第七十四話「捨ててきたもの」
イッシンの部屋はモノトーンの調度品で固められており、ところどころに彫刻の作品が見られた。ガラスケースに入った作品には「少女とミロカロス」と名付けられ美しい鱗を持つポケモンと少女が戯れている。
「私の趣味の一環だ。彫刻はいい。心を清らかにしてくれる」
イッシンは部屋の奥まった場所にあるデスクにつき、端末を立ち上げた。
「私のパスコードさえあればデボンの社内のネットに立ち入る事が出来る。ギリーを雇った人間が社内にいるのならば、私から逃れる事は出来ない」
ダイゴは最大の可能性をまだ言っていなかった。
――それはツワブキ家ではないのか、と。
しかしイッシンは最初から家族の誰かを疑う気はないようだ。社内の人間と言っても家族は考えもしていないようである。
「ギリーの仕事だ。あいつは空間デザイナー兼一級建築士。様々な空間を手がけてきた」
ギリーの仕事内容が表示される。ダイゴはそのうちの一つのサムネイルに目を留めた。
「これ、何です?」
ダイゴが指差したものを拡大する。その時心臓を鷲掴みにされた感覚に陥った。
「……どうした?」
イッシンが怪訝そうにする。ダイゴは、「いえ……」と平静を装う。ギリーの仕事。その中に秘密基地のデザインがあり、そのうちの一つはニシノに襲われた時のものであった。
だとすればいつからだ? いつから、ギリーを含む一派は自分を狙っていた?
深まる疑問にイッシンは、「色々仕事はしていたようだ」と観察する。
「この家の建築も任せた。初代、つまり親父が住んでいたのはもっと古めかしい民家でね。このような敷地面積もなくってカナズミ一の名家を名乗るには分不相応だったから建て替えたんだ。その時にギリーにも協力させた」
「何年前です?」
「五年は前だな。それまで住んでいたのはデボンの裏手にある社宅の近くで。あんまり敷地自体は変わらないんだが、余った面積は全部社宅に回してね。だから社員としては喜ばしいはずなんだが」
つまり社員が怨恨の線で暗殺を依頼するのは不自然だと言いたいのだろう。しかしダイゴからしてみればその程度は動機にもならないのだと思われる。もっと別の何かが動機のはずだ。デボンの社長であるイッシンでさえも敵に回しても構わないとする何か。
「ギリーはここ数年で名を挙げた新進気鋭のデザイナーだから知らない人間のほうが多い。私も依頼するまでは知らなかったし、あの特徴的なファッションじゃなければ見逃していただろう」
赤い帽子に赤い衣装。まさか岩タイプ使いだとは誰も思うまい。
「イッシュでの評判は?」
「悪くはないようだ。母国だからな。向こうのほうが有名らしい。だが暗殺者としての顔なんてどこにもないな」
裏の顔がないのは当たり前と言えば当たり前。だが言ってしまえば暗殺者としては名うての人物ではないとも言える。
「ギリーとてもしかすると暗殺任務などに身をやつすタイプではないのかもしれない。今回、たまたま私とダイゴを付け狙ったか」
「でもあれは戦い慣れている人間のやり口でした」
ガントルとギガイアスでの挟撃。通常のバトルで慣れている、ではない。あれは人殺しの戦法だ。ギリーはやはり脅威には違いないのだろう。
「確かに。私達を殺すのが初めてにしてはなかなかに出来る奴だった」
イッシンがデボンのネットワークで探そうとするがそれは早々に無駄だと悟る。デボン社内だけでも五百人強の社員。彼ら全員の家族構成から最近の動きまで追えるはずがない。
「やはり、無理か」
目頭を揉んだイッシンにダイゴは語りかける。
「そもそも社内にいる、という確信はないですし」
「まぁな。ギリーが誰に雇われたのか、最後まで白状しようとしなかったのは痛いが、私としてはツワブキ家を狙う一派がいる事と、叔父に繋がる人間がいる事だけでも充分だ」
イッシンの言う叔父。ツワブキ家とフジ家を取り持った何者かの消息を辿るにはギリーだけでは足りないが、同時にギリーのような人間も知っているという事が発覚した。ツワブキ家の血縁、その血がどこへと繋がっているのか。
「ダイゴ。私は、お前が狙われた事もまた関係していると感じている」
イッシンの言葉にダイゴは、「俺、ですか」と返す。
「そう、お前だ。全てのピースがお前に集約されている。現にツワブキ・ダイゴ、つまり初代の死に関してもお前という人間がいなければ追及の対象にはならなかった」
自分がいるから無用な争いが起きているとでも言いたげだったが事実そうなのだ。
「ギリー・ザ・ロック。次は慎重を期してくるだろうな。なにせ私達に顔が割れているんだから」
「逆に言えばギリーさえ補足出来れば、俺達の優位に転がる、とも言えませんか?」
「雇い主か。だがそう簡単にぼろを出すとも思えんのだがな」
それが分かれば苦労はしまい。イッシンはため息をついて、「今日はもういい」と手を払った。
「お互いに疲れたろう。今日は休もう」
イッシンの声にダイゴは身を翻しかけて立ち止まる。
「ん? どうした、ダイゴ」
「イッシンさん。すいませんでした」
急に頭を下げたものだからイッシンは狼狽している。ダイゴは理由を述べた。
「俺、あなたにとても惨い事を訊いてしまっていた」
初代の事、それに加えて母親と妻であった人の事を。立ち入ってはならない話だったのかもしれない。イッシンは、「その事か」と微笑む。
「構わない。お前の言う通り、知らない事は罪だった。現にお前にとっては。私も秘密主義が過ぎたのもある。出来るだけ情報は開示していこう。私も、お前のために何かしてやりたいんだ。お前は家族なのだからな」
