第七十九話「化石バトルをしようV」
「いい? 一回目は適当なものでいい。でも二回目はダイゴ、あなたは絶対にノートパソコンを賭けなさい」
クオンの言葉にダイゴは懸念事項を口にする。
「ノートパソコン、確かに俺はコウヤさんの持つ情報が欲しいが、そう容易く手に入るだろうか?」
相手とてどうしても死守したい一線があるはずである。クオンは、「もし駄目でも」と言葉を継ぐ。
「今度はUSBって妥協しなさい。そうすると熱している状態のコウヤ兄様なら絶対に乗ってくるわ。もしかしたらノートパソコンでもくれてやるって言いそうだけれど」
自分は絶対にコウヤの人間関係とどこに行っていたのかを知らなければならない。それを相手がさらけ出すのかどうかが問題であったが賭けならば対等な手段で手に入れられる。
「化石バトル以外、ないのか?」
「化石バトルしかないし、化石バトル以外じゃ絶対にコウヤ兄様はあなたに物を渡したりはしない。コウヤ兄様のプライドを崩そうと思ったら化石バトルで勝つしかない」
クオンがここまで言い切るのだ。それは絶対だろう。ダイゴは、「カブトで、二戦目もいけるか?」と訊いていた。
「そればっかりはあなたの裁量次第だけれど、カブトならば限りなく負けの確率を下げられる。引き分けはあっても負けはないと思っていい」
「それだけ強く言えるって事は、カブトは勝てる公算があると思っていいんだな?」
「コウヤ兄様は油断している。油断し切っている。ド素人のあなたが化石バトルを挑むだけでも随分と無茶だけれどもし、一回でも勝てればこちらのペースに巻き込めたと思っていい。ダイゴ、これしか方法はないの」
クオンの言葉を聞きダイゴは立ち上がる。
「分かった。何とかして勝つ。それしか方法がないのならば」
「もしノートパソコンが手に入ったら、あたしが何とかするわ」
「いや、クオンちゃんだけを危ない目には遭わせられない。誰か、協力者がいれば……」
脳裏に浮かんだのはサキだったがサキに連絡しようにも方法がない。
「サキさん、ね」
そんなダイゴの思考を読んだようにクオンが口にする。思わず目を見開いた。
「何で分かった?」
「あなたが頼りにしているのはサキさんとあたしだけだもの。父様だって、本当に信頼しているわけじゃない」
クオンにはお見通しと言うわけか。ダイゴはお手上げのポーズを取り、「頼めるか」と聞いていた。
「頼めるか、じゃなくって頼む、でいいわ。あたしだけじゃどうしても解析に不備が出るだろうし警察のサキさんならば絶対に不備なんてないだろうし」
どうやらクオンは自分の出来る範囲を心得ているらしい。ダイゴは目配せし合った。
「ノートパソコンを手に入れてツワブキ・コウヤが一体何を知っているのかを探る」
クオンは早速通話を繋いでいた。サキに頼るのは自分の力不足のようで気が引けたが今はダイゴのためだ。そう感じて通話したものの電波が入っていない云々のメッセージが流れる。何度かけなおしても同じだった。これでは一刻一秒を争うダイゴのためにならない。
クオンは悩んだ末にある連絡先にかけた。これが駄目ならば自分達の目論みは潰える。しばらくコール音の後、通話が繋がった。
『はい……』
「あの、もしもし、クオンです。ツワブキ・クオン」
『えっ、クオンちゃん?』
通話先の相手は驚いている。自分もまさかこの相手に連絡するはめになるとは思っていなかった。だが少しでもダイゴのためを思えばサキに近しい人間を当たるのは妥当だ。
「マコさん、よね?」
通話先の相手――ヒグチ・マコは少しの逡巡の後に、『うん』と答える。
「今、大丈夫?」
『大丈夫……だけれど』
どこか煮え切らない返答だったがクオンは急ぐ必要性があった。ダイゴがもしコウヤの部屋からノートパソコンかそれに類する端末かを出してきた場合、予めリビングで受け取るように指示している。
「よく聞いて欲しい。本当はサキさんに連絡するのがベストだったんだけれど、あなたに引き受けて欲しい事があるの」
