第八十三話「出来損ない」
クオンはいくつも思うところはあった。罵声も浴びせたかったし、出来る事ならば出て行けと言いたかった。しかしもう無理なのだ。自分は踏み込んでしまったのだから。
「……呑みましょう。あなたの条件を」
「条件って言うほど大層じゃないって。オイラと行動をともにしないか、っていう提案」
それは戻れない道である事は重々承知だ。それを知っていて彼女は何でもない、軽い火傷のように言ってのける。クオンはそれほど自分が馬鹿ではないと思っていたし、ここで乗るのもまた一つの火傷を抱え込む事になるのだというのも理解しているつもりだ。
「それでも、あなたがやってきたという事はそれも一つの答え、だと思ったほうがいいのかしら?」
「殊勝だね、って話。オイラに無理やり答えなんて探さなくっていいよ。オイラもさ、出来るだけキリングゾーンには入りたくないし、出来れば傍観者ポジが一番いいっちゃいい。でもね、マコっちを応援していると自然と自分の首を絞める方向性に走っちゃう。だったらマコっちと縁を切ればいいんだけれど、それには彼女が危ないし、もう気に入っちゃったから。ほら正義の味方はそう簡単に被害者を見過ごさないじゃん」
ディズィーが正義の味方かはともかくそう容易く裏切らない、と言っているのだ。そこは信用すべきだろう。
「あたしのためにも、鞍替えをよくするような人間とは組みたくないし話したくもない」
「賢明だ。ご両親の育て方がよかったんだね」
どうとでも取れるお世辞を吐くディズィーに、クオンは渋面を作るのも馬鹿馬鹿しく言葉を投げた。
「さっき父様を疑った口で言わないで」
「ああ、悪かったよ。そうだね、君からしてみればツワブキ・イッシンは父親だ」
さして悪びれてもいない口調に辟易しながらもクオンは尋ねる。
「それで、初代ツワブキ・ダイゴが何でそんな死に方をしたって知っていて?」
「ああ。まぁちょっと落ち着いて話そうか」
ディズィーがぽんぽんと床を叩く。クオンは唇をへの字にする。
「近づけって言うの?」
「この距離間で話すのには向かないお話だからね」
今、ディズィーと自分は三人分ほど離れた位置にいる。自分の手はいつでも出られるようにドアノブにかかっているためフェアではないと思われるのかもしれない。
「……分かったわよ」
クオンは扉から離れてディズィーへと歩み寄る。ディズィーが床をしきりに叩くのでクオンは仕方なしに座った。ただしディズィーのように胡坐を掻く事はない。正座をして佇まいを正す。
「それで、話は……」
口にしようとして打ち切られたのはディズィーの手が伸びてクオンの巻き毛に触れたからだ。思わず後ずさる。ディズィーは、「綺麗だと思って」とその手をゆらゆらとさせた。
「綺麗でって……、あなただって赤い髪でしょう」
「君みたいな純の髪色じゃないよ。知っているでしょ」
話通りならばディズィーの髪の毛は銀髪のはずだ。それを無理やり染めているのである。
「綺麗な紅色だね。そういう血縁だったのかな?」
「……お爺様の奥方、つまりあたしのお婆様がそういう髪色だったって聞いているわ」
「聞いている、って事は見た事ないんだ?」
クオンは少しだけ顔を伏せて答えた。
「お爺様よりも前に亡くなったらしいから」
「君からしてみれば、そのお爺様、初代ツワブキ・ダイゴでさえも過去の人か」
頬杖をつきながらディズィーがこぼす。クオンは言い返してやった。
「あなただって、偉人であるお爺様しか知らないくせに、あたしと何も変わらないわ」
ツワブキ・ダイゴ、という偉人としてしか記録にない。ディズィーとて年齢はさほど変わらないはずで、その全盛期を知るはずもない。
「そうだね。オイラもツワブキ・ダイゴがどのような人物であったか、探ろうとした。だって自分の基になった人間だ。どうしてデボンとツワブキ家はそれを再現しようとしたのか。その偉業にこそ、意味があるんじゃないかって思ったんだよね」
ディズィーは今の身体になってからそれを調べたのだろうか。自分の基、と形容したからにはそういう事だろう。
「以前の、記憶は……?」
慎重に訊くとディズィーは手を開く。
「ないんだ。一切」
その言葉には瞠目せざるを得なかった。記憶がない。それはまるで――。
「ダイゴみたいに……」
「そうだよ。まぁ肉体の記憶を引き継いでいる人間もいるけれど、オイラはなかった。D122Yには人格が必要ないと判断されたのか、あるいは何らかの不都合だったのかは分からないけれど、オイラ、つまりディズィーにはこの身体になってからの記憶しかない」
「だって言うのに、戸惑いもせず」
「戸惑ったって。それこそ一生分」
ディズィーは笑い話にしようとするがそれがどれほどの苦痛だったのかは想像に難くない。自分が何者なのかも分からぬ恐怖と、別の肉体に作りかえられたという事実。その二つを背負って悲観的にならない人間などいるのか。