家族。そのような言葉が自分に振りかけられるとは思っていなかったのでダイゴは戸惑う。
「俺、家族でいいんでしょうか? ツワブキ家の人間で……」
「何を言っている? 私は社会奉仕の精神でお前を引き取った。それに変わりはないし、何よりも行く当てのないお前に出て行けなんて非人道的な事を言えるものか。私は初代に関して勘繰られた事も、あるいは母や妻に関して言われて事も、怒っていない。お前は知らないが故に聞かざるを得なかったのだ。私もお前の立場ならば知らなければ前に進めないと感じるだろう」
その通りだ。知らなければ前に進めない。自分はどこにも行けないのだ。
「俺が、どこから来てどこへ行くのか……」
「その答えも、お前は自分で見つけるべきなんだろう。私は最大限サポートはする。だが最終着地点を見出すのは、お前自身だ」
ダイゴは改めてイッシンへと礼を言った。
「ありがとうございました。俺なんかを引き取ってもらって」
「親父そっくりの顔をした奴を無下には出来ないよ。その代わり、ちょっと明日付き合ってもらえるか?」
その言葉にダイゴはきょとんとする。
「どこに、ですか?」
「私の作り出した、この街のシステムについてお前に言っておきたいんだ。カナズミシティの歩き方を知っているほうがいいだろう? ポケナビに関しては有耶無耶になった感もあるし」
つまりリョウの不手際の尻拭いをさせて欲しい、と言う事なのだろう。ダイゴは了承した。
「あ、はい。俺もイッシンさんの事を知りたいですし」
「では、また明日な」
イッシンが手を振ったのでダイゴも手を振って部屋を後にした。
息をつき、端末の通話アプリを起動させてイッシンは声を吹き込む。
「私だ」
『ああ、どうも、ツワブキさん。気分はいかがですか?』
「命を狙われた後ではあまりよくないな」
イッシンは口元に笑みを浮かべる。相手は、『それもそうですね』と答える。
『オレも命を狙った後では少しばかりばつが悪い』
「ギリー。ダイゴには、お前を雇った奴は社内にいる、と思わせておいた」
通話越しの相手――ギリーは、『それが賢明でしょう』と答える。
『オレがあんたと繋がっているって事がばれたらまずい』
「私を一発目で狙ってきたのは、あれは迫真だったよ」
イッシンは背もたれに体重を預けて笑う。ギリーは、『すいませんね』と応じた。
『ヘタクソで。一発目でダイゴの頭をかち割るつもりだったんですが』
「いや、いい。まだ殺すのには惜しい。せいぜい状況を掻き乱してもらうとしよう。穏健派の動きはどうなっている?」
『どうにもこうにもきな臭いですよ。ヒグチ・サキ警部を抹消したかと思えば次はその家族を消しにかかっている』
「ヒグチ家を、か?」
それは意外であった。むしろサキを消した時点で動き過ぎなのだ。これ以上目立つ行動をしても仕方がないだろうに。
『ヒグチ・マコを、ですよ。抹殺したかどうかは不明。Dシリーズを投入してくる辺り、焦っているんじゃないでしょうか』
「姉妹揃って消えれば怪しむ動きもあるだろう。穏健派と同席する機会は?」
『ない、と思ったほうがいいでしょうね。穏健派は我々とは違う思考で動いていますから』
イッシンは声を潜める。
「再生計画の、どの段階まで相手は進んでいる?」
『初代の肉体自体は揃えるのに時間はかからないでしょう。問題なのは馴染ませる事ですよ。Dシリーズを何体か使う必要がある。オレの持っている情報じゃ、四肢に頭部、脊髄に胴体それに心臓の八つ。うち一つ、右腕が消失したようです。左足は対象Dシリーズが行方不明に。その行方を目下捜索中』
八つの鍵のうち二つが行方不明となれば穏健派は焦っているはずだ。イッシンはそれこそがつけ入る隙だと考えた。
「相手よりも早く、パーツを揃えるかDシリーズを抹消するしかないな」
『あんなに手強いなんて聞いていませんでしたがね。いきなり進化なんて』
先ほどの事を言っているのだろう。イッシンは、「イレギュラーだよ」と答える。
「進化するとは思っていなかった。しかも鋼の攻撃を使いこなしている。余計に、親父とダブるものがあった」
『初代が使っていたのも確かダンバルの進化系列でしたね』
それと同じポケモンを有しているだけでも脅威なのに、ダイゴは見ず知らずの内にそれを制御している。イッシンは事を構えるに当たって方針を決めなければならなかった。
「ツワブキ・ダイゴ抹殺。それに変わりはない」
『しかしご子息は、それをちょっとばかし警戒しているようだ』
リョウの事だろうか。イッシンは、「こっちの手駒がリョウの奴に気取られるのは面白くない」と口にする。
「ニシノに関するデータは消しておきたいんだが、生憎公安のデータベースまでは潜り込めない」
『天下のデボンでも無理ですか』
公安は警察機構とは全く別の動きを見せていると考えてもいい。イッシンは、「一刻も早く」と前置く。
「見つけなければならないのだ。この呪われた血縁を作った大元を」
『穏健派は、何かを知っている、という認識でよろしいんで?』
「無論だ。穏健派は我らの血縁の基を知っていて隠している。Dシリーズも然り。悪魔の研究を許すわけにはいかない」
『了解。オレは変わらずツワブキ家と敵対、というスタンスでいいんですよね?』
「ああ、くれぐれも」
『あなたが雇い主だとは言いませんよ。では』
通話が切れイッシンは苦々しい心地で天井を睨む。
「……やらなければならないのだ。そのために全てを投げ打ってきた」