INSANIA











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世界の向こう側
第百二話「語れ! 涙!」

「理解者……? クオン、誤解している」

 リョウは妹をあやす必要があった。この一事の感情に身を任せた過ちを懇々と聞かせるために。

「ツワブキ・ダイゴ。あいつは始めからそんな名前なんかじゃないのさ。D015。実験体なんだ。初代を降臨させるために必要な依り代さ」

「兄様は何でそんな事をするつもりなの? ダイゴを、命をなんだと思っているの!」

 ヒステリックになったクオンをリョウは優しい言葉でいなす。

「おいおい、クオン。落ち着けよ。命、とお前は言ったが、元々D015、Dシリーズの初期ロットには寿命なんてないも同然なんだ。製造されたその時から、もう死ぬ運命さ。だったら有効利用したほうがいいに決まっている」

 クオンは歩み出る。まるで自分が自由の体現者とでもいうように。

「兄様は、間違っている!」

「クオン。落ち着け。家族だろう? 話せば分かるさ。クオンにはちょっと早いだけの話。だが、決して理解出来ない話でもないんだ。まずは落ち着いてオレの意見を……」

「兄様は、ダイゴを家族だと思っていないのね」

 その指摘にリョウは声を詰まらせる。家族だ、とのたまったのは自分だ。クオンは心から失望の目線を向けてきた。

「そんな人だとは思わなかった!」

 妹からの侮蔑にリョウは頬を引きつらせる。

「……言葉に気をつけろよ、クオン。オレは兄だぞ?」

「もう、兄弟だなんて思いたくないわ!」

 心の断絶が、何よりも遠い距離になった事を思い知らされる。クオンは何も知らない。だからこんな勝手な事が言える。まだ「そちら側」でいられるのだ。

「クオン……。ツワブキ家の、一族の繁栄のためには初代の魂は絶対なんだ。再生されたその時、どれだけ恵まれているのかがハッキリする。逆に、永遠に再生の機会を失えば、今度こそツワブキ家は終わりだ。種としての存続意義をなくすんだ。そんな未来を託せるか? 十年後、二十年後、絶対に必要なんだよ。初代のような魂の持ち主が」

「死んだ人間にすがるなんて、どこまでも浅ましい考え方よ!」

 リョウはため息をついて頭を振った。

「ここまで馬鹿だとは思わなかった。お前は、手のかかる妹ではあったが、可愛いと思っていた。だからクオン、お前だけはこのやり方に巻き込むのは、恩恵を得てからでいいと思っていた。初代ツワブキ・ダイゴがどれほどのギフトであったのかを、お前は知らないから、爺さんに会った事がないから言えるんだよ」

 初代は復活せねばならない。それこそが約束の日に繋がるはずなのだ。しかしクオンは是と言わなかった。

「そんな事が正しいはずがない」

「既存の物差しは捨てるんだ、クオン。お前は、ダイゴにそそのかされて、少しばかり心が俗物に成り下がっているだけだ。今に分かる。心が俗世間に塗れれば、どれほど価値を失うか。ツワブキ家は特別な家系なんだ。存続し、未来に繋ぐ。そうする事の価値がある、それほどの家庭に生まれて、お前は……」