『……クオンちゃん? どういう事』
「ダイゴに関しての事。絶対に必要な事なのよ」
その言葉に通話先でマコが息を呑んだのが伝わった。何だ、と探る前に、『ダイゴさんね……』と意味深な声音が返された。
『ちょうどよかった。私達も、どうにかしてダイゴさんに当たらなければならなかったから』
「ダイゴの頼みを引き受けて欲しい。今はそれだけでも」
少しの沈黙が流れた。まさか断られるか、と身構えていたクオンは次に放たれた言葉に緊張を解いた。
『……分かった。私達にとってもダイゴさんの情報は必要なの。どこで落ち合えばいい?』
「ツワブキ家で。無理ならばどこが?」
『ここから近いのならばカナズミ北公園で落ち合いましょう。クオンちゃん、すぐに来られる?』
「出来るだけ急ぐわ。決着がつき次第、あたしが行く事になるだろうけれど間に合うかしら?」
『フライゴンに頼んでおくから。クオンちゃんはフライゴンに手渡してくれればいい』
マコの手持ちがフライゴンであった事を思い出しそれが打ってつけだとクオンは感じた。
「分かった。どうしても誰かの協力が必要だったから」
突然に連絡して申し訳ない旨を言おうとするとマコが、『ううん』と答える。
「私達としても絶対にツワブキ家に介入する手段が欲しかった。クオンちゃん、頼んだよ」
通話を切ってからクオンは疑問に感じた。
「らら? 私達=H」
マコは一人で活動しているわけではないのか。その疑問を胸に抱く前にクオンは決着の行方を見逃さない事が先決だと思い直した。
「ノートパソコンか……。あれはちょっとな」
「もちろん、お仕事に使うのならばいいですけれど……」
ダイゴは一歩引いてみる。するとコウヤは思い切った発言をした。
「まぁバックアップはあるし、あれをやる時に初期化すればいいだけか」
バックアップ。その言葉にダイゴはノートパソコンに取り付けられているUSBに注目する。最悪どちらかが手に入ればいい。初期化される前にどちらかが。
「いいだろう。このノートパソコンは十五万円だったが、くれてやるよ」
「その、やっぱりあげない、ってならないために……」
約束手形が必要だと感じていた。コウヤが心得たように差し出したのはホロキャスターである。
「ノートパソコンのパスワードが入っているし、それだけでも遠隔操作が出来る。これで文句はないだろう?」
ダイゴはホロキャスターをリョウに手渡した。
「リョウさん。それをお願いします」
「ああ、構わないが……。なぁ、本当にチゴラスとやるのか?」
どれだけチゴラスが強いのか分からない。しかし勝たなければ何も得られないのは確かだ。
「もちろん、カブトも応急処置が出来ましたし、万全の姿勢です」
「それならいいんだが……。カブトじゃ限界があるって……」
「おい、リョウ。お前はな、レフェリーだろ? レフェリーがどちらかに肩入れしてどうする?」
コウヤの注意にリョウは肩を強張らせた。ダイゴは固唾を呑む。チゴラスの威容は確かに脅威に映ったが顎の攻撃が命中しなければいいだけの話だ。こちらは先ほどの戦闘で既にメタングと同じように動かすだけの経験を得られた。泥を使っての戦法は二度も通じないかもしれないが攻め方はいくらでもある。
「俺が賭けるものが、まだ決まっていませんが?」
「そうだなぁ。よし、お前が負けたら一日おれの奴隷だ。それで手を打とう」
「奴隷、ですか……」
「そう難しく考えるなよ。一日だけおれの言う事を何でも聞いてくれればいい。それだけの話さ」
ダイゴはその程度の賭けでノートパソコンが手に入るのならば容易いものだと感じていた。これでコウヤが自分の事をどれだけ知っているのか探る事が出来る。
「じゃあ勝負、スタート!」
ゴングをリョウが鳴らすと先手を打ったのはカブトのほうだった。またしても地面に水気を含ませて泥を生成し口腔から噴き出す。「マッドショット」で確実にチゴラスの頭部へと命中させたかに思われた。
