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攻めろ! 化石バトル!
第八十話「追跡者」

「危ないよ、兄貴」

 飛び散ったガラスを目にしてリョウが忠告する。コウヤは幾分か熱した頭を冷やすだけの時間を得た。化石バトルでの敗北からの疑念。しかし自分の勘は間違った事がない。

 ツワブキ・ダイゴ。何らかの目的があって自分に接触してきた男。

 本来ならば歯牙にもかけないのだがその名前が因縁めいている事と、あまりにも用意周到な動きから警戒していた。

「……なぁ、リョウ。あのダイゴってのは何日くらいこの家にいる?」

「えっ、兄貴が出張に行ってからずっとだけれど」

「十日前後か。根回しするにはちょうどいいくらいだが、誰を味方につけたのか。それを知らなければならないな」

 コウヤがガラス片へと手を伸ばす。リョウが慌てて制した。

「危ないって。尖っている」

 しかしコウヤはリョウの言葉など気にかけず、ハンカチを取り出してガラス片を摘んだ。

「おい、これを見て何とも思わないのか、リョウ」

 察しが悪いのかリョウは小首を傾げるばかりだ。

「何とも、って……」

「お前刑事だろう! これくらい分かれ! このガラス片の飛び散った方向と、それに割れ方。自然に割れた感じじゃない」

 その言葉にようやくリョウは本腰を上げてガラス片を観察し始めた。すると気付いたようだ。

「この部分とこの部分、全然割れ方が違う……」

「気付いたか。下に行くほど細かく、上に行くほど粗い。こんな割れ方は地震なんかじゃ起きない割れ方だ」

「でも何で? オレが知る限りじゃ、こんな割れ方、音響攻撃でもしない限り」

 そこでハッとしたのだろう。コウヤも頷く。

「音響攻撃でもしない限り出来ない。つまり音響攻撃が、おれの部屋の真下か、あるいは外から放たれた」

 コウヤは窓を無理やり開けて直下を見やる。すると気付いた点があった。

「リョウ、あれ見ろよ。植え込みの辺り」

 リョウも首を出してコウヤの目線と合わせる。

「植え込みの辺りに、足跡?」

「だな」

 ちょうど芝生と植物の植え込みがある辺りに真新しい足跡が見受けられた。コウヤは早速取って返して部屋の外に出る。やはりと言うべきか、ダイゴの姿はもうなかった。

「リョウ。推論だ。ツワブキ・ダイゴはどうしておれに化石バトルを挑んだか?」

 その命題にリョウは顎に手を添えて考え込む。一応は現役の刑事だ。その推理は当てになる。

「何かから目を逸らすため、かな」

「ではその何かとは。おれからノートパソコンを奪って何が手に入る?」

「兄貴の個人情報、あるいは仕事に関しての情報」

「そうだ。ダイゴはそれを狙っていた。化石バトルはそれを手に入れるための方便だった」

「でも何で? 兄貴は昨日帰ってきたばかりでダイゴとは面識もない」

 そのはずであった。ダイゴとは出張前にもほとんど会っていない。だから因縁をつけられるいわれはないのだが。

「あっちはおれの事を調べ上げていたのかもしれないな。何らかの理由で」

 コウヤは扉に寄りかかりながらリョウの推理を待つ。リョウは、「まさか」と心当たりがあるようだった。

「何かあるんだな、リョウ」

 幾ばくかの逡巡の後、リョウは口を開いた。

「兄貴。再生計画については」

「存じている。しかしそれはお前とレイカに任せたはずだ。おれはあくまで善良なサラリーマンで、なおかつ次期社長だと。だからそのプロジェクトにおれは関係していない」

「じゃあ……」とリョウが次の可能性を試算しようとする。コウヤも考えていた。自分とダイゴに関連する人物などそう多くないはずだ。

「リョウ。再生計画が誰かの口から漏れた、なんて事はないよな?」

「ないはずだよ。だってこれも極秘だ。知っているのはデボンでも上層だけだし、オレだって普段は公安だよ」

 公安勤務のリョウが再生計画云々の根回し以外に事を割くとも思えない。だとすればレイカか、と感じたがレイカから漏れるとは考え辛い。あれは一番ダイゴと距離を取っているはずだ。

