第七十五話「苦い出会い」
「えっ、父様とダイゴ、出かけるの?」
朝食時にクオンに切り出すと彼女は意外そうな声を出した。
「そうなんだ。ちょっとダイゴを借りるぞ」
「ゴメン、クオンちゃん。イッシンさんと約束をしていて」
「別に、毎日のように学校について来てくれとは言わないけれど、言い出しっぺは兄様だしダイゴだって引き受けたじゃない」
「だからゴメンって。埋め合わせはするから」
むくれたクオンを他所にイッシンがテレビを点けてニュースに変えた。
「そういえばこの間の工場地帯の火災はどうなったんだ? あれも犯人不明で?」
「みたいよ。それに加えて今度は通り魔ですって」
クオンがニュースを見て嫌悪の表情を浮かべる。それもツワブキ家から近い場所だった。
「事件現場が近いな。余計な報道に巻き込まれないように裏から出るか」
「裏って、あるんですか?」
ダイゴの問いかけにイッシンはふっふっふっと不敵に笑う。
「実はな、隠し通路があるんだよ」
「隠し通路?」
「まぁちょっとしたヒーロー気分を味わえる。後で案内しよう」
「父様はそういうのが昔から好きですものね。この家を設計させた時だってその隠し通路にやたらとこだわっていたし」
クオンの苦言にイッシンは笑って誤魔化す。
「いやいや、男のロマンだぞ、隠し通路って奴は」
「ええ。どうせあたしは女だから分からないわ」
すっかりへそを曲げてしまったクオンにダイゴは言いやる。
「ゴメンよ。絶対に埋め合わせはするから」
「いいわよ。今日は父様と楽しんでいらっしゃいな」
イッシンに目線を向けると味噌汁を飲み終わったところだった。
「ごちそうさま! よし、ダイゴ、行くぞ」
イッシンが先導して歩んでいく。ダイゴは今一度クオンに謝ってからコノハの視線を気にした。コノハはこの家でイッシンこそが怪しいのだと踏んでいたが昨日の出来事で完全にその疑念は払拭出来たと考えていいだろう。イッシンは人徳者だ。自分は信用出来る。
「ここだ、ここ」
連れて来られたのは突き当たりの壁であった。吹き抜け構造ではあるがただの壁に見える。タイルが敷き詰められており色とりどりであった。
「これが何か?」
「いいか。三十四番目のタイルだ。こいつを押してやると」
イッシンがタイルの一つを押すと壁がゆっくりを開いた。どうやら隠し扉だったらしい。
「こんなの……」
「なっ? ロマンだろ?」
イッシンは楽しげに隠し扉を通り抜ける。コノハは知っているのだろうか。この通路さえ使えばツワブキ家はどのような暗躍でも出来る。
「この通路、知っているのは?」
「ああ、家族ならば誰でも知っているぞ」
余計に疑念が増した結果になった。リョウや他の家族でも使えるという事は人知れず行動が可能だと言う事だ。
「通った人間を記録したりは」
「しないだろ。いちいち玄関を開けた人間を記録する装置なんて作るか?」
ツワブキ家の人々からすればこちらも玄関なのだ。ただ公にされていないだけで。
「ダイゴ、ちょっと神経質になり過ぎだろ。確かに昨日今日だ。ギリーの事もある。家族を疑う気持ちも分からなくはない。だが私は家族を最後の最後まで信じているし、他の誰かが裏切っていっても家族だけは信じられる」
そこまで確固としたものを言われてしまえば自分に立場はない。なにせ自分はこの家の人間じゃないのだから。
「なるほど、家族を大事にするイッシンさんの気持ちは分かりました」
隠し通路はそのまま昨日のガレージへと繋がっていた。ガレージだけではない。いくつも通路が折れ曲がっておりどこへでも出られそうだった。
「デボンの地下に出よう」
イッシンの後ろに続いているとまたしてもタイルの敷き詰められた壁に遭遇した。今度も何番目か分からないタイルを押し込み、出現した隠し扉を潜った。出たのは地下通路である。スタッフルームに繋がっておりそこから出る事が出来た。ショッピングモール風に店が軒を連ねている。