だがその瞬間、チゴラスはまるで見えているかのように一直線の「マッドショット」を軽く回避する。ダイゴが違和感を覚える前にチゴラスは突進してきた。その動きに迷いは見られない。コウヤが命令している節もない。ダイゴはもう一度、と感じた。
「マッドショット!」
泥の銃撃はチゴラスを捉える寸前で回避される。チゴラスは野生が蘇ったように咆哮した。口腔を開くと乱杭歯の並んだ威容に思わずたじろぐ。
「チゴラス、噛み付く」
チゴラスが顎を突き出してカブトへと噛み付こうとする。ダイゴは咄嗟に判断した。
「カブト、砂かけ!」
「すなかけ」で命中率を下げる。その定石の攻撃にもチゴラスは動じた様子はない。それどころか的確にカブトを狙って噛み付いてきた。カブトの甲羅に亀裂が走る。リョウが喚いた。
「やばい! カブトの甲殻が砕けて中身が出るぞ!」
完全に組み伏された形のカブトは足掻きようがない。ダイゴは四つの技を見やった。
「カブト、引っ掻く!」
口の中を引っ掻いてやれば、というダイゴの目論みは淡く砕けた。
「おいおい、今の化石ポケモンには脳みそがないのをお忘れか? 当然、痛覚は遮断されている」
チゴラスがさらにきつくカブトを噛み砕こうとする。リョウは目を覆いながら叫んだ。
「ぐ、グロいぞ! このままじゃカブトはボロボロだ!」
ダイゴは他の手を講じるしかない。カブトのもう一つの技、ダイゴは命じていた。
「硬くなれ! 硬くなれば歯が立たないはずだ!」
カブトが身を縮こまらせて「かたくなる」と使う。するとチゴラスは噛み付きの限界を感じたのかカブトを吐き出した。しかしその動きでさえも攻撃に転じさせている。吐き出し間際にカブトを放り投げたのだ。当然、カブトはフィールドの岩に叩きつけられる。そのダメージは推し量っても相当なものだ。
「惜しいな。カブトは硬くなる事で難を逃れたか」
チゴラスが獲物を見据えて向かってくる。その動きに躊躇いがない。いや、もっと言えばないのが不自然だ。化石ポケモンには脳みそがないのではなかったのか。それにしてはチゴラスの動きは計算されつくしている。
――これが化石ポケモンの動きか? これは、まるで……。
チゴラスがカブトをもう一度噛み付こうとするが今度はそうはいかなかった。
「カブト、地面を引っ掻いて煙幕を張れ!」
カブトが高速で地面を引っ掻いて砂の即席煙幕を張った。その行動にコウヤは目を瞠る。
「やるじゃないか。砂かけよりもちょっとこれは厄介だな。しかし!」
チゴラスが大きく後ろ足を上げたかと思うとフィールドを踏みつけた。その振動で砂が晴れる。
「一撃で……!」
「砂の煙幕なんて小賢しい真似をしている場合じゃないようだな」
無論、ダイゴとてそれ以上の戦略を練ろうとしていた。砂の煙幕はあくまで一時的な手段に過ぎない。地面を引っ掻いてカブトは球体さながら回転しつつチゴラスの後ろに回っていた。
「今だ! マッドショット!」
チゴラスの完全な死角からの攻撃である。これを回避出来るはずがない。だがチゴラスはまるで読んでいたかのように飛び退いた。その動きにダイゴは目を見開く。チゴラスが跳ね上がって攻撃を回避した。その動きはまさしく予見されたかのようだ。
「マッドショットが……」
「外れた……」
リョウの呟きを引き継ぐ。コウヤは口元に余裕を浮かべた。
「おいおい、後ろからってのはなかなかにハードな事をやってくれるじゃないか。でもチゴラスの反応速度のほうが上だったようだな」
反応速度? ダイゴは胸中で否定する。反応速度など化石ポケモンにあるはずがないのだ。それは先刻コウヤ自身が言っていた。化石ポケモンには脳髄が未発達でまともに戦える状態ではないと。確かにチゴラスが復元された時、他の化石ポケモンと大差ないように映った。どこからだ、とダイゴは探り出す。