「再生計画絡み、だというのは間違いない線だとおれは思う。しかしダイゴがそれを知っていて、おれに化石バトルで情報を得ようとしたのならば、逆に間抜けだ。メンバーを特定するようなものだし、何よりも自分が余計な事を知っているのだと勘繰られるのは面白くないはず」

「そうは言ってもいられない状態になった、とか?」

 リョウの推理にコウヤは指差す。

「では、その状態、とは。どうしてダイゴは焦っている?」

 考え込むリョウだが何となくコウヤには見えていた。ダイゴが焦っている理由。それは差し迫った脅威から来る焦燥に違いない。命を狙われるような事があったのだ。コウヤはゆっくりと口を開く。

「抹殺派が動いた可能性がある」

 その言葉にはリョウも瞠目する。

「抹殺派が動けば、オレ達だって黙っちゃいないのに」

「そのはずだ。再生計画を進めている我々と抹殺派は常に平行線であるが、抹殺派がダイゴ暗殺に乗り上げたのだとすれば、あいつ自身の焦りも分かる」

「でもおかしくないか、兄貴。こっちだって逐一モニターしているんだ。抹殺派の誰かが動けばDシリーズが」

「それ以上は、この家では言わないほうがいいだろうな」

 コウヤの制する声にリョウは口元を覆う。Dシリーズ関連は兄弟間で分かっていても話題に出さないようにしているのだ。

「親父に、勘繰られるから、なのか?」

 かねてよりの疑問だったのだろう。リョウの質問にコウヤは、「それもあるが」と廊下に出る。

「次期社長はおれだ。だから父さんだって別に怖いもんじゃないさ。たとえあの人が会長職だとかそういう役職について実質的にデボンを牛耳ろうとか思っていても、おれのほうが味方は多い。いくらでも誤魔化しは利く」

「じゃあ親父の目を気にしてとかじゃないってのか」

「父さんは、ずっとおじいちゃんの死に方を疑問視している人だ。内密に調べ上げていてもおかしくはない。まぁそうなってくるとおれやお前みたいなのが叩けば埃の出る人間になってくるんだが父さんは気づいた様子もない。あの人は嘘をつくのが下手だから家族ならばすぐ分かる。だから父さんが再生計画の事を知っても、おれ達のほうが手数は多いんだ。向こうは手駒が少ないし何より勝算がないだろう」

 もしもイッシンが敵となっても勝てる自信はある。だがダイゴというイレギュラーは全くの別問題であった。招き入れたのはリョウだが、それも考えのあっての事だ。

「リョウ。まさか何の考えもなしにダイゴをこの家に招いたわけじゃあるまいな」

「そんなわけがないって。ダイゴは、D015はちょっとした特別なんだ」

「特別?」

 出張に出ていた自分にはDシリーズと計画がどこまで進んでいるのかは判然としない。だからリョウの口から聞く必要があった。

「特別って、何の事だ」

「……ここで話すのは」

「ああ、そうか。そうだったな」

 自分で戒めておいて言うのは馬鹿馬鹿しい。コウヤは廊下を抜けて一階に降り植え込みへと足を向けた。

「上から見た感じだとこの辺りに人がいたはずだ。だが、やっぱりもういない」

 コウヤは周囲を見渡す。逃げられそうな場所はいくらでもあるが音響攻撃を行ってから逃げたのならばまだ敷地内の可能性がある。

「兄貴、その、裏切り者を探すとかそういう心地ならばやめたほうがいいと思う。そりゃダイゴがあまりにも運に恵まれ過ぎている感はあるけれど」

「運? まさか。あのツワブキ・ダイゴは運なんて不確定なものを信じて行動するタイプじゃない。カブトの動きがよかったのも、化石バトルでノートパソコンを手にしたかったのも全て計算済みだろう」

 戦ってみれば分かる。ダイゴは運なんてものを信じてはいないのだと。恐らくは協力者がいた。その協力者による仕業にしては少しばかりずさんと言うだけの話だ。

 屈んでコウヤは足跡を観察する。

「見ろよ。足跡は四つだ。踏ん張ってポケモンを出したんだとすれば、そいつの足跡を含めても四つはおかしい」

「手持ちの足跡なのかも」

「それにしちゃ変なんだよ。おれは、復元機を持っているからポケモンの重量だとか足跡のつき方とかは随分と分かっているつもりだ。にしては、この足跡は小さいし軽過ぎる。ポケモンが技を放つ瞬間に発生するエネルギーを加味すれば周囲の」

