第八十四話「魂の冒涜」
その言葉に震撼しているとディズィーは肩を竦める。
「どれも憶測の域を出ていない。素直にダイゴのDかもしれないし。まぁDにこだわるのはやめようよ」
そのほうが話の筋道としてもよさそうだ。クオンも出来損ない、などという可能性を考えたくなかった。
「ダイゴは、でも教育とかそういう事を受けさせられるためにツワブキ家の一員にさせられたって言うのは」
「信じられない? でもね、案外あると思うんだ。最初、君は彼にどう接した?」
「どうって、ディアンシーの試験をやってみたわ」
ディズィーが眉根を寄せる。クオンは誰にでも行っているディアンシーの試験内容を話した。自分にとって有益か無益かを判断するために自然と行うようになったと。しかし聞いていくにつれてディズィーは難しい顔をする。
「どうかした?」
「いや、なるほどね。最初から仕掛けられていたわけだ」
とんでもない言い草にクオンは抗弁を発する。
「仕掛けていたなんて。あたしは何も」
「違う。ツワブキ・リョウの思惑通りに、君ははまっていた。君にとっての当たり前の試験でいきなりツワブキ・ダイゴを無力化する。これって、一番効率的だ。だって自分は関係していないから、言及される事はない。もし、君の試験に落ちていて、全ての感覚器を奪われていたとすれば、ツワブキ・ダイゴはどうなっていただろうね」
その言葉で気付く。無意識のうちに排他的になっていたのは自分も同じだ。ディアンシーの試験を通れない者は意味がないと感じていた。
「じゃあ、あたし……」
「うん。ツワブキ家に、言ってしまえば毒されていた」
おぞましき答えをディズィーは口にする。自分でも知らないうちに洗脳紛いの事をされていたのか。そう思うと怖気が走った。
「父様も、兄様も何も言わなかったから」
「当たり前だと思っていた? なるほどね、クオっちの試練でいきなりツワブキ・ダイゴを何も出来ないようにする。これって結構有効な手だ」
「でも誰も何も言わなかったのよ!」
間違っているだなんて。クオンの張り上げた声にディズィーは指を立てる。
「静かに」
その言葉にクオンは口元を押さえた。ディズィーは諭すように言い含める。
「そりゃ言わないさ。だって君がどこにも行かないのならば、それは間違いじゃないし、何よりもツワブキ家にとって都合の悪い人間を消すのにはちょうどいいもん」
自分が今まで試験にかけてきた人間は、そもそもツワブキ家の秘密を探るように出来ていなかった。最初から感覚器を奪うつもりで、家族は自分を利用してきたというのか。馬鹿な。
「……嘘よ」
「嘘って思いたいのも分かる。自分が門番だったなんて知りたくもないだろうよ」
「嘘って言って!」
懇願にもディズィーは冷徹に返す。
「嘘じゃないし、君はツワブキ・ダイゴとのその戦いでおかしいと自覚出来た。まだ戻れたんだ」
そちらのほうがまだ救いがある、とでも言うように。クオンは震え出す肩を抱く。
「誰が……、ねぇあなた、誰があたしに、こんなおぞましき事をやれと言ったの?」
「それは君じゃないと分からない。誰が最初に言い出した?」
記憶を探る。しかし思い出せなかった。物心ついた時にはもう行っていた気がする。
「ディアンシーをくれたのも、親戚とか言う叔父さんだったし」
「叔父さん? それって誰?」
クオンは頭を振った。
「ツワブキ家の祝賀会でもらったから、デボンの関係者だとは思うけれど、それ以外は何も。でも、兄様も姉様も、その人からポケモンをもらったって」
ディズィーは眉間に皺を寄せて考え込む。何かおかしなところでもあっただろうか。
「ツワブキ・コウヤのポケモンは?」
「分からない。そういう話はしないから」
「じゃあリョウや、レイカも」
クオンは力なく頷く。ディズィーは身体を伸ばして呻った。
「その叔父さんっての、特定出来ないかな?」
