第七十八話「化石バトルをしようU」
コウヤの挑戦的な声音にダイゴは応じた。ここで退いてはならない。絶対に戦わなくっては。
「殺すまで、ってのはちょっとおっかないですけれど、でもやってみたいですね」
「おっかないか。まぁそうだろうな」
コウヤは不敵に笑いながらタテトプスを所定の位置に配置する。カブトはタテトプスを敵と認識してもいないようだ。お互いにまだ本能でさえも目覚めていない。
「そういや、ただ単に勝負するだけじゃつまらなくないですか?」
ダイゴの発言にコウヤは眉をぴくりと跳ねさせた。
「ただ勝負するだけじゃ?」
「何か、例えばですけれど賭けたりとか」
その言葉にリョウが差し挟む。
「おいおい、ダイゴ。賭けるったってお前に兄貴以上に賭けられる資財なんてないだろう。金もまともに持っていないし、賭けなんて成立するもんか」
リョウの言う通りかもしれない。だがこれに乗るか乗らないかでここから先の対応が変わってくる。コウヤは、「賭け、か」と呟く。
「悪くないが、リョウの言う通りならばお前には賭けるだけのものがないらしい。どうするかな……」
「対等な条件のものといったら身体くらいしかないだろうに」
その発言でコウヤはハッとした。
「身体か。いいな」
えっ、とリョウが振り向く。コウヤは手を組んで提案した。
「髪の毛、なんてどうだ?」
「髪の毛、ですか?」
コウヤは前髪を垂らしている。ダイゴは銀髪をさすった。
「おれが負けたら前髪を剃ろう。お前が負けても前髪を剃る。こうすると対等だ」
コウヤの提案にリョウは言葉をなくしていたがダイゴは応じた。
「いいですよ。俺の前髪でよければ」
「交渉成立だな」
コウヤは前髪を触りながら笑みを浮かべる。タテトプスとカブトが対面している。
「今の状態では、ただ見つめ合うだけで戦闘にはならない。おれ達がやれと言えば、こいつらは戦い出す」
「ええ、号令はやはり正確でないと」
「リョウ。お前、レフェリーやれ。公正な判断くらい下せるよな?」
コウヤの声にリョウは少しばかりうろたえてから、「まぁ、判断くらいは」と答えた。
「化石ポケモン同士の戦闘は思っているよりもずっと苛烈だ。さぁ、始めようか」
リョウが近場にあったゴングを持ってくる。「いいか?」と言ってからゴングを鳴らした。
「カブト、マッドショット!」
ダイゴの命令の声にカブトの目に力が入り爪で地面を巻き上げた。身体から分泌される水分と混じり合って泥と化したそれをカブトは一気に口腔から噴き出す。「マッドショット」は地面タイプの技であった。当然、命中すれば効果は抜群だ。
「命中すれば、危ない攻撃ではある」
落ち着き払ってコウヤが言ったのは「マッドショット」があさっての方向を撃ち抜いたからだ。目の前のタテトプスに照準が合わない。
「地面タイプの技を即座に選んでくるのは、お前にもポケモントレーナーとしての素質がある、という事か。だが素質だけではどうしようもない部分が存在する。マッドショットは中距離から遠距離攻撃。当然、復元酔いから醒めていないこいつらでは命中精度は低いだろうさ。通常命中率の半分以下だと思ったほうがいい」
リョウが顔を振り向けて、「やっぱりカブトじゃあな」と呟く。ダイゴはタテトプスを見据えた。
「タテトプス、体当たりだ」
タテトプスが駆け出しカブトへと身体をぶつける。カブトはよろめくが攻撃を耐えた。
「その距離なら、マッドショット!」
再び放った攻撃だがやはりタテトプスは捉えられない。コウヤが笑みを浮かべる。
「おいおい、そう何度も下手な鉄砲数撃ちゃ当たるってわけじゃないだろうに。この距離だと、逆に中距離技なんて当たらないさ。カブトを押し出せ、タテトプス」
タテトプスがコウヤの命令を受けてカブトをフィールド外に押し出そうとする。ダイゴはタテトプスの四肢の動きを観察する。
四肢に篭っている力の加減そのものは大したものではない。加えて相手はこちら側の射程距離に入ってきた。ダイゴが見ていたのは先ほどカブトの巻き上げた泥の土地だった。水気を含んでいるために滑りやすくなっている。その場にタテトプスが侵入した瞬間だった。
「いい? ダイゴ。コウヤ兄様相手ならば、そのカブトでも充分優位よ」
