第六十二話「守りたいから」
ディズィーの指定した場所はデボンの子会社と言っていたが既に倒産した会社のテナントであり他人とすれ違う心配がない。
だからこの場所を選択したのだろうか。マコにはそこまで考えが及ばなかったがディズィーならば何をしても不思議ではなかった。
建物の陰に隠れながら二人はその場所に現れるであろう人物を見張っていた。ディズィーの推測ではこの場所に訪れるのは相手の本丸か、そうでないにせよ戦闘員だという。マコは早朝の黒服ではないのか、と聞き返していた。
「あれは末端の末端さ。多分、マコっちを襲え以外の命令なんて聞いていないよ。だから情報を引き出すのはこれから現れる奴のほうが相応しい」
固唾を呑んで見守っていると一台の黒塗りの高級車が停車した。それだけでも異質であったがマコはある事に気づいた。高級車の外観に描かれているマークだ。水色の社章はホウエンに住んでいるのならば見ない日はなかった。
「あれ、デボンの……」
「社章だね。こりゃ結構面倒な事に首を突っ込んだ結果になったかな」
ディズィーの言葉が消える前に高級車から出てきた人影に声を詰まらせる。
「レイカ、さん……」
昨日自分を匿ってくれたツワブキ・レイカが凛と佇んでいる。周囲を見渡して何事かを口にしたが距離の関係で声までは分からない。
「何で、レイカさんが」
「知り合い? でもデボンの高級車から出てきたって事は、それなりの地位なわけだ」
そのようなはずはない。レイカはデボンとは無関係のはずだ。確か映像関係の会社に勤めていると聞いた事がある。
「デボンの社員がぞろぞろお出ましだよ」
高級車に次いで現れた車の中から白衣の研究員達が次々に現れた。レイカは手を振り翳し、何事か指示を与えているようだ。
「あの女の人がリーダーなのかな。こりゃちょっとやそっとじゃ解けない謎に直面したっぽいね」
ディズィーの言葉を半端に聞きながらマコは研究員の乗っていた車から現れた影に瞠目する。
銀色の髪でぴっちりとした黒いスーツに身を包んでいるがその姿は紛れもない――。
「ダイゴ、さん……?」
ツワブキ・ダイゴそのものの姿をした青年が周囲を見渡しつつ左足をさすっている。研究員の中の一人が声を張り上げた。
「D036の試験運用データ、取っておけよ!」
どういう事なのか。どうしてダイゴがデボンの社員と行動を共にしているのかまるで分からない。マコの脳内では事柄が混濁していた。
「あいつ……」
ディズィーが小さく呟く。その声はマコの耳にさえも届かなかった。何を言ったのか、問い質す前にディズィーはホロキャスターを起動させた。どうするのかと思えばホロキャスターのカメラ機能を使い、連中を撮影しているのである。さすがにマコは戸惑った。
「ディズィーさん! そんな事したら」
「まずいって? でも連中、ここでドロンされたらオイラ達に打つ手はない。少しでも証拠を集めておかないと」
言う通りなのではあるがディズィーは思い切りがよ過ぎてマコにはついていけない。撮影しているディズィーの横顔は真剣で茶々を挟む事も出来なかった。マコはせめてもと出来るだけ声を潜めるくらいしか出来る事はない。
「……ディズィーさん、どう動いています?」
「どうやら手探りで探しているみたいな……、あっ、でもちょっと待って。変な道具を取り出した」
「変な……」
マコも研究員達へと視線を注ぐ。先端の尖ったU字磁石に似た道具であった。
「何あれ……。何に使うんだろ……」
「多分、ここ一体に人の気配がないかあれでサーチしている」
思わず息を詰まらせた。ではここで撮影しているのもまずいのではないのだろうか。
「いいや、あの探り探りの感じ、ありゃ試作機だ。だから多分、十メートル圏内くらいしか探索出来ないよ」
ディズィーは目ざとく読み取る。マコは今にもここにいるのがばれるのではないかと気が気ではない。
「あの、ディズィーさん、これってやっぱり……」
「まずい、とか今さらに感じても仕方がない。連中の中で誰かトップなのかだけでも当たりをつけないと。オイラの中じゃ、もうあの女幹部っぽい奴がトップだけれど」