どこからチゴラスは他の化石ポケモンと違うようになった? それを看破しなければ自分はこの化石バトルで敗北する。ダイゴはチゴラスの強靭な顎にカブトがくわえ込まれないように必死に指示を飛ばす。
「カブト、地面を引っ掻いて円弧を描きつつ動け! チゴラスの真正面には決して入るな」
それが精一杯だ。いくら「しねんのずつき」で通常よりも反応速度を向上させているとはいえ、これ以上出過ぎた真似をすればイカサマが露見する。そうなってしまえば今まで積み上げてきた戦闘そのものが意味を成さない。
カブトは腹部にある爪で地面を掻いて回転しつつチゴラスの後ろに回ろうとする。しかしそれを阻んだのはチゴラスの放った尻尾による攻撃であった。
「チゴラスだって目が見えていないわけじゃないんだぜ。これでよろめいたな」
カブトが硬直する。先ほどの顎による攻撃が効いているのか、カブトの動きが少しばかり鈍かった。
「さて、ゆっくりと。出来るだけカブトに不意をつかれないように行こうじゃないか」
チゴラスが再びフィールドを踏みつけると振動でカブトの動きが阻害される。カブトはお得意の砂の煙幕による逃げの戦法を使う事さえも出来ない。
――確実に、チゴラスは先ほどの戦闘とは違う。
ダイゴの中にそれは確信としてあったものの何が違うのかまでは分からない。タテトプスはコウヤの側に既に状態を知っているからというアドバンテージがあった。チゴラスは初めてだと聞いたが違うのか。それとも、自分が見落としている何かがあると言うのか。
「カブト、地面に水気を含ませて泥を生成しろ! 足場崩しを」
「させない」
遮って放たれた声にチゴラスが踏み付けを行う。四股を踏んだようなその勢いにカブトが気圧される。カブトは少しずつ近づくチゴラスの脅威に怯えているようだった。圧倒されている。ダイゴは慌てて命令を飛ばした。
「マッドショットで敵を近付けさせるな!」
カブトが泥の銃弾を放つがチゴラスは頭蓋を突き出してそれを防御する。命中しているのだが一撃では沈む様子はない。
「チゴラスの防御を嘗めているな。真正面からぶつかり合えば、マッドショット程度なら霧散出来るんだぜ」
確かに「マッドショット」は時間稼ぎであった。ダイゴの本懐は相手がこちらの射程に入る事だ。泥でぬかるんだフィールドに足を取られて区域外に出る。それを狙っていたのだがチゴラスは次の瞬間、何と跳躍した。
その動きは全く予想出来なかった。化石ポケモンが跳躍するなど誰が信じられようか。
「フィールド内だ。これは反則じゃない」
チゴラスが顎を下方に真っ逆さまに降りてくる。ダイゴはその攻撃射程がカブトを巻き込むものであるのだと悟った。
「カブト! 直進だ! 直進してチゴラスの攻撃を避けろ!」
複雑な指示は出せない。ダイゴの命令にカブトはぬかるんだ地面を基点として真っ直ぐに滑る。直後、チゴラスがフィールドの岩を噛み砕いた。まさしく渾身の一撃。食らっていれば即死だっただろう。
「惜しいな」
チゴラスが地面の砂流を噛み砕いてカブトへと目を向ける。やはりその獰猛な眼は復元したばかりの化石ポケモンとは思えない。何か仕掛けがあるはずだった。ダイゴは目線を走らせる。
どこかにコウヤは自分のポケモンを出している。それで操っているとしか思えない。だがどこだ? どこにポケモンがいると言うのか。先ほどから見えているのは岩のフィールドだけだ。円形のフィールドのどこに隠れられる? それほどまでに微細ならば先ほどのチゴラスの跳躍攻撃で飛び散ってもおかしくはない。
「ダイゴ、チゴラスにやられるカブトが見たくないんなら、降参してもいいんだぞ」
コウヤの声にダイゴは歯噛みする。コウヤには余裕がある。絶対に見抜けないであろうと考えているのだ。ダイゴはコウヤの周りに注意を向ける。不自然に空間が歪曲している事もなければ不可視のポケモンがいる様子もない。何らかの思念の力があれば自分でも感じられるはずだった。
