第八十二話「第二の故郷」
ディズィーがコンタクトレンズを外す。碧かった虹彩は実のところ赤く、髪も明らかに染めたものだというのが分かった。
「ダイゴと、同じだって言うの……」
驚愕の事実にクオンは言葉もない。そもそもDシリーズとは何なのか。ダイゴのような人間が他にもいると言うのか。ディズィーは捲っていた長袖を戻し、「オイラみたいなのは珍しいよ」と答える。
「実際、ほとんどのDシリーズは管理されている。ロストナンバーである百番台以下は生命維持さえも難しく、そこいらの研究室で死を待っている状態だ。ただ単にツワブキ・ダイゴの入れ物として造られたにしちゃ不遇にも過ぎる処置だよ」
「ダイゴの、入れ物?」
クオンがあまりに無知だったせいだろう。ディズィーは顎に手を添えて考え込む。
「どこからレクチャーすればいいものか。あっ、でも君はツワブキ家。だからツワブキ・レイカとは血の繋がりがある」
「だからって何? 姉様とは――」
「ツワブキ・レイカは何らかの秘密を持っている」
遮って放たれた声にクオンは心臓を鷲掴みにされた気分だった。レイカが何かを知っている? そのような素振りなど家で見せた事がないのに。
「ない、ないわ。だって、リョウ兄様ならともかく姉様はただの動画編集が仕事の職員で、どこにも怪しいところなんて……」
「本当にないって言い切れる?」
ディズィーにそう詰め寄られればクオンも返事に窮する。レイカの一挙一動をみて回っているわけではない。
「ツワブキ・レイカはマコっちの命を狙った」
だからその言葉で本当に心臓が口から飛び出したかと思ったほどだ。レイカがマコを狙う? それはあまりにも突拍子のない出来事の羅列に思えた。
「ない、それこそ。レイカ姉様に限ってそんな。人の命を狙うなんて」
「その時に使われたのが黒服の集団と、Dシリーズ。つまりツワブキ・ダイゴと見た目が全く同じ個体」
そこまで確信めいた声音だとクオンも思わず信じてしまいそうになる。だが完全に信じ込むにはまだ足りない。
「じゃあ、何であなたはダイゴと同じ顔じゃないわけ? その説明がついていない」
Dシリーズ云々を説明するのならばまず自分の証明からだ。クオンの声にディズィーは、「参ったなぁ」と呟いたがやがて覚悟を決めたようだ。髪の毛を一本だけ抜いて見せ付ける。目を凝らすと赤いと思われた髪は銀色の下地が窺えた。
「銀髪に赤い眼。これがDシリーズの特徴なんだけれど、オイラ女性型だから。ちょっと男性型のDシリーズとは身体のつくりが違う。まぁ多分、オリジナルの意匠が強いんだと思う。あっ、オリジナルってのは初代の事じゃなくって、オイラの素体だった可哀想な女性の事ね」
オリジナル、初代、素体、今の会話だけでも分からぬ事が山積した。クオンは頭痛を覚えながらも紐解く。
「どういう経緯でダイゴと同じ顔の人間が必要になったのか、それも聞かせてもらえるのよね?」
ディズィーは、「それが分かればねー」と口笛を吹いた。馬鹿にしているのだろうか。
「苦労しないって言う。最終目的だけは分かるんだけれど、誰が敵で誰が味方なのか、ちょっと判然としないんだよね」
そうだというのに自分に話したのは愚の骨頂ではないのか。クオンの眼がそう告げていたのかディズィーは首を横に振る。
「君に言ったのはマイナスじゃないよ? だってさ、住まわせてもらうんだもん。分からない事があると面倒でしょ?」
最初から住まう事は前提らしい。クオンはますます頭痛が酷くなるのを感じた。
「こうなっちゃうと、あたしも巻き込まれるのよね?」
「ツワブキ・ダイゴに関わった以上はね。君だって過ぎた事をしているんじゃないの?」
分かっている。ダイゴの記憶が戻る事を支援する事はリョウや他の人間からしてみればマイナスかもしれない事を。それでもダイゴを、自分を立ち直らせてくれた人を応援したいのは至極当然ではないのか。
「ダイゴには、返し切れない恩義があるから」