レイカは指示を飛ばしつつ研究員の機械を覗き込んでいる。何の試験を行っているのだろう。ダイゴに似た姿の青年はじっと黙している。左足をたまに気にするようにさすっているがほとんど動かない。
そのうち、研究員達が撤収を始めた。ここにはいない事を把握したのか。次々に研究員達は車に戻っていく。最後にレイカがダイゴに何やら言い残し高級車に乗り込んだ。ダイゴだけが取り残された形でデボンの人々が去っていく。どうしてダイゴだけこの場にいるのだろう、とマコが疑問を浮かべていると不意にダイゴがこちらを向いた。心臓が収縮する思いだった。ダイゴの赤い眼がこちらを見据える。
「いるんだろう」
静かながら確かな声音だった。マコはそれでも出て行けばダイゴを直視出来る気がしなかった。それに鎌をかけているのかもしれない。どこかでレイカが張っていないという保障はなかったのだが、ディズィーは顔を出した。思わず、と言った様子でマコも飛び出す。ダイゴに似た青年は二人を認めて、「やっぱりか」と呟いた。
「あの、ダイゴさん、ですよね?」
「ツワブキ・ダイゴ? そうであると言えるし、違うとも言える。僕はどちらでもあってどちらでもない。それでも答えを探したいのならば、僕はきっとツワブキ・ダイゴに限りなく近くってなおかつ最も遠い存在だろう」
謎かけのような答えにマコが逡巡しているとディズィーは口火を切る。
「出て来るんだ。やっぱり、デボンは怪しいなぁ」
「君はえっと……、データベースにはないな。僕はヒグチ・マコがいれば消せ、とだけ命じられていたんだ。だから君は逃げてもいいよ」
「逃げる。馬鹿言え」
ディズィーは鼻を鳴らして歩み出る。
「オイラがマコっちを助けないでどうするんだ」
ディズィーはモンスターボールを掲げる。しかしそれは相手も同じであった。
「やる気なの? ツワブキ・ダイゴ君とやら」
「便宜上、僕の事はダイゴで構わないけれど実際は違うんだけれどね。まぁいいや。些事だよ、そのような事は」
ダイゴがモンスターボールを放り投げる。球体を弾いて現れたのは四足の怪獣であった。鋼の表皮が月光を反射して鈍く輝く。額部分に穴が空いておりそこから蒸気が漏れ出した。内部骨格が強靭なのかそのポケモンが踏み出すだけで大地が震える。
「コドラ。一進化だよ」
コドラと呼ばれたポケモンはディズィーに向けて闘志を剥き出しにする。ディズィーもモンスターボールを投擲した。
「見た目鋼だけれど、打ち破れそうかな。オイラのクチートなら」
クチートが飛び出すなり後頭部を向けて凶悪な顎状の角を突き出した。威嚇の声音にコドラが僅かに怯む。
「特性、威嚇か。こっちの攻撃を下げる。常套手段だ、クチートならね」
「そこそこポケモンに精通しているみたいだけれど、それだけで勝てると思わないで欲しいな」
ディズィーの強気な発言にダイゴは、「分かっているとも」と芝居がかった仕草で応じた。やはり自分の知るダイゴとは少し違う。人柄、というものが異なっている気がする。
「コドラ。相手が来るよ。分かっているね」
コドラが応じる鳴き声を出す。クチートが先制を取った。飛び上がり角を突き出して相手へと殴りかかる。どう考えても攻撃の構えなのだが発せられた技名は珍妙だった。
「じゃれつきな、クチート」
何とその攻撃そのものは「じゃれつく」に他ならない。しかし凶悪な顎を突き出し、さらに攻撃の姿勢を沈み込ませたクチートの一撃はただじゃれついているには見えない。それこそ徹底抗戦だ。クチートの角がコドラへと突き刺さる。かぶりついたかに思われたが鋼の表皮はびくともしない。
「コドラ、ちょっとひねってやれ」
コドラが頭を振るとクチートは容易く弾かれてしまった。距離を取ったクチートが真正面を向いて相対する。
「どうやらちょっとやそっとではコドラの表皮は傷つけられないと悟ったらしい。主に比して、賢明なポケモンだ」
どういう事なのか。マコはディズィーの顔を窺った。
「……クチートの一撃ってそれなりに効くもんなんだ。じゃれつく、は言葉に比してそれなりの攻撃力を誇るフェアリータイプの技。それを受けてもびくともしないって事は」
「フェアリーの苦手とする鋼タイプ!」
