INSANIA











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新たなる戦い
第六十九話「デボンの闇」

 探知機を持ったか、というのが合図だった。

 デボンのバンに揺られソライシ班は昨日戦闘のあった場所へと赴いていた。ソライシ班班長、ソライシタカオ博士はこの任務に退屈すら感じていた。本社勤務での研究が許されるかと思えばこのような雑用係。本来ならば自分達があてがわれるはずもないのだが生憎の人手不足と内々で処理したいという本社の内情が関係していた。ソライシは他の研究員に呼びかける。

「さっさと終わらせて、Dシリーズも回収と行こう。残業は真っ平御免だ」

 そう言うと他の研究員も笑いかけた。

「全くですね。Dシリーズの管理だけでもいっぱいいっぱいですよ。D036の脱走あるいは死亡を細かく調査しろって言っても」

 付近に人影はない。あったとしても昼担当の調査班が人払いをしていた。

「Dシリーズ、呪われた血の末裔か。まったく本社は何を考えているのやら」

「命の薬も、何個か持って来ましたよ。D036の戦闘不能を考慮してね。でもこれ、あんまり他人に見られると」

 研究員の懸念をソライシは払いのけた。

「大丈夫だ。誰も見ちゃいないだろうし、それに命の薬を打たなければDシリーズの初期ロット運用に支障が出る」

 そもそもDシリーズについても最小限にしか情報を開示されていない。これではほとんど犬同然だ。

「足だけ残っているなんていうおぞましい事態になっていなければいいですが」

 探知機が反応する。やはり血溜りが広がっており乾燥しているもののD036の生存は絶望的になった。

「これを本社に報告……。死亡した、と――」

 その言葉を遮ったのは風に混じって何かが目に入ってきたからだ。ソライシは目を擦る。大粒の石が風に乗って運ばれてきていた。他の研究員も同様のようでいきなり目を押さえる。

「何だ? 視界が……」

 視界が瞬く間に茶色に染められていく。ソライシは周囲を見渡した。だが最早景色など目に入らない。全ては砂嵐の向こう側へと消え去っている。隔離されているのだ、と感じた瞬間、首筋に冷たい感触が当てられた。

「動かないでください」

 少女の声だ。ソライシは瞠目する。

「何のつもりだ……。産業スパイか?」

「大人しくしてくださったら危害は加えません。オサム君、ディズィーさん、そっちは」

「こっちは大丈夫」

「命の薬も確保した」

 続いた声にソライシは戸惑うほかない。何が起こっているのか。何に巻き込まれているのか。突きつけられていたのは青い輝きを放つドラゴンタイプの尻尾だった。槍の穂のような尻尾には攻撃性能が窺える。下手な事はしないほうがよさそうだった。

「何の目的で……。デボンを敵に回していい事なんてないぞ」

「こっちはもうとっくにいい事なんてないもんでね」

 背後から聞こえてきた声に振り返る前にソライシは昏倒させられていた。



















「上手くいったね」

 マコはフライゴンに命じる。自分達を追いすがろうという実力者はいなかった。ソライシ博士をコドラが背中に担いで走り抜けている。応急処置を施した程度だが昨日破砕したはずの鋼の表皮は復活しておりマコは並走するコドラを見やった。

「再生するんだ……」

「鋼タイプのポケモンは頑丈さがウリだからね。ちょっと表皮を打ち抜かれた程度ではすぐに再生出来る」

 オサムの声にマコは昏倒しているソライシへと視線を移す。

「何だかすごく悪い事をしている気分……」

「気分じゃなくって大企業の研究者の誘拐だから、割と重罪だよ」

 オサムの返しにマコは余計に口ごもってしまう。ディズィーがフォローした。

「マコっちとフライゴンの砂嵐がなければオイラ達だけなら強硬手段を取っていただろう。一人の死者も出さずに目的の遂行出来たのはマコっちのお陰だよ」

 ディズィーに褒められるのは悪い気がしない。マコが調子に乗って褒め言葉を受け取っているとフライゴンが鋭く鳴いた。何が起こったのかと振り返ろうとすると銃声が響き渡りフライゴンがそれを弾く。顔のすぐ傍で銃弾が掠めた。その事実に戦慄しているとオサムとディズィーが声を張り上げる。