 コウヤが目線を振り向ける。鬱蒼と茂る草むらの葉っぱの先端が真っ直ぐに天へと伸びていた。

「草むらに何もエネルギーが加えられていない事がおかしいんだ。ポケモンは大なり小なり、技を放つ時には力むからな。その影響が周囲に出ないのはそのポケモンが羽根を持っている場合だけだ」

「飛行ポケモンだって言うのか?」

「あるいは、逆に言おうか。飛行ポケモンだから、ダイゴのあのタイミングで音響攻撃を放てた、と」

 人間ならば間に合っていないタイミングだったが、ポケモンだったから間に合った。コウヤの推察にリョウは、「おかしくないか?」と肩を竦める。

「だったら四つの足跡の説明にはならないじゃないか」

「そう、四つの足跡。これは人間のものだ。間違いない。しかもこの踏み込み方からして、女だな」

「女? それこそ分からないぜ、兄貴。ダイゴの奴を助ける女なんて」

「心当たりは?」

 コウヤが尋ねるとリョウは、「知るはずもない」と答える。

「おい、ちゃんと鎖もつけておかなかったのか? 記憶喪失とはいえ一級監視対象だろう?」

「監視は続けていたって。クオンとも一緒に行動させたし、あいつだけで行動したなんて時間は多分、十日全部合わせても三時間もないよ」

 その三時間もない限られた時間で、ダイゴは仲間を作ったはずだ。コウヤは考えの中に一つ、可能性を浮かべた。

「クオンと一緒に、って言ったな? 何でクオンがあいつに?」

「……不登校を直してくれたんだよ。ダイゴが一日目に」

「クオンのか? あいつはおれやお前が言っても全然だっただろう?」

 全く直る気配のなかった不登校をダイゴが一人で直したと言うのか。にわかには信じられない話だがリョウが嘘をつく意味がない。

「クオンは、翌日から普通に登校を」

 それを聞いて余計に疑念が深まる。コウヤは考えたくはないが可能性の一つとして考慮せずにはいられなかった。

「クオンが、一枚噛んでいるかもしれない、というのは?」

 その言葉にリョウは首を横に振る。

「兄貴だって知っているだろう。クオンの手持ちは」

「ディアンシー、だったな。格好だけでバトルには向かない」

 それに音響攻撃も出来ないはず。そうなってくるとコウヤにはいよいよ分からなくなっていた。

「……仕方がない。最終手段に入る」

 コウヤの言葉にリョウは目を戦慄かせる。

「まさか、兄貴」

「家族の前では手持ちを見せない、のは暗黙のルールだがこの際四の五の言ってはいられないのでね。来い! レジロック!」

 窓を破って出現したのは岩の塊だった。いくつもの岩が重なり合い人型の形状を成す。大昔に封印されたと言われているポケモンが細やかな目でコウヤを見据えた。

「レジロック。追跡を行う。つい先ほどまでここにいた人物の、足だけでいい。再現しろ」

 レジロックの形状が崩れその場に転がったかと思うと小さな石粒が寄り集まって足型の精巧な図を作り出す。あまりの早業にリョウが呆けたように口を開けていた。

「この足跡は、その後、どこへ行った?」

 レジロックの再現する足跡がその後向かったのは邸宅のほうだった。どうやら草むらのほうには足がつくと考えたのか向かっていないらしい。

 足首の辺りまで再現された二つの足は微妙に異なっていた。

「どっちも女のものだが、片方は背が高いな。もう片方は、それこそ背が低くって小柄だ。少しばかり、クオンの足跡に似ているかもしれない」

「兄貴、身内を疑うのは」

「分かっている。クオンだと思うよりかは、クオンと同年代の女だと思ったほうがいい」

 そう言いつつもコウヤの浮かべる可能性の中には依然としてクオンが裏切ったというものもあった。クオンを最初に手駒に加えているのならば、ダイゴの行動も依りスムーズなはずだ。しかしだからこそ、もう一つの足跡の正体が解けない。クオンはつい最近まで不登校だった。そんな人間がいきなり友人を作れるはずがない。