言い放ったダイゴにコドラが呼応する。コドラの鋼の身体が振動を始めたかと思うと表皮が削れ荒々しい刃の岩石が浮遊し始めた。マコとディズィーが警戒する。周囲を舞う岩石はしかし、攻撃の気配はない。そのうち岩石は目に見えなくなった。マコが戸惑っていると、「ステルスロック」とディズィーが呟く。
「こっちの退路を塞ぐか」
どうやら今の技はこちらが逃げられないようにするための布石であったらしい。ダイゴは、「逃がすな、とのご用命でね」と口にする。
「特にヒグチ・マコは消せ、と言われている」
やはりダイゴにしては言動がおかしい。マコは思い切って声にした。
「あの、ダイゴさん、じゃないんですか?」
「ダイゴだよ。便宜上、そう呼ばれるのが相応しい」
しかしこの飄々とした態度は自分の家で目にしたダイゴの謙虚さの欠片もなかった。
「でも、私の事……」
「データでしか知らないね。会ったのは初めてだ」
やはりダイゴではないのか。マコの困惑を他所にディズィーは唇を舐めた。
「……ちょっとまずいかもね。正直、今回勝ちにこだわる必要はなかったんだ。そっちの手数さえ見れればよかったんだけれど、ステルスロック張られたんじゃ、易々と逃げられない」
どうしてだろうか。マコには何も見えない。ディズィーは、「何も見えない、ようでいて」と近場の石を手にして指で弾いた。その瞬間、岩の刃が出現し石を切り取る。突然の岩の刃の出現にマコは狼狽するが視認する前に消え去った。
「こういう攻撃なんだ。バトルフィールド内の相手の行動を激しく制限する。これがステルスロック。あんまり気分のいい攻撃じゃない。なにせ、背後を常に狙われているみたいなものだ」
「分かっているじゃないか。僕とコドラからは逃げられないって事が」
ダイゴの声にディズィーは言い返す。
「でもさ、勝てばいい話だよね」
クチートが跳ね上がる。一気に肉迫したクチートが後頭部の角を振るってコドラの下腹に向けて攻撃を放った。
「アイアンヘッド!」
鋼と鋼がぶつかり合い火花を散らす。だがコドラは怯みさえしない。対してクチートのほうが攻撃の反動を受けているようだった。クチートは悔しさを表情に滲ませて後退する。
「同じ鋼なのに……!」
「質が違うんだよ、質が。コドラは純粋培養の湧き水を吸って育つ。鋼は最早、達人の研鑽する刀剣の域だ。それらをぶつけ合って生存範囲を常に広げ続ける闘争生物のコドラと、ぬくぬくと育った容姿だけかわいいポケモンとじゃ、戦闘の質が!」
ダイゴの声にコドラが呼応して身体を振動させる。すると今度は全身に空いた穴から蒸気が激しく噴き出された。コドラがまるで暴走特急のようにクチートへと真っ直ぐに突っ込んでくる。クチートが咄嗟に角を翳して防御の姿勢を取ろうとしたがその勢いを超える突進攻撃に成す術もなく吹き飛ばされた。想像を超えた攻撃力にマコもディズィーも目を見開く。クチートはこの宙域を見張っている見えない岩石に背中を打たれて留まった。やはり「ステルスロック」は常に張られているのだ。
「今の、でも反動ダメージを無視出来るような攻撃じゃ」
明らかにコドラ側にもデメリットはある。そのような攻撃であったがコドラは全身の鋼を赤く染め、攻撃色を露にしている。鋼そのものにダメージはないように映った。
「何で? だって今の、明らかに捨て身の」
「諸刃の頭突き。本来ならば反動の生じる技だが、このコドラは!」
ダイゴの声にコドラは全身から蒸気と熱を噴出する。反動ダメージを放出しているのだと分かった。
「……その特性、石頭か」
口走ったディズィーにダイゴが指を鳴らす。
「ご明察。石頭特性は反動ダメージを消滅させる。つまり、コドラは自分のダメージを気にせずに何度でも諸刃の頭突きを撃てるわけさ」
恐るべき事実にマコは戦慄する。だがそれ以上に脅威だと感じているのはディズィーだろう。クチートは明らかに耐久向きではない。長期戦は不利に決まっていた。
「驚いたね。石頭特性でフルアタック構成か。最初っからオイラ達を逃がそうなんて考えていないわけだ」
「まぁね。僕は殺せと命じられた。だからコドラでやるまでだ」
ダイゴの声にはまるで迷いがない。マコは思わず問いかけていた。
「どうして! ダイゴさんは、優しい人だって思ったのに」