「もう一回、砂嵐!」

「拳銃なんて当たる時は当たるし当たらない時は当たらないけれど、マコちゃんはどんくさいから当たりそうだ」

 オサムの声に反抗する気力も湧かないままマコはフライゴンに砂嵐の皮膜を張らせた。これで相手の銃弾は自分達に命中する事はないだろう。

「にしても、止まれとかなしに撃ってくるか」

 ディズィーの声にオサムは、「そういうもんさ」と段ボール箱を抱えながら走っている。

「こっちには重要な研究者と研究成果。それを明け渡すくらいなら、ってね。誰でも分かる理論だよ」

 それが殺人を許すメンタリティである事は震撼するほかないのだがマコはこの時ばかりは共感した。何とかしてソライシを運び出さなければならない。デボンに悟られずに、というのは不可能でも自分とオサムの生存はある意味では計画を乱すだろう。

「にしてもこの研究者、どこに運び込む? 当てはあるんだろうね」

 オサムの声にディズィーは応じていた。

「まぁね。防音や対電波には可能な限り対応している場所ならばある」

「どこですか?」

 マコの質問にディズィーは、「マコっちはよく来ている」と答えた。疑問を浮かべているとディズィーはウインクした。

















「ライブハウス……。確かに防音とそれに電波は」

 マコはホロキャスターの電波も通じていない事に気付く。ライブ中は基本的に携行端末を切っておくのがマナーだ。それでも対応出来ない時のために電波には耐性がある。

「なるほど、ここならば気取られずに済む、か」

 オサムは納得して周囲を見渡す。ライブハウスを初めて見るような眼差しだった。

「オサム君は、ライブとか来た事あるの?」

「あってもDシリーズに加わってからは全然。記憶ってものが欠落していてね」

 オサムがこめかみを突く。マコは悪い事を聞いたような気がして顔を伏せた。

「まぁ、オサムが来た事があろうがなかろうが、オイラ達が関わっている事がばれなければライブハウスを特定される事もない」

 実際、ライブハウスがあったのは喫茶店の地下でディズィーの懇意にしている店長が管理しているらしい。ディズィーは何度かギルティギアのライブをした事があるが最近はもっぱら大規模ライブが多く、このような小規模なライブスペースはもう使っていないのだという。