クオンのアドバイスにダイゴは一から化石ポケモンについて学ぶ必要があった。勝利するためにはクオンから一つでも聞き出さなければならない。だがカブトというポケモンの情報は聞けば聞くほどに不利に思える。
「……近接は苦手で、君の言う復元酔いとやらに晒されるんなら、もっと力のあるポケモンのほうが有利そうだけれど」
「化石ポケモンは、絶対に岩タイプを持っている。どのような化石から復元されても絶対に。だから水タイプを複合しているカブトは優位に運べる」
「水鉄砲でも覚えるのかい?」
「水鉄砲は覚えないけれど」
クオンは紅い髪をくるりと巻いて甲羅の化石を撫でた。
「マッドショット、砂かけ。この連携でともすれば相手を自滅させられる。マッドショットは地面タイプの特殊技。岩に優位に運べる上に僅かだけれどフィールドを濡らす事が出来る。そこに勝機があると思ったほうがいいわ」
ダイゴはしかし懸念事項があった。
「復元酔いの状態じゃそれも狙えるかどうか」
「だから、あなたはイカサマをするしかないのよ」
思わぬ発言にダイゴは目を見開く。クオンは落ち着き払って、「コウヤ兄様は、化石バトルになると子供」と口にする。
「イカサマなんて見抜けない。普段は冷徹で、なおかつ鋭い眼でも、化石バトルになると熱くなってしまう。それが唯一の弱点。いくらでもこっちが稼げる」
クオンの言葉にダイゴは疑問だった。
「なら何故、君は自分で勝とうとしない?」
「あたし、復元の時の状態で二日くらいはご飯が食べられなくなってしまうから」
復元にはいちいち骨格から肉付けされるのだという。苦手な人間はいるだろう。その様子だけでもう参ってしまうのがほとんどのようだ。
「だがイカサマを仕掛けるとなると、何が勝負の基点となる? この化石バトルの明暗を分けるのは何だ?」
「チップ、というものを埋め込んで擬似的に脳波の補助をする。つまり、チップ以上の命令権はないってわけ。でもあなたのダンバルならば、予めチップ以上の命令を化石に仕込めるかもしれない」
カブトの目に光が入る。
爪を立ててカブトがフィールドの砂をタテトプスの目に向かってかけた。タテトプスがよろめくとその拍子に泥の部分でつんのめってしまう。タテトプスは無様に地面を転がった。押し出そうとしていた勢いが逆に作用し、タテトプスはフィールドからはみ出して外に出る。
「えっ……」
一瞬の事にリョウも呆気に取られていた。コウヤも信じられない様子だ。ダイゴだけがそれらの全てをコントロールしていた。
――予めカブトには作戦を仕込んでおいた。思念の頭突きでメタングの思考を入れておき、この作戦をスムーズに行えるように。
「コウヤさん。勝負は決しました。リョウさん、公平なジャッジを」
「あっ、えっ、でも……」
うろたえるリョウにダイゴは言い放つ。
「どうやら勝ったのは、俺のほうみたいですね。カブトはフィールドに残っている!」
コウヤは無言のままタテトプスを受け取り部屋の奥に引き返したかと思うとハサミで乱雑に前髪を切った。切られた前髪が床に落ちる。
「び、ビギナーズラックってあるもんだな。なぁ、兄貴?」
場を和ませようとリョウが口にする。ダイゴはカブトを手に部屋から出ようとした。
「じゃあ俺はこれで。化石バトル、勉強になりました」
「待てよ。ダイゴ」
その背中へとコウヤが呼びかける。ダイゴは振り返ってコウヤの面持ちを窺った。コウヤは前髪を切った分、目先が爽やかになっている。
「あ、兄貴。ただの幸運って奴だろ。怒る事……」
「怒る? おれが怒っているだと?」
コウヤは手鏡を持ち出し自分の顔を眺める。不意に笑い出した。
「なぁ、傑作だろう? この顔だよ。まさかおれが前髪を切るはめになるとは。だが楽しくなってきた。大変に楽しくなってきた感じだ。久しぶりにおれと対等に戦える、ライバルの出現に燃えている瞳だ」
コウヤは微笑んだままダイゴを顎でしゃくる。
「カブトに、どうやって勝っただとか、何か仕込んでいたかもしれないだとか、そういう事はどうでもいい。イカサマはばれなきゃイカサマじゃないし、それにビギナーズラックならばなおの事、もう一回確かめたくなるだろう?」
コウヤの言葉にリョウは問い返す。
「もう一戦、やるってのか? 兄貴」
「おいおい、当たり前だろう。勝ち逃げなんて許さないぜ、ダイゴ。ここまで来たんだ。化石バトルは一回やっただけじゃまだ魅力が分からない。もう一戦、当たり前じゃないか?」