「クオンの知り合いに二人も三人も友達がいたと思うか?」

「正直なところ、ないとオレは思っている」

 コウヤの質問にリョウは気後れ気味に応じる。リョウの目から見てもクオンは奥手で気難しい側面があるのだろう。自分の分析と大して変わりはない。

「だな。おれもそう思う。しかしこの行動は二人や三人程度の協力が不可欠だ。まず一つ。誰かが植え込みにいた。この二名」

 コウヤが指を立てる。片方がクオンであるという事はあえて言わなかったがリョウも分かっている様子だった。

「だがこの二名以外に、もう一人いたと思われる。そいつがポケモンを使い音響攻撃を仕掛けた。つまり少なくとも三名必要だ」

 コウヤの推測にリョウは口を挟まない。同意見なのだろう。

「三人の裏切り者か……、あるいは離反者か」

「あるいはおれ達とは全く関係のない三人でただ単にダイゴの目的を後押しするため、だとも考えられる」

「だったらダイゴが友人を作った事になる。記憶喪失がそう簡単に信頼を築けるかな?」

 コウヤも顎に手を添えて考え込む。記憶喪失だとはいえあのかんばせは間違いなく初代ツワブキ・ダイゴのそれだ。無意識的に味方になっている人間がいてもおかしくはない。

「そこは、おれにも分からないが、ダイゴはおれ達が思っているよりもずっと強かだと考えたほうがいい」

 そうでなければ化石バトルの時からの仕込みなど出来るはずがないのだから。リョウはしかし納得がいっていない事がいくつかあるらしい。難しい顔をして俯いていた。

「どうした? 何か考えでもあるのか?」

「いや……兄貴、多分レジロックの追跡にはかからないだろうけれど、一応警告として。サキ、ヒグチ・サキを知っているよな?」

「ああ、サキか。よく家に来ていたな」

 リョウと同世代である。彼女がどうかしたのか、とコウヤは尋ねていた。

「どうやら音信普通みたいでさ。オレがかけても出ないし、それに職場にも何も言わずに無断欠勤しているらしい。こんな事は今までなかった」

 その言葉にコウヤははたと立ち止まる。

「……つまり、こう言いたいのか? ヒグチ・サキがある程度ダイゴの味方になるように働きかけて今しがた起こったのはそいつのせいだと」

「思いたくはないが、女だって兄貴は言ったよな? そうなってくるとダイゴを無条件で信じるのってサキくらいしか浮かばないんだよ」

 レジロックの追跡は依然有効だ。射程内に本人がいればレジロックの岩の身体が散弾のように襲いかかる事だろう。

「しかしお前は、そのヒグチ・サキが行方不明だとも言った。矛盾しているぞ」

「だからさ。考えたくない事だけれどサキは、もしかしたらダイゴの味方につくためにわざと行方をくらませているんじゃないかって」

 リョウとて幼馴染を疑いたくはないはずだ。しかし可能性として出るのならばそれも考慮に入れなければならない。

「ヒグチ・サキはそのような尻軽女か?」

「まさか! サキは慎重に決断を下す奴だ。決して感情論だけで動く奴じゃない」

「それはお前がよく知っているだろう。下手な事を持ち出すな。余計な心配まで背負う事になる」

 リョウは黙りこくる。しかしヒグチ・サキの失踪はコウヤからしてみても大きい。一刑事がいなくなるという事は何らかの動きがあったと思ってもいいはずだ。

 レジロックの追跡が途絶えた。岩が霧散しコウヤの背後に身体を構築させる。コウヤはハイパーボールのボタンを押してレジロックを戻した。

「敷地内にはいないのか……」

 リョウの声にコウヤは頭を振る。

「いいや、そう遠くまで逃げ切れまい。ポケモンのほうは逃がせても人間のほうは二人も三人も背負えないはずだ。おれなら羽根のついているポケモンはいざという時に重宝する。可能な限り足で逃げたと考えれば、後は人間の目で追ったほうがいいかもしれないな」


オンドゥル大使 ( 2016/01/24(日) 22:08 )