INSANIA











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世界の向こう側
第百八話「王の顕現」

 誰の声だ? ダイゴもFも反応出来なかった。

 この場にいるのは自分達だけだと思い込んでいた。しかし、いつの間に接近していたのか、背後から赤い光線が発射される。それがFに絡み付いて拘束した。赤い光線はモンスターボールの光だ。

「な、何をする? ボクは、その身体を、手に入れなければならないんだァ!」

「いつまでもそういう感情で動かれていたら目障りだって言っているんだよ。いいかい? だから、ぼくみたいなのが必要になってくる」

 Fが粒子となって赤い光に吸い込まれる。Fを引っ込めた相手に対してダイゴは振り返れなかった。振り返った瞬間、肉体を削ぎ落とされるような恐怖があった。汗がじわりと滲む。鼓動が早鐘を打つ。どうしてだか、振り返れば死のビジョンしか見えない。

 そのような心境を察したのか、背後の相手は柔らかく笑った。

「そこまで緊張するって言うのが、よく分からないな。だってはじめまして、じゃないだろう?」

 はじめましてじゃない? 相手は自分の知っている人間なのか。声音からしてまだ年若いのが分かるが自分の知っている相手にこんな声の持ち主はいたか? と考える。

 聞いた事がある。とても耳馴染みのいい声だ。しかしどこで聞いた? どこで、この男の声を聞いたのかがどうしても思い出せない。

「振り返ってみなよ。その時、勝負が決するとは思うけれど」

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。メタングはいつでも攻撃可能な状態だ。思惟も飛ばし、最速での「バレットパンチ」が打ち込める。比して相手はFを取り込んだ事から恐らく丸腰か、それともポケモンを出すロスが生じる。その期を狙えばいい。簡単な事だ。

 相手のほうが遅いのは明白である。明白であるのに、どうしても振り返れない。

 全身が凍り付いてしまったかのようだ。まさかレイカ? と感じたがレイカの声ではない。つい先ほどまで聞いた事のある声だった。男の声で、今まで何度も聞いた自分のよく知っている声。

「振り返れないのならば、ぼくがそちらに行こうか?」

 この相手に一歩たりとも歩ませてはならない。ダイゴの防御本能が走り、決断をさせた。

「メタング、バレットパンチ!」

 振り返ると同時に攻撃。これは避けられまい。それほどの域に達した弾丸の拳が相手を捉えようとする。その瞬間に、ダイゴは振り返っていた。

「――ぼくを見たな?」

 その声にダイゴは全身が雁字搦めになったように硬直していくのを感じられた。その声の主、その声を発している人間の姿。

 銀色の髪に、銀色の瞳。その姿は、まるで――。

「やはりぼくの劣化コピーでは、ぼくを見た瞬間に反応が違うな。殺せなくなったろう?」

 相手の言葉にダイゴはメタングの拳が届く寸前で止まっているのを発見する。メタングがどうしてだか動かない。内側に落ち窪んだ赤い瞳も困惑に震えていた。

「ぼくを殺すにしては、このポケモンでは駄目だ。躊躇うだろう? 鋼タイプではね」

 相手はメタングの拳を指先でなぞる。それだけでこちらの戦意が凪いでいった。メタングが機能不全を起こしたように両腕を下ろす。ダイゴはようやく相手の名前を口にしていた。

「……ツワブキ・ダイゴ」

「初代が抜けているよ、三下君」

 目の前に立っているのは初代ツワブキ・ダイゴであった。どうして、という思いよりも湧き上がったのは恐怖だ。自分の似姿が目の前にいる。しかも以前見たようなDシリーズの感覚とは違う。これは純粋な畏れであった。

 自分のオリジナルを前にした、先天的な恐怖。

「さて、十五番目のぼく。君とは話をしたかったんだが、そうも言っていられないらしい。君の目的がこの先の会議室にあるというのならね」

 そうだ、自分は幹部総会を押さえ、そこで自分の出自を明らかにせねばならないのだ。萎えかけた思考に熱を通すようにダイゴは眉間に力を込める。すると硬直していたメタングがにわかに動き出した。

「やるね。ぼくを前にして敵愾心を出せる鋼タイプってそういないんだ。君は、どこかでぼくに立ち向かおうとしている。いいね、とてもいい。それが人間としての美しさを出している。でも同時に、君が劣化コピーであるという証でもある。悲しいね」

 初代らしき男はそう告げる。ダイゴはこの男を何としても倒さなければならないと感じた。そうしなければ自分が食われかねない。

「撃て! バレットパンチ!」

 メタングが打撃を放つ。初代は軽くステップを踏んで回避した。まるで攻撃の方向が事前に分かっているかのように。

「メタングか。懐かしいポケモンを使うんだね」

 初代が右腕を差し出す。その時に気付いた。初代の右腕は生身ではない。機械で作られた義手だった。掌に当たる部分が落ち窪んでおり、内奥が緑色に光っている。先ほどのモンスターボールはそこから出したらしい。Fの入っているであろうモンスターボールが瞬時に消え、別のモンスターボールが出現する。

