第六十一話「キミのヒーロー」
ドライヤーで乾かし、ディズィーは赤い服飾に袖を通す。レザージャケットはディズィーによく似合っていた。
「あっ、それこの間のライブで着ていた……」
「いいでしょー。もらっちった」
ディズィーの喜びにクチートが応ずるように跳ねる。マコはクチートの後頭部で揺れる角の動きが気になって気が気でない。
「おおっ、クチートも元気でよろしい」
クチートの頭を平然と撫でられるディズィーに辟易しながらマコはちょこんと部屋の一角に座っていた。この後どうするのか。決断しない事には進めもしないだろう。ディズィーは些事のように呟く。
「で、マコっちよ。オイラ、君を守る事にしたけれど、どうする? このまま部屋から一歩も出ないってのもある意味では一番の防衛手段ではある」
ここに来た事が知られていないのならば、であろう。しかしマコはそれほど相手が手ぬるいとは思えなかった。
「……多分、もう特定されています。私の電話、ホロキャスターの位置を調べればすぐですし」
「だったら、マコっち。どうする? 寝こみを襲われるのを黙って待つか。それとも」
それとも、マコは顔を伏せる。戦うのか。だが戦うといっても自分にはまるでノウハウがない。フライゴンでの戦法は当てになるとは思えなかった。
「私、サキちゃん……、姉の安否だけでも知りたいんです」
それだけは譲れない。サキが危うい闇の中に首を突っ込んでいるのならばそれを静観出来るほど自分は大人ではない。
「じゃあ選択肢は大きく二つだね。泣き寝入りか、徹底抗戦か」
ディズィーはどちらを選んだとしてもマコの意思を尊重するであろう。マコはここまで来ておいて逃げられるとは思っていなかった。
「後者しか、ないでしょうね」
「よっし! マコっち。今日からオイラと君はバディだ」
「バディ……?」と聞き返す。ディズィーは肩を引き寄せて、「相棒って事さ」と口にした。
「でもディズィーさんは有名人ですし、私なんか一般人で……」
「一緒の風呂に入っておいてそりゃあないよ。マコっちがどう思おうとオイラはマコっちの味方であり続ける。絶対に裏切らない」
どうしてそこまで貫けるのか。その生き方に一種の羨望すら覚える。マコの視線にディズィーは茶目っ気たっぷりにウインクした。
「何でかって? オイラは君のヒーローだからさ」
それで言葉は充分だというように。ディズィーは身支度を整えて、「さぁ、行くよ」とマコの手を引いた。思わずうろたえる。
「えっ、どこにです?」
「鈍いなぁ。どこにって、相手とやり合うんならこっちの手の内は知っておかなきゃ。武器は装備しないと使えませんよ、ってゲームでも教わらなかった?」
武器、とマコは咄嗟に思いつくものを判じる。ホロキャスターを取り出し収集した情報を整理する。ディズィーはそれを見つめてふんふんと頷く。
「なるほど。こういう情報の武器があるじゃん」
「でも意味が分からなくって……」
マコはこの文字列を入力したら知らない研究機関にアクセス出来た事を説明する。どこでどのように手に入れたのかは省いたがディズィーは顎に手を添えて考え込んだ。
「ネオロケット団……」
「知っているんですか?」
「いや、全く」
ディズィーは部屋の中央に陣取っているベッドの脇に置かれていたノートパソコンを起動させた。素早くキーを打ってマコの指定したURLへと飛ぶ。
「このサイトか。研究機関、それもホウエンだけじゃないね」
「全く分からなくって。でもここから先に進もうとすると」
「パスワードが必要になってくる。そのうち一つがこれなわけか」
何とディズィーは臆する事もなくパスワードを打ち込んだ。マコが遅れてうろたえる。
「で、ディズィーさん? これ、打ち込むとこっちの位置が――」
「大丈夫だって。割れるようなヘマはしないから」
ディズィーは研究内容を目にした途端、今までと目つきが変わった。鋭い目つきはまるで敵を見つけたかのようだ。
「あの、ディズィーさん?」
「うん? 何?」
マコへと向き直ったディズィーは読めない笑みを浮かべる。マコは、「憶測ですけれど」と前置きする。
「このサイトにアクセスしたのって、多分私達が最初じゃないと思うんです」
「だろうね。パスワードがあるって事は、その構成員の情報が漏洩していたって事で、マコっちのお姉さんは限りなくこの組織に近づいたって事だ」
