第七十六話「課せられた使命」
久方振りの家族全員揃っての朝食を終えると、コウヤはすぐに部屋に取って返した。リョウに尋ねる。
「コウヤさんの、お仕事って……」
「まぁデボンの系列会社の管理とか、後は次期社長として学ぶべきところの勉強会だとかに出なきゃいけない。オレよりも忙しいだろうよ」
リョウは久しぶりに帰ったのに父親であるイッシンに話しかけもしない。それはレイカも同じで何やら忙しく端末を眺めていた。それをイッシンはいさめる。
「おい、レイカ。飯の時に端末をいじるのはやめないか」
「私は仕事でやっているの。しょうがないじゃない、立て込んでいるんだから」
仕事、と言われればイッシンとて立つ瀬がないらしく、「まぁ仕事なら」と濁す。
「それよりコウヤ兄さんに何も言わないのね、お父さんは」
レイカの小言にイッシンは眉根を寄せた。
「コウヤはあれで長旅に疲れているんだ。何も言わないのが親心だろう」
「そういうもんかしら」
どこか得心の行っていないレイカを尻目にダイゴはリョウを呼びかけた。
「リョウさん、お願いがあるんですが」
「うん、何だ? 言ってみろよ。端末をまた買いに行くか?」
「いいえ、もう端末はいいので、その新しいお願いなんですけれど」
「何だよ、ダイゴは欲しがりだな。言ってみろ。オレはサンタクロースにはなれないがそういう気質は持ち続けていたいと思っている」
ダイゴは一呼吸置いてからリョウに言いやった。
「コウヤさんに預かったんですが」
取り出したのは甲羅の化石だ。リョウが怪訝そうに見やる。
「ああ、兄貴の道楽だな。それがどうかしたか?」
「俺、これの使い方が分からないんで、コウヤさんに教わりたいんですけれど」
そう言うとリョウは少しばかり渋い顔をする。
「兄貴に直接言えばいいだろ」
「会ったばかりで言い出しにくいんですよ。すぐに部屋に戻っちゃうし、忙しいのかなって」
リョウはわざとらしく咳払いし、「オレだって忙しいんだぜ」と返す。
「分かっています。でもリョウさんは信頼出来ますから」
そう言ってやると悪い気はしないのだろう。リョウは、「まぁダイゴがそう言うんなら」と手招いた。
「でも多分、兄貴は駄目だって言うと思う。帰って早々、お前の相手をするってのはさすがに疲れているだろうし。いくら化石好きでもな」
「コウヤさんは、化石が好きなんですか?」
「ありゃ病気レベルだぜ。まぁオーケーが出れば部屋に入らせてもらえる。そうすれば分かるさ」
リョウが扉を叩きコウヤにかけ合う。
「あのさ、兄貴。ダイゴの奴が化石について聞きたいって言うんだけれど駄目だよな?」
「化石? ああ、構わないぞ。連れて来い」
「ああ、いいのか……。じゃあ」
リョウが扉を開ける。視界に飛び込んできたのはケースに入った化石の数々だった。化石だけではない。珍しい石や光沢を放つ宝石などが散りばめられている。さながら石の博物館だ。部屋の中央には机を改造したステージがあり、人工岩で擬似的に再現された荒野であった。
「ダイゴ、狭苦しい部屋で申し訳ないな。おれは狭くないと駄目なんだ。落ち着かなくってな」
「いえ」とダイゴは周囲を観察する。水槽の中には茶色い魚のポケモンが泳いでいた。
「ジーランスって言うんだ。化石ポケモンじゃないがそいつも古代より姿を変えていないとされている」
ダイゴは、「そうですか」と応じる。ダイゴの反応が淡白だったせいかリョウが肘でつついた。
「おいおい、お前が兄貴に取り付けろって言ったんだぜ? 何か用があるんだろ?」
ダイゴは改めたように化石を差し出す。
「この化石ですけれど、俺には扱い方が分からなくって」
「ああ、そりゃ確かに。違いないな。化石をやってもどう扱えばいいなんて分からない、至極まともなご意見だ」
コウヤの言葉にダイゴは、「壊してしまったら悪いですし」と突っ返そうとする。リョウが目を見開いてそれを止めた。
「さすがに土産物を返すのはどうかと思うぜ、ダイゴ」
「でも俺には扱い切れない」
「扱い切れない、か。ダイゴ。化石ってどう使うのか、って訊いたな?」
奥の椅子から立ち上がってコウヤが飾り付けられている化石の数々を見やった。
「ええ、まぁ。だってただの石じゃないでしょう?」
「当たり前だろう」
割って入ったリョウの声を無視してコウヤは、「分かっているじゃないか」と口にする。