「優しい? 確かにあのツワブキ・ダイゴはそうかもね。いいや、まだ本当の自分を知らないだけだ。本質では、あのツワブキ・ダイゴですら、凶暴な本性を秘めているのかもしれない」
その言葉に二の句が次げなくなる。所詮は自分の思い込みで他人をラベル付けしていたのか。マコの迷いの胸中にディズィーが声にする。
「駄目だよ、マコっち。相手の術中にはまっちゃ」
強気な発言を繰り返すディズィーだがその実最も追い込まれている。このままではクチートは戦闘不能に陥る。
「一番焦っている奴が言うもんじゃないね。言っちゃいなよ。君を守る事なんて出来ない、って。正直にさぁ!」
コドラが吼える。その瞬間、コドラの鋼の表皮が弾け飛んだ。内部の肌色の表皮が瞬く間に赤く染まり、コドラの姿が掻き消える。マコとディズィーは必死にその姿を視界に探そうとした。
「遅い! 既に射程だ!」
コドラは決して小さなポケモンではない。だというのに瞬間移動と見紛う速度でクチートに肉迫していた。全く気付けなかった。マコの思考に切り込むようにダイゴの声が響く。
「ボディパージ! 素早いコドラを相手にどこまで立ち回れる?」
コドラがクチートを突き上げる。クチートの身体が宙を舞った。コドラの猛攻撃は止まらない。さらに加速した鋼の身体が熱を持って着地しようとしたクチートを襲う。クチートは咄嗟の防御に成功したものの背骨を砕かんと突き刺さる不可視の岩石に打ちのめされた。クチートの防御が緩んだ隙を狙い、コドラが再び突進する。避け切れない。マコは叫んでいた。
「やめて!」
その言葉も虚しくクチートが吹き飛ばされる。ディズィーも焦燥を滲ませている。このままでは、というのはマコだけではないらしい。
「降参する? 正義の味方さん?」
相手の挑発にもディズィーは強気を貫いた。
「降参? 馬鹿言っちゃいけない」
クチートが精一杯立ち上がろうとする。だが明らかに限界だ。ディズィーもそれを察知しているはずである。
「僕の目的はクチートの打倒ではない。正義の味方さん、間違えなければ手持ちを失わずに済むよ」
それはマコを差し出せ、という事なのだろう。しかしディズィーは譲らなかった。
「冗談。正義の心を折るくらいならば、オイラは最初からやってない!」
ディズィーの言葉にダイゴは口元を緩める。
「残念だなぁ。正義の味方よっ!」
コドラが跳ね上がるように突進攻撃を仕掛けてくる。クチートと、今度はディズィー本体も狙っている。突進軌道上にいるトレーナーも葬るつもりだろう。ディズィーは舌打ちを漏らして懐からペンライトを取り出した。
「使うつもりはなかったけれど、今回ばかりはそうも言っていられないか。クチート、メガ――」
その言葉が発せられる前に、一つの衝撃音が弾けた。ディズィーはきっと瞠目しただろう。真正面に現れたマコの姿に。
マコは突進攻撃を満身に受けた。筋肉が軋みを上げる。肋骨が折れたのかもしれない。呼吸が危うく、今にも途切れそうだ。ようやく気付いたディズィーがマコへと駆け寄った。
「なんて無茶を! 戦うのはオイラの役目で!」
「……いいえ。ディズィーさん。与えられるだけじゃ、きっと駄目なんです」
マコは立ち上がろうとする。足が竦んで言う事を聞かない。それでも無理やり火を通すために膝を思い切り叩いた。その威容にディズィーのみならずダイゴでさえも息を飲む。
「私は! サキちゃんを守りたくってここまで来た! だって言うのに、私自身が傷つく事を恐れてたんじゃ!」
前に進めやしない。マコはモンスターボールを掲げる。
「戦う気かい? 言っておくが今のコドラはボディパージによって素早さは最高速。加えて攻撃は無類の強さを誇る。素人のお嬢さんが戦ってどうにか出来る相手じゃ」
「私は、戦うんだ!」
叫びと共にマコはモンスターボールを投擲する。空中で二つに割れたボールから飛び出したのは新緑の翼を震わせる一体の龍だった。飛び出すや否やマコの指示を待たずにコドラへと飛びかかる。コドラとダイゴも予想だにしなかったのか、その攻撃にうろたえた。青い火花が散りコドラを押し出す。
「コドラを、押した……?」
「行こう、フライゴン」