第九十九話「孤高の戦士」
「本当に、デボン本社がこの上に?」
尋ねた声に応じたのはプラターヌだ。エレベーターの前で半日は過ごしている。その間にプラターヌはポッチャマ達に命じた。元々、ポケモンの権威であるだけはあって、ポケモンの扱いには長けている様子だ。
「間違いない。ポッチャマ達が教えてくれた」
「ポケモンの声なんて分からないでしょう」
サキの言い分にプラターヌは一枚の紙片を差し出す。怪訝そうな顔をするサキに、「上で書類をくすねて来い、と言ってきた」と驚くべき事を言ってのけた。
「そんな……。危ない事を」
「なに、どこかの隔離ブロックから野性が逃げた、とでも思うだろう。デボンはモンスターボールの開発も行っている。ポケモンが逃げ出すとかいうのも日常茶飯事だろうさ」
くすねてきた紙片は本当に書類の端っこだったが、きっちりとデボンの社章が刻み込まれている。ポッチャマ達は思っているよりも知能が高いのかもしれない。
「デボン本社なのは間違いないでしょうけれど、何で私達は動かないんですか。ポッタイシなら」
「ろくに使えもしないポケモンで殴り込みかい? それは賢いとは言えないね」
痛いところをつかれてサキはたじろぐ。「それに」とプラターヌは付け加えた。
「どうにもおかしいのは、だ。君の言うツワブキ・レイカが追跡してこない」
それはダストシュートに入って死んだとでも思っているのではないか。サキの楽観視に、「そんな甘っちょろい女かね」とプラターヌは頬杖をつく。
「わたしの見た限り、あれは鉄の女だ。自分の部下を迷いなく殺したんだ。手慣れている、と思うべきさ。それが、追い討ちを仕掛けてこないのはどうにも不自然に映ってね」
「何か事情があるとでも?」
「事情はないにせよあるにせよ、彼女は恐らく自由に動ける身分じゃない。あの夜だって出来ればわたし達の前に顔だって出したくなかったはずだ。だけれども、ズー君が味方になってくれたお陰で、彼女は矢面に立つ結果となった」
ズー。その名前にサキは顔を伏せる。恐らくは死んだであろう、Dシリーズの一人。その死に気負う部分がないわけではない。
「彼らはいずれ殺処分だろう。彼の行動は称える事はあっても、我々が気に病むところではないよ」
プラターヌの言葉に少しばかり救われている自分がいた。ダイゴと同じ姿をした彼が死ぬのを目の当たりにしたのだ。当然、ダイゴに関しても気がかりなのはある。
「君が心配するのは、ツワブキ・ダイゴとやらか。実際、彼は何者なのか。様々に憶測を巡らせてみたが、君の意見をあまり聞いていなかったね。Fも連中に寝返った、いいや最初から穏健派の派閥だった事を鑑みるに、不自然な事実は隠されている、と考えたほうがいいだろう。そこで、だ」
プラターヌは膝を打つ。
「逆転の発想でね。今まで明らかになっていない彼の情報を挙げてみよう」
「そんな事を、やっている場合なのですか?」
デボンの本社の真下だ。いつでも仕掛けられる。サキの喧嘩っ早さに、プラターヌはいさめる笑みを浮かべた。
「おいおい、そう事を焦るなよ。デボンのセキュリティはホウエン一だ。それは疑うまでもあるまい」
「そうだから、真下にいるチャンスを逃すべきでは――」
「焦るなと言っている。わたしはね、真下にいる今だからこそ、これを考えるに値すると感じているんだ」
どうしてなのだろうか。いつでも攻撃が出来るから、機会を窺えとでも?