「最初のほうの、それこそ三回目くらいのライブだったかな。お客さんが満員でさ。結構困った」

 ディズィーは微笑む。マコもその回のライブには訪れていた。

「知っています。ディズィーさん達、汗まみれで」

「そうそう。それまでほとんど認知度なかったのにメンバーの一人が顔の利く奴だったから急にね。前宣伝なんてしたって集まらないぜ、って言っていたのに」

 懐かしい事を回顧するようにディズィーは目を細める。マコはそのディズィーの輝かしい経歴にこのような泥を塗ってしまった事が申し訳なかった。

「……私が無茶言わなければ、ディズィーさんがこんな事に巻き込まれる事なかったんですよね」

「でもマコっちの命は救えなかった。それじゃ意味ないよ」

 ヒーローを自認するディズィーからしてみればマコの命を救う事が第一だったのだろう。しかしマコは謙遜した。

「私の命なんて……」

「それ以上は、言っちゃ駄目だ」

 ディズィーはマコの唇に指を当てる。仰天しているとディズィーはその指で額にデコピンを食らわせた。

「マコっちは自分の思っている以上に愛されているんだから」

 デコピンされた額をさすり、マコは覚えず涙がこぼれ出しているのを感じた。ディズィーが慌てて取り成す。

「えっ、マコっち、痛かった……?」

「いえ、私……、サキちゃんがよくこうしてくれて……」

 デコピンは自分とサキが会う時の約束のようなものだった。今さらにサキの存在の大きさが窺えてマコは溢れ出す涙を止められなかった。

「……大事なお姉さんだったんだよね」

「サキちゃん、今頃どうしているんだろう。お腹空いていないかな」

 それどころか命があるのかどうかすら分からないのだ。マコは不安に駆られた。

「杞憂じゃないのかな。マコちゃんがいくら心配してもヒグチ・サキがどうにかなるわけじゃないし」

 オサムの冷たい声にディズィーが目くじらを立てる。

「そういうの、女の子の前でどうかとか思わないのか?」

「いちいち心配して感情移入するのもどうかって話だよ。マコちゃんはもう共犯だ。デボンに敵対する、って意味じゃ変わらないんだよ」

「だからって、マコっちの意思を尊重していないわけじゃない」

 ディズィーとオサムが対立する。マコは涙を拭って慌てて割って入った。

「ケンカしないでって! 私はホラ! 何ともないし」

 納得し切っていないディズィーがオサムを責めようとすると、「あの……」と声が漏れ聞こえた。全員が振り返る。

 椅子に縛り付けられたソライシが周囲を見渡して小さく声を発していた。

「ここは、どこなんだろうか……」

 誰が最初に口火を切るか、と思っていたが最初に対応したのはオサムであった。その顔に見覚えがあるのだろう。ソライシは僅かに緊張したようだ。

「Dシリーズ……」

「036、あんた達につけられた番号だ」

 オサムが肩口に刻印された番号を見せ付ける。ソライシは顔を伏せた。オサムの反逆にあった、とでも思っているのだろうか。

「えっと、ソライシ博士、でいいんだよね?」

 ディズィーの声にソライシは改めて異様な集団だと感じ取ったようだ。ディズィーを見、次いでマコへと視線を移しても解せなかったらしい。

「君達は……」

「デボンが気に入らない連中だよ」

 ディズィーが簡潔に言い放ち、ソライシに尋ねる。

「Dシリーズの初期ロットの細胞が不安定だって言うのは?」

 ソライシは少しの逡巡を挟んでから答える。

「本当、だが」

 マコは首肯して同時に確保した命の薬の箱に目線をやる。恐らく三か月分はあるだろう。一週間に一回でいいのならばオサムの命の危険は回避された。

「何で君達は、このような事を。私を捕らえても、デボンを脅迫なんて」

「そんなつもりは毛頭ない」

 答えた言葉に理解が及ばなかったのだろう。ソライシは小首を傾げる。

「……君達は、何で動いている?」

 その質問には答えるべきだとマコは感じた。ディズィーへと視線を送り彼女は説明を始める。

「まず、彼女、ヒグチ・マコがお宅らに狙われた事だが――」
















 全てを聞き終えたソライシは沈黙していた。デボンコーポレーションの裏の顔、知らないはずもないだろう。しかしソライシは、「分からないのは」と口を開く。

「何でDシリーズを丸め込めたのか、という話だ。何か理由が?」

 オサムへとソライシは目線を向けるがオサムは答えを保留した。

「さてね。僕も自由の身が欲しかったのもある」

「どちらにせよ、Dシリーズは我が社の所有物だ。そう易々と君達がどうこう出来る代物じゃないぞ」

 ソライシの言葉には脅迫というよりも単純に制御の範囲ではないという警告の意味が強かった。確かにオサムをずっと管理しておくのは難しいかもしれない。

「でも、だったら何でツワブキ家はダイゴさんを家に?」

 マコの質問にソライシはきょとんとする。

「ダイゴ……? 初代が何で?」

