第百十二話「闇の番人」
切り裂かれた腕が爆発し、メタグロスが完全に沈黙する。ダイゴは必死に呼びかけた。
「メタグロス、お願いだ。もう一度だけ。メタグロス、俺は……」
「瀕死状態。それ以上戦わせるならばトレーナー失格だ」
ルカリオがダイゴへと骨の剣の切っ先を突きつける。まさしく王手。ダイゴは悔しさを滲ませる。
「俺は、初代ツワブキ・ダイゴ。お前を止めなければならなかった」
「それは残念だな。ぼくに並ぶには熟練も、強さも、そして何より、能力が足りていない」
ルカリオが骨の剣を振るい上げる。切り裂かれるかに思われた。ディズィーもこれほどまでの凄惨な戦場で全く動けなかった。一体どうすればいいのか。
「さて、さよならだよ。君を殺し、ぼくは次のステージに行こう」
振るい落とされた、と誰もが確信した。
しかしその攻撃を中断させたのはデボンの正面玄関を叩き割った旋律である。ダイゴも、ディズィーも、マコも、クオンも、オサムも、当事者たる初代も、全員が瞠目していた。
正面玄関を破砕したのは草の暴風であった。ガラスが軒並み粉砕され、降り立ったのは二頭身ほどの茶色のポケモンである。両腕には木の葉を思わせる十字の意匠の腕があり、鼻が突き出ていた。白い体毛は歌舞伎役者のようだ。
「ギリギリ、ってところだな」
そのポケモンを伴って現れたのはフルフェイスヘルメットを被った男だった。バイクで横滑りをして突っ込んできており、ガラスや入り口があろうがなかろうが関係がない、とでも言うようだ。
「何者だ?」
初代の声に、「名乗るほどのもんじゃねぇって」と男は答え、バイクから降りる。
「通りすがりの悪の味方、って言うべきかな」
その威容に誰もが言葉をなくしていたが初代だけは笑った。
「なるほど。じゃあぼくは正義かな?」
「どっちでもいい。連中を回収しろっていうお達しだ。てめぇら、撤収命令が出ているぜ。キャプテンから、と言えば分かりやすいか」
キャプテン。つまりこの男もネオロケット団の手の者、という事なのだろう。ディズィーは、「しかしどうやって」と声にする。
「逃げ切るなんて出来るっての?」
「その通り。逃がすと思っているのかい?」
メタグロスが起動し、さらにフライゴン、ボスゴドラ、ルカリオが殺気立つ。フルフェイスの男は、「参ったなぁ」と首を傾げた。
「キャプテンからはあまり戦力を出さずにやれ、って言われていたんだが、奴さん、ガチもんじゃねぇか。おいおい、あるとすればこいつに降ろすって言われていたのに、肉体のスペアでもあったのか?」
フルフェイスがダイゴを指差す。ダイゴが呆気に取られているとフルフェイスの男はダイゴの頬を殴りつけた。突然の事に全員が黙り込む。
「何、を……」
昏倒したダイゴを背負い、メタグロスをモンスターボールに戻す。
「やり過ぎだっての。ここまで被害出したんじゃ、カバー出来ないぜ」
ダイゴを担いだ男にディズィーは声を投げる。
「待ってよ! この状況で全員が逃げ切れるのは無理だ。どうやって」
「どうやって? 例えばこういう方法があるぜ」
男が指を鳴らすとデボンの入り口へと殺到してくる嵐があった。黒い一陣の旋風。それはバイク集団であった。全員フルフェイスヘルメットでバイクに跨っている。入り口が瞬く間にバイク集団で押し合いへし合いの状態になった。
「乗れよ。全員仲間だ」
男の声にディズィーは戸惑う。これほどまでの戦力を整えられる勢力などあるのか。
「でも……」
「でも、じゃねぇ。あんただって、勝てねぇってのはよく分かっているだろうに」
確かに自分では初代に遠く及ばないだろう。ディズィーは拳をぎゅっと握り締める。
「安心しな。今は敗走じゃねぇ。勝つために今は逃げるんだ」
男は振り返り、初代を指差す。
「初代ツワブキ・ダイゴ、だったな。てめぇより今はこいつは弱いだろう。それはもう分かり切っている」
ダイゴを顎でしゃくる。初代は、「だろうね」と応じた。
「しかしどうするって言うんだ。瀕死の状態のD015とメタグロス。勝つ算段でも?」
「半年後だ」
男の放った言葉に意味が分からないのか初代は首を傾げる。