ディズィーの推理にマコは最悪の事態を想定する。もしかしたらサキの命はもうないかもしれない。
「私、怖くって……」
目の端から涙が溢れ出す。堰を切ったかのように熱が頬を伝った。もしサキがこの世にいないのならばもう自分の行動など。ディズィーはマコの涙を指ですくい取った。真正面にディズィーの顔がある。整った憧れのロックスターの顔が。
「マコっちが信じなくって誰がお姉さんの生存を信じるのさ。怖いのは分かる。でも目を背けてばかりじゃ、真実さえも逃してしまう」
「真実……」とマコは繰り返す。本当に真実などあるのだろうか。自分が立ち入ってはならない場所に入ってしまっただけで、この手に真実など。
その時、ディズィーは異変を感じたように、「うん?」と首を傾げる。
「このサイト、変じゃない?」
その意見にマコは画面を注視する。変なところなど数え始めればきりがない。どこの研究機関なのか明示されていないのもおかしければネオロケット団など聞いた事もない名称だ。
「そりゃ、変っちゃ変ですけれど……」
「見た目とかじゃなくって、内容が、だよ。だってさ、論文とかたくさん並んでいるけれど、誰が書いたものなのかどこにも明記されていない」
そう言われてみれば、とマコは目を凝らす。どこにも代表者名もなければ論文にも具体名は避けられている様子だ。
「誰が書いたのか、意図的に分からなくしている?」
「そう考えるのが妥当だろうね。でも、今の時代にはこういうものがある」
開いたのは検索エンジンだ。ディズィーは論文の一箇所をコピーしそのまま検索窓に引っ付ける。検索すると十件だけ該当した。
「来た」
ディズィーは確信に唇を舐める。マコは表示された内容に困惑顔を浮かべた。
「でもこれ、全部外国語で……」
読めない、と言おうとするとディズィーは流暢な外国語で内容を話し始めた。
「なるほどね、こういう内容ってわけだ」
マコには一切が読み取れていない。その様子を察したのか、「マコっち外国語駄目なの?」と尋ねられる。現役大学生としては恥ずかしいが門外漢もいいところだった。
「ごめんなさい。全然で……」
「いいよ、これ相当なマイナー地方の言葉だし、分からなくっても無理はない。簡単に要約すると、書いた人間は公式ではいない事になっている」
その意味するところが分からずマコは聞き返す。
「いない、ってそんなはずは」
「ないって? でもこれ、あり得ないって言うかこの時代には存在しないものなんだよねぇ」
ディズィーの声音には嘘は混じっていない。ただ単に事実のみを語っているようだった。マコは狼狽する。
「この時代って、どういう事ですか?」
「現時点では、って言うかこれ仮説だ、全部。だからあるかもしれない、って話が並べ立てられているわけ」
それでも疑問符を浮かべているとディズィーが簡潔に纏める。
「つまり、全部例えば、の話で、実際の技術としてはあり得ないっていう机上の空論だね。有り体に言えばもし宇宙人と遭遇したら、みたいな話ばっかり並べられている」
そう言われればマコでも理解出来た。荒唐無稽、という事なのだろう。
「そんなあり得ない話が」
「何で極秘文書なんだろう、って? オイラもそう思って別窓で調べていたんだが……」
その時、画面が赤色に塗り固められた。自分の時と同じだ。マコは慌てて言葉を発する。
「察知されたんじゃ……」
「みたいだけれど、そう簡単に場所までキャッチ出来るわけがない。これは警告だ。だからもう一段階ぐらいは先に進めるかな」
ディズィーは問題ないとでも言うようにさらに作業を進める。すると警告のブザーが鳴り響いた。マコは不安に駆られる。
「ハッキングされているんじゃ……」
「マコっちスパイ映画の観過ぎだよ。そう簡単に個人のスペースをハッキングなんて出来ない。マコっちの場合は恐らく既に当てがあったんだ。だからそういう芸当が出来たって話で、最初からどこにいるのかも分からない相手をIPアドレスだけで即座に特定なんて難しいし相当な機関が精通していないといけない」
「でも……」
裏付けたのは別窓に表示されている地図である。ホウエンの縮尺の地図が正確にカナズミシティを映し出していた。
「もうここまで」
急いたマコの声にもディズィーは掻き乱されない。
