第百話「真なる者」
プラターヌは、「面白い推論だが」と異を唱える。
「そうなってくるとデボンは二百人近くの失敗作を成功だと思い続けてきた事になる」
「でもそうならば、彼が普通に生活できている事に説明がつくんです」
「デボンほどの企業が失敗を二百人近く分からないまま続けるか? それにズーが言っていただろう。百番台以下は全て失敗だと」
「彼の弁を疑うわけじゃありません。しかし、Dシリーズ、言ってしまえば被造物に全権が与えられていた、と考えるのもおかしい」
「わざと、嘘の情報が与えられていた、とでも?」
サキは唾を飲み下す。そうなってくると、ズーの死は偽りに糊塗されていたという話だ。
「確かに研究成果に全部の情報を与えるのは危険だし、その線もあながち間違いじゃないのかもしれない。だが、おかしい点が何個か」
プラターヌの言葉にサキは問題の間違いを訂正されている気分だった。
「一つ、では何故D015でなければならなかったのか。その番号以外では君の言うこじつけも当てにならない。ツワブキ・リョウがどうしてダイゴと名付けたのか、その意味に繋がらない」
やはりそこか。サキは予想していたもののその部分を補強する言葉はなかった。
「もう一つ。百番台以下は失敗だとズーが言っていたのは、恐らく目の当たりにしたからだ。だというのに、我々は百番台以下のケースを彼しか知らない。早合点が過ぎる」
「ですがこの推論だと、彼を特別視する意味が分かる」
「しかしその推論だと、他の二百人が失敗になる。この食い違いをどうするか」
プラターヌでさえも決めあぐねている。サキはどうにかしてこの食い違いを補正するミッシングリンクがないかと考えていたがやはり思い浮かばない。
「せめて、もう少し情報があれば、ですよね」
「わたしとしては、本人に会えていれば、もう少し違っただろうと思う。ツワブキ・ダイゴに会っていないのが、一番痛い」
プラターヌは自分達から見聞きした内容からしかダイゴの様子を想像出来ていない。その状態ではどれほどの頭脳とて使い物にならないだろう。サキはふとこぼした。
「……実際、ツワブキ・ダイゴに関して、どれほどの価値があるのかって分からない部分が多いですよね」
「だからこそ、今君と明らかにしようとしている」
「でも、私は博士みたいに優秀じゃないですし」
「ヒグチ博士のご息女だろう? ポケモンに関して疎くとも血筋は引いているものだ。どこかに聡い部分があるんじゃないかな」
聡い、と言われても実際自分がどこまで出来るのか一切が不明だ。警察に所属している間は、まだ警察官としての職務が与えられており、その中でならば有能を演じられた。だが、何もない真っ只中に放り出されるとここまで無力なのかと思い知らされる。
「私には、何も……」
「悲観的になるなよ。わたしは君を買っている。だからこそ、病院から逃げる気になった」
サキはプラターヌの容姿を眺めて今まで保留にしていた一事を呼び戻す。
「博士の、本当の罪を、まだ私は聞いていませんでしたね」
歳を取らない研究者。メガシンカに関する矛盾する論文。どうしてこのようになってしまったのか、その経緯をまだ聞いていない。プラターヌは一つ息をつき、「長くなるが」と前置きする。サキは頷いた。
「今まで、それを聞かずにおいたのは、そういう状況下じゃなかったからです。でも、今ならば」
「君も自分の事情を話した。フェア、と言える」
プラターヌは咳払いをしてから、「全くの偶然だと言える」と口火を切る。
「偶然、ですか」
「そう。わたしが歳を取らなくなったのは偶然なんだ。薬剤の調合を誤ったから、こうなってしまった、というのが一つ」
サキは眉根を寄せる。当然の事ながら、そのような漫画チックな話が信用出来るはずもなかった。
「真剣になってください」
「真剣だよ。薬剤の調合、というとアレかもしれないが、実際そうなんだから。メガシンカの研究のための実験中だった」