「さて、誰で戦おうか? ぼくのボックスにいて君と同じくらいの奴がちょうどいいかな」

 モンスターボールが次々とシャッフルされ、その度に入れ替わっていく。ダイゴは掌の装置が転送能力を有しているのだと確信する。

「何なんだ、お前は……」

「言ったろう。初代ツワブキ・ダイゴだと」

 鋼の右腕を差し出して相手が口にする。しかしその名前は自分に降りてくるはずだったものだ。容易に信じられるものか。

「……言っておく。初代の名前にこだわってきたデボンとツワブキ家が唐突にその場しのぎのDシリーズを用意するはずがない。その相手がツワブキ・ダイゴを名乗るなんてもっとだ。だからお前は、初代じゃないな」

 相手は度し難いとでも言うように頭を振った。

「理解は出来ない、か。まぁそうだろうね。本来ならば、君の身体に降りるはずだった魂だ。しかし、いささかトラブルが多かった」

 踏み出した相手にダイゴは警戒する。

「トラブル?」

「ぼくの魂を容認するのには、君の人格が強くなり過ぎた。ツワブキ・ダイゴでもフラン・プラターヌでも何者でもない、名無しの魂がその身体に馴染み過ぎたんだよ。だからその身体に入る危険性を考慮して、ぼくに仮初めの肉体が与えられた。少しだけ醜いから見せるのは憚られるが」

 相手が顔を拭う。するとその部分の表皮が裂けた。否、裂けたのではない。表皮を構成する小さな分子が飛び散り、内部を露出させる。ダイゴは息を呑む。

 そこにあったのはほとんど枯れてしまった肉体だった。遺骸、と言い換えてもいい。死に絶えているはずの肉体がゾンビのように動いている。それを隠しているのは最新鋭のホログラムだった。上辺から保護しているのだ。

「ホロを被って……、初代の真似事を……」

「真似事じゃない。ぼくは初代ツワブキ・ダイゴだと言っている」

 あくまでも初代として譲らない相手にダイゴは、「だったなら」と語気を強める。

「初代だって言うんなら、全てを終わらせる!」

 初代ツワブキ・ダイゴさえいなければ、あるいは変死しなければ起こらなかった悲劇だ。初代を倒せば、この悲劇も収束する。そう信じていたダイゴへと初代の声が割り入った。

「誤解しちゃっているなぁ。ぼくの死の真相を知るためにツワブキ家もデボンも相当苦労したんだろう? まぁ、今のぼくにその返答は出来ないわけだが」

「出来ない? 初代じゃないのか?」

 初代はこめかみを突く。

「急に降霊されたものでね。まだ脳細胞が本調子じゃないんだ」

「デタラメを……」

 メタングが攻撃姿勢を取る。一瞬の揺らぎはあったものの最早この初代と自分達への冒涜としか思えない相手に手心は一切加える気はない。

「本気、の眼と見た。ならば、こいつで行こう」

 右手の転送装置からモンスターボールが出現し緊急射出ボタンに指がかけられた。

「いけ、メタング」

 繰り出された姿にダイゴはまさか、と目を瞠った。自分のメタングと同じ、いいや、より純正に近い銀色の表皮はこちらのほうが本物だと主張しているようだった。爪は金色でありまさしく王の威容だ。

「色違いのメタング。ぼくの相棒でもあったポケモンだ」

 初代が手を振り翳す。ダイゴは咄嗟に声を張った。

「防御を!」

「バレットパンチ」

 放たれた弾丸の拳がメタングの表皮を叩く。その衝撃にメタングの鋼の肉体が軋んだ。まるでレベルの違う攻撃だ。

「ぼくは鋼タイプがとても好きでね。それはやはりこのタイプ発見に貢献出来たのが一番大きいんだと思うけれど、石が昔から好きだったんだ。だから石に似通った性質を持つ彼らが愛おしくって堪らない」

 初代がメタングの鋼の腕に拳を当てるとコォーンと空洞の音が響き渡った。

「うん、いい音だ」

 間違いない。今対峙している相手は初代ツワブキ・ダイゴなのだと、その時になってようやく実感が湧いてきた。どういうつもりかは知らないが自分と初代を戦わせてデボンは何らかの事を企んでいる。それだけは確実であった。

「君のメタング、育てはいい筋しているが、やっぱり一線が足りていない。もうちょっとその鋼を磨いてやりなよ」

「黙れ!」

 メタングが攻撃する。放たれた「バレットパンチ」が色違いのメタングを叩き伏せるかに思われたが、初代の放った言葉は短かった。

「いなせ、メタング」

 それだけだ。たったそれだけでメタングの両腕が動き弾丸の速度を誇る拳を同速の拳が叩き据えた。まさか、とダイゴは戦慄する。

「同じ、速度……」

「相殺したというわけさ。なに、そう難しい話じゃないよ」

 初代の声にはまだまだ余裕があった。ダイゴは歯噛みする。これほどまでの差があるというのか。自分と初代との間に、これほどの隔絶が。

「諦めるにはまだ早い。もっと打ち込んでくるといい。そうすると、こっちも本調子に、戻れそうだ」

 まだ本気を出していないと、相手は言っているのだ。嘗められている、と思うと同時に、この初代から比すれば今のトレーナーなど赤子なのではないかと思われた。腐っても第一回ポケモンリーグの玉座に輝いた男。最初の王だ。