エスパータイプのポケモンでもない。では何が操っていると言うのか。
答えが保留のままチゴラスがフィールドを駆け抜ける。ダイゴはカブトに再三逃げるようにしか言えない。
「逃げてばっかりでは、敵は墜とせないぞ!」
コウヤの挑発にもダイゴは応じずただ考えを巡らせる。どこに潜ませればチゴラスをここまで操れるのか。カブトが泥で回転しつつチゴラスへと「マッドショット」を見舞おうとする。しかしチゴラスはまたしても見えているかのようにステップで避けた。
コウヤの側にいるチゴラスはカブトを見つけるなり顎を開いて威嚇する。カブトが気圧された様子で動きを鈍らせた。
「カブト! 追い詰められるぞ!」
リョウの声にダイゴは、「分かっていますって!」と答える。こちらも必死だ。一体どうやって、チゴラスを操って――。
そこまで考えてはたと気づいた。
何故、チゴラスを操る必要がある? 戦いを優位に進めたいのならばカブトの動きを制限すればいい。それが出来ず、何故チゴラスなのか。ダイゴは先ほどまでの立ち回りを思い返す。
チゴラスは常にこちらからの攻撃のカウンターを行っていた。改めてフィールドを見やる。
半径一メートル八十センチのフィールドの内、チゴラスの攻撃時に占めている割合は半分以下だ。そもそもそれほど大きくチゴラスは動こうとしない。ダイゴは試してみる事にした。
「カブト、マッドショット!」
カブトの攻撃をチゴラスは難なく回避する。しかしダイゴが狙ったのは真にはチゴラスではない。埋め込まれている岩場に「マッドショット」が突き刺さる。すると僅かだが岩が動いた気がした。この予感を確信に変えるには相手の懐に飛び込む必要がある。ダイゴは思い切った決断をする。
「カブト、相手へと向けて直進しろ」
思わぬ命令だと感じたのだろう。リョウが声を張り上げた。
「バカ! チゴラスは近距離射程が何よりも得意なんだぞ! だって言うのに飛び込めだなんて」
「リョウさん。これは俺とコウヤさんの勝負です」
そう言って次の言葉を制してダイゴはカブトへの命令を実行させる。カブトはチゴラスの射程へと向かっていく。チゴラスが大口を開けてその顎にカブトの矮躯を捉えようとした。瞬間、ダイゴは命じる。
「股下にマッドショット!」
狙ったのはチゴラスの足元である。カブトに仕込んでおいた思念で正確無比な射撃が約束されていた。「マッドショット」はそのままチゴラスの足を射抜く。その瞬間、チゴラスの眼から戦闘本能の光が一瞬だけ消えた。
化石ポケモンらしい眼になったのはコンマ数秒ほどだ。すぐに持ち直したチゴラスには戦闘本能が滾っている。だが、その一瞬だけでも充分だった。ダイゴにはやはりチゴラスが何らかの補助を受けているという確信があった。
「コウヤさん、例えば、ですが」
この状態で口を開くとは思っていなかったのだろう。コウヤが眉を跳ね上げる。
「何だ、この状態で降参とか言うなよ」
「いえ、イカサマの話です。ばれなければイカサマじゃないんですよね?」
コウヤは心外だとでも言わんばかりの顔つきで応じる。
「ああ、ばれなければ、な。ただしおれはフェアプレイの精神で行こうと思っている。こちら側に落ち度があればお前は圧倒的に不利だからな」
ダイゴはカブトの周囲に展開する岩場を見据えて言い放つ。
「もし、イカサマがあったとすれば、どうします?」
その言葉にもコウヤは冷静であった。
「イカサマがあれば、素直に認めるか、あるいはイカサマをせいぜいばれないように取り繕うか」
コウヤの心中を察する。ここでイカサマの話をした事でその自信は少なからず揺らいでいるはずだ。どこかで綻びが生まれる。
チゴラスがカブトへと飛びかかる。ダイゴはカブトに命じた。
「逃げに徹しろ。そのまま直進」
しかし直進コースには岩場がある。コウヤが口角を吊り上げる。
「フィールドアウトに繋がるが、それは」
「計算の内です」
言い放ったダイゴは即座に別の命令を与えた。