「こんな場所が……」
「なっ。お前の知らない場所はカナズミでもまだまだあるんだ」
イッシンに言われるがまま、ダイゴは店を回っていった。喫茶店や服飾店など多岐に渡っている。
「これらの店舗は全てデボンコーポレーションの資本でまかなわれている。いわば全てデボンの子会社だ」
それだけでも驚嘆に値したがイッシンはさらに言いやる。
「そこに喫茶店があるだろう? 喫茶店では人間のほかにポケモンも出し入れ自由でね。ポケモン用のコーヒー豆もきっちり揃えている。憩いの空間として最適なんだ。どうしてあの場所に喫茶店があると思う?」
突然の質問に面食らいつつもダイゴは答える。
「えっと、疲れを取るためでしょうか」
「半分正解だな。よし、試しに店の系列を見てみよう。CDショップ、紳士服店、婦人服店、子供服店とある。その中でも婦人服と子供服の店舗があるこの場所に喫茶店を構える、という事はファミリー層をターゲットにしている、という事なんだ」
紳士服店は少し離れたところにあり、CDショップは地下店舗の隅っこである。
「ショッピングと言っても人の流れ、物流の流れがある。私はそれを熟知した上でこのショッピングモールを開設し、設計させた。私の考えた資本の流れなんだよ」
「……なるほど、勉強になります。イッシンさんはそういう経済学みたいなのを学ばれたんで?」
「いいや、私の学んだのは帝王学でね。そういう経済学みたいなのは社長に就任してから趣味で学び始めたんだ。このカナズミシティは学園都市の趣が強いだろう? だったら自然と客層は学生かあるいはその家族に絞られる。アウトローなお店が繁盛するわけがない。私はアットホームな温かみのある店舗こそがこの学園都市で流行るのではないか、と考えた」
その結果が地下のショッピングモール。ダイゴは見渡しながら感想を漏らす。
「意外ですね。ポケモン関連の店がない」
「おっ、気付いたな」
それを待っていましたと言わんばかりにイッシンはマップを指差した。マップにはもう一階層下がったところにポケモンの関連商品が売られていた。
「不思議だろう? ポケモンのトレーナーズスクールがあり、学園都市という誉れ高いこの街でどうして地下二階層に店を絞ったのか」
「ええ、気になりますね」
「元々カナズミってのはそっちの趣が強かったんだ。ポケモントレーナーだけのお店、そのための資本や店舗だけは揃っていた。だけれどある日、気付いた。そこに生活する人々の事を考えるのならばバトルやポケモンの事だけを考えたのは逆効果ではないのか、と。そこに息づく人々の生活を鑑みた場合、ただ単にポケモンを強くするだけの店や、技マシンを仕入れたりするのは間違いで、まずは生活の拡充だと感じたんだ。究極的にいえばポケモントレーナーは趣味人だからね。例えば、だ。学園都市が同じようにあったとして、では学徒のために本屋や若者向けのショップばっかり揃えたとしよう。なるほど、受けはいいかもしれないがそれは一時的なものだ。誰だって歳は取るし、それに扶養家族のいない学生のほうが少ない。私は家族ぐるみ、という流通基準を生み出し、このショッピングモールの基本理念とした。もちろん、ポケモンの事も忘れちゃいない。ポケモンも家族だ。だからこのショッピングモールは他の資本店舗ではあまり見られないポケモンの連れ歩きが可能になっている。これも私が考えたシステムなんだよ」
「……なるほど、敬服します」
イッシンは満足気に頷いて喫茶店を指差した。
「そしてショッピングを終えた家族は次に何を目指すか。ゆっくり出来る憩いの場だ。それが喫茶店や飲食店になる。それも私が作ったシステムなんだよ」