「そうとも。化石ってのはただの石じゃない。大昔のポケモンの遺伝子が入ったそれこそタイムカプセルなんだ。そこにはロマンもあるし、何よりもそいつを復元すれば、もしかするとお宝が手に入るかもしれない」
「お宝、ですか……」
いまいちピンと来ていないのが伝わったのだろう。コウヤは本が山積みにされた機械を取り出し、それを起動させた。
「使うのは久しぶりだな。なにせ、この家じゃ相手になる奴もいないもんだから」
プリンターの形状に似ている機械であった。スキャンするための蓋があり、上部にはスタンドライトを思わせる意匠が施されている。
「それは?」
「復元機だよ。化石復元機。これ、ホウエンだとおれが持っているのとデボン本社にあるのしかないんだぜ」
コウヤは誇らしげに言い放つ。ダイゴは、「復元機」と繰り返していた。
「それを使ってどうするんです?」
ダイゴの反応にコウヤはいちいち面白げに口元を緩める。
「記憶喪失ってのを笑うつもりはないが、ここまで無知だとちょっと面白いな。いいや、失礼。記憶喪失ってのは深刻な問題だから笑う気は全くないんだ。馬鹿にする気も、もちろんない」
コウヤの言葉にダイゴは、「いえ、俺も知らないだけですから」と手を振る。
「久しぶりだからな。クオンを昔、相手取った時以来かな。あいつはおれなんかみたいに熱中する事はなかったが。まぁ女の子だからな」
復元機を眺めてリョウが口を開く。
「兄貴、もしかしてそれで……」
「そうだよ。せっかく化石をやったんだ。久しぶりにやろうかな、って話さ」
リョウはダイゴに目線をやって、「不幸だな」と呟いた。
「兄貴の道楽に巻き込まれちまった」
「聞こえているぞ、リョウ。復元機は問題なく起動した。さて、ここからだが」
コウヤはダイゴに視線を据えて尋ねる。
「これから行う事を少しだけレクチャーしたい。構わないか?」
「ええ」とダイゴは応ずる。
――全て、計画通りだった。
コウヤにもう一度会いたい、とダイゴが言い出すとクオンは渋い顔をした。
どうして自分に言うのだ、という感情と困惑がない交ぜになっている。
「それこそ、コウヤ兄様に直接言えば」
「俺が直接言っても聞き入れられない可能性があるんだ」
ダイゴの口調にクオンは疑問符を挟む。
「らら、何で?」
「イッシンさんと俺は先刻、暗殺者に狙われた」
その言葉は意外だったのだろう。クオンは目を丸くしていた。
「そんな事、父様は……」
「言わないさ。あの人は人格者だ。だから家族に心配だけはかけさせない」
イッシンは少なくとも信頼出来る。ダイゴは静かな語調で続ける。
「俺とイッシンさんはギリー・ザ・ロックという暗殺者に狙われたんだが、面識は?」
「あるはずがないわ。聞いたのも初めて」
つまりクオンはギリーとは無関係。ダイゴはそれだけでも安心出来る材料だった。
「クオンちゃん。俺はコウヤさんに会わなくっちゃいけない。会って確かめなければいけないんだ。あの人がどこに行っていたのか。何の目的があるのか」
「コウヤ兄様は、イッシュに仕事で行っていたのではなくって?」
「コウヤさんの服飾から、いいや靴の裏だったのかもしれないが、ギリー・ザ・ロックの使っていたポケモンの痕跡と同じ痕跡が見られた」
その事実にクオンは震撼する。
「と、いう事は……」
「コウヤさんとギリーはどこかで会っている可能性が高い。もしそうなら、俺はコウヤさんを追い詰めなければならない。追い詰めて、聞き出すんだ。俺が何者なのかを」
「何ですって!」
驚愕の眼差しを送るクオンにダイゴは、「落ち着いて聞いて欲しい」と前置きする。
「追い詰める、と言っても、いきなり実力行使に出るわけにもいかない。相手の手持ちも分からないんだ。それに俺とて事を荒立てたくない。ギリーと会っているのか、いないのか、それだけを最低限知れればいい」
「父様と協力して聞き出せば」
「イッシンさんは、確かに人格者だし、俺も尊敬している。だが長男の仕事を調べ上げたり、あるいは疑ったりするタイプじゃない。もし、自分の息子と謎の血筋と、天秤にかけたら、俺は自分の息子を信じる。それこそ無意識の部分で、何の疑いも挟まないだろう」
イッシンは家族を背負う家長として長男を追い詰めるような真似はしない。それは一緒に戦ってみて分かった。究極的に温厚な人物なのだ。
「謎の血筋、ってのは……」
答えざるを得ないだろう。ダイゴは分かった事を纏めた。ツワブキ家とカントーのフジ家。その両家を股にかけた謎の第三者の存在。その人物こそが初代の死に深く関わっているかもしれない事を。行方不明のその人物を自分は追わなければならない。追うにはギリーの身元も正さなければ意味がない。