「岩場を崩せ。引っ掻く」
カブトが岩場にこびりついてその表層を引っ掻いた。その瞬間、僅かだったが岩場が持ち上がった。その岩場だけではない。半径一メートル八十センチ以内の岩場全てが同時に浮遊したのだ。しかしそれは注意深く見ていなければ発見出来ないほどの綻びであった。現にリョウは気づいていない。リョウの関心はカブトの次の動きとチゴラスの動きにあるからだ。ダイゴだけが岩場の動きに注視していた。
――岩場が動いた。という事は、推論が役に立つ。
チゴラスが岩場に張りついたカブトへと食いかかろうとする。しかしその攻撃は止められるだろうとダイゴは判断していた。
「く、食われるぞ!」
リョウの言葉を他所に、チゴラスはその瞬間、動きを止めた。顎を開いたまま不自然な間が空く。カブトはその間にチゴラスの射程から逃れた。チゴラスは何もない空へと噛み付く。
「う、運のいい奴だな……。今の、もしチゴラスが攻撃をやめなかったらやられていたぞ」
運じゃない。ダイゴは確信する。この岩場、いやもっと言えばこのフィールドそのものがコウヤのポケモンなのだ。コウヤは最初から負けなど考えていない。たとえ初めて使う化石ポケモンだろうがいつも使っている化石ポケモンだろうがこのフィールドでは負けなしだと考えている。その理由はフィールドの半分を占める謎の岩石のポケモンである。
恐らくはメタングと同じように思念を飛ばし、チゴラスを操っている。チゴラスが先ほど攻撃を躊躇したのは当然操っている主への攻撃などあり得ないから。
「コウヤさん。俺、ちょっとずつですけれど、分かってきました。化石バトルってのが」
コウヤはイカサマを見破られた自覚はあるのだろうか。その表情を観察するがコウヤには何も臆した様子はない。
「そうか。化石バトルの面白味を分かってくれる奴が増えて、おれも嬉しいよ」
これは希望的観測も混じっているが、コウヤはこちらが岩場のイカサマに気付いた事を悟っていない。ならば、とダイゴはカブトに命令する。
「カブト。そのまま岩を背にしてチゴラスと対面しろ」
その命令にはリョウが目を見開いた。
「おいおい、兄貴の側に背中を見せるのかよ、カブトが。それじゃ戦法割れるんじゃ……」
逆だ。カブトが岩場に近ければ近いほどにコウヤは戦いにくくなるはずだった。チゴラスが間違って攻撃してしまえばそれだけで命令が阻害される。コウヤは絶対にこの条件で攻撃は出来ない。あとは「マッドショット」でじわじわと攻撃していけば。そう感じていたダイゴの予感をコウヤは一声で断じた。
「何か、勘付いた様子ではあるが、ダイゴ。あまり賢い選択だとは言えないな。自分の側から離し過ぎるのは」
その言葉を解する前にチゴラスが飛びかかる。ダイゴはすぐさま命令した。
「引っ掻いて砂の煙幕を!」
しかしカブトは動かない。何故、と感じていたがすぐにそれが分かった。端末に表示されているアンテナマークが弱まっている。
「何のために半径一メートル八十センチもおれが取っていると思っている。相手の陣地に陣取るなんて賢くないからさ」
電波障害か、と感じたが違う。この状況で電波障害はあり得ない。コウヤのポケモンだ。岩のポケモンが何らかの力で通信アンテナを妨害しているのだ。相手の側に陣取るのは確かに愚策であった。
「ち、チゴラスが突っ込むぞ!」
リョウの声が弾けカブトの姿がチゴラスの口腔に消える。カブトは完全に制御不能だった。チゴラスが顎に力を込め、カブトの装甲を食い破ろうとする。
「ぐ、グロい! カブトの体液が飛び散るぞ!」
カブトの甲羅に亀裂が走る。緑色の体液がそこいらから飛び出した。チゴラスが最期の一撃だとでも言うように頭部を振るい上げそのまま地面へと突っ込む。瞬間、カブトの甲羅部分であった茶色の破片が飛び散った。緑色の体液が地面を濡らす。
リョウは思わず、と言った様子で口元に手をやっていた。ダイゴも固唾を呑む。コウヤはにやりと笑みを浮かべていた。
