INSANIA











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ヒグチ・マコの冒険
第六十三話「進むべき道」

 その声にマコの手持ちであるフライゴンが吼える。雄々しい声音にコドラとダイゴが震えた。

「サキちゃんを、私が助ける!」

 フライゴンの内部骨格が青白く煌き、内側から光を生じさせる。その細腕からは信じられないほどの膂力が発揮されコドラの巨躯を叩き落した。地面に伏してコドラがその衝撃に目を剥いたほどだ。

「この技、逆鱗か……!」

 追撃の拳をコドラは額から生じさせた蒸気の噴出で回避する。持ち直したコドラとダイゴは口元を緩めた。

「だが! 素人考えの戦法では粗が出る! ステルスロックよ! 全照準をフライゴンとヒグチ・マコへ!」

 見えない岩石が一斉にマコとフライゴンを狙い済ましたのが感覚で分かった。ディズィーが声を張り上げる。

「逃げるんだ! マコっち!」

 しかしマコも、フライゴンも退かなかった。ここで退くわけにはいかない。それは一生の敗北を意味するからだ。マコは自身を鼓舞するように胸に誓った声を放つ。

「素人考えかどうか、その身で確かめるといい! フライゴン!」

 フライゴンが翅を折り畳んで全身を一気に縮こまらせた。何をするのか、とディズィーもダイゴも目を凝らす。

「ステルスロック全機! 一斉射撃! 諸刃の頭突き!」

「爆音波!」

 一気に身体を広げたフライゴンから放たれたのは音響攻撃であった。音波が反響し、ダイゴとコドラを怯ませる。しかし狙ったのはそれだけではない。

「反響方向! まずは三時!」

 フライゴンの身体が弾け、その方向へと拳を見舞う。すると不可視の岩石が砕け散った。即座にマコは次の指示を飛ばす。

「十時の方向に三つ!」

 フライゴンが命令通りに攻撃を放つ。その段になってディズィーは理解したらしい。

「爆音波を、攻撃だけではない……、反響してくる音の効果を利用して見えない岩を関知した……」

 フライゴンと自分にしか出来ない戦法だ。マコとフライゴンは全ての「ステルスロック」を叩き落す。ダイゴが声を震わせる。

「即席じゃ、ない……」

「私は、身を削ってでも、戦うって決めた!」

 瞬時にフライゴンの姿が掻き消えコドラへと一撃を見舞おうとした。しかしコドラはそれを上回る速度でその場から跳躍する。

「嘗めるな! コドラとて、その域に達している!」

 だがマコの目的はコドラに拳を見舞う事ではない。フライゴンは天を仰ぎ、全身を広げる。コドラを絡め取ったのはフライゴンから伸びていた茶色の糸であった。一本一本がコドラの身体に纏いついている。

「これは……! いつの間に? というか、この攻撃……」

「虫食い」

 龍が発生させたとは思えないのだろう。ダイゴは目を戦慄かせていた。

「フライゴンのタマゴタイプは虫! 進化前のナックラーは虫食いを覚える! 決してデメリットばかりじゃない。こうやって、相手を絡め取って――」

 フライゴンは青白い燐光を棚引かせコドラの身体を地面に叩きつけた。

「押し切る!」

 マコの強い口調に呼応したように地面が鳴動する。ダイゴがハッとしてコドラへと命令した。

「いけない! これは地震だ! 跳躍しろ」

「させない」

「むしくい」の糸はきっちりコドラを捉えている。加えて「げきりん」のパワーでフライゴンはコドラを圧倒していた。いまや地面に縫い付けられたコドラへと間断のない攻撃の波が襲い掛かる。ダイゴは歯噛みして、「甘んじて、これは受けよう」と呟く。