 ダイヤモンドの風が頬を切る。一瞬走ったダイヤモンドがリョウの頬に傷をつけていた。触れると僅かに出血している。クオンは涙を目に浮かべて言葉を発する。

「兄様は、本当に最低よ」

 それが完全な断絶を意味していた。リョウは拳を握り締める。教育の必要がありそうだった。

「クオン、オレは、今までいい兄を演じてきたしこれからもそのつもりだった。オレが、お前に手を上げた事なんて一度もなかったろう? 裏切るんだな? クオン」

 リョウの静かな怒りが思惟となってレジスチルに伝わる。レジスチルが跳ね上がり、クオンへと向かっていった。

「いいさ。最低でも、矯正してやる」

 レジスチルの放った拳を受け止めたのはディアンシーだ。しかし、すぐにダイヤモンドの盾に亀裂が走る。

「岩タイプじゃ、鋼には勝てない!」

 その声と同期して突き上げられた拳がディアンシーに食い込んだ。ディアンシーがダイヤモンドの盾を展開して衝撃を減衰しようとするが効果抜群なのは疑いようがない。

「ディアンシー!」

 クオンの目の前にレジスチルが立つ。その迫力に息を呑んでいるのが伝わった。

「今ならば間に合う」

 リョウの言葉にクオンは目を瞑った。涙が頬を流れている。

「ツワブキ家の一員になるんだ、クオン。それこそが最も賢い選択である事は疑いようのないだろう? さぁ、こちらへ」

 手を伸ばしたリョウの指先をクオンは手で払った。目を見開いていたリョウであったが、その結論の意味を察して声にする。

「よぉく、分かった。クオン、お前は賢くない道を選んでしまったな」

 レジスチルがその手を振り上げる。ディアンシーの防御を砕いた腕が生身のクオンを屠ろうとした。

「させない!」

 差し込んできた声と共に突進してきたのは銀色のポケモンである。猪突気味の攻撃にレジスチルが防御姿勢を取り、床を滑った。

「何者だ……」

 視界に入ってきたのはダイゴと寸分変わらぬ容姿をした少年であった。彼は口角を吊り上げる。

「よく分かっているだろう? ツワブキ家」

「Dシリーズ……」

「シリアルナンバーは036。オサム、と名乗らせてもらっている」

 オサムと名乗ったDシリーズの後ろから飛び上がってきたのは赤い複眼を持つ緑色の龍だ。細かい砂塵を放ち、フィールドを砂嵐に染めていく。

「クオンちゃん! ゴメン、遅くなって! ディズィーさんは?」

 リョウは息を呑む。現れた影は、おおよそこの場に似つかわしくなかった。

「マコ、ちゃん……?」

 相手も自分に気づいたらしい。マコは言葉を詰まらせる。

「リョウ、さん……」

 お互いに、どうして、という言葉が浮かんだが察したのは同じタイミングであった。相手がこの場における敵だと言う事を。

「驚いたな。サキが来るのは、まぁ百歩譲っても分かるが、マコちゃん、君が来るとは」

「私も……、誰かが関わっているとは思っていたけれど、リョウさんだなんて」

 互いに牽制の構えを取る。緊張が走った。オサムがクオンの手を取って引き入れる。突っ込んできた四足のポケモンは咆哮して威嚇する。

「コドラ、か。鋼タイプ。なるほど、Dシリーズの一体が行方不明だとは聞いていたが、お前がそれか」

「僕も意外だな。デボンに突っ込んだらいきなり本丸と鉢合わせなんて」

「何が目的だ? まさか今さら自由だとは言うまい」

 オサムは、「そうだね」とコドラに視線をやる。

「言ってしまえば、お前らの支配が気に入らない、ってところかな」

「もっともらしい理由だが、Dシリーズが宿主を前にして生きていけると思っているのか?」

 リョウがレジスチルに命令しようとする。それを阻むように緑色の龍が攻撃射程に入ってきた。砂嵐を展開しつつ確実に視界を奪っていく。

「フライゴン、マコちゃんのポケモンか」

「リョウさん、出来れば穏便にいきたいんです」

 こちらとしても重々承知だ。しかし許されない事がある。

「クオンは、ツワブキ家で処理する。それを邪魔する権利は、君とてない」

 クオンの手をオサムがぎゅっと握り締める。先ほどまでいたダイゴの生き写しにクオンを握られているのは素直に憤りがある。

「残念だが、僕らとてただやられに来たわけじゃない」

「コドラ程度で。レジスチル!」

 跳ね上がったレジスチルが電流を纏った腕を振るい上げコドラへと放つ。しかしコドラは平然としていた。その理由は周囲の砂嵐だ。地面タイプであるフライゴンが電流を無効化しているのである。

「電気は通じない。それにそのパワーも。この砂嵐の状況下では有効に振るう事は出来ないだろう」

 フライゴンのサポートにコドラの突破力。相手の戦術は早々に割れたが自分一人で戦うには少々分が悪かった。

「パワーが発揮出来ない、と言ったな?」

 リョウの言葉にオサムは眉をひそめる。

「それが?」

「――間違いだ。砂嵐程度ならば、破る事が可能。レジスチル、破壊光線を掃射しろ」

 レジスチルが腕を突き上げるとその指先から拡散された「はかいこうせん」が掃射される。まさかこのような攻撃に及ぶとは思っていなかったのかオサムとマコ、クオンは即座に飛び退った。砂嵐が消え、フライゴンとコドラが視界に映る。

「見えてしまえば」

 レジスチルが動く。鈍重で、なおかつ反動があったが先の「はかいこうせん」にたじろいでいるポケモンを捉える事は出来た。

「どうという事はない!」

 電流を纏い付かせた拳がコドラの腹腔に突き刺さる。コドラが呻いた。

「コドラを……! マコちゃん!」

「フライゴン! 地震で沈ませる!」

 フライゴンが翅を震わせてレジスチルに肉迫しようとする。その直上から、レジスチルは拳を打ち下ろした。電気は効かないだろうがただ単に打撃攻撃ならば届く。フライゴンが地面に突っ伏した。