「半年後、てめぇをこいつは実力で倒す。その日を心待ちにしてな」
初代を指差した男の声に初代は嘲りを浮かべる。
「半年? まさか半年で王であるぼくに追いつけるとでも?」
「追いつくさ。こいつは、追いつく。そのために、今は背中を見せるんだよ」
男が踵を返す。マコやクオンは既にバイクの後部に乗っていた。
「初代、あいつ隙だらけです」
ギリーが進言する。初代は、「だね」と答える。
「今ならば殺れます」
ギリーが駆け出し、ギガイアスが頭頂部を向ける。
「ロックブラスト! 背中を見せたのが命取りだなぁ!」
放たれた岩の散弾が男に突き刺さるかに見えた。しかし、男はため息を一つつく。
「度し難いってのは、こういうこった。てめぇと相手の実力差も分からねぇ、三下が」
岩の散弾を防いだのは先ほどエントランスに割り込んできたポケモンである。十字の手裏剣のような腕を突き出して新緑の壁を形成し、主人を守った。ギリーが目を瞠る。その首筋へとそのポケモンが手を振りかぶる。
「ダーテング。峰打ち」
ダーテングと呼ばれたポケモンの一撃がギリーの首筋を捉えた。ギリーが膝から崩れ落ち昏倒する。
「殺しちゃいねぇ。実力差が分からない奴を殺したところで、てめぇへの牽制にもならないからな」
男の声に初代は、「面白いな、君は」と口にする。
「気が変わったよ。何としてでも逃がしたくなくなった」
ルカリオとボスゴドラ、それにフライゴンが戦闘姿勢に入る。男は、「ったく」と首を振る。
「戦闘狂かよ。オレの言えた義理じゃねぇけれどな。てめぇほどの強者相手に、オレ一人だと思ったのか?」
「何だと?」
その声に初代が何かを感知したように咄嗟に手を振り翳す。
「メタグロス! 防御しろ!」
メタグロスの腕が降りかかってきた水色の光条を受け止める。たちまち凍りついたその威力にディズィーは言葉をなくしていた。
「オレ達は一人じゃねぇんだ。そこんとこ、ヨロシク」
「冷凍ビームか。この威力」
初代が顔を振り向けた方向に浮かんでいたのは鬼の首のようなポケモンである。半透明の表皮に黒い角が突き出ていた。シャッター型の口から「れいとうビーム」が発射されたのだ。
「オニゴーリ……。使い手が限られてくるが」
「おっと、そこまでだぜ。これ以上手の内を見せるのは面白くねぇだろ? お互いにな」
男の放った言葉に初代は納得する。
「……いいだろう。見逃してあげよう。ただ一つだけ疑問が。本当に、半年で? その頃にはデボンは兵力を固め、きっと手の打ち所のないレベルになっているだろう。ぼくの提案する無限の兵力をデボンが受け容れれば、きっと君達のような小童では太刀打ちできないが」
「その心配は無用だぜ、初代。言ったろ? オレ達は悪の味方であって、別に平和を手に入れようだとか、そんな崇高な目的はねぇんだ。デボンの支配構図があるってんなら、それを覆してみたいだけさ」
男はその言葉を潮にしてバイクに跨る。ディズィーは尋ねていた。
「当てがあるってのか?」
「まぁな。キャプテンは、今回の事を予想以上に重く見ている。オレが呼ばれたのもそのせいだよ」
ディズィーはバイクの後部に跨った。男がアクセルを開き、「じゃあな! 初代」と声を上げる。
「次に会う時には殺す」
「お互い様だね」
バイクがいななき声を上げ、デボンを後にする。ディズィーは今日、後戻り出来なくなるほどの巨大な事が起こった事だけは確かだと感じていた。
初代再生計画。それが一段階、いやもっと推し進められた。自分達は初代をダイゴに降ろすまいと戦ってきたがデボンはその予想を超える動きをしてきた、という事なのだろう。
「てめぇの事も聞いているぜ、ディズィー。確か、Dシリーズなんだって?」
男の声に隠し立てする事もあるまいとディズィーは返す。
「そうだけれど、出来ればマコっちには教えないで欲しい」
「正直だな」と男は笑う。
「いいぜ。オレの胸の中だけに留めておいてやるよ」
遠ざかるデボンを視界に入れ、ディズィーは呟く。
「闇の番人達。きっと、戻ってくる。戦うために」
その言葉は胸の中に仕舞われた。