「だが次の攻撃までは考えていまい! ボディパージ!」

 絡み付いていた装甲を弾き飛ばし、コドラはさらに軽量になった。即座に掻き消える。今のコドラの速度はフライゴンよりも数倍上手になっている。

「その辺りが即席だと言っているのだ。今、勝った、と思ったな? 油断は死を招く! 素人小娘が僕に……、僕とコドラに勝てるわけがないんだ!」

 しかしマコは冷静であった。先ほどまでのように取り乱す事はない。それどころかダイゴへと挑戦的な言葉を吐きつける。

「それで、どうするってわけ? ステルスロックは全て落とした。もう見えないところから諸刃の頭突きなんて出せない」

 一瞬、ダイゴがうろたえたが笑みの中にそれを隠す。

「見えないところから? 馬鹿を言え。見えていても対処し切れない速度で出すのみ!」

 確かにコドラの動きは目で追えない。下手に軌道を追ったところで相手の攻撃の隙をつく事など出来ないだろう。

「でも、私は負けない。コドラがどこから来るのか当ててみせる」

 フライゴンは尻尾を振るい上げる。三叉の槍に近い尻尾による刺突攻撃。それで決着をつけるつもりだった。

「当てるだって? 不可能だ! 諸刃の――」

「いけない! マコっち! フライゴンを……」

 ディズィーの声が耳に届く。しかしマコはそれ以上に集中していた。この戦いに。あるいはその音に。

「頭突き!」

 ダイゴの声が弾けコドラが目視不可能な速度で襲いかかる。マコは慌てず、取り乱さず、一言だけ言い添えた。

「七時の方向、斜め上、八十五度」

 正確に命令した声音にフライゴンは応じて尻尾を突き出す。その攻撃の先に、コドラの頭部が来ていた。コドラを指定して当てた、というよりもコドラが当たりに来た形である。ダイゴは空いた口が塞がらないようだった。

「何で……」

 分かった。その言葉が発せられる前にマコはフライゴンに命じる。

「叩き落して、拳を打ち込む!」

 フライゴンが尻尾で叩きのめし、腹部を晒したコドラへと正確無比な一撃を放った。青い燐光を棚引かせた拳はコドラを戦闘不能にするのには充分であった。フライゴンが手を払う。青白い「げきりん」の光が失せ、後に残ったのは動けくなったコドラだけだ。勝敗は既に決していた。

「馬鹿な……、どうして来る方向が分かった?」

「音だ」

 ディズィーの声にダイゴは目線を向ける。

「音、だと?」

「爆音波、あれはステルスロックを燻り出すためだけじゃない。コドラに枝をつけた。コドラの内部骨格へと音響攻撃は鋼の装甲を無視して伝わる。内部骨格の一部、肋骨でも何でもいい、折れているその骨の軋みを捉えて、フライゴンは攻撃を放った」

「だがそんな事、達人の域でもなければ……」

 濁された声にマコは睨み据える。音を聞き分ける耳ならば誰にも負けるつもりはなかった。その意味を察したのだろう。ダイゴはその場に膝を崩す。最早戦意がないのは明白であった。

「勝ったのは、マコっちのほうだった……」

 ダイゴが指を伸ばす。まだ抵抗の意思があるのかと思われたが彼はただコドラをモンスターボールに戻しただけだった。ポケモンを戻し本人も動く気配がない。マコの前に完全に降伏した証だった。

「まさか、抹殺対象にやられるなんて」

「マコっち、大丈夫だったの?」

 その段になってマコはようやく自分のやってのけた事にハッとした。

「私、サキちゃんみたいな事……」

「恐ろしいね」

 ディズィーは微笑んだ。

「君の言うお姉さんはどれだけなんだよ。今君がやったのは明らかに達人トレーナーの戦闘だよ?」

「私、耳だけはいいから……」

 謙遜するが今はそのような状態ではなかった。ディズィーは、「さて」とダイゴに目を配る。

「どうするかな、ツワブキ・ダイゴ」

 クチートが鋼の角を突きつける。王手であった。ダイゴはもう戦う気も抗う気もないらしい。

「殺したければ殺すといい。どうせ、帰っても僕に居場所はない」

 その言葉にマコは首を傾げる。

「どういう意味?」

「言葉通りさ。僕は所詮、尖兵なんだ。君を殺して来い。それだけの命令で、後はDシリーズの保管場所に過ぎない。オリジナルダイゴの左足のね」

 ダイゴが服を捲り上げる。マコは息を呑んだ。ほとんど壊死したような色合いの表皮にはシリアルナンバーが刻まれている。それで今まで直立出来ていたのが不思議なほどであった。