どうしてディズィーは見ず知らずの他人を気にするのだろう。クオンはトレーナーズカードと同期している端末を差し出した。
「おや、として登録されているかも」
ディズィーも覗き込む。しかしディアンシーの「おや」はクオンであった。
「そこから辿るのは無理そうだね」
ディズィーはクオンの顔を覗き込んで再三尋ねた。
「本当に、知らないおじさんだった?」
「あ、うん。叔父さん、って父様が呼んでいたから、父様の知り合いかもしれないけれど」
「だったらやっぱり当たるべきはツワブキ・イッシン」
イッシンの疑いがより濃くなった事を感じてクオンは遮った。
「でも! 父様は何も」
「ああ、分かっているって。初代を殺しただとか、そういう話は一旦仕舞おう。今は、ツワブキ家の内部構成を整理する時だ」
それでも、一旦、と言っている辺り、まだ疑っているのだろう。クオンは時計を見やる。いつまでディズィーは居座る気なのか。
「しかしどう考えても怪しいのはツワブキ・イッシンなんだ。ツワブキ家の手持ちを、もちろん管理を?」
「ううん。父様はそんな事しない」
「でも渡した時に知っているはずだよね?」
ディアンシーを渡された時は自分も素直に喜んで家族に見せびらかした。しかし兄や姉はそうしていないのかもしれない。
「見せびらかしていなかったら知っているのは渡された側とおじさんだけね」
「きな臭いなぁ、そのおじさんっての」
ディズィーは考えを詰めるようにこめかみを突いた。それほどまでに気になる材料だろうか。
「デボンの社員なら、何もおかしなところは」
「ない、っちゃない。でもツワブキ家にポケモンを渡せるような社員が、平社員のはずがない」
それはその通りかもしれない。だとすればディズィーは何を疑っているのか。
「幹部とか、そういう事?」
「あるいはオイラの事も知っているかもしれないね」
Dシリーズの管理も任されているというのか。クオンはさすがに飛躍し過ぎだといさめた。
「Dシリーズってのはあるとしても、その管理がデボンだとは確定していないんでしょう?」
「でもデボンの目を掻い潜ってDシリーズなんて量産出来る会社は、このホウエンにはない」
ディズィーの言葉も一理ある。それでも自分の家族がもしかしたら人道にもとる道を歩んでいるなど容易く認められるか。
「ホウエン地方でないんなら」
「だったら今度怪しくなるのはツワブキ・コウヤだ。出張していた目的は?」
どうやらディズィーは徹底的に洗い出したいらしい。クオンはダイゴにもそれを聞かれた事を思い出す。暗殺者に狙われたため、その痕跡があるコウヤを追い詰めなければならないと。
「そういえば、ホロキャスターとUSBメモリ……」
言い争いばかりで本当の目的を見失っていた。ディズィーはその手にあるホロキャスターを起動させた。
「名義はやはり、ツワブキ・コウヤか。これなら足跡を残さずにコウヤのPCに入れるんだよね?」
クオンは首肯して起動したホロキャスターの投射画面を見やる。PCへの直通経路があり、恐らく持ち主であるコウヤでもこれを奪われれば察知出来ないはず。
「ツワブキ・コウヤのPCには、やっぱりというべきか外出先の履歴が残っている。でも、どこに立ち寄ったのかを事細かに書くタイプじゃないみたいだ。点在的に居場所が表示されただけ。これは更新システムが働いた場所を記録しているんだろう。読み上げると、イッシュのヒウンシティに主に立ち寄っていた事が分かる。ヒウンシティといえばイッシュでも都会で有名だ」
ヒウンシティには確かデボンの系列会社があったはずである。コウヤはそこで仕事をしていた。体面上はそうであるはずだ。
「ヒウンシティから出た記録はほとんどない。その後、商業都市であるライモンシティに何日か滞在。リゾートデザートに立ち寄った記録もあるけれどこれは」
「多分、趣味だと思うわ。化石が好きだから」
