第七十話「家族」
夕飯だぞ、と呼びかけられてベッドに寝転がっていたダイゴは返事をする。
手にはハルカから渡された万年筆があった。インクは充分に入っており使用する事が出来るがそれよりも気になったのは組み込まれている石だ。虹色でカットがかかっている。
「何かの加工石か。でもハルカ先生が俺にわざわざ渡しに来たって事は初代は相当石好きだったんだな」
初代ツワブキ・ダイゴ。自分と同じ名前を持つ存在。誰もが似ていると口を揃えるものの、自分は初代の事を人伝でしか知らない。もっと知る必要があるのだ。それこそ大胆な手を使ってでも。
降りていくと既にクオンとイッシンが食卓を囲っていた。料理を準備するコノハを労っている。
「ダイゴ。今日はすごいぞ。ハンバーグだ」
「それも石焼きの。コノハさん、よくこんな手間のかかるものを作ってくださるわ」
クオンへとダイゴは尋ねる。
「リョウさんは?」
「いないけれど。そういえば姉様も見ないわね」
クオンがきょろきょろしているとイッシンが見咎めた。
「レディがあんまりきょろきょろするもんじゃないぞ」
「あら、失礼。でも兄様と姉様も意地悪だわ。何でダイゴと一緒に夕食を食べないのかしら?」
クオンの疑問にイッシンは顎をさすった。
「さぁな。二人とも忙しいんだろう。私は飯が美味ければそれでいいが」
イッシンの言葉にクオンは言葉に棘を滲ませる。
「もう! 父様もそういう言い方は駄目よ。兄様と姉様がいないのが当たり前なんて、家の沽券に関わるじゃない」
「クオンも口調がママに似てきたな」
イッシンが快活に笑う。ダイゴはそういえばクオンの母親に関しては一切聞いていない事に気付いた。
「クオンちゃん、お母さんは?」
その質問にクオンを含め全員が凍りついた。何か聞いてはならないことを聞いてしまったのだろうか。その答えに行き付く前に、「数年前にね」とイッシンが口にする。
「突然、亡くなってしまって」
「あっ、俺すいません……。何も知らずに」
「いや、いいんだ。ダイゴ。知らない事は何の罪でもないのだから」
本当に、そうなのだろうか。ダイゴは逡巡する。知らない事は何の罪でもない。しかし自分は知らないまま生きていく事など出来なかった。
「さぁーて、食うぞ! いっただきまーす!」
イッシンの声にクオンがいさめる。
「下品だわ、父様」
リョウはコノハの視線を感じつつもハンバーグを口に含んだ。味よりもこの先、どのようにしてイッシンを追い詰めるべきか。そればかり考えていた。イッシンは初代の死に様を知っているはずである。それを知っていて、なおかつ自分を引き取ったのだ。理由がなければそのような事には打って出ない。
「いやぁ、コノハさんの料理は絶品だなぁ」
そう感想を漏らすイッシンにも何か計算じみたものがあるようでダイゴは警戒していた。
食事を終えるとクオンの部屋に招かれた。
ダイゴはピンク色を基調としたクオンの部屋で居心地悪そうに声にする。
「何で呼んだんだ?」
「ハルカ先生から、あの後どうしたのか、聞いていなかったから」
「それは……クオンちゃんが怒って行っちゃうからだろ」
不満を滲ませた声にクオンは、「ちょっとイライラしちゃって」と額に手をやった。
「だって、ダイゴ、あたし以外でも普通に話すんだもの」
「そりゃ、話すよ。邪険にする意味もないし」
ダイゴの答えにクオンは納得していないようだった。
「……そういうのが無頓着だって言うんだけれど」
「無頓着って。俺は差別しないし、何かを契約したわけでもないし」
クオンは頬をむくれさせて、「ダイゴってば、そういうのに気が回らないのね」と言い放った。責められるいわれはないと思うのだがダイゴからしてみれば不服である。
「あのさ、クオンちゃん」
「何? 言っておくけれど、謝ったって許さないんだから」
すっかりへそを曲げたクオンへとダイゴは、「参ったな」と首筋を掻いた。
