第八十六話「キャプテン」
思わぬ言葉、というものを受け止めると人は無口になるのだ。
クオンは自分の感覚でそれを認識したし、何も言えなくなる、というのはこれほどまでに苦痛なのかと感じさせられた。
額の汗を拭い、クオンは震える唇で告げる。
「……何を言っているの?」
自分への背信行為だ。何を言われても動じない、と言ったくせに。ディズィーは、「もう一度、言おう」と繰り返す。
「ツワブキ・ダイゴの本性は、ツワブキ家に敵対する組織の構成員だった。それが相手との通話で分かった事だ」
取り乱す事もない。ただその場に膝を崩した。身体から脱力し、立っている事も出来ない。
「……何で」
呼吸困難に陥ったように、同じ言葉だけを繰り返す。思考回路が追いつかなかった。
「だったら、何でツワブキ家に」
ようやく発せられた言葉にディズィーは、「それこそが」とパソコンへと向き直る。
「あんた達の計画だった。そうだろう?」
『そこまで分かっていただけているという事は理解者だと考えていいのだろうか?』
計画? Dシリーズ云々の話ではないのか。
「クオっち。こいつは、はらわたの煮えくり返る話ではあるが、ネオロケット団に与していたフラン・プラターヌはDシリーズの事、あるいは初代再生計画の事を知り、ある決断をした。その決断とは相手の懐に自ら飛び込み真実を自分の身を挺して受け止める事。彼は恋人も、家族も、今までの信頼も、記憶も、人格も捨ててとある人物になる事によってそれを達成した。もうフラン・プラターヌはいない。彼はD015、ツワブキ・ダイゴになってしまった」
クオンは、「いや」と呟いて耳を塞いでいた。あまりにもおぞましい真実に心が耐えられない。
「そこまで出来る人間が、思い切れる人間がこの世に何人いるだろう。何パーセント、あるいはコンマ何パーセントの領域だ。一人の男は自分の構成要素を全て捨ててでも、組織に忠義を尽くした。これが全容かな?」
相手へと確認すると、『概ねは』と返事が来た。つまり間違っていないのだ。
「ダイゴが、フラン・プラターヌとかいう他人だったって事?」
発した言葉に、「大まかに言えばそうだ」とディズィーは首肯する。
「しかも彼はツワブキ家を滅するために、自らを火の中に飛び込ませた。記憶喪失になってでも、あるいはもうフランであったときの事を思い出せなくなってでも、そうするほどの決意があった」
あまりに惨い。
クオンは、「そんな人間がいるとは思えない」と正直に口にしていた。ディズィーも、「だろうね」と答える。
「オイラだって正義の味方のつもりだけれどそこまで出来ない。あるいは組織が彼の背中を押したか? ネオロケット団の総統さんよ」
滲んだ声音には明らかな敵意があった。そのような事を組織が後押ししたのならば今すぐにでも交渉は破棄する、という強い意思の表れだった。
しかし相手は認めずに、『彼の意思だった』と言葉にする。
『我々ネオロケット団は確かにツワブキ家とデボンに関して打つ手を失っていた部分はある。抹殺と言ってもDシリーズは全員、初代のメモリークローン。初代の戦闘技術を詰め込まれた精鋭だ』
その精鋭の一人が、今通話先にいるとは考えないのだろうか。あるいはそれすらも勘定に入れて相手は口にしているのか。
「戦闘技術で敵わない、と分かっていた」
『だから、我々はもうこの計画から撤退するしかないと感じていた。その最中での彼の英断だった。ワタシは正直、そのような形で彼に消えて欲しくなかったよ。彼は優秀だったし、何よりもこれからの未来があった。それを全て捨てるなんて事を他人が命じてもいいわけがない』
それを理解していながら了承したこの相手への憎悪が募ってくる。その決断を止められる立場にいたはずだ。
「……分かっていて、それを止めなかったのか」
ディズィーも同じ気持ちであったらしい。いささかの薄らぎもないその声音に通話先の相手は答えた。
『ワタシが止められていれば、もしかしたら悲劇は起きなかったかもしれない。プラターヌ家はそもそもとても不安定な家庭で、名家とはいえ、没落寸前にあった。それを彼は一代でどうにかしようとしたのだ。それこそ彼の憎むツワブキ・ダイゴのように、たった一代で』
皮肉としか言いようがない。彼は最も忌むべきものとしたツワブキ・ダイゴの姿にさせられるとは思ってもみなかっただろう。
「じゃあ、何でそんな事が言える。Dシリーズの殲滅だと言うのならば、彼だって例外じゃないはずだ」
既に彼はD015になっている。クオンとてツワブキ・ダイゴとして招いたのだ。今さらダイゴを放逐するような真似は出来ない。