「大丈夫。ギリで正確な位置を弾き出す前にこっちから偽の位置を送ってやる」
ディズィーはマコには目で追うのすら困難なキーさばきで相手を翻弄する。するとカナズミシティの正確な縮尺図が僅かに逸れてデボンコーポレーションの上を行き来する。マコは心臓が止まりそうだった。デボンは目と鼻の先だ。ここが特定されない保証はない。
「このままじゃ……」
「大丈夫、っと。送信!」
ディズィーがエンターキーを押すと全ての赤色窓が閉じて代わりに地図が弾き出したのはデボン系列の子会社だった。その前庭を赤く塗り潰したところで止まっている。ディズィーは息をついた。
「危ない危ない。ちょっと遅れていたら特定されていたかもね」
「そんな! 危ない橋を渡っているのならそうと」
「そう言ったら、マコっち止めるじゃん?」
うっと声を詰まらせる。ディズィーは余裕のある笑みを浮かべた。
「大丈夫だって。連中は子会社の前庭にオイラ達がいるんだと思い込んだ。大方、この辺りを捜索するはずさ。見当違いだ。だってオイラの部屋はその場所から三キロは離れている。子会社に狙いを定めている間はここが割れる事はない」
ディズィーは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し一気飲みした。もしかするとディズィーからしてみても危険な行為だったのかもしれない。
「じゃあ、私達は……」
「うん。仕掛けない限りは大丈夫」
マコはホッと胸を撫で下ろす。ディズィーの家が焼き討ちされるような事があれば最悪の事態だった。
「つまり最悪は回避されたって事ですよね」
「まぁね」
ディズィーはホルスターにクチートの入ったモンスターボールを留める。マコは言動と行動の不一致に疑問を発した。
「どこへ行くんですか?」
「連中をこの辺りに集めたって事は、だ。連中のしかも上役が顔を出すに違いない」
それは、その通りであろう。探ってくるネズミを燻り出したつもりなのだろうから。
「ええ、だからここは大丈夫だって――」
「連中の顔を見てこなくっちゃ」
だからディズィーの言葉はマコにとっては完全に想定外だった。連中の顔を見てくる? 何故そんな危険な真似を? 顔に出ていたのだろう。ディズィーは即座に読み取った。
「逃げ腰じゃいつか追い込まれる。こっちが追い詰めるんだ。そのためには連中が何の目的で、どうしてマコっちを襲おうとしたのか。お姉さんがどうなったのかを知るきっかけになる」
ディズィーの眼差しは真剣で嘘を言っている風ではない。マコはそれこそ困惑する。
「せっかく危険な種を回避出来たのに?」
「マコっち。オイラはヒーローなんだ。ヒーローは相手のアジトが分かったらどうする? じゃあそこには近づかないでおきましょう、ってなるかい?」
しかしディズィーがそこまで背負う理由も不明だった。元はと言えば自分の踏み込み過ぎが原因の事件だ。彼女にそこまでやってもらう義理はない。
「危険なんですよ?」
「百も承知さ。大丈夫、とは言い難いが、ここで動かなくってどうする? マコっち、正直これは好機でもあるんだ」
「好機、ですか……」
自分には分からない。相手の懐に飛び込む行為が。ディズィーは諭すように口にした。
「ここで相手の出方、やり方をこっちで把握しなければ立ち回りが上なのはどっちになるのかは言うまでもないよね? 相手がどれほどの規模で、どれほどの人員を割くのかを知るための策でもあるんだ」
意外であった。ディズィーの行動は行き当たりばったりのようで計算されている。マコは素直に感嘆した。
「でも危ないですよね?」
「危ないよ。でも危なくない道って同時に安全とも限らないんだよね」
危険な策を取ってでも、これからのためにディズィーは必要だと判じたのだ。ここで決断せずしてどうする。マコは立ち上がっていた。
「あの、私も行きます……」
「自信がないとか、怖いとかならこの部屋でじっとしているといい。そのほうが何倍か安全だ」
ディズィーの言葉にマコは、「怖い、ですけれど」と言い返していた。
「ここで逃げるのは、もっと怖いからです」
震え出す指先。恐れに唾を飲み下す。しかしディズィーはその言葉を待っていたとでも言うように微笑んだ。
「いいよ。マコっち。行こう。戦う事を選んだんだ。君も戦士だよ」
差し出されたその手をマコは取った。