第六十七話「これがアイドル!」
「くるくるー。衝撃の出会い、ユアーマジシャン! ってところかな?」
突然押しかけてきた地味な服装の少女にそう告げられマコはどうしたらいいのか分からなくなった。あまりにも浮世離れした声音に戸惑いを隠せない。ディズィーが歩み出て、「いつもの癖を出すんじゃないよ」といさめた。てへ、と少女は舌を出す。現実ではてへと言って舌を出す人間を初めて見たのでマコは驚きを隠せない。
「その、あの……」
しどろもどろになっていると少女は歩み寄ってきてマコの顔を凝視した。あまりの遠慮のない視線にマコのほうが顔を背ける。
「おやおやー。やましい事でもあるのかなー?」
一体何者なのだろう。黒縁の濃いサングラスに帽子を被っており、コートも着込んでいるために体格さえも定かではない。ディズィーがその頭にチョップする。
「やめなって。怖がっているじゃないか」
「怖がっていないってば。ディズィーちゃんのイケズー」
抗弁に呆れた様子でディズィーが紹介する。
「その、マコっち。全く怖がる必要はないんだ。君も知っているはずだよ」
マコにはしかしこのような面妖な少女との対面経験はない。首をふるふると横に振ると少女は、「あれあれー」とまたしても芝居がかった声を出した。
「おかしいなぁー。ディズィーちゃんから何も聞いていない?」
「……君が来ると直接言えばマコっちは緊張してしまう。それくらいの人だって自覚はあるだろう?」
「そりゃあ、おじ様はすごいけれど、ルチア自身はすごいとは思わないし、まだまだ修行中の身だよー」
ルチア、という名前にマコはもしやと思って尋ねる。
「あの、あなたは……」
「紹介するねっ!」
少女はいきなりコートを脱ぎ捨てると共にサングラスと帽子を外した。その姿さえ流麗でマコは見入ってしまう。脱ぎ捨てた服の下には水色のドレスを着込んでいる。髪型はそれと同じ色のポニーテールで雲のような形状の飾りがついていた。マコは目の前に現れた少女の真の姿に瞠目した。
「あなた、ルチアさん、ですよね?」
「あれれー。やっぱり知っているじゃない」
当然である。ルチアはホウエンでは知らない者などいないほどの有名人であった。
「コンテストライブの新星、ルチア嬢と言えば有名ですよ……」
マコは身体が震え出す。ディズィーとルチア、この二名が目の前にいること自体が感動そのものだった。ルチアは気後れ気味に髪を掻く。
「いやはやー。ルチアも有名になったもんだねー」
「何を言っているんだか。気にしないで。彼女は分かっていて言っているんだ。強かな野心家だよ」
ディズィーの人物評にルチアは頬をむくれさせて抗議する。
「失礼だなー。ルチアはまだまだ未熟なのは本当だし、それにあんまりイメージ悪くしないでよ」
「分かっているって。ルチア嬢」
「その呼び方、ディズィーちゃんに言われると嫌だなー」
ルチアは腕を組んでそっぽを向く。この二人がどのような関係なのかマコにはさっぱり分からない。
「あの、音合わせをするって言っていましたけれど……」
「それね!」
ルチアが取り出したのは水色に輝くベースである。マコは少しだけ意外だった。ルチアはポケモンコンテスト、つまりポケモンの美しさや逞しさ、カッコよさなどを競うコンテストの常連であって音楽とは無縁だと考えていたからだ。
「彼女、これで現役女子高生兼コンテストスターでね。実は幼少時より音楽には造詣が深いんだ。だからオイラのグループ、ギルティギアのサブメンバーとして雇っている」
初耳の情報にマコは、「そんな凄かったんですか……」と感嘆した。ルチアは、「いやぁ」とまんざらでもなさそうだ。
「でもディズィーちゃん、珍しいね。関係者以外を部屋に立ち入らせるなんて」
「ああ。彼女、家出中でね。彼氏と共に行き場をなくしたところを保護したわけ」
まるで動物の言い草であったがルチアは即座に納得したらしい。
「なるほどっ。ディズィーちゃん正義の味方だもんね。困っている人は見過ごせない……、まさしくヒーロー!」
褒め称えるルチアにディズィーは冷静である。
「褒めても何も出ないよ。さて、ルチア。デモテープを聴いてくれる?」
デモテープを差し出しルチアは音楽プレイヤーを兼ねたホロキャスターに繋いだ。
「どれどれー?」
ルチアはイヤホンをつけてそのリズムを足で刻む。マコはあまりに近い有名人に気後れしていた。ディズィーは読み取って声にする。
「気にする事はないよ。ルチアもお忍びで来ている。あんまりマコっちと状況は変わらないよ」
「何でです? ルチアさんは有名人じゃないですか」
「半年前から彼女のおじさんが行方不明でね。その行方を目下捜索中だというのが、警察の見解らしい」
マコは目を見開く。