『どれだけ言葉を弄しても君達は納得しまい。だからこそ、ワタシは揺るがぬ理念として彼の犠牲一つで計画は曲げなかった。彼がDシリーズの一員になってしまったから、と言って、ネオロケット団は既に転がり出した石だ。彼の意思を侮辱しないためにも、彼諸共ツワブキ家とデボンの野望を砕く』
ダイゴがフランであってもそれは関係がない。相手の言い草は身勝手とも取れるが、意志を曲げないのは相当な決意がいる事だろう。一組織を束ねるに当たって、一人の犠牲程度で足を止めるのは逆に彼らへの侮辱に他ならないと。
「立派な志だ、とは言わない。犠牲なんて何とも思っていない、鬼畜の所業だ」
ディズィーの言葉はどこまでも冷たい。決して許しはしないだろう。この二人は恐らく平行線だ。
『君の名前までは存じ上げないが、Dシリーズに入れ込んでいる様子だ。そのような君を、我々は傷つける行為を実行するかもしれない』
「やりなよ。オイラが止めてやる」
強気な返答に相手は通話越しにフッと微笑んだのが伝わった。
『……君達ほどに意志の強い人間ならば、我々の計画とその実行に何の躊躇いもないだろう』
「もったいぶらない事だね。早くその計画とやらを明かす事だ」
ディズィーは自分がDシリーズである事は明かさずに話を進めるつもりだろうか。確かにディズィーの見た目ではDシリーズである事は露見しないだろう。
『構わないが、ツワブキ・クオン。君はワタシに賛同してくれるのか?』
クオンの返答がまだであった。ディズィーは、「とんでもないところまで巻き込んじゃったね」と少しだけ申しわけなさそうだ。
「本来なら、こいつとオイラだけで話を進めたいところだが、もう張られていたものは仕方がない。全て忘れて、オイラを突き出してもいいし、こいつの計画をばらすのも、君ならば許せる。たった一つでいい。扉を開けて、オイラ達をツワブキ家に突き出せばもうオーケーだ」
彼らは明らかにツワブキ家を敵視している。その上反逆の芽を育てるのをよしとしていいものか。家族を守りたい。絶対に傷つけさせるわけにはいかない。ここで自分が叫べばいい。そうすれば全てが終わる。口を開きかけて、クオンの脳裏に閃いた声があった。
――俺は自分が何者か知らねばならない。
ダイゴはずっと自分が何者か分からない不安と戦っていたのだ。暗中模索の中で全てが敵に見えてもおかしくない世界を歩いていた。彼の意思こそ輝くべきものなのだ。その中でも一つ一つ、信じられるものを築き上げてきたのはフラン・プラターヌではない。ツワブキ・ダイゴという人間だった。
「……あたしはダイゴの味方」
クオンはようやく立ち上がった。ダイゴを今まで近くで見てきた。彼のためならば何でも出来る。それだけの心がある。
「家族が争うのは嫌。でもあたしは、ダイゴを裏切るのはもっと嫌。あたしを変えてくれた人を、言葉の表面でも裏切りたくない。それは自分の道を否定する事に繋がる」
これで相克は決定的だろう。家族のためではない。ダイゴのために自分は動く。そのためならばもしネオロケット団がダイゴを殺そうとすれば戦う、という意思の表れだった。クオンの返答にディズィーは満足行ったように頷く。
「だってさ。ネオロケット団の総統さん。どう出る? あんたからしてみれば、彼女の選択はまた組織の中立性を歪める要因だ。それでも取り込もうとするかい?」
ディズィーの迫った答えにも相手は動じない。
『構わない。いや、むしろそれが聞けてよかった。ツワブキ・クオン。君には悪意がない事がハッキリと分かる』
相手の声にディズィーは鼻を鳴らす。
「あくまでそういう上から目線スタンスなんだ」
『我々は協力を仰いでいる、と言っても、君達に固執する必要性もない。ただ、君達が手詰まりなのには違いないはずだ』
自分達に頼らざるを得ない、とネオロケット団は冷静に分析している。これ以上ツワブキ家の闇を暴くには個人ではあまりにも脆弱。
「じゃあネオロケット団、総統さん。オイラ達は、どうすればいい? 敵の巣窟に乗り込んで、今まさしくピンチなんだが」
『まだ相当な窮地に追い込まれているわけでもあるまい。ツワブキ家は君の存在を知らないのだろう?』
「まぁね。オイラはヒーローだから」
ディズィーの言葉を風と受け流し、相手はクオンへと交渉を試みる。
『ツワブキ・クオン。彼女を逃がす方法はあるか?』
クオンは冷静に考えようとする。現時点で一番理想的なのはディズィーを逃がし、なおかつ自分と外で会える機会を作る事。さらに言えば、ダイゴを巻き込まない事であるが、それら全てが同時に達成されるほど甘くはない事くらい熟知している。まずディズィーを逃がす、というのが難しい。この家で、コウヤやリョウの目から逃れる事はまず不可能だ。