「その死んだみたいな足、どうして……」

「死んだみたいな、か。まさしく死んでいるからどうとも言えないが」

「おい、ツワブキ・ダイゴ。妙な事を言えば」

 ディズィーの脅迫にもダイゴは、「殺すって?」と鼻を鳴らす。

「生憎、僕に価値基準を置いていないお歴々からしてみれば、それもまた証拠抹消のいい機会なんだよね」

「ディズィーさん、この人を殺しちゃ駄目です」

 マコの言い草にディズィーが眉根を寄せる。

「でもこいつ、マコっちを殺そうと」

「もうしない。そうでしょう?」

 マコの声音にダイゴが自嘲気味に返す。

「つくづく、強気なお嬢さんだな」

「代わりに答えて欲しい。Dシリーズとは何か。それに、あなたはツワブキ・ダイゴと、あの家にいるはずのダイゴさんとは関係あるの?」

 ないと言って欲しかった。他人の空似、であるのならばどれほどこの事態が深刻ではないだろう。しかしダイゴは言ってのける。

「関係あるよ。それこそ、彼のために僕らがあるようなものだ」

「僕ら、と言ったね? 複数いるってわけ?」

「だからDシリーズだと……。ああ、でもこれはこれか」

 ダイゴが唇の前でバツを作る。クチートの顎の牙がダイゴの首筋を狙っていた。

「ふざけている場合なのかな?」

「ふざけていないさ。僕のコドラはもう戦えない。回復する暇なんてないし、それに回復して逃げ帰れ、なんて命令じゃない。僕はヒグチ・マコを殺し、証拠は全て抹消されて終わりだ」

「終わらせやしない」

 マコの強い語調にディズィーも振り返る。心の中にあるのは強い義憤の炎だ。絶対に、このままで終わらせてなるものか。サキの事も、ツワブキ家の事も、自分の事も、有耶無耶にはさせない。

「……強い眼だな、しかし」

「この場所にずっといるわけにもいかない。マコっち、どうする?」

「ディズィーさんの手を煩わせる事になるかもしれませんが、一つ提案していいですか?」

「いいよ。マコっちのやりたいようにやりな」

「このダイゴをこちらの手持ちに加えます」

 その言葉はさすがに予想外だったのかディズィーが瞠目した。

「いや、しかしでも……。こいつは敵で」

「もう、敵であるつもりはないし、そのメリットも一切ないのだと、彼は言っています」

 敵対する意味がない。この降伏はそれの表れだ。ディズィーはしかし怪訝そうにする。

「信用ならない」

「もし、本当に信用ならない場合は、私がやります」

 始末を買って出たマコにディズィーも戸惑っている。マコとてつい数分前まではそのつもりはなかった。だがサキに繋がる人間であり、なおかつディズィーを圧倒する実力者となれば自分がいないわけにもいくまい。

「……マコっち。そこまで強く出る必要はないよ。何ならオイラもやろう。一緒に泥でも何でも被ろうじゃないか」

 ディズィーの言葉は素直にありがたい。マコは微笑んで、「感謝します」と告げていた。

「問題なのは、だ。こいつの所在地が特定されればオイラ達、枷持ちになる」

 それだけが懸念事項だったがダイゴは、「その心配はないよ」と告げて首の裏へと手を回した。何をするのかと思えば首筋に張られていた金属板を引き剥がし、それを地面に叩きつける。

「これが僕らの首輪だ」

「二箇所ほどつけられている可能性がある」

「疑り深いね、そっちのクチート使いは。飼い犬相手にわざわざ何個も首輪をつける? そういう種類の割り当てなんだよ」

 つまりレイカはダイゴを子飼いしているようなものだという事か。驚愕する反面、あのレイカならば、と思う部分もあった。レイカはツワブキ家でとぼけているようで一番しっかりしている。これは幼少期から見てきた自分の率直な感想だ。