ダイゴはコウヤを見据える。
――ああ、そうだとも。やってやる。あんたに降りられちゃ困る。
「……でも俺にはもう賭けられるものもないですし、それにカブトはちょっと傷ついている。フェアじゃない」
「それも違うなぁ」
コウヤはカブトを指差す。
「今のでカブトには少なからず経験値が入った。つまり強くなったって事だ。化石ポケモンの真骨頂はそれなんだよ。復元後三時間以内は本能のままに強くなる。ポケモンバトルとは違う、原始本能剥き出しのバトルがさらに複雑に繰り広げられる、って思ったほうがいい」
しかしダイゴはここで首肯しない。
「でも俺にはこれ以上原始本能とやらでカブトを傷つけるのは」
「傷薬くらいはあるさ。何だって言うんならPPリカバーも。なぁいいだろう? もう一戦」
コウヤの言葉にこちらはあくまで渋った末の決断としておく。もう一戦こそが狙いだとは悟られてはならない。
「いい、ですけれど、もう俺には賭けられるものがない。また前髪を賭けようにも短くなるだけじゃつまらなくないですか?」
「おい、ダイゴ。口の利き方を――」
「いや、いい。リョウ。面白い、面白いな、ダイゴ」
いさめようとしたリョウの声を遮ってまでコウヤは勝負にこだわりたいらしい。口元に笑みを浮かべたままダイゴを値踏みするように見つめている。
「この家で、化石バトルでおれにそんな口が利けるのはお前だけだ。ここ数年で本当にお前だけだろう。そういう奴を倒す事ほど価値があると感じている。困難を乗り越える、という事はトレーナーならば当たり前の事だからな」
自信満々のコウヤにダイゴは尋ねた。
「ではどうします? 俺はこのカブトで行きますが」
「本当にいいのか? 言っておくがおれはわざわざもう一回タテトプスでやるほど温情があるわけじゃないぞ」
化石のコレクションからコウヤが選び出す。ダイゴはあえてカブトを選択していた。
「さぁて、どれにしようかな」
コウヤの選択にリョウが口を挟む。
「あのさ、兄貴。あんまりダイゴをいじめても仕方がないと思うんだ。今はその、勝っているから調子づいているだけで」
「いじめる? おれがいつ、いじめなんてした? 対等な勝負だよ。なぁ、ダイゴ」
取り出されたのは巨大な化石だった。カブトの復元前よりもずっと巨大で下顎らしきものが突き出ている。
「これで行こう。顎の化石。さて、何が復元されるだろうか。実はこいつ、買ってきてまだ一度も復元していないんだ。だからおれにもこいつがどういうポケモンなのか分からない。実のところを言うとな、ダイゴ。さっきのタテトプス、確実に勝てるチョイスだったんだ」
なんと自分から先ほどの勝負は対等ではなかったとコウヤは発言した。ダイゴは驚愕の眼差しを浮かべる。
「当たり前だよな。おれはいつでも化石が復元出来るのに、お前はド素人。これで対等なんてちゃんちゃらおかしい。おれは正直、お前が参るもんだと思ってタテトプスを使った。だがお前は参るどころかさらに自信がある様子だ。記憶はないくせに勝てる、という妙な自信がある。それがおれの闘争本能に火を点ける」
復元機に顎の化石がかけられる。復元されていくのは二つの足で屹立するポケモンであった。短い両手がついており、それよりも目を引くのは巨大な顎を有する頭部である。目は上部についており獲物を捕捉するのに適していそうだ。茶色い表皮にオレンジ色の鱗があった。
「こいつは……、なるほどチゴラス、というらしい」
本棚から化石図鑑を取り出したコウヤがチゴラスを見やって口にする。ダイゴは次の敵となるそのポケモンを見据える。明らかにカブトよりも攻撃力の高そうな見た目に臆しそうだったが弱みは見せまいと感じた。
「チゴラスがどれだけ凶暴なのか、と言っても復元後三時間は所詮がらんどうの脳みそ。だからチップをつける」
チップが頭部につけられる。端末に技が表示されたらしくコウヤは頷いた。
「さて第二ラウンドだがまだ何を賭けるのか言っていなかったな。お前の欲しいものでいい。何でも言ってみろ」
「何でも、ですか。そう言われると迷っちゃうな」
「なに、難しく考える必要はない」
コウヤの言葉にダイゴは熟考の末、と言った様子で指差した。
「あの机にあるノートパソコン。あれ、もらえますか?」