣味が石集めだったって評判だろ」
生前。今も生きて動いている初代を目にすれば、その言い方はおかしな物言いだ。
「瓦礫ですよ」
「瓦礫の石も石には違いない。しかしD015、あそこまでやるとは思わなかった」
初代の声音にギリーは、「ですがあれが、Dシリーズの限界でしょう」と返す。
「あれ以上に強くなるなんて」
「馬鹿にしたもんじゃない。彼は、メタグロスとの半同調状態にあった。急激な成長だ。もしかするとあの躯体にぼくを降ろしたほうが適合率そのものは高かったかもしれない」
しかし初代の魂が降臨したのは結局、その肉体そのものであった。初代の像がぶれる。纏っているホログラムが一瞬だけ薄らぎ、その下にある遺骸を窺わせた。
「何というか、死体に定着出来たんですね」
「正しくは、死体と呼ぶのかどうか。ぼくの生存を恒久的に約束するためにこの肉体が保存されていたんだ。それを寄り集めて、つなぎ合わせたパッチワークが今のぼくだ」
初代は顔を上げ、「そうだろう?」と呼びかける。その視線の先には幹部総会を終えたイッシンの姿があった。
「大きくなったね、イッシン」
「……その肉体、やはり馴染みますか、初代」
イッシンの声に初代は手を叩く。
「随分と他人行儀じゃないか。まぁ社内だし、仕方あるまい」
初代の姿を視界に入れて幹部達が色めき立つ。
「どうして?」、「あの姿は?」
「おやおや、小うるさいのはいつの時代も変わらないね」
「彼は、我が社のこれからのシンボルとして役立ってもらう」
イッシンの説明に幹部達が困惑する。
「まさか水面下で進められていた、初代再生計画とやらでは……」
口を滑らせた幹部の一人にイッシンが笑って誤魔化した。
「そんな計画があったのは初耳だった。わたしにも是非ご教授いただいたいものですな」
幹部は口を噤んでいる。あの幹部の命は長くないだろうな、とギリーは思った。
「イッシン。ぼくはこれから、どうすればいい?」
鋼の右腕を掲げた初代の声に、「全てを」とイッシンは答える。
「全て? まさかぼくが支配しろ、と?」
沈黙を是とする。当初の初代再生計画ではない。ツワブキ・イッシンの行おうとしている初代の利用法は恐らく他の息子達を出し抜くためのものだろう。そうでなければ自分のような日陰者を雇い、なおかつ息子達の計画をダシに使うはずがない。
初代は嘲るように笑いながら、「いいだろう」と答える。
「二度目の社長人生か。それも悪くはない」
「一体、何がどうなっているの」
レイカが吹き抜け構造の社内で壁にもたれかかって口にする。対面にはリョウが佇み、「分からない」と返答した。
「何だって言うんだ? 親父は、いつからあんなものを用意していた?」
「初代のオリジナルパーツを繋ぎ合わせて、足りない部分はデボンの技術力の粋を集めた義手と義足……。初代降臨には確かに、あれほどの逸材はないのだろうけれど……」
濁したのは今までのDシリーズの量産計画をまるで無為とするようなイッシンの行動だ。確かにイッシンには探知されてはならなかった。だが、全く知らなかったわけではあるまい。ある程度の理解があるから、黙殺されてきたのだと自分達は思っていた。それがまさか結果的に出し抜かれるなど。
レイカは拳を握り締める。先刻のサキとの戦闘による恥辱と、さらに上塗りするかのような父親の暴走。我慢出来るはずもない。
「姉貴。親父は本気で、デボンを初代に任せる気なのか?」
「形は違えど、私達のやろうとしてきた事とある意味では同じ。血は争えない、という事よ」
そう判断しておいたほうが精神衛生上よさそうだった。イッシンの目的が違うとすればその軸の修正も加味して計画に込めなければ。
「Dシリーズの運用に関して、口を挟んでくるかもね。お父さん」
「やられたな。親父は初代を蘇らせるなんて駄目だって言うもんだと思っていたが」
レイカの胸中とすれば今でもその考え方だという線が濃厚だった。自分達の行動を制するためにイッシンは闇ルートで初代の遺骸を集め、今回のような反逆行為に出た。
「現社長のやった事とはいえ、私達穏健派の派閥からは抜け出た行動。当然、反感はあるでしょうね」
穏健派としてみれば、イッシンには関与して欲しくなかった事だったが、イッシンは関与、という形を捨て自ら乗り込んできたようだ。
「関わった、とかいう生易しいレベルじゃないな。親父、悪魔に魂を売り渡したのか?」
こちらとは別口でのDシリーズの運用。レイカは弟のその言葉を是とする。