「勝った! チゴラスの勝ちだ!」
コウヤの勝利宣言にリョウは荒くしていた呼吸を整える。チゴラスがゆっくりと顎を開いた。
――しかし、そこにはカブトの死骸がなかった。
それにいち早く気づいたのはリョウだ。
「カブトの、死体がない?」
「食っちまったか? チゴラス」
コウヤが身を乗り出すとダイゴは声を張り上げた。
「待つんだ! ツワブキ・コウヤ!」
思わぬ語調に全員が硬直する。ダイゴだけが落ち着いて状況を俯瞰していた。
「勝負がついてもいないのに、フィールドに手をやる事は許されてない。そうでしょう?」
「勝負が、ついていない……?」
コウヤの疑問にフィールド上を滑り抜ける影があった。リョウとコウヤが目を見開く。
「そんなはずは……。カブトは、噛み砕かれたはずなのに!」
先ほどまでとは一線を画す速度でフィールド上を滑っているのは薄皮だけになってしまったカブトだった。しかし肉体は噛み砕かれておらず、内臓も無事である。
「どうしてだ……」
呆然とするコウヤに、「俺はいくつか言っていませんでした」とダイゴが答える。
「カブトの特性について」
「特性、だと」
その段に至ってコウヤもハッとしたようだ。カブトの動きの迅速さに目を瞠る。
「まさか、砕ける鎧の特性……」
「兄貴、砕ける鎧、ってのは……?」
コウヤは苦々しげに発する。
「物理攻撃を受けると防御が下がる代わりに素早さが上がる。つまりカブトは装甲を捨ててわざとチゴラスに一撃を食らわせられた……」
「加えて先ほど経験値をいただきましたよね? タテトプスとの戦闘で。その時、レベルが上がったので技を少しだけ変更させてもらいました」
「チゴラスの一撃を、堪えた、というわけか」
「こらえる」という技はその一撃を受けても致命傷にはならない技だ。カブトは最後の一線ではあるが装甲を捨てて身軽になり、なおかつまだ戦える。
「カブト、マッドショット! 連続攻撃だ!」
棒立ち状態のチゴラスへとカブトの放った「マッドショット」の掃射が突き刺さる。まず両足を砕かれ、身動き出来ないチゴラスへとカブトの目にも留まらぬ速度からの追撃が放たれる。既に勝負は決していた。チゴラスは動けない。泥の攻撃を受けた箇所には弾痕が空いている。
「チゴラスが、負けた……」
信じられないとでも言うようにコウヤが呟く。ダイゴはコウヤのホロキャスターを手に取りそれを掲げた。
「元より、負けるつもりはなかった。ですがこの勝負、一時の気の緩みが命取りになりましたね」
コウヤのノートパソコンをダイゴは手に取りそのまま部屋を出ようとする。
「これは貰い受けます!」
その背へと、「待て!」と声がかかった。ダイゴは扉を半開きにしたまま立ち止まる。
「動くなよ、ダイゴ……。お前、何の目的でおれに接触した? どうしてノートパソコンなんて急に欲しがった?」
疑われている。ダイゴは硬直するのを感じながらも使命を忠実にこなした。USBとホロキャスターを引き抜き、廊下に蹴って出す。これでクオンが回収出来るはずだ。
「何がですか。俺はただノートパソコンがちょっと欲しいなってだけで」
「ちょっと欲しいな、だと? そんな理由で持っていくにしちゃ、用意周到が過ぎるじゃないか」
コウヤが歩み寄ってくる。ダイゴはノートパソコンを返した。
「……先ほどの勝負に不服があるのならば一度お返しします。それかもう一度勝負を」
「違うぞ! ダイゴ。化石バトルの事は、もういい。今聞きたいのは、お前がおれに何の目的で接触してきたのか、という事だ」
化石バトル以外ではツワブキ・コウヤは隙のない人間になる。クオンの言った通り、今のコウヤからは一歩たりとも逃げ出せない気迫があった。
「バトルの結果は謙虚に受け止めよう。だがな、おれは見ず知らずのお前に、恨みを買った覚えもないのに自分の身辺を探られるのは気分が悪いと言っているんだ」
「あ、兄貴。いくら負けたからって、それは……」