「言っておくけれどさ。オイラはツワブキ・ダイゴとは違うよ」
それを見透かしたようにディズィーは中空を目線に据える。
「確かに、そりゃ怖い事だけれども。オイラ、チャンスだと思う事にした」
「チャンス?」
おおよそ、その悲劇とは一致しない言葉だ。ディズィーは身振り手振りをつけて、「やり直せるって事かな」と自分の中の感情を分析する。
「もし、さ。オイラが今まで誰かを傷つけたり、あるいは傷つけられたりしても、D122Yになったからにはその関係性やら何やらを全てリセットして、もう一度人生をやり直せるって事じゃん。これってさ、よく大人の言う、人生はやり直しの利かない、とかいう格言とは真逆で、オイラそういう意味では貧乏くじを引いたとは思っていないよ」
意外、というよりも常人の思考回路ではないだろう。人生は積み重ねのうちに成り立つもので、今までの関係性が全てリセットされるのが怖いと感じている自分と違って、ディズィーの考え方はそよ風のように吹き込んでくる。
「誰も、恨まないって事……?」
「そりゃ、デボンもこんな身体にしたツワブキ家にも一家言はある。でもそんなんでウジウジ悩んでいる暇があったら、それこそ進めない。オイラ、もうディズィーとして生きる事に決めたから、もうディズィーでいいんだ」
それは眩しく思えるほどの決意で。それでもどこか歪とも言えなくもない。自分が何者なのかを探求し続けるダイゴとは全く違う。正反対だ。彼女は「ディズィー」になったからもう「ディズィー」として生きるしかない、ではなく「ディズィー」という選択肢を与えられたのだと思っている。
どこまでも前向きでなければ考えられない事だった。
「ポジティブなのね」
「馬鹿にしてる? まぁいいけれど。オイラも散々煽ったからね。お返しだと思おう」
クオンは咳払いをして空気を変える。
「それで、事実関係の整理だけれど」
「ああ。オイラの知っている事は全て話そう。ただ注意して欲しいのは、これを話してしまった以上、君は当事者だ。もう傍観者は決め込めない」
そのような決意、もうとっくに済ませている。
「あたしはダイゴの味方になると誓った。とっくに家族で、当事者よ」
「それはある種の離反である、けれどね」
ディズィーの呟きを受け止めつつクオンは先を促した。
「聞かせて。ダイゴを巡って何が起こったの? 何が、起ころうとしているの?」
ディズィーは、ふむ、と顎に手を添えて考えを巡らせているようだ。そう容易く纏められるものでもないのかもしれない。
「君は、逆にツワブキ・ダイゴに関して、どこまで?」
「リョウ兄様が連れて来た新しい家族で、初代と同じ名前で同じ顔。秘密を抱えているようだってのは分かるけれど、自分に関する記憶が一切ない。もっと言えば警戒心も薄くてあたしでもつけ入れそう」
正直にダイゴの人物評を並べる。ディズィーは全部聞いてから、「じゃあ周囲」と続けた。
「周囲は、どう見ていると思う? ツワブキ・ダイゴの事」
「家族から、でいいのよね?」
確認するとディズィーは頷いた。
「父様は、何となく信頼している様子。疑ってはいない。姉様は、他人行儀。どうでもいいと思っているみたい。リョウ兄様は、自分が率先してダイゴを導くべきだと思っている。でも隠し事をしていると思う。多分、ダイゴにとって重要な何かを。コウヤ兄様は、何か知っているようだけれど、でも直接的な事は何も言わない」
それが家族のダイゴに関する見方だろう。クオンの主観が混じっているがそれでいいとディズィーは言ったのだ。
「全部で六人家族?」
「ああ、コノハさんを入れるのを忘れていたわ。七人ね」
「コノハ?」
初めて聞いたのだろう。疑問の声にクオンが答える。
「家政婦さん。うちにずっとじゃないけれど朝から晩までいてくれる。掃除とか洗濯とか、食事とか、そういう面倒事は全部コノハさんが」
ディズィーはコノハの名前を聞くなり難しい顔になって呻り始めた。何かあったのだろうか。
「もしかして、知り合い?」
「いんや。多分知らないけれど、他人を招いているってのはちょっと奇妙だね」
「どうして? だって皆仕事を持っているし、家に誰もいない事もよくあるから」
「そうじゃなくってさ。ここまで排他的なツワブキ家が、どうしてその家政婦さんだけ許すんだろうね」
そう言われてみれば、とクオンは思い至る。どうしてコノハはこの家に雇われているのだろう。
「父様の、デボンの知り合いかもしれないわ」
「それにしたって、今クオっちがわざとじゃなく、自然に忘れていたんだとすれば、それはそれで恐ろしいよね。秘密をここまで抱え込むツワブキ家に、影も形も残さずに侵入出来ているんだから」
その言葉にはクオンも渋い顔をする。
「コノハさんは家族よ。ただちょっと存在感が薄いだけで」