プラターヌは中空に視線を投げる。回顧する瞳には自分の事のようで自分の事ではない、というような色が浮かんでいた。
「あの時、わたしはメガシンカの研究に躍起になっていてね。まだカロスで第一線を張っていた頃だ。メガシンカ研究はこれから躍進する、という段でだよ。ホウエンからの第一報が届いた。既にその研究は十三年前に確立されている、と」
十三年前。サキが計算しようとすると、「この話自体は今から十年前だ」と補足された。
「だから初代の死から十三年経っていて、初代の死によってホウエンのメガシンカ研究は一歩先を行っていたんだ。それに気付かないわたしの研究は、従来科学、だと言われたよ」
「従来科学、というと、ありふれている、って言われたんですか?」
「悔しい事にね」
プラターヌは素直に認めた。メガシンカ研究の第一人者といえどももう先行研究があったのならば、それは第一人者ではない。
「カロスでの地位は追われなかった。だってカロスではまだまだの分野だ。いくらでも研究の改良は出来るし、カロスでのメガシンカ研究と言う名目ではわたしはまだ前進していた。……だが、プライドが許さなかった」
プラターヌの瞳が暗い色を湛える。その一事だけで間違えてしまったかのように。
「わたしは、ホウエンを出し抜く、初代の研究より先に行く、そればかり考えてしまってね。息子や、妻の事なんてなおざりだった。終いには二人してホウエンに移るなんて言い出した。冗談ではなかった。ホウエンは、わたしの研究を小ばかにした連中の集まりだ。きっとわたしは従来科学という縛りに負けて屈服するに違いないと、その時点で分かっていた。だから、研究分野を急いだんだが、分かっている通り急いだからと言って結果はついてこない。メガシンカなんて未知の分野は余計に。わたしは結果を焦った。とにかく、メガシンカを安定的な効率で観測するにはどうすればいいか。一つの推測としてあったのは、わたし自身の経験だ。わたしは、トレーナーとポケモン間にある、絆こそがメガシンカの鍵だと思っていたのだが、絆は数値化出来ない。数値化出来ないものは研究とは呼ばないんだ。だから様々な臨床試験を試みた。絆の数値化。言ってしまえばその時点で狂っていたのかもしれない。絆を観測し、モニターし、実際に模倣するなど。だから罰が下った」
プラターヌは襟を払う。サキは言わんとしている事を察して声にする。
「その罰こそが」
「この身体だろう。わたしはね、その時、使ったのは一番安定しているリザードンだったと思う。リザードンにはメガシンカが二形態存在してね。メガリザードンXとY。そう名づけたのはわたしなんだが、どうしてもその二形態になる、という立証が存在しなかった。結果論としてメガストーンの中にある塩基配列の変化にあった、というのが正しいのだが、メガストーンさえも解析に数のない状態。わたしは憶測の上に憶測を塗り重ねるほかなかった。塩基配列の変化、という部分ではなく、トレーナー側でメガリザードンをXとYで二形態、同時観測出来ないか、という試みだ」
「出来たんですか?」
サキの言葉にプラターヌはゆっくりと頭を振る。
「出来ない、あり得ないんだ。メガシンカは、一人のトレーナーにつき一回のみ。それも手持ちの中で一体だけ。ホウエンの技術者達はこの理由に関して、精神エネルギーが注ぎ込まれる許容量が一体分しか満たせないのだと主張してきた。わたしは真っ向対立したよ。トレーナーの精神エネルギーの枠組みを増やせば、もしかするとメガシンカは二つ以上可能なんじゃないかって」
「具体的には……?」
「精神の拡張実験として、同調の部分に踏み込んだ」
ポケモン学会でも眉唾と言われている同調現象。それを人為的に、というのが引っかかる。
「あれは、極限状態のトレーナーとポケモンが作り出す、一種の神経の興奮状態なんじゃ」