全てを聞き終えてクオンはため息をつく。
「……そこまで分かっていて、どうしてちょっと立ち止まる事も出来ないの? あたしなら共に戦える人がいるだけでもありがたい」
「クオンちゃん。俺は、言っていなかったがやっぱりこの問題は俺が解決するべきだと思っている。初代と同じ顔と同じ名前を持つ俺こそが、解決するのに相応しいのだと」
「そこまで思い詰めなくっても……」
「いや、これは使命なんだ。俺の、俺に課せられた、最大の」
自分が解決しなければこの問題は闇に葬られる。その予感があった。
「……約束して欲しい」
熟考の末にクオンが口にしたのが分かった。ダイゴは、「君との約束は守る」と応ずる。
「コウヤ兄様の手持ちはあたしも知らない。でも家族が争い合うのは嫌」
「分かっている。俺もツワブキ家の人達を疑うのは嫌だし、出来れば戦いたくない。でも、やっぱりツワブキ家は全員、ポケモントレーナーなんだな?」
クオンは首肯してから、「それだけは守って」と言いつける。
「約束する。争わない。俺は、相手が出してこない以上、自分の手持ちでコウヤさんを含む誰かを傷つけたりはしない」
相手が出してこない以上、という条件付きだがクオンは呑んだようだ。おずおずと口を開く。
「家族が憎しみ合うなんて嫌だもの。だから、これは最も平和的な方法」
「交渉か、それとも条件でもあるのか?」
「コウヤ兄様が苦手なのは化石よ」
最初、その言葉の意味が分からなかった。クオンは何と言ったのか。
「何だって?」
「コウヤ兄様は、一番にデボンの未来を背負わなければならなかった。長男だし、御曹司だし、あたし達とは育てられ方が違う。だからちょっとした嘘や誤魔化しなんてすぐに看破されてしまう。あたしとダイゴがいくら頭脳をつき合わせて共謀してもあの人の前では無意味でしょう」
「じゃあどうしろって……」
「化石、しかないのよ」
クオンの言葉の意味が分からない。ダイゴは少しずつ紐解いた。
「化石、って、これか?」
手離すのも何か不安でコウヤから手渡されたままずっと持っていた。甲羅の化石を指差してクオンは告げる。
「コウヤ兄様はね、あたし達の中で一番に大人にならなきゃいけなかった。その反動なのか、どうかは知らないけれど、これだけは子供にならざるを得ない。コウヤ兄様の弱点は化石なのよ」
「化石集めに躍起、って事か?」
ダイゴの考えをクオンは首を振って否定する。
「化石集めは表層的なものに過ぎない。あの人が一番好きなのは化石を復元させて行うポケモンバトル。いわゆる化石バトルよ」
初めて聞く単語にダイゴは困惑する。手に取った甲羅の化石を見やって、「復元……?」と聞き返す。
「どういう事なんだ。化石って復元出来るのか?」
「近年の研究で化石に含まれる遺伝子組成や復元モデルが確立されて、一地方に最高でも二台しか存在しない化石復元機ってのがあって、それで復元出来る」
「そんなの、カナズミに……」
「あるのよ。その二台が、このカナズミに」
遮って放たれた声にダイゴは目をしばたたく。
「どこに? デボンとか?」
「デボン本社に一台。そしてもう一台を所有しているのが、コウヤ兄様」
驚愕の事実だったがそれが何だというのか。高価な代物を持っている、だけではないのか。
「……復元機がすごいってのは俺でも想像出来るけれど、それを何で個人が所有しているんだ?」
「言ったでしょう? コウヤ兄様は、一番に大人にならなきゃいけなかった。だからその反動で、あらゆる享楽が駄目と言われる中、唯一許された遊びがそれ。化石を復元させてバトルする、代理のポケモンバトルみたいなものね」
「代理の、バトル……」
いまいち分かっていないダイゴへとクオンはため息混じりに口にする。
「あたしもよく付き合わされたわ」
「クオンちゃんも?」
「コウヤ兄様は友達が少ないの」
それはご愁傷様としか言いようがない。
「そうなんだ……」
「だから相手はもっぱら研究員とか社員とか、あたし達家族だけだった。あたしも右も左も分からないのに相手させられたわ。子供心に、あれは怖かった」
「怖い? ポケモンバトルじゃないのか?」
クオンは一拍だけ沈黙を挟んでから、「ただのバトルならば」と言葉を発する。
「怖くはないわ。でもこの化石復元バトルにはある一定の決まりがあって」