「そうね。だとすれば分かったのは、お父さんは初代を降ろす事を容認したと言う事実。つまり、私達と同じ穴のムジナになってまで、成し遂げたい何かがあった」
イッシンのメンタリティならば初代再生計画を許すはずがないのだ。それを冒してでも成し遂げたい事と言えば一つしか思い浮かばない。
「もしかして、誰が爺さんを殺したのか、ばれたのか?」
リョウの声に、「言葉を慎みなさい」とレイカはいさめる。
「ばれれば困る腹なんて持ち合わせていない、というはずなんだから」
初代殺し。それはツワブキ家が沈黙の内に成り立っているタブーの一つだ。誰もそれについて言及しない代わりに誰もがアクセスする権限を持っている。
「お父さんは感情的な人だから、初代殺しに関して少しでも進めさせられる情報や駒があったのなら迷いなく進めるでしょうね」
その段になってレイカは自分をいずれ殺しに来ると宣言したサキの事を思い返す。今でも思い出すだけで震えが止まらない。
落ち着け。あれはただの小娘だ。何が出来るというのだ。そう言い聞かせていると、「姉貴」とリョウが声をかける。
「何?」
「姉貴、何か隠していないか? らしくないぜ、何だかいつもの平静さがない」
リョウにはサキの事は隠し通さなければならない。サキとは幼馴染であり、同僚でもある。サキを害したといえば、この弟は黙っていまい。
「何も……。勘繰り過ぎよ」
「かなぁ。オレに力になれることがあるなら言ってくれよ。公安の力を使えってのはちょっと難しいけれど、まぁ抹殺派の人間を炙り出すくらいなら」
実際、そのお陰でニシノという過激派の人間を早期に抹殺する事が出来た。ダイゴはあの出会いさえも仕組まれていたとは考えていないだろう。いや、考えた上で知らぬ存ぜぬを通していたのだとすれば、ツワブキ家はとんだ仮面家族だ。
「抹殺派、ネオロケット団の情報とネットワークにはきっちり網を張ってあるわ。あれに関与しようとした人間には死んでもらっているし」
そこでレイカはマコの事も足枷になっているのに気づいた。姉妹揃って、自分の足を取るとは。口惜しさにレイカは思わず苦い顔をする。
「ネオロケット団か。関わらないほうが無難って言葉を知らないのかね」
リョウは醒めた様子で肩を竦めるが、その一端に幼馴染が触れているとなれば冷静さを失う。この弟はそういう風に出来ている。
「ツワブキ家に帰るか、あるいはこのまま何食わぬ顔でお父さんに会う?」
レイカの提案に、「オレはともかく」とリョウは眉をひそめた。
「姉貴が会うのはまずいんじゃ? 一応、動画編集のOLってなっているんだからさ」
「副業として片棒を担いでいた、くらいでいいわよ。どっちにせよ、あんた一人でやっていたのならばそっちのほうが危ない綱渡りだし」
実際にはレイカが率先し、火消しにリョウを使っていた程度だ。コウヤはこの計画に乗り気ではないが全容は知っている。
「そういえば、クオンは? あの子はこれからどうするつもり? あんな、ダイゴと瓜二つのDシリーズなんて怪しむわよ」
鈍い子供だがもうそろそろ気付いてもおかしくない頃合だ。しかしリョウは沈痛に顔を伏せた。
「……何かあったの?」
推し量るのは兄弟ならば難しくなかった。リョウはぽつりぽつりと語り出す。
「……クオンは、あいつを選んだよ」
その一言でレイカは悟った。クオンは自分達の感知しない間にダイゴに寝返っていた。もうクオンが帰ってこないという声音にレイカは、「そう」と返す。
「あの子は、家族の中でも変わり者だったけれど、やっぱりそういう道を行くのね」
「敵対する可能性がある。姉貴、頼みってのはそれなんだ。出来れば」
「殺さないで欲しい、でしょ。あんたからしてみればクオンは自分の下にいる妹だもの」
可愛いに違いない。しかし、レイカはその言葉とは裏腹にクオンを始末せねばと考えていた。クオンの実力はさほど脅威ではないものの一族からの離反者を静観するほど余裕はない。
裏切り者には死を。それが掟だ。
「お父さんと会ってくるわ。リョウ、あんたはどうする?」
「オレも会う。一応、今日のデボンの警備を任せられている手前もあるし」
レイカはレジアイスを伴って瓦礫の転がるメインフロアに降り立つ。リョウもレジスチルを出していた。初代と同じ姿のDシリーズは悠長に瓦礫を拾い集めている。
今ならば殺せる、と殺しに慣れた神経が告げた。
「やぁ。誰かと思えばぼくの可愛い孫達じゃないか」
振り返らずに発せられた言葉にレイカは息を呑む。このDシリーズはなんと言った? 孫、と言ったのか?