「ところでダイゴ。お前は喫茶店と言えば何が好きかな?」
喫茶店に入るなりイッシンはギギギアルを出してやった。ダイゴもそれに倣ってメタングを出す。穏やかに流れるジャズの調べがゆったりとしたムードを作り出していた。
「何が、ですか。難しいですね。やっぱりコーヒーかな」
「いい回答だ。ではコーヒーと一緒に出てきて嬉しいのは何だ?」
質問に次ぐ質問にダイゴは応じる。
「ケーキ、いやクッキーかな」
「どちらも正解だろう。甘味が欲しくなるんだ。苦いコーヒーに合うのはちょっと甘いスイーツ。私もね、よくこの喫茶店を利用する。考えが行き詰った時なんかはコーヒーでホッと一時を楽しむんだ」
イッシンが手を挙げるとコーヒーが運ばれてくる。それと同じくチョコレートケーキも横に並べられた。
「頼んでいないですけれど……」
「いつものメニューなんだ。なに、ここは格安でね。ケーキとコーヒーのセットならば五百円以下だ。お財布に優しいだろう?」
イッシンはコーヒーを口に含む。何度か頷き、「格別だな」と感想を漏らした。
「ここの豆はね、私がしっかりプロデュースしているんだ。現地に派遣した社員を使ってね。現地、というとイッシュ辺りになるんだがやはりイッシュ産はいい。コクがある」
「ホウエンでは同じコーヒーは作れないんですか?」
「味も質も、イッシュには劣るな。ホウエンにはトロピウスというポケモンがいる。知っているかな?」
ダイゴが首を横に振ると、「とても甘い実をつけるポケモンだ」とイッシンは答えた。
「じゃあトロピウスでコーヒーは作れないんですか?」
その疑問にイッシンは首を横に振る。
「トロピウスの果実はコーヒー向きじゃない。むしろこういうケーキに乗っている果実に向いているんだ。コーヒーを甘くするにしては、少し甘過ぎるくらいでね」
イッシンは笑いながらケーキを切り分ける。ダイゴはコーヒーを口に運ぶ。少し苦いが酸味もあり味わい深い。
「おいしいですね」
「だろう? 疲労を取るにはこれだよ。ちょっと疲れた時にここのコーヒーを飲む。そうすると頭が冴え渡るんだ」
なるほど、と相槌を打ちながら今度はケーキを食した。途端に弾けたのは芳醇な甘さだ。チョコレートのシックな香りと舌先で乱舞する甘さ。これがトロピウスの果実なのだろうか。甘さ、と言っても下品ではない。上質な甘さはコーヒーの苦さと手を取り合って味覚を刺激する。ダイゴは思わず口元に手を当てて、「おいしい……」と呟いていた。
「だろう? 思わず言ってしまう感じだろう?」
満足気なイッシンの背後に誰かが立つ。ダイゴはそちらへと視線を向けた。
痩身の男でイッシンを見据えている。見つめる眼差しは垂れ目でどこか哀愁さえも漂わせていた。ダイゴが声をかける前にその男はあろう事かイッシンの両目を背後から塞ぐ。
まさか、敵かと身構えたダイゴへと肩透かしの声が発せられた。
「だーれだ?」
子供がそうするような茶目っ気を漂わせた声音にダイゴは毒気を抜かれる。イッシンはにやりと口元を緩めた。
「その声は、お前だなー、コウヤ!」
イッシンが振り返って男と揉み合う。男は笑顔を向けて歓迎させた。
「ただいま、父さん」
その声にダイゴはこの男の正体を推測する。
「もしかして、この人は……」
「ああ、紹介が遅れた」
イッシンは男を愛しげに見やる。
「長男のコウヤ。ダイゴとはそういえば会っていなかったか?」
ダイゴは自然と身体が強張ったのを感じた。この男がツワブキ・コウヤ。ツワブキ家の長男であり、次期社長。コウヤは垂れ目でダイゴを見つめると、「ああ」と察したように首肯する。
「はじめまして、ダイゴです」
あえてツワブキ家の名前を名乗らなかった。コウヤは顎に手を添えて、「はじめまして、かな」と呟く。