 とぼけるつもりだろうか。マコは追及した。

「ツワブキ家に、ついこの間からツワブキ・ダイゴさんが居ついたでしょう? その事に関して何も知らないって言うんですか?」

 自然と責め立てる口調になっていた。だがソライシは寝耳に水だというように頭を振る。

「ツワブキ・ダイゴだって……。Dシリーズじゃないのか?」

 そう訊かれればこちらも対処に困る。マコの代わりにディズィーが応じた。

「Dシリーズかどうかはちょっと分からないが、D015のナンバリングが施されているらしい」

「D、015……」

 ソライシは驚愕に顔を塗り固める。何かまずい事でも言っただろうか。顔を伏せて、「……あり得ない可能性ではないが、しかし、そうなると……」とぶつぶつ呟く。

「知っているんだな?」

 ディズィーの詰問にソライシは咳払いして答えた。

「私の推測通りならば、その彼こそが計画の要なのだと思われる」

「計画?」

 話にあった初代の再生計画だろうか。マコ達の疑問を他所にソライシは、「末端だが」と付け加える。

「これだけは知っている。精神エネルギーの依り代だろう?」

 思わぬ言葉にマコは目を見開いた。依り代、というのが分からない。

「どういう意味なのか。精神エネルギーって何の?」

 ディズィーの言葉にソライシは、「私も詳しくは」と濁す。

「だがDシリーズは全て、初代再生計画というコンセプトに沿って造られたのは間違いない。そしてその再生、とは初代の外見に留まらないのだと」

「死んだ人間をどうやって再現するってのさ」

 ディズィーが告げるとソライシは、「分からない……」と頭を振った。

「分からない、がツワブキ家はそれを推進している。その計画を阻止しようとする一派の動きがあって、君達はその尖兵、ではないのか?」

 思わぬ疑問にこちらも戸惑う。計画を阻止しようとする一派がいるなど初耳であった。

「そうなのか?」

 ディズィーがオサムに訊く。オサムは、「分かるわけがないが」と肩を竦めた。

「そういうのがいてもおかしくはない。ただしほとんど業界の独占を行っているデボンに立ち向かうなんて大仰な真似を出来る輩がいるってのも信じがたいけれど」

 ただしそうなってくると一つだけ、疑問が残る。マコはあえて口にしなかったが、ディズィーはソライシに事の真相を突き詰めた。

「その一派がいるってのは確定情報?」

 ソライシは命が惜しいのか容易く答えた。

「ああ、確定だ。その一派に何度もDシリーズがやられている。Dシリーズ同士では情報互換がないから知りようがないだろうがどうにもそいつらはこっちのピースが揃うまでに全てを邪魔したいらしい」

 ソライシの声音には本気の色が浮かんでいた。ディズィーはため息をつく。

「……嘘八百、ってわけじゃなさそうだが」

 視線をオサムへと移すと、「先にもあった通りさ」と答える。

「Dシリーズ同士で互換はない。だから知っている情報と知らない情報があっても不思議はない」

 ディズィーは、どうするべきか、と後頭部を掻いた。マコは一つだけ、ソライシへと尋ねる。

「その、ヒグチ・サキ、について、デボンでの情報はありませんでしたか?」

 ソライシはその名を聞いて小首を傾げる。

「だから分からないんだ。どうして一刑事がデボンの脅威に挙がるのかって事が。デボンならば、その程度揉み消せるだろうに」

 違いない。ディズィーが歩み出て、「今はお姉さんよりも」と声にする。

「ツワブキ・ダイゴ。D015。彼は何者なのか」

 ソライシは、「知らないほうがいい情報だと思う」と警告した。

「我々も必要最低限であるし。ただツワブキ家が自ら囲うって事は、それなりの意味を見出すべきだ」

「意味、というのは依り代関連か?」

 ディズィーの詰めた声にソライシは、「末端構成員だから」と応ずる。

「私が知りえるのはここまでだよ」

 その言葉にディズィーは諦めたらしい。マコはディズィーへと歩み寄る。

「その、ディズィーさん?」

「本当にここまでだろう。彼は嘘を言っていないし、それに自社の事に関しても客観的だ」

「じゃあどうするんですか?」

「簡単な事」

 ディズィーはソライシを睨みつける。

「ソライシ博士。あなたにも我々に協力してもらう」

 その提案にソライシは異議を唱えるかに思われたが存外に承服が早かった。

「いいだろう。私も死にたくはない」

「……意外だね。抵抗しないのか?」

 オサムの質問にソライシは、「ここで抵抗してみっともなく死ぬのは」と答える。

「それこそ愚の骨頂だろう。もうデボン社内では私を死んだものとして扱いが成されているはずだよ。それに君達はデボンを全く恐れていない。何か秘策でもあるのかもしれないが、警告しておこう」

 ソライシは三人を視界に入れて口にする。

「デボンは君達の考えているほど甘くはないぞ」


オンドゥル大使 ( 2016/01/14(木) 22:04 )