「そうとも言われている。だがわたしはそれくらいしか思い浮かばなかった。同調現象を人為的に引き起こし、精神エネルギーの値をコントロールすればメガシンカに必要な最小限だけのエネルギーでメガシンカさせ、もう片方にそれを注げば同時のメガシンカは可能なのだと」
「実際には……?」
「不可能だった。わたしが実験しろと命じた職員はもう廃人になっている」
衝撃的な事実にサキは目を瞠る。プラターヌは自嘲気味に、「悪魔の研究者に、見えたかい?」と尋ねてみせる。
「……ええ、少し」
「わたしも、その時の精神状態がどうかしていた。メガリザードンへのメガシンカが可能でもなく、精神エネルギーだけを取り出され、その職員は廃人状態。当然、その家族から訴訟沙汰に持ち込まれたがわたしは諦めなかった。メガシンカは可能なのだ。二体以上可能ならば、従来科学の域を出る事が出来る。わたしの生み出した初めての研究になり得る。わたしは、今度は自分を被験者とした。部下には任せておけない。わたしはその結果、一時的な錯乱状態に陥っていたらしい」
「らしい、というのはご自身では」
「自覚はなかった」
プラターヌは顔を伏せる。
「それどころか、この先もあるのだろうとメガシンカを強行し、逆流してきた精神エネルギーの余波でわたしは一時、言葉すら喋れなかったという」
「それと、歳を取らない肉体の関係は……」
プラターヌが懐から煙草を取り出そうとしてまたしてもポッチャマ達にいさめられる。
「おぞましき事かもしれないが、わたしは人間の肉体の脆弱性こそが克服すべきだと考えていた。人間が脆いから、メガシンカに耐えられない。わたしはわたし自身を研究材料にして、最終段階の研究に入った。人間の肉体の強化。そのために必要なのは何なのか。ポケモンの身体能力の強化に使われる薬剤を片っ端から試したが、あれらは人間には効果がないように細工されている。わたしは、その材料である木の実に着目し、素材を混ぜて新たな原料を作り出し、それを打ち込んだ。……言っただろう? 調合をミスった、と。その結果、この身体になった」
サキは改めて、この研究者が封印されていた経緯を知り戦慄する。自分でさえも研究材料にするなど正気の沙汰ではない。
「木の実、なんかでそんな風になるんですか」
「それだけじゃない。わたしは、木の実だけでは弱いと感じていた。どうしてかというとツボツボというポケモンは自らの体内で木の実の成分をろ過し木の実ジュースと言う無害な飲料を作り出す。木の実ともう一つ使ったのは、血液だ」
「血液?」
プラターヌは、「そう、血液だった」と繰り返す。
「何の血液です?」
「同調のために必要なのは精神的結びつきもそうだが、わたしはそれ以外に、凡人がその域に至るために人工的措置として、手っ取り早いものを探していた。そのためにわたしが追い求めたのはポケモンとより一体になれる証明だ」
そこまで至ってサキは血液が何のものなのか悟った。それと同時に、とてつもなく恐ろしい事に。
「ポケモンの、血液……」
「そう。ポケモンの血液を自分に移植する。それによって擬似的な同調現象を得る。それこそが目的だったが、失敗に終わった。同調が出来ずに、ただ歳を見た目的に取らなくなっただけさ」
プラターヌは笑い話にしようとするがサキからしてみればそれは笑い事ではない。
ダイゴの血液にもポケモンと入れ換えられた形跡があった。もしかすると、とプラターヌを窺う。この悪魔の研究者はもしや、と。プラターヌは、「わたしじゃない」と答える。
「君が思い出したのは件のダイゴがポケモンの血液と人間の血液を入れ換えられていた、という話だろう。わたしは、ポケモンの血液を移植しただけだし、そもそもそのような大手術、人間が耐えられるとは思えない」
プラターヌではない。その事実に安堵している自分がいた。もしプラターヌであったら、自分は刑事として裁かなければならなかった。