「恩義ねぇ。今時の女子高生がそんなヤクザ映画みたいな事言うんだ?」
ディズィーの感想を無視してクオンは言葉を継ぐ。
「ダイゴを害する気ならば、あたしは協力しない」
「そうなると植え込みの足跡が誤魔化せないわけだけれど」
こう着状態だ。お互いに一歩も譲れない。どちらも両方に共通する弱みを握られている。
「ダイゴを引き合いに出しても解決しそうにないわね」
「だから言ったじゃん。最初っから、オイラはクオっちを守るために来たんだって。それとマコっちを危険に晒さないためにね。まぁマコっちも強いし、オサムの補助があれば負けないでしょ。オイラがこうして訪れたのは、一番に危険が迫るのはダイゴに協力したクオっちだと判断したからだよ」
指差されてクオンは怪訝そうにする。
「その割には、先ほどから態度が随分と横柄だけれど」
「横柄に見えるのは、クオっちが今まで上から押さえつけられる物言いをされて来なかったからだよ。オイラは最大限にクオっちの人格を評価しているし、もしオイラの秘密をばらすって言っても、こっちにだって隠し玉はあるし」
最終手段を明かすほどお互いに馬鹿ではないつもりであったがクオンにはもしもの時の保険が少ない。ツワブキ家に完全な忠誠を誓う、という手もあったがそれではダイゴを裏切る事になる。一番身動きが取れないのは意想外だが自分であった。
「ディズィーさん……。急に来て、あたしを助けるって言っても、今はダイゴの事を一つでも知りたい。どうかしら? お互いに質問と答えを一つずつ交換し合う、というのは」
これならばどちらかの秘密が枯渇しない限り優位に立てる。ディズィーは、いいね、と膝を叩いた。
「よっし! どんと来い!」
胡坐を掻いたディズィーにクオンは確認事項をぶつける。
「Dシリーズは何のためにいるの?」
「初代ツワブキ・ダイゴの入れ物だよ」
あまりにも要領を得ない答えだ。これでは弾数の無駄である。
「何で初代ツワブキ・ダイゴに入れ物なんて必要なの?」
「何でって……、当たり前じゃん。今もその辺りにいるかもしれない初代の魂を救おうってのが、そもそもの始まりだよ?」
その辺り、と指されてクオンは気味が悪くなった。体感温度が下がった気がする。
「オカルトなんて……」
「オカルトじゃない。いいかい? 初代ツワブキ・ダイゴはね、いるんだよ。いないって証明も出来ないし、もちろん完全に消滅したと考える事も出来なくはないけれど、それよりかはいると判断したほうが可能性は高い」
「どういう可能性? 初代ツワブキ・ダイゴの幽霊、なんてカナズミシティには流行らないわ」
ディズィーはそこで中空を睨んで呻った。何を考え込んでいるのだろう。しばらくして、やっと搾り出した答えがあった。
「あのさ、ちょっと誤解している。君の思っているDシリーズってのは初代ツワブキ・ダイゴの幽霊を呼び出す、シャーマンみたいなのだと思っていると考えていい?」
「いいも何も、そういう媒介なんじゃ?」
ディズィーは膝を打ち、「大きく違う」と断じた。その声音にはクオンも動じる。
「媒介じゃない。いや、ある種では媒介だが、依り代、と言ったほうが正しいんだよね」
「依り代……?」
クオンの疑問にディズィーは心得たように紐解く。
「Dシリーズで最終的に何がしたいのか。それを先に言っておくと分かりやすいかもしれない。何だと思う?」
今度は謎かけか。クオンは脳裏に浮かんだ考えを述べる。
「そういう技術的な発展の誇示でしょう? それ以外に何が」
「技術的な発展……、まぁ頷けない部分はない。でもね、そんなまともな思考回路でじゃあさ、ほぼ毎年五十人以上が行方不明になる街が出来上がると思う?」
ディズィーの声音はどこか恐れを帯びている。クオンは問い質していた。
「どういう事?」
「カナズミって街はさ、統計上、一番行方不明者が多いんだ。しかも年間、ここ三年はピーク。だっていうのに誰も警察も本腰を上げない。最近では天使事件≠チてのが発生するようになった」