「Dシリーズに親類はいないつもりだけれど」
「酷い言い草だな。元々はその親類の血筋を真似て造っていたんだろう? だが、そのような模倣はもう、必要がない、というわけだ」
振り返ったDシリーズの佇まいはまさしく初代のそれであった。レイカは小さい頃に数度かしか初代と会った事がない。それでもこの立ち振る舞いは見紛う事のない、初代だった。
「……お爺様?」
「久しぶり、のようだね、レイカ。おじいちゃんだよ」
若々しい姿のDシリーズが気安い笑みを浮かべて片手を上げる。しかし、まさか。まだレイカの中では整理がつかない。
「初代の魂を降臨させても、まだ記憶が戻るまでは時間がかかるはず」
「そうとイッシンから聞いたよ。それにぼくの肉体も完全じゃない」
石を拾っていた初代の右手は機械のそれだ。左足もである。
「オリジナルツワブキ・ダイゴの肉体は随分と弄ばれたらしい。右手と左足の欠損だけで、まさかこれほどまでに本調子が出ないとは」
本調子。まさかこの状態でも初代は万全ではないというのか。硬直するレイカに、「気負うな」と声がかけられた。吹き抜け構造の二階からイッシンが見下ろして声を投げてきたのだ。
「お父さん? 本当に、初代を……」
自分達もやろうとしていた事を父親が平然と行った事に震撼する。棚に上げた言い草には違いなかったが、イッシンは咎めもしない。
「そうだ。彼がわたしの父親であり、お前らのおじいさんだ」
「会えるのならば来世で、と諦めていたところだよ」
初代の言葉にレイカは改めて感じ取る。イッシンは何をしたのだ? 自分達が相当手間取った初代の降臨をこうも容易く済ませた。カラクリがあるに違いない。
「親父、この初代の、じいさんの魂って本当に、この肉体に?」
定着しているのか、という意味だろう。イッシンは、「これから向かう」とモンスターボールから手持ちを繰り出す。ギギギアルに飛び乗ってイッシンが降りてきた。幹部達が戸惑って顔を見合わせている。
「あれは何だ?」、「初代、にしか見えないが……」、「馬鹿な。若過ぎる……」
それぞれのざわめきを気にも留めず、イッシンは初代を紹介する。
「皆様、混乱しているとは思われますが、彼こそが初代ツワブキ・ダイゴその人なのです」
鶴の一声に誰もが狼狽する。当然だ。死んだはずの初代が目の前で手を振っているなど。
「悪い夢だ……」
その呻きも当然であった。
「夢ではございません。初代ツワブキ・ダイゴは得難いギフト。わたしとその一族はこの初代を枢軸に据えた社内計画を推進していくために、今日まで準備をして参りました」
レイカは自分の所業さえも社内計画の一言に片付けたイッシンの言葉に正気を疑う。まさか知っていたのか。それよりも、一族が、と銘打ったのか?
ツワブキ家の悲願がこの形だと?
レイカが改めて初代を見やると初代は首筋をなぞってみせた。
指先が触れた箇所のホログラムが剥げ落ち、その下にあるものを見せる。レイカは息を呑んだ。
シリアルナンバー「D000」。オリジナルナンバーがそこには刻まれていた。
しかしどうして? レイカの中で疑問は膨らむ。
初代の遺骸にシリアルナンバーが振られているはずがない。振る必要がないのだから。しかし目の前の初代は恐らくはオリジナルの遺骸から作られたもの。レイカが感じ取ったのはその違和感だ。
この初代は本当に初代ツワブキ・ダイゴなのか。
その疑念を吹き飛ばすように初代が割って入った。
「やぁ、諸君。久しぶり、の顔もちらほらいるね。ぼくは改めて、このデボンコーポレーションの全権を引き継ぐ事になった。死に際に至らないところを見せたが、今度はそうはいかないつもりだ。イッシンから全ては聞かされている。ぼくは初代ツワブキ・ダイゴとして、恒久的にデボンという企業を全世界に発信する。それこそがぼくの使命だ!」
放たれた声に一同は唖然としていたが一人が拍手を始めた。その拍手の波が伝播し、瞬く間に幹部達が熱に浮かされたように拍手を浴びせる。初代は、「ありがとう」とにこやかに手を振る。
「しかし、だ。今の惨状を見れば分かるだろう。デボンに敵対する組織がある。その組織を闇から引っぺがさなければ、真の平和は訪れないだろう」
「組織?」と幹部達が色めき立つ。そこまでは知らされていないのか。
「組織の名はネオロケット団。前時代の闇に消えたと思われていた組織だったが、今芽を吹き返したらしい。ぼくは四十年前、第一回ポケモンリーグでその片鱗を見た。その時より存在する闇に、今こそ立ち向かう」
初代が鋼の右腕を掲げる。力強くその手を天に突き上げた。
「ぼくが倒す! このツワブキ・ダイゴが自らの手で」
初代のカリスマに中てられたように全員が今度は静まり返っていた。まさかデボンという巨大組織を害する存在などイメージ出来ていないのだろう。
「初代、それに関してはわたしが後から」
イッシンの声に初代は、「そうだね。頼むよ、イッシン」と肩を叩いた。
「今の社長は君なんだから」
この違和感は何だ。レイカは必死に考えを巡らせる。初代である証明は数多いが、この初代は自分達の理想としてきたものとは、まるで……。
「約束しよう。ホウエンの恒久平和を」