「なるほど。砂漠地帯ならば化石が取れる、と」
その証拠にリゾートデザートに立ち寄ったのは最終日だ。旅の思い出に、と買っていったのだろう。
「ヒウンとライモンでの記録ばかりで重要な場所に立ち寄った形跡がない。でも何かあるから、ツワブキ・ダイゴはこの端末を欲しがったんだよね?」
必要な痕跡はギリー・ザ・ロックとどこで接触したのか、という記録だが、ギリーと接触したのが街中ならば詳しい経路を辿れそうもない。
「怪しいところは……」
「ない、ね。今のところ。そのままホウエンに帰ってきている。どこでどうなったのかまるで分からない。これじゃ苦労の無駄だ」
化石バトルで勝ち取ったものだというのにディズィーに馬鹿にされるのは腹立たしかったが、実際怪しいところもないのでは話にならない。
「どこかで、例えば地下組織との癒着とか」
「あっても消しているでしょ。そんな公的な場所に残る記録につける意味がないし」
デボンの管轄する巨大なクラウドに管理された位置情報程度しか分からないのならば話にならない。クオンは、「ヒウンとライモンには」と口にしていた。
「何か、あるとか知らない?」
「ヒウンシティは都会、ライモンシティは商業が盛ん、この程度かな。イッシュはハイリンクと呼ばれるエネルギーの集積地点があって、それを中心に八つの街が構築された、という話くらいしか」
コウヤはハイリンクにも訪れていない。当然の事ながら仕事であって旅行ではないからだろう。クオンは紅い髪を巻いて思案する。
「何か、一つでもいい。ダイゴに繋がる何かを」
「ツワブキ・コウヤを攻めるよりもツワブキ・レイカが明らかに怪しいんだからさ。そっちを攻めたほうがよくないかい?」
しかしクオンの中ではまだレイカは無実だ。レイカは家族の前では動画編集が仕事のOLである。それ以上でも以下でもなく、クオンはレイカが怪しい、とは直接的に考えられない。
「動画編集が仕事の姉様がDシリーズの管理なんて行っているってのがまず眉唾よ」
「事実は小説よりも奇なりって言うけれど、クオっちにはまだ得心が行かないって事か」
ディズィーの言葉を文字通り無条件に信じ込む気にはなれない。例えマコが巻き込まれていてもそれはディズィー伝手に聞いた話であってマコが現われでもしない限り信用はならない。
「Dシリーズにダイゴの事だって姉様が知っていたって言うんでしょう? あまりにも突飛だわ」
「でも、ま。ある種突飛な事がまかり通るのが現実だけれど」
せめてダイゴと会えれば、とクオンは感じる。ダイゴがディズィーと話をすり合わせたほうが実りのあるのではないだろうか。
「ディズィーさん。あなた、ダイゴと会う気は……」
「今のところない。ゼロパーセント」
言い切った声音にクオンは疑問視する。
「どうして? だってダイゴはあなたと同じくDシリーズで、境遇も似ていて」
「じゃあツワブキ・ダイゴに君の回りは敵しかいないって忠告するかい? それは彼にとってプラスにならない。オイラ的には、ツワブキ・ダイゴは泳がせておく。天使事件≠フ事も、Dシリーズの事も何も知らないツワブキ・ダイゴが行動すれば、自ずとその周辺事情も変わってくる。そこにつけ入るのがオイラ達のやり方さ」
あまりにも卑怯ではないだろうか。それではダイゴは放任で、自分達だけが真実に到達するという筋書きである。
「……何だかダイゴを利用しているみたいだわ」
「みたい、じゃなくって利用しているんだけれどね。全ての事象はツワブキ・ダイゴを中心にしている。ならばその軸から出来るだけ離れたところで観察したほうがいい。台風の経路や規模を観察するのにわざわざ台風の暴風圏に入らなければならない道理がないように、オイラ達はあくまで観察する側を貫く。暴風圏で振り回されちゃ堪ったもんじゃないし」