「出来ればクオンちゃんに教えて欲しいんだ。君しか、多分知らないだろうから」
その言葉にクオンは僅かに反応する。
「いや、というよりも今は君しか頼れない」
「もう一回言って。誰しか頼れないって?」
何で何回も言う必要があるのだろうと感じたがダイゴは言った。
「ツワブキ・クオン。俺は君以外頼れない」
クオンは満足したように何度も頷いた。
「そうよね。らら、ちょっと嫉妬していたみたい。あなたがあたししか頼れないのは知っているもの」
「出来れば穏便に行きたいんだ。だから君に教えて欲しい」
「何? 言える事ならば何でも」
「君のお父さん、ツワブキ・イッシンについてだ」
イッシンの名が出るとクオンは僅かに肩を強張らせた。
「……父様の?」
「ああ。俺はこれから君のお父さんに接触する」
その言葉は意外だったようでクオンは口の前に手をやって大仰に驚いた。
「何ですって!」
「俺は、何とかして知らねばならない。自分の事を。君のお父さんはそれを知っているはずなんだ。俺を引き取ったのはリョウさんだが、家長である君のお父さんの許可がなければ下りなかった話だろう」
「そりゃ、そうでしょうけれど……」
「どうにかして知る事は出来ないだろうか? 君のお父さんに近づくために必要な事を」
ダイゴの問いかけにクオンは顔を伏せて呻った。
「難しいわ。だって父様は、デボンコーポレーションの現社長、言えない事のほうが多いと思う」
「そうか、だったらやっぱり最初に考えついた方法しかないな」
ダイゴは立ち上がる。クオンが慌てて制した。
「何をするの?」
「俺は君のお父さん、ツワブキ・イッシンと対決する」
その宣言にはクオンも狼狽した。
「何でそんな……!」
「一番に相手から情報を得るのには、戦うしかないからだ。俺は正直なところ、君のお父さんに疑念を持っている。こんな状態のまま何日も何ヶ月もこの家に置いてもらうわけにはいかない」
「……つまり、父様から直接、あなたをどうしてこの家に引き取ったかを聞き出したいわけ?」
ダイゴは首肯する。本当ならばもう一つ、初代が何故死んだのかも聞き出さなければならない。しかしクオンには黙っていよう。彼女に余計な事まで背負わせたくない。
「あたしが同席していたんじゃ」
「きっとイッシンさんは何も言わないだろう」
はぐらかされる事は目に見えていた。クオンは息をついて、「仕方がないわね」と呟く。
「それが、ダイゴにとって一番に大事ならば」
「すまない……。それとさっきの食卓での失言は」
「お母様の事? それは仕方がないわ。あなたは知らないんだもの」
ダイゴはそれでも先ほどの食卓での沈黙は異様だと感じていた。母親が既に死去していたとして、あの空気感は何だったのか。
「こんな事を訊けば、君を傷つけるかもしれない」
「知りたい事は何となく分かるわ」
ダイゴは一呼吸置いてから、「お母さんの、死は……」と口にしていた。
「病死、だと聞かされている」
「聞かされている?」
家族なのにまるで他人事のような口調だ。ダイゴの怪訝そうな様子を悟ってか、「分からないのよ」とクオンは答えた。
「分からないって、お見舞いとかは……」
「あたしも小さかったし。でもその病気はとても危険で、移るから駄目だって言われていた」
危険な病気。ダイゴはその病気の真実こそ、ツワブキ家の秘密に関わっているのではないかと推測する。
「ゴメン、クオンちゃん。俺、行ってくるよ」
部屋を出ようとするとクオンがその背に呼びかけた。
「でも一つだけ守って」
立ち止まって肩越しに視線をやる。クオンは真剣な眼差しだった。
「家族なんだから、憎み合わないで欲しい」
家族。ダイゴは自分の中で反芻する。果たして今のまま、何も知らないままの家族など家族と呼べるだろうか。それは仮面のまま生活しているに等しい。
「俺も、出来ればみんなと家族になりたい。だから」