「それがさ、すごいって言うんだよね。ダイゴなんて明らかに異物だって言うのに、このコノハって家政婦はどことも繋がっていない。それなのに普通にこの家に居られるのは、何で?」
何で、と問われてもクオンには答える術はない。変わりのようにコノハの入ってきた時期を答える。
「……あたしが不登校になってから来た人だから、もしかしたらそういう母親みたいなのを補足しようとしたのかもしれないわ。父様の考える事はいつでも家族のためだもの」
「なるほど。いい意味での起爆剤になると思っていたわけか」
それでディズィーも納得したらしい。クオンは話を進める。
「まぁコノハさんが来たからと言ってあたしは行かなかったけれど。で、家族から見たダイゴなんて知ってどうするの?」
「ツワブキ家の人間は皆、何らかの思惑があってツワブキ・ダイゴを家に入れた、と思うべきだ。だってさ、自分の祖父と同じ名前の人間が家にいておかしいとか思うはずだよね?」
普通の感覚ならばそうなのだろうがツワブキ家の人間は普通とは思えない。
「きっと慈善事業のつもりで」
「それにしたってだよ。ツワブキ・ダイゴの名前は悪趣味としか言いようがない。誰もそれに関しては突っ込まなかったの?」
そういえば、とクオンは思い返す。ダイゴを引き取った日、誰一人として祖父の話題に触れる事はなかった。
「リョウ兄様が勝手に決めたらしい名前だけれど、反対の声もなかったわ」
「普通は反対するか、そんな身元も知れない奴に親族の名前はつけないよ。やっぱり意味があるんだ。ツワブキ・ダイゴと言う名前には」
「深読みし過ぎじゃない?」
それこそリョウの独断で決まった名前だから誰も文句を言わないだけかもしれない。しかしディズィーは異を唱えた。
「いや、君達兄弟はギリギリありかもしれないが、問題なのはやっぱりツワブキ・イッシンだ。だって自分の父親と同じ名前だよ? 反対、そうじゃなくっても何らかの反感は持っていると思うべきだろう」
イッシンの口からダイゴを否定するような言葉は聞いた事がない。イッシンは認めているのではないだろうか。
「亡くなったから、その名前が浮いちゃったし……」
「例えば、だよ。ツワブキ・イッシンが死んだとしよう」
縁起でもない言葉にクオンは頭を振った。
「何て事を言うの」
「物の例えさ。で、その後生まれた子供に名付けるとして、じゃあツワブキ・イッシンの名前を使うか、という話」
クオンは渋面を作って、「そんなのするわけないじゃない」と答える。
「それと同じ事がまかり通っているわけだけれど」
「お爺様の名前は偉人だから別って考えているんじゃないの?」
「いや、だとすれば相当懐の深い人物という事になるが、それでもだよ。二十三年経ったとはいえ、長兄、コウヤなんかは初代ツワブキ・ダイゴを知っているはずだ。その心象を無視して、名前を一方的につけるかな?」
節々に疑問点は出てくる。ダイゴも自分の名前が偉人の名前だと知って驚いていた。
「そりゃ叩けば出る埃って奴で、でも叩かなければ何も出ない」
「ツワブキ家ではそのツワブキ・ダイゴに関する取り決めでもあったのかな? そんな事を聞いたりは?」
クオンは首を横に振る。
「知らない。あたしは、何も。ただ新しい家族が来るだけしか」
「それも変だ。君がいくら不登校だったとはいえ……。ああ、言い方を変えよう」
クオンがその言葉に反応したからだろう。ディズィーはやわらかい言い回しに変えた。
「ちょっと事情を抱えていたとはいえ、新しい家族? それがツワブキ・ダイゴ? ちょっとどころかかなり変な話だよ、これは。家族である君の了解もなしに、ツワブキ・リョウは何を焦っていた? あるいは、何を考えてこの名前にした?」
クオンは考えを巡らせる。今までダイゴがダイゴである事など当たり前だと思っていただけになかなか妙案が出なかった。
「オイラは、これ、一つ推測出来る」
ディズィーが指を立てる。クオンは、「何?」と尋ねた。
「最初っから、今回のDシリーズと計画を見越しての命名だった。ツワブキ・ダイゴは初代の入れ物として、ツワブキ家に教育されるつもりで入れられた」
「教育って……」
あまりに過激な言葉にクオンが呆気に取られているとディズィーは指を振った。
「お嬢さんには過激な話だった?」
「そんな証拠どこにもないもの」
「そうかな? 例えば、オイラの存在。それだけでもDシリーズがこの街に何名かいる事だけは証明出来る」
右腕の「D122Y」のシリアルコード。クオンは視線を這わせながら尋ねていた。
「何でDにこだわっているの?」
「諸説ある。DはデザイナーズチルドレンのD、あるいはDEPUTY、代理、のD。でも一番に言われていたのは」
ディズィーは一拍置いてからその言葉を口にする。
「Dは、出来損ない、のDだとも」