「ツワブキ・コウヤだ。よろしく」
差し出された手をダイゴは取った。握手すると思いのほか体温が冷たい事に気付く。
「冷え性なんだ」とコウヤは笑った。
「お前、イッシュに派遣されたんじゃなかったのか? この間から留守だったじゃないか」
「今日帰ってきたんですよ。メールしたでしょう?」
イッシンはポケナビを取り出し、「ああ、本当だ」と確認する。
「ダイゴを案内するので忙しくってな」
「もう、息子の帰りくらいしっかり把握しておいてくださいよ」
コウヤの声にイッシンは照れたように笑う。ダイゴは立ったままそれを眺めていた。
「ダイゴ、確か記憶喪失とかだったな。今は」
「まだ何も分かっていないんだ」
代わりに答えたイッシンにコウヤは、「そうか」と口にする。
「そうそう、父さん。今回もいいコーヒー豆を仕入れてきたんですが、それとはまた別に」
取り出されたのは掌大の石だった。甲羅がめり込んだような石でくすんだ色をしている。
「おいおい、またか。お前もその趣味が過ぎるぞ」
ダイゴにはわけが分からなかった。一体その石は何なのか。
「ほら、ダイゴも困っているだろう」
イッシンの声にコウヤは微笑んで、「化石だよ」と言った。
「ポケモンの化石。おれの趣味なんだ」
化石、と言われると確かにそのようだがどうして今取り出したのか謎だった。
「こいつの趣味でな。そこいらで珍しい化石を買ってくる。今回はいくらしたんだ?」
「それがですね。今回これはタダだったんです」
「他には?」
「まぁ二十万ほど使いましたけれど」
「だろぉー! お前いっつも無駄遣いするもんなー!」
またしてもじゃれあっている二人を眺めつつダイゴはどうするべきか考えていた。
「ああ、ダイゴ。この化石はやるよ」
コウヤの突然の言い草にダイゴは戸惑う。「えっ」と声にするとコウヤは無理やり握らせた。
「おれからのプレゼントだ。いいだろう?」
「……はい」
有無を言わさぬ空気にダイゴは気圧される。それが不服そうに見えたのかコウヤは他のプレゼントも渡してきた。
「何だよぉ、つれないな! だったらこれ! 千ピースパズル! 千ピースパズルと下敷きもやろう!」
「コウヤ! プレゼント攻撃はやめろって。ダイゴも困っているだろう」
甲羅の化石とその他のプレゼントを受け取りつつダイゴはその場に留まっていた。イッシンはコウヤと共に上機嫌で出て行く。会計も恐らくは経費で落ちるのだろう。ギギギアルも主人の身勝手に留まっていたがその中のちびギアが動き出した。何をするのかと思えば先ほどまでコウヤがいた足元にちびギアが寄り集まっている。ダイゴは目を凝らした。
「砂流?」
小さな砂粒が落ちている。化石から落ちたのかあるいはコウヤから落ちたのかは判然としないが砂粒にギギギアルが反応しているようだった。
そこでダイゴはハッとする。
――解析した。自動的に追尾する。
昨日、ギギギアルはギリーのポケモンの攻撃を解析し、その攻撃を追尾するように設定されたはずだ。それと同じ反応であった。
しかし何故? ダイゴは疑問に行き当たる。どうしてちびギアがギリーと同じものである、と反転したのか。とある推測にダイゴは思い当たった。
「ツワブキ・コウヤ。まさかギリーと何か関係があるのか……」
イッシュから帰ってきたという男ならば面識があってもおかしくはない。ダイゴは遠ざかっていく背中を睨み据えた。
もしかしたら自分に繋がる手がかりをあの男は持っているのかもしれない。その確証に鼓動が脈打つ。
次の敵になるとすれば、それはツワブキ・コウヤだ。
ダイゴはわざとコウヤを追尾するちびギアの痕跡を消してから喫茶店を出た。苦々しいコーヒーの味が今さらに思い出されて来る。
きっと対面するべきはもっと苦いものとなるだろう。その予感に身震いした。
第六章 了