「これで、もう捜索されないって事?」

「半々かな。僕の死骸がないと、信用しないかもしれない。Dシリーズが勝手に逃げ出したのだと。まぁありえないんだけれど」

「どうして?」

「僕らDシリーズには一応ね、外科手術的な首輪のほかにも薬理的な首輪もあるんだ。ある一定の薬物を摂取しなければすぐに身体中が壊死してしまう」

 マコは目を見開く。それはほとんど人体実験ではないか。だがダイゴは嘘を言っている風ではない。

「壊死するとして、どれだけの期間?」

「一週間は持つがそれ以降は分からない。主治医は一週間ごとに僕らに処方するからそれが目安だと言われている」

 マコは顎に手を添えて考え込んだ。このままではいざという時に死なれる事になりかねない。しかしレイカの下に帰らせるわけにもいかない。

「どうする? マコっち。これじゃ厄介な病理を抱え込むようなもんじゃ……」

「いや、それを聞いてより、私は彼を囲う事に決めました」

「どうしてさ? 正真正銘、枷持ちだよ?」

「多分、ここから先は彼のような人間がいないとどうにもならない。ディズィーさんが危険だと判断するならば、やめますけれど」

「いや、オイラも賛成。この首輪を外した時点で、何かが起こっていないとおかしい。だって言うのに何も起こらない事が彼の安全性をある程度証明している」

 しかしマコにも不安な要素はある。薬理的な処置をどう施すか。それをディズィーが提言する。

「薬に関して言えば、デボンの研究員を盾にするなり出来る。今日の感じじゃ、また罠を張れば誰か一人でも引っかかるかもしれない」

 どうやらディズィーは自分の思っている以上に強かだ。マコは首肯した。

「そうですね。ここは彼の処遇だけを決めましょう」

「話し合いは終わった?」

 ダイゴの声音にマコは一つだけ言い含めた。

「あの、ダイゴさん、で呼び方はいいんですよね?」

「まぁ正真正銘のツワブキ・ダイゴじゃないけれど」

「じゃあ他の呼び名が?」

「D036って呼ばれているけれど」

 濁すダイゴにマコは思いついた。

「オサム、ってのどうです?」

「オサム?」

 二人して首を傾げられる。マコは必死に説明した。

「ホラ! 0、と3、と6、で当ててオサム、って。これならダイゴさんと混同しないし」

 その言葉に二人して吹き出す。マコは先ほどまでの戦闘が嘘のように羞恥に赤面する。

「やっぱり、なしの方向で……」

「いや、いいよ。オサム、オサムちゃんね。ありじゃん」

「呼ばれ慣れていない僕の心象は無視かな?」

「これからはオサムちゃんだよ、君は」

 彼――オサムは居心地の悪そうに肩を竦める。

「まぁいいけれど。元の名前なんて僕にも分からないし」

 ディズィーがすぐさま提案した。

「じゃあさっさとずらかろう。いつまでも帰ってこない子飼いじゃ不自然だ」

「ここで僕は死んだ、という事でいいのかな?」

「血糊の一つもないと不自然か。クチート」

 ディズィーの声にクチートは顎状の角から血を吐き出した。突然の奇行にマコは戸惑う。

「早朝の奴の血がまだ溜まっていたからね。誤魔化しは利きそうだな」

 今の今までクチートはあの黒服の血を飲んでいたのか。その事実にマコは気分が悪くなりそうだった。

「人一人分はありそうだ。これで僕が圧死したみたいには見えるかな」

 吐き出し続けるクチートを見るのも辛く、マコは早々に踵を返した。

「行きましょう」

 夜の幕が広がる向こう側へ。自分達はもう夜の一部だった。もう朝陽は拝めないのかもしれない。それでも、進むべき道は今までよりも明確に映った。


オンドゥル大使 ( 2016/01/09(土) 22:23 )