「君は、最初に出会った時からそうだが、結果を求め過ぎだ。そこまで行く過程にこそ、重きを置くべきだろう。結果を求めるが故に、わたしにツワブキ・ダイゴという餌を与え、病院から逃がした。もしわたしが君の立場ならば、もっと慎重を期する。病院のカメラに映っていればそれまでなんだぞ」
そう言われてしまえば自分の行動が軽率であったとサキでも自覚する。しかしあの時はそれ以上思いつかなかったのだ。
「行動力もあるし、勇気もある。根性も体力もね。だからこそ、温存しておけ、と言っているんだ。マラソンランナーは中盤で飛ばすかい?」
「この局面でまだ中盤だとでも?」
サキの疑問にプラターヌは、「このまま出て行って」と声にする。
「デボンの警備に捕まりました、はいお終い、じゃ何の意味もない」
「そのためのポッタイシでは?」
「怒っているよ」
指されてモンスターボールの中でポッタイシが暴れているのが分かった。困惑の眼差しを向けていると、「まずは考え方だな」とプラターヌは口にする。
「そんな粗暴だから、ツワブキ家に足元をすくわれる」
「粗暴なのは分かっていますよ」
分かっているがどうしても真実を追い求めたい。その一心だった。プラターヌは息をつき、「気持ちはよく分かる」と言う。
「だがね、気持ちだけ先行しても、何の結果にも結びつかない。君は結果を追い求めるあまり死に急いでいると言っても過言じゃない。そうでなければ、ネオロケット団を調べ上げ、わたしの所在を確認するや面談し、Fの言う事を真に受けてこのような憂き目に遭う事もなかった」
「……全部、私のせいみたいな言い草ですが」
「無論、君が優秀であったからこそ、ここまで来られたんだ。何も馬鹿にしているわけじゃない」
そうだろうか。プラターヌはもしかするともっと上手いやり方があったのではないか、と責めているようにも感じられた。
「私のやり方は愚策でしたか?」
思わず問いかけたサキに、「いんや」と首を横に振る。
「愚策どころか、よくやったさ。普通、ここまで入れ込まない。どうして、君はツワブキ・ダイゴを助けるためだけに、ここまで巻き込まれるだけの覚悟があった? 何が君をそうさせた?」
そう言われてしまうと返事に窮する。逡巡の間を浮かべてから、「……多分」と口火を切る。
「どこにも属さない彼を、憐れむ気持ちもあったんだと思うんです。どこの誰かも分からない上に、偉人の名前を押し付けられて、その生き方を強制される。正直、普通の精神じゃ耐えられない」
「憐憫の情だけかい?」
プラターヌの言葉の導きにサキは、「いえ」と答えていた。
「どこか、彼の在り方が自分に似ていたのもあるのかもしれません。彼はどこにも行く場所がない。どこの誰かも分からなければ、自分が何者であるのかも分からない」
「君は違う。ヒグチ家の長女だ」
「ですけれど、私も、いいえ、この社会に生きるほとんどの人間がそうだと思うんです。――繋がっていない感覚、って分かります?」
プラターヌは、「その感覚って言うのは?」と問うていた。
「私には家族がいます。ちょっと抜けている父と、温厚な母と、父以上に抜けていて、母以上に温厚過ぎる妹。それに研究員の人達。みんな、私を知っています。だから私はいられるんだと思う反面、もしこの繋がりが一部でも切れたら、ってたまに考えるんですよ。そう思うと、堪らなく怖くなる。両親のどちらかがいなくなる事も想像出来ませんし、妹がいなくなるのも想像出来ません。独りで過ごしている時間が長いと、余計な事ばっかり考えてしまう。もし、この場所で死んでしまったら。もし、家族がバラバラになったら? 私からしてみれば、孤独って多分、常に傍にあるんだと思うんですよ。誰もが見ないようにしているだけで、孤独ってのは誰にでも訪れうる、天災のようなものなんじゃないかと」
「それが、君がツワブキ・ダイゴに入れ込む理由かい?」
サキは首肯していた。きっと、本当に誰とも接点のないダイゴに、いずれの自分を見ていたのかもしれない。この社会で独りぼっち。本当の孤独。それでもダイゴは諦めた様子がなかった。常に自分が何者なのかを模索していた。
「彼はとても前向きなんです。もし彼の立場に自分が落とされたら、多分、何も出来ない。与えられた役柄を演じるか、何も与えられなかったら何も出来ないかもしれない。とても勇気があるんです、彼は」
「眩しく、感じているのかな?」
いつの間にかプラターヌに自分の寂しさを話している格好になっていた。サキは久しく他の人物と話していなかったからか、すがるように話し続けた。
「眩しい……。そうですね、きっと、そうなんです。どうしてこうも強くあれるのか、私には全く分からない。彼は、この社会に挑戦しようとしているようにも映る」
「情報が網のように敷かれたこの現在で、独り戦い続ける戦士か。彼は、きっと何者も敵に見えているに違いないよ」
「でも同時に、彼は誰かを敵だと判じるまではとことん信じ抜く。そういう事が出来る人間って、多分少ないと思うんです。とことん信じて、馬鹿を見たとしても、その時は立ち向かえる。それって、きっと……」
言葉を濁す。プラターヌがその先を言い当てた。
「強さ、か」
ダイゴは強い。それを彼自身も自覚していないが、恐らく他の人々からは彼の孤高でありながらもどこか柔らかな空気に惹かれているはずだ。自分がそうであったように。
「強さと優しさを兼ね備えた、まさしくヒーローだな、彼は」
プラターヌは一度もダイゴと会っていないはずなのに、どうしてだかダイゴの事を悪く言う事は一度もない。
「博士は、どうしてツワブキ・ダイゴの事を悪く言わないんですか?」