「どうにかして、そちら側の特殊な手段でも使ってもらわない限り」
『難しい、というわけか』
言葉尻を引き継いだ相手は逡巡を浮かべるまでもなく、『よかろう』と応ずる。
『ツワブキ家の、少なくともコウヤを留守にさせる事は出来る。問題なのはレイカ、だが、そちらも対応可能な処置が既に講じてある』
「恐れ入るね」
ディズィーの上辺だけの賞賛を聞き流し相手は方法を口にした。
『デボンに仕掛ければ、コウヤとイッシン、それに上手く行けばレイカも引っ張り出せる。問題はリョウだが、こいつは公安だ。下手に手出しすれば危ない事ぐらいは分かっているはず』
クオンは驚愕と共に改めて相手の組織能力に恐れを抱く。自分の家族構成など全て割れているのだ。
「デボンに仕掛けるって、テロでもやってのけるつもりか?」
ディズィーの声に相手は、『そこまでではないが』と言葉を継いだ。
『ツワブキ家からしてみればイレギュラーを起こす。その一事でいい』
「イレギュラー。教えてもらえないのかな」
クオンとて知りたい。ツワブキ家、デボンのアキレス腱とは何なのか。
『簡潔に言えば、こちらの手持ちにしている初代の必要パーツを交渉の矢面に出す。君達が知っているかは知らないが、初代ツワブキ・ダイゴの肉体は八つに分けられて保存されている』
「オイラは知っているけれど」
クオンへとディズィーが視線を流す。聞いた事くらいはある。
「初代は偉人だから今でも大学病院で肉体を保存しているって」
『その肉体を条件として出す』
あまりに突飛な言葉に二人して目を見開く。「肉体って」とディズィーは最初から胡乱そうだ。
「どうしてそっちが持っているって言うんだ?」
『つい先刻だが、Dシリーズに移植されていない初代の肉体の保持に成功した。こちら側にあるのは左足、脊髄、頭部、左腕の四つだ。既に所在が不明なのは右足、右腕、胸部。確定としてデボン本社が保持しているのは心臓部である。心臓部以外ならば、こちら側でも用意出来る。ワタシはそれを返す、と言えばいい。そうすればデボンは上から下へと引っくり返したような騒動になる。その隙をつけ』
なかなかに大胆な作戦だ。自分達が予め保持していたという事は必要な部位ではないのか。
「初代を再生するために必要不可欠なんじゃ?」
ディズィーも持っていた同じ疑問に相手は、『所詮は初代の肉体に過ぎない』と答えた。
『オリジナルの肉体は、これは最後の方法なのだ。Dシリーズ全てが発動不可能に陥った場合に初代の肉体が必要になる。本来ならば生きている人間が望ましいのだからね』
交わされる言葉一つ一つが、何と恐ろしいのだろう。クオンはせり上がってくる熱を必死に堪えた。
「じゃあDシリーズが使えない時の、究極的な保険が初代のオリジナルパーツ」
『それを交渉に出すと言えば、確実に表に出るのはイッシンとコウヤ。いや、ともすればレイカか。どちらにせよ手薄になる瞬間があるはずだ』
「その隙に、か。何というか、こっちの苦労はまるで無視って奴だね」
ディズィーの皮肉に、『承知してはいるが』と相手も苦渋の選択のようだった。
『君達はとうに超えてはならないボーダーを越えているんだ。無傷で行きたければ、慎重を期す必要はあるが、時に大胆な判断も必要になる』
「及び腰じゃ、何も得られない、ってわけか」
ディズィーは得心したらしいがクオンにはまだ納得が行かない。
「最後に二つほど、いいかしら?」
『ああ、構わない』
「ダイゴを、抹殺する気は、今のところないのよね?」
それだけは自分が確認せねば。相手は、『無論だ』と答える。
『彼の肉体はフラン・プラターヌのもの。既にDシリーズとはいえ還元する方法があるのならばそれを取るべきだ』
どうやらネオロケット団側としてはフランの生存にこだわっているらしい。つまりダイゴではない、という事。
「生存を優先に。それだけは約束して」
強い語調のクオンに相手は少しだけ沈黙を置いてから応ずる。
『……いいだろう。ツワブキ・ダイゴ、D015に我々は手を下さない。今のところ彼もまだ自分がどれほどの逆境に置かれているのか理解もしていないだろう。騙し討ちは、卑怯者の方法論だ』
そう言いつつもこの相手は卑怯者の方法論をすぐにでも採択しそうであった。
「もう一つ、あなたを何と呼べばいいのか」
「ネオロケット団総統。確かに長いっちゃ長い」
ディズィーの声に相手は考えの間を浮かべてから、『役職名でばれては元も子もない』と口にする。
『ワタシの事はキャプテンと呼んでもらおう』