「初めて聞きましたよ、それ」
「言っていないからね。マコっちは知らない? ルチアのおじさん」
「いや、有名人の血縁関係なんて私……」
「ルネシティのミクリ」
言いつけた声にマコは硬直する。まさか、という目線を向けるマコに対してディズィーは落ち着き払っていた。
「おじさんって……」
「そう。ルチアのおじさんはミクリ。このホウエンの王だ」
あまりにも意外な関係性にマコは言葉もない。ミクリと言えばその若さと人気で女性ファンからの支持も厚い、今をときめくホウエンのチャンピオン。彼に勝つ事は大変難しいとされ、防衛成績も例年更新されているという。しかしそれほどまでのスキャンダルが報道されないのは何故だろう。マコの疑問にディズィーは、「あまりにもスキャンダルだから」と答えた。
「王の失踪なんて四十年前のカントーの第一回ポケモンリーグの再現になりかねない。ホウエンは事実を隠蔽し、今も王は次の防衛線のために調整中、だとしている」
「でも、隠し通せるんですか?」
「出来るだろうね。だって王は普段、顔も見せない」
「報道番組に出ているミクリさんは……」
「あんなの二年か三年前の映像さ。ここ数ヶ月での出来事だから対処のしようもない。あっ、これ、これだから」
ディズィーが唇の前で指を立てる。マコとて言われずとも分かる。王の失踪など前代未聞だ。
「でも、ルチアさん、その割にはご機嫌ですよね……」
マコの言葉にディズィーは、「虚勢だよ」と答える。
「自分が元気じゃないとおじさんが帰ってこないと思っているタイプの子でさ。誰よりも優しいが故に自分を傷つけてしまう」
ディズィーの言葉には誰よりも近くでルチアを見てきただけの重みがあった。ルチアはイヤホンを外して息をつく。
「今回もなかなかの曲だね。名付けるとするならば!」
ルチアが手を振り翳す。円弧を描いてルチアがアピールした。
「ときめき! 衝撃のヒット曲、だね!」
「そういうのいいからさっさと音合わせするよ」
ディズィーはルチアのノリには乗らずに音合わせに入る。ディズィーも赤いギターを持っておりこれから音合わせに入るのだと思うとマコまで緊張した。
「音漏れとか……」
マコの懸念にディズィーは軽く返す。
「音漏れなんてしないって。防音設備は完璧」
「そういう物件選んだんだもんね」
ディズィーとルチアはまず基本の音を合わせてからリズムを刻む。
「ワン、ツー」
ディズィーが歌い出した。ルチアもその歌声をよく聴いて落とし込んでいる。プロの演奏は圧巻であった。いつもライブで聴いているがそれ以上だ。自分の手の届く範囲で憧れのロックスターが歌っている。今回の曲は寂しげなバラード調であった。演奏中、まるでディズィーは別人だ。
今までの軽い調子からは想像も出来ないほど苛烈に歌い上げる。彼女がいかに音楽にのめり込んでいるのかが分かった。いや、のめり込んでいるなどという生易しさではない。これは彼女が音楽を掴んでいるのだ。自分の音楽を見出し、自分だけの道を行く。いつでもギルティギアの音楽はそうであった。
「よっし。一曲終わり」
ディズィーの額には汗の玉が浮かんでいる。それだけ必死なのだと思うとマコは感極まった。
「すごいね。ね」
オサムへと同調を求める。オサムは、「僕には音楽を聴くような自由なんてなかった」と告げた。マコは改めてオサムが自分のような余人とは違う人生を送ったのだと知る。しかしオサムは立ち上がっていた。
「……そんな僕でも分かる。素晴らしい音楽だ」
オサムのてらいのない賞賛にディズィーは、「当然」と返した。
「オイラの戦う場所はここだし」
ディズィーにとっての譲れない戦場は音楽なのだ。マコは自分がディズィーの道を邪魔しているのではないかと気が気でなかったがそれが杞憂だとでも言うようにディズィーは歌い上げる。
自由を手にする人々の曲。あるいは全てから見離された孤独な道を行く人の曲。世界の終わりでも希望があると告げる曲。あるいは愛されないと知っていても離さないで欲しいと願う曲――。
丸々アルバム一曲分ほど歌ったディズィーは音楽を編集する。どうやら編曲も自分で行っているらしい。その多様な才能にマコはただただ感服するだけだ。
「ここ、ちょっと乱れているよね」
素人には全く違いの分からない部分をディズィーとルチアは確認し合う。
「半音高い?」
「いや、これはオイラのほうだね。歌声で合わせよう」
交わされる会話にマコは圧倒される。これがプロを志した人間の歩む道。茨の道でもただただ前を向いて歩み続ける。
それに比べて自分は半端者であった。サキを一人で追うような勇気もなく、ディズィーに甘えるだけ甘えている。何だかとてもみすぼらしく思えてマコは顔を伏せた。