レイカに詰め寄るでもなく、コウヤを下すでもなく、あくまでその結果を利用するだけ。ディズィーのスタンスを間違っていると糾弾するのは勝手だが、それは自分が安全圏にいるから言える事でもあった。
「ツワブキ家を遠巻きに見つめる事が正しいとは思えないけれど」
「まぁ、クオっちは渦中の人物ではあるが、だからと言ってこの騒動に一番近しいわけでもない。体のいい利用対象だったのは君も同じさ」
今までのディアンシーの試験は全て不都合な人間を揉み消すため。その一部になっていた自分とて加害者の一人だ。
「でもコウヤ兄様の足跡を辿る事は無理、って事なの?」
「ホロキャスターとUSBで出来る事は限られている。パソコンはある?」
クオンはピンク色のノートパソコンを差し出す。起動させてディズィーはUSBを刺そうとしたが寸前で戸惑った。
「何を?」
「いや、もしかしたら、だけれど刺すだけでパスワードが要求される場合がある。それに答えられなければ、このUSBのデータそのものを抹消するプログラムが組まれている場合も」
「考え過ぎじゃない?」
「いや、あり得るんだ。どうしてツワブキ・コウヤは見ず知らずのツワブキ・ダイゴにそこまで賭けられたか? ただ単にバトルに躍起になっていたからとも思えない。どこかで保険を取っている可能性がある」
「じゃあ、どうするの?」
ディズィーはしばらく迷ってから、「クオっち」と呼びかける。
「このパソコン、もし駄目にしちゃっても大丈夫な奴?」
先刻の言葉通りならばパソコンそのものを壊しかねない。クオンは逡巡の間を置いてから頷いた。
「それしかないんでしょう?」
「助かる。あと出来れば、ツワブキ・コウヤに関連する事を何個か教えてもらえるとね。パスワードは決まっていたとか」
「分からないわ」
お手上げのポーズをするとディズィーは、「やってみるか」とUSBを刺した。すると認証画面が開き予想通りパスワード入力を迫られた。
「次期社長だし、こっちにパスワードを控えている、なんて馬鹿じゃないだろうね」
こっち、と示したのはホロキャスターだ。そちら側にメモをするほどコウヤは間抜けではあるまい。
「さて、この状況でパスワードを入力するのは賢いか愚かか」
ディズィーの言葉にクオンも困惑する。
「コウヤ兄様は、少なくとも仕事上の事をあたし達に表立って喋ったりはしない」
「つまり手がかりなし。こりゃ困った話だ」
ディズィーも打つ手がないという事は保留するしかないのだろうか。そう考えているとパスワードを打ち始めた。
「考えがあるの?」
「いんや。でもま、一発で処分食らうようなプログラムじゃないでしょ。よくあるパスワードとして、生年月日の末尾と自分の名前のイニシャルがある。ツワブキ・コウヤは何月何日生まれ?」
「八月九日だけれど……」
「KT89と試しに打ってみようか」
入力するがやはり弾かれてしまった。ディズィーは後頭部を掻く。
「やっぱりそう容易くないよねぇ」
「せめてメモみたいなものがあれば……」
「家族には仕事の話をしないんでしょ? だったらメモみたいなのが残っていると考えるのもおかしい。パスワードはツワブキ・コウヤの頭の中か」
そうだとすればギリーとの繋がりを決定付ける事柄は何もない。諦めるほかないのか、と考えていると耳朶を打った声があった。
『そのような事はない。君達は既に追跡を終えている』
電子音声にクオンとディズィーは顔を見合わせる。
「今の、ディズィーさんの?」
「いんや。このパソコンからだ」
パスワード入力画面が消え、現れたのは意味不明な文字列だった。それが入力されたかと思うと、『驚かせてしまったかな』と声が続いた。
「逆探知だ。この端末……!」
ディズィーがパソコンからUSBを抜こうとする。それよりも先に声が弾けた。
『待て、ツワブキ家の企みを阻止するにはワタシ達の力が不可欠だ。恐るべき魂の冒涜行為をこれ以上好きにはさせないためにも』