「天使事件=H」
どこかミステリアスな響きに圧倒されているとディズィーは頭を振る。
「君の考えているようなオメデタイ事件じゃない。肩口からの大量出血で死ぬ、惨たらしい事件だ」
あまりにも自分の理想と離れていたのでクオンは狼狽する。ディズィーは無機質に告げた。
「その死に様が、どうしてだか初代の死に方と酷似しているってのも、一般には流布されていない情報かな?」
そこでクオンは瞠目した。初代の死がまさかそのような生産を極めるものであったなど聞いた事がない。
「お爺様が、そんな死に方を……?」
「ああ、そうか。初代の死って二十三年前だ。クオっちは生まれていないね。教えてあげると、デボンの研究室で、メガシンカ試験中に亡くなった。その時、研究室に入れたのは限られた人物だけだった。研究員監督者、プラターヌ博士。ツワブキ家の誰か。あるいは――ツワブキ・イッシン」
その言葉にはさしものクオンとて激昂の一歩手前であった。自分の父親が祖父を殺したなど、冗談にしても性質が悪い。クオンは咳払いしてその可能性を棄却する。
「……ふざけているの?」
「ふざけてなんていないって。でもこれは現状の、最も考え出される可能性の一つだよ。ツワブキ家しか入れないデボンの研究棟だって言うんなら、それを怪しいと思うのは何ら不適切じゃないはず」
「不適切も何も……」
やはり怒りは収まらなかった。自分の父親の侮辱にクオンは我が事のように声を張り上げる。
「父様を、そんな風に言うのはやめて!」
「分かった、分かったって、クオっち。君がどれほどお父さんを大事にしているのかはよぉーく分かっている」
宥めるように放たれた声にクオンはまだ納得出来ずにいる。どうして自分の怒りのほうが不当のように言われなければならないのだ。
「あなたに、何が分かるって言うの」
「分からないよ。なぁーんにもね。だからこそ、とても中立な立場だと思っている。オイラはDシリーズだけれども、ツワブキ家に復讐したいだとかあるいは忠義を示したいってのは一切ない。これだけは断言出来る。オイラはツワブキ家にも自分を造ったデボンにも、何にも感じていないよ」
それはにわかには信じられなかった。デボンが彼女の人生を歪めた。ならば復讐くらいは考えてもおかしくはない。
「どうかしら。あなたが潔癖だって事を証明してみせて」
「そりゃ無理難題って奴だよ。嘘発見器でも持ち出す?」
おどけた様子のディズィーにクオンははらわたが煮えくり返る思いだ。
「あたしが叫べば、誰かが来るわ」
「だね。でもそうなると君は家族を裏切った人間になる」
奥歯を噛み締める。ディズィーの言う事に従うしかないのか。それしかダイゴを救えないのか。それどころか自分の行ったのはダイゴの支援、つまりは家族への背信行為だ。家族を恨む人々ではないし、そもそも自分が反抗したところで何ら問題のない家庭である事は知っている。だが一度でも反逆した人間を二度と家族は信用すまい。
「……手詰まり、って言いたいの?」
「まぁ、誰も詰みを宣言したつもりはないけれど自然にね。こりゃ墓穴って奴だ」
墓穴を自分で掘ってしまった、というわけなのか。皮肉な事実にクオンはただただ打ちひしがれるしかない。どうすればこの状況を打開出来た? ダイゴもコウヤも裏切らず、自分だけが無関心でいるには二人に入れ込んでいる。ダイゴには特に、だ。彼に恩義は返さねばならない。
「ダイゴは、あたしにここだけが居場所じゃないって言ってくれたの」
「ふぅん。で?」
全くこちらの感情など無視したディズィーの声に腹立たしさはあったが今は頓着しない。
「だからダイゴは、あたしの第二の家族であり、第二の故郷なのよ」
「個人を故郷にしちゃうのはいささか問題ではありそうだけれどね」
クオンはキッと睨みつける。ディズィーは臆する様子もない。
「だからダイゴを裏切るのは駄目。でも家族も裏切りたくない」
「オイラのプランが理想的だと思うなぁ」