「どうした? 打ち込んでこないのかい?」

 打ち込むにはあまりにも自分は無策だった。どうやって攻撃の隙を見つければいいのか分からない。相手の色違いメタングは自分のメタングと同じか、それ以上の性能を誇っている。ここで影響してくるのはトレーナーとしての技量に他ならず、初代に勝つには自分が圧倒的に足りない事は自明の理だ。

「打ち込まないのならば、こちらからいかせてもらう」

 初代がすっと手を掲げる。するとメタングが一撃を見舞ってきた。即座に防御姿勢を取るが、畳み掛けるようにラッシュが押し寄せる。ダイゴはメタングに命じていた。

「同速度か、それ以上のバレットパンチで迎撃!」

「遅い、遅いよ! こんなんじゃ、それはバレットパンチって言わない。弾丸って言うののは、こんな感じで」

 急に拳の速度が変わった。くの字を描き折れ曲がった拳の軌道を追い切る前にその拳がメタングの下腹部に突き刺さる。

「ちょうど、相手の不意をつくレベルじゃないと、言わないんだよ」

 メタングの鋼の身体に亀裂が走る。馬鹿な、と思う反面、この程度では勝てないと冷静に分析する自分もいた。メタングの身体が吹っ飛ぶ。色違いのメタングの嵐のようなラッシュの猛攻にダイゴでさえも吹き飛ばされたように倒れる。

「こんな……。ここまでの技量の差なんて……」

「残念だが、君とてぼくを降ろすには不充分だったようだ。もしぼくが君の肉体を使っていたとしても、最大限に鋼タイプを動かすには至らないだろう」

 ダイゴは初代を睨む。全盛期のホログラムを纏った初代はまさしく圧倒的な存在であった。王の威圧にダイゴは恐れ戦く。

「同じタイプで同じ技構成のポケモンを使ってもここまで差が開く。これが君とぼくとを隔てるものだ。D015、この時代のツワブキ・ダイゴ君。素質は素晴らしいと思う。プラターヌ家の血筋に焦点を当てたのも流石だし、実際、君は結構仕上がっていたと思う。フラン・プラターヌの躯体には勿体無いレベルのトレーナーになっていた。だが、ぼくに勝つのはやっぱり無理だし無茶だ。――結局、ぼくが一番強くてすごいんだよね」

 色違いのメタングが腕を掲げる。次の拳で勝負が決まる。その予感にダイゴはどうするべきかと考える。ここで逃げても同じだ。初代の降り立ったこの肉体を機軸にしてデボンとツワブキ家は計画を進めるだろう。計画を阻止し、自分の存在意義を示すにはここで戦うしかない。戦って、勝つしかないのだ。

 ダイゴは萎えそうな自分に喝を入れるべく膝を叩いた。立ち上がり、メタングを呼びつける。

「メタング! 俺達は、まだ!」

 メタングの眼窩に赤い光が宿り、ふわりと浮き上がった。初代は乾いた拍手を送る。

「立派な志だ。自分のオリジナルに行き遭って、こうも闘志を燃やせるとは。羨ましいと言い換えてもいい。……ただ、勝てない相手に勝負を挑むのは、それはおめでたいとも言う」

「言ってろ。メタング、俺達は!」

 メタングの表皮が光に包まれる。亀裂の入った部位から出現したのは新たなる鋼の腕であった。二つの腕が生え揃い、四本の脚部を構築する。初代は感嘆の吐息を漏らす。

「同調、いいや、これはそう単純なものじゃないね。四十年前を思い出すな。あの時のポケモンリーグはちょうど君のような超ど級の猛者揃いだった」

「メタング、いいや、この姿は!」

 メタングの顔面にXの亀裂が走ったかと思うと光を拡散させる。そこにあったのはメタングの面影を残していながらさらに凶暴に進化した重戦車の鋼ポケモンだった。

 四本の脚部はそれぞれ独立した腕であり、尖った爪が攻撃的である。特徴的なのは額を走るXの文様。それこそがこのポケモンのポテンシャルが未知である事を示している。

「――メタグロス」

 初代がその名前を紡ぐ。ダイゴはその姿を睨み据える。

「行くぞ、初代ツワブキ・ダイゴ。言っておくが、今までの攻撃とは格が違う」

 初代は慌てるでもない。フッと口元に笑みを刻んだ。

「そうでなくっては。戦い甲斐がないというもの」


オンドゥル大使 ( 2016/02/14(日) 21:03 )