「育て足りないな、マコちゃん。戦闘用のポケモンに比すれば、これほどの実力差がある」

 フライゴンは明らかに愛玩用レベル。コドラは戦闘用だがそれでも一進化ポケモンならば立ち回りようがあった。

「さてコドラだが、じっくりといたぶる時間もない。こちらには、家族の教育があるんでね」

 クオンが慄く眼差しを向ける。恐れられても、最低でももう構わない。初代再生計画を納得出来ない家族は要らない。

「きっと分かるさ、クオン。初代の再生が、どれほどに重要なのか」

 歩み寄ろうとするとオサムが阻んだ。仮初めの存在でありながら造物主に敵意を向けているのが許せない。

「邪魔をするな、三下。お前なんて、十秒あれば殺せる」

「だったら、試してみるか?」

 分を弁えない雑魚はこれだから困る。リョウはほとほと呆れ返った。

「忘れたか? お前らが全て所詮は造られた人生しか歩めない事を。Dシリーズの完成形はダイゴだが、奴は特別製。殺すのは少しばかり惜しいが、お前らDの失敗作に関しては、何の躊躇いもない。殺すぞ」

 凄味を利かせたがオサムは恐れもしない。

「この場で、僕だけが男だ。引き下がれないね」

「力量の分からないプライドは、後悔の種になるぞ」

 レジスチルがコドラの身体を押し潰そうとする。足で踏みつけ、そのまま破砕しようとした。オサムはコドラに命ずる。

「させない! 地震で迎撃!」

「鋼相手ならば地面で攻撃。定石であるが、何も用意していない相手だと思ったか?」

 技を発生させる前にこちらの攻撃でコドラの頭部が消し飛ぶ。光を充填させた腕がコドラの頭部を羽交い絞めにした。

「ゼロ距離での破壊光線。当然の事ながら、コドラの防御力では耐え切れない」

 絶望を突きつけたはずだった。しかしオサムの目は死んでいない。

「言ったろう。ここでやらなきゃ、男が廃ると! 僕の使える、全ての力を持って戦おう!」

 赤い双眸が煌き、その眼差しに呼応したようにコドラが吼えた。光が纏いつき、見る見るうちに巨大化していく。コドラが鋼の表皮を破って今成長の時を迎えているのだ。リョウは舌打ちを漏らした。

「Dシリーズの特権、思惟を飛ばして仮初めの同調を……! 進化させると思っているのか!」

 光線が飛ぼうとする。その光を全身で弾き飛ばしたのは最早四足のコドラではない。二つの丸太のような足で立ち上がり、重戦車を思わせる容貌のポケモンが腕を開く。頭頂部には王冠か鶏冠のような角が二本、屹立していた。

 まさしく全身で鋼を体現したかのような黒と銀で構成された怪獣のポケモン――。

「ボスゴドラだ」

 ボスゴドラが吼え、確実に死を迎えさせるはずだった光線を反射する。生半可な特殊攻撃は通用しなかった。

「ボスゴドラになったとて!」

 光を充填させた拳を放つ。ボスゴドラがそれに対応して拳を撃った。鋼同士の攻撃が火花を散らせ、内部のエネルギーを削ぎ落とす。

「この攻撃は……」

「発揮しろ、ボスゴドラ! 馬鹿力!」

 ボスゴドラの二の腕が膨れ上がり、レジスチルの肉体を打ち据える。鋼の防御力を誇るレジスチルが後退した。それほどの一撃である。リョウは歯噛みする。

「鋼単一のレジスチルに、格闘の技は」

「効果抜群のはず。それに、今までの攻撃も返す。メタルバースト」

 ボスゴドラの肉体を駆け巡っていた「はかいこうせん」の余波が口腔に集中したかと思うと、そこから放射熱線が噴き出された。畳み掛けられる形でレジスチルが攻撃を受ける。

「メタルバースト」は受けていた攻撃を威力の底上げをして返す技だ。当然の事ながら今までの攻撃は全力であったためレジスチルは相応のダメージを負った。

「こんな……、こんな事が……」

「ツワブキ・リョウ。ここまでみたいだね」

 ボスゴドラが圧倒するように睥睨する。リョウはフッと口元に笑みを浮かべた。

「そうだな。普通ならば、ここまでだろう」

「普通ならば? 秘策でもあるって言うのか?」

「お前とて忘れているぞ。どうしてツワブキ家にのみ、このような高等なポケモンの操作が許されているのか。それは扱えるのだと証明されてきたからだ。その血の宿命に、刻まれてきたからに他ならない。レジスチル、破壊光線は――」

 充填された光線の輝きにボスゴドラが身構える。しかしその行く先は相手ではない。

「自分に撃つ!」

 なんとレジスチルは自分自身に「はかいこうせん」を放ったのだ。エネルギーの瀑布が押し広がり、光が周囲に展開される。眩い輝きに全員が目を閉ざした。

「圧倒的防御を誇るレジスチルにしか出来ない芸当だ。自分に撃ち、それを拡散した光とする。この光と爆音の中、動けるのはトレーナーであるオレしかいない」

 リョウは身を翻した。硬直しているオサムとマコ、クオンを殺すのには絶好の機会だが、今はまだ足りていない。

「……借りは返す。敗北の屈辱は必ずな」

 リョウはその場から光が霧散する前に立ち去っていた。


オンドゥル大使 ( 2016/02/14(日) 21:00 )