それが不思議だった。プラターヌは、「まぁわたし自身、ワケありだし」と言って茶化してから、本音を言った。
「何でだろうか……。何かを感じるんだ。その、ツワブキ・ダイゴ君に。久しく忘れていた何かを。わたしにも判断しようがない。とてもあたたかなものだという事以外は、何も分からない」
プラターヌはダイゴに期待しているのだろうか。自分の言い回しが期待を持たせる結果になったのかもしれない。
「私の言う事が絶対じゃないですよ?」
「承知しているよ。ただ……やっぱり悪く言う気にはなれないね。何でだろう?」
不可思議なその感触をプラターヌ自身、持て余しているようだった。サキは、「彼に関して、分かった事、分かっていない事を」と話を切り出す。
「整理しましょう。私達は、そのためにまだ生きているんだと思うんです」
「大げさだが、笑う気になれないのは実際、彼の秘密を追ってここまで来てしまったからだな」
プラターヌが煙草を取り出そうとするとポッチャマ達が猛抗議した。不服そうに煙草を仕舞う。
「吸いながらじゃないとやっていられない話だが」
「まず一つ。彼は、D計画の一員だった」
多数用意された初代ツワブキ・ダイゴのメモリークローン達。初代の容姿を真似、初代と同じ戦闘スタイルを取っている。
「どうしてそこまで初代にこだわるのか、は」
「再生計画、魂の再生を一番に望んでいる人物の動機に繋がるだろうね」
それこそ誰がこの狂った計画を始めたのか、という話になる。サキは候補を上げた。
「ツワブキ家」
「正解であって不正解でもある。範囲が広いよ。例えば初代の息子、今の社長のレベルから端を発しているのか、あるいはその息子達か。それだけでも意味が違ってくる」
レイカの事を思い出しサキは推論を述べる。
「何となくですけれど、現社長であるツワブキ・イッシンは無関係な気が」
「それはツワブキ・レイカが攻めてきたからだな」
首肯するとプラターヌは、「では疑問だ」と指を立てる。
「ツワブキ・レイカ一人の力でこの計画は達成可能か?」
「それは不可能でしょうね」
即答する。少なくとも企業ぐるみでなければこのような大規模な計画は不可能だ。
「そう、だからツワブキ・イッシンが本当に無関係でも、この場合、社長を敵に回してでも推進したい計画だという事になる。となると、疑問がもう一つ」
「社員全員、企業そのものがクーデターを起こす可能性」
プラターヌは、「正直、これが一番恐ろしい」と呟く。
「企業が体制を変えようとしている。しかもポケモン産業を独占する企業が、そっくりそのまま企業の姿勢を。恐ろしいのは、だ。Dシリーズがそのための尖兵だとすれば? つまりDシリーズの量産はそれを見据えての事だった」
プラターヌの言わんとしている事がサキにも伝わった。
「企業が、兵力を持つ……」
「あっちゃいけない事だが、Dシリーズ全員に仮面でも被らせてPMCでも気取らせるか? 実際、ポケモンを使ったPMCって存在しないんだ。愛護団体とかが圧力をかけていてね」
「存在しなくっても、デボンほどの発言力があれば」
「事実上、存在を許す事は出来る」
どこからか震えが立ち上る。そのような事があってはならないがDシリーズの有効活用法としては他にないほどだ。
「でも、だったら余計に分からないのがどうして危ない遺伝子改良を重ねてまで、初代の姿にこだわったのか、ですよね……」
プラターヌもそれを説明する手段はないらしく、「そこが壁になってくる」と告げた。
「初代ツワブキ・ダイゴ。その魂を再生したいっていうのは正直、メリットがないんだよ。だってもう死んだ人間だ。いくら業績が並外れていても、蘇らせてどうする? 自分を殺した犯人でも聞き出す? あるいは次のデボンのリーダーに据える? どちらも現実的とは言えない。犯人を聞いたところで今さら。デボンの社長か何かに据えてもいつまでも生き永らえるわけでもない。肉体はいずれ朽ちる」
永続的なデボンのリーダーとして初代が欲しいわけではあるまい。恐らく、何かを成すために初代の魂とそれに見合う肉体が必要なのだ。だが何を起こすつもりかは皆目見当がつかない。
「あの、博士を訪ねる前なんですが、初代の、オリジナルのパーツはカナズミの各研究機関で保存されている事は」
「知っているよ。それを進言したのはわたしだからね」
思わぬところでの一致にサキは目を見開く。しかしプラターヌはさほど驚くでもない。
「別に不思議はないだろう。初代とは会った事もあるし、その肉体を保存しておきたい、っていうのは科学者ならば進言したところで」
サキは話すべきか迷ったがやはり切り出す事にした。
「博士、その肉体が盗まれて、Dシリーズに移植された、と考えるとしっくり来るんです」
「その結論だと、Dシリーズに移植するのは全体じゃあるまい」
考え得る限りでは、移植出来るのは腕や足レベルだろう。しかしサキには一つの考えがあった。
「ズーは、彼は言っていましたよね? 頭が、もう初代の魂は入りやすいようにしてあるんだと」
「言っていたが魂の存在を証明する手立てがない以上、何らかの細胞が移植された、というのは筋違いだ」
言葉にしようとした事を先読みされてサキは、「ですよね……」と濁した。しかし、何かがおかしいのだ。存在するはずのないD015の番号。初代と同じ姿で、なおかつ鋼タイプの使い手。天使事件の関係者。さらに言えば「ツワブキ・ダイゴ」の名前を継ぐ者――。
「博士。Dシリーズの中で、彼が異色だったんじゃなくって、逆に考えませんか?」
「逆、とは?」
これは憶測だ。だからあまり信用してはならないのだが。
「彼こそがDシリーズの完成形であった」