「じゃあ誰だって言うんです? 誰が彼をあんな目に」
「彼は、自分の血がポケモンのそれと入れ換えられていた事を」
知る由もないだろう。ヒグチ博士が喋っているとも思えずサキは首を横に振る。「そうなると」とプラターヌが思案した。
「やはり出来そうなのはデボンになってくるが、デボンに対抗する謎の組織の線も捨てきれない」
「抹殺派、ですか……」
「通信は使えるか?」
「駄目ですよ。真下だってのに圏外です」
通信不可能な端末を見せてサキは項垂れる。プラターヌは天上を仰いだ。
「真下でも、か。逆に言えば、君の端末からの逆探知は不可能だ。穏健派、つまりデボンの連中には気取られていないはず」
「それが唯一の救いですね」
デボン側がサキの生存を知れば抹殺を急ぐのは当たり前だろう。プラターヌの確保にもこだわるかもしれない。
「穴倉だが、まだ望みはある」
「でも博士、本当にそのような実験は不可能なんでしょうか?」
サキの疑問にプラターヌは、「血の入れ換え、か」と呟く。
「不可能だって言う立証は難しい。なにせ人体実験だ。一つのケースでも可能ならば、それは可能となる」
「だったら、なおさら可能かどうかの話になってくるんじゃないですか? D015、彼は成功のモデルケースだった」
「……つまり君は、初代の再生計画に彼が抜擢された理由は、その実験の事もある、と言いたいのか?」
プラターヌは腕を組んで難しそうな顔をする。サキは、「考えたくないですけれど」と付け足した。
「そんな、非人道的な」
「Dシリーズそのものが非人道的と言えばそこまでだが、まぁ非道に非道を塗り重ねるような真似だとわたしは思う。そこまで人間をやめられるものなのか。初代の再生、そのためだけに人間の命を、そこまで軽んじられるなど」
しかし初代の業績がプラターヌの研究に爪痕を残し結果的に一人の人生を歪めてしまった。初代はやはりそれだけの影響力があるのだ。
「問題なのは、だよ。初代を再生して、じゃあ何をしたいのか。やはりこれに尽きる。初代は再生したとしても、六十を回る高齢だった。単純に六十歳の偉人の魂が欲しいのか。そもそも魂は老化しないのか、という疑念もあるが」
そこまでは分からない。誰も、自分が死んだ後どうなるのか分からないように。
「初代を再生して、何の得があるんのか、ですか……。振り出しですね」
「何度思考しても、やはりその疑問点に突き当たる。誰かが、初代を試しに再生してくれれば、それこそ儲け者なんだが」
その言葉にはさすがに眉をひそめた。誰かが再生してくれれば、など不謹慎極まりない。
「失敬。君の顔立ちから何を想像したのかは分かる。わたしはそこまで非道ではないつもりだ」
「ダイゴ、彼の存在でさえも、ある種の謎をはらんでいる。ツワブキ家やデボンは彼で初代を再生するつもりなのか、そこまではっきりとした事は何も分かっていないんですから」
「だがDシリーズがそのために必要なものであった事に変わりはない。ズーの言うには、最初は普通の一般人であったらしいから同情もあるが」
選ばれてその立場にあるわけではない。ダイゴはどこまで知っているのか。本当に彼が記憶喪失であったのかを実証する手立ては何一つなかった。警察でも、公安でも、結局デボンの陰謀の一端すら掴めなかったのだ。無能のそしりを受けてもおかしくはない。
「一体、これから先、どれだけの血が流されるんでしょう。私達だけなら」
「まだマシ、かな。だが、それは今日を乗り切らなければ分からない事だ」
その時、ポッチャマが一体、ゆっくりと降り立ってきた。ポッチャマの翼には飛翔能力はないが短い浮遊程度ならば出来るらしい。降り立ったポッチャマにプラターヌは頷きを返し、「行こうか」と立ち上がる。
「行くって、どこにです?」
プラターヌは天上を仰ぎ、指差した。
「デボンの本丸へと」