「リョウ! お前も黙っていろ! 今おれはダイゴと喋っている」
コウヤの声にリョウは身体を強張らせた。それだけで長兄の威厳がある。コウヤは値踏みする視線でダイゴを上から下へと眺める。
「お前、何の目的でこの家に来た? どうしてノートパソコンなんて賭けのレートに出したんだ?」
「家に来たのは、イッシンさんのご厚意です。俺は何も」
「かもしれないな。だが、厚意以上の何かを、お前は探り出そうとしたんじゃないのか? 例えばツワブキ家の秘密」
心臓が鷲掴みにされた気分だった。コウヤはどこまで知っているのか。ダイゴが僅かに目を逸らしたのをコウヤは見逃さなかった。
「今、ちょっとだけ目を逸らしたな。何かやましい事でも?」
観察の目を注がれている今は全く動けない。クオンの応援を期待しようにもこの部屋に閉じ込められている限り不可能であった。
「俺は、ただ化石の使い方を知りたくって」
「それだよ。誰におれが化石バトルにはまっていると聞いた? そいつもおれをはめようとしたな?」
このままではクオンにも危害が加わる結果になってしまう。ダイゴは声を張り上げた。
「俺の独断です! 何も指示なんて聞いていない!」
「嘘をこけ! お前は化石バトルならばおれと対等に渡り合えると確信していた。そうじゃなければ説明がつかない」
コウヤは戦闘不能になったチゴラスをフィールドから放り投げる。ただの化石ポケモンになったチゴラスは鈍く手足を動かすだけだった。
「なぁ、ダイゴ。試しに、このフィールドに頭を突っ伏してみろよ」
コウヤの声にダイゴは鼓動が早鐘を打つのを感じ取った。コウヤは分かっているのだ。自分が途中からこのフィールドに潜むポケモンを察知した事を。
うろたえているダイゴへとコウヤは言いやる。
「どうした? なに、土下座しろとか言っているんじゃない。フィールドに頭を近付けるだけでいいんだ」
「俺は勝ちました」
「だから何だ?」
「勝ったのに頭を下げるなんて」
ダイゴの言い分にコウヤは何度か頷く。
「なるほど、それも言えなくもない。じゃあ手だ。手をフィールドに置いてみろ」
ダイゴの身体に緊張が走る。予測通りならば手を置いただけでも何らかの攻撃が発生する。それこそ手が二度と使い物にならないような技が。
「お前は手をちょっとこのフィールドに置く事も出来ないのか?」
コウヤの言葉にダイゴは額に汗をびっしょりと掻いていた。このままでは追い込まれる。ダイゴは試しに言い返す。
「コウヤさんとリョウさんが、何もないと言うのならば」
その言葉にコウヤがリョウを呼ぶ。
「リョウ。試しに手を置け」
「えっ、でもカブトの体液が飛び散っていて気持ち悪いし――」
「いいから、置けと言っているんだ!」
びくりと肩を震わせたリョウは躊躇いもせずにフィールドに手を置いた。当然、何も起きない。
「な、何なんだよ、兄貴。脅かしっこなしだぜ」
「そうだな、脅かしっこなしだ。何の脅威でもない。おれも置こう」
コウヤもフィールドに手を置く。当然、何も起きない。
「これでもお前は手を置きたくないと、そう言うのか?」
このままでは自分はコウヤに追い詰められる。いやそれだけならばいい。自分の目的がコウヤの裏の顔を暴く事だと知れれば、クオンにも影響が及ぶ。
「どうして手も置けないのか。なぁ! ダイゴ!」
コウヤがダイゴの手を引っ掴む。慌てて抵抗するがコウヤの力のほうが強かった。
「置くだけだろ? なぁ。置けもしないってのは何かやましい事があるからなんだよな?」
コウヤに引っ張られそのまま倒れ込むようにフィールドに手を置きかけた、刹那。
破砕音が響き渡り全員がそちらに目を向けていた。コウヤの部屋の窓が砕け散りガラスが屋内に飛び散っていた。
「地震か?」
コウヤの力が緩んだ一瞬の隙をつき、ダイゴは逃げ出した。ノートパソコンを持って逃げるような余裕はない。ただただ、コウヤに追いつかれないようにと駆けた。