第六十話「パンクロッカーの家に遊びに行こうU」
ディズィーはウインクしてマコの隣に座った。巻き込んでしまう事になるかもしれない。相手は有名人だ。だから出来れば自分の私情など組み込まずに接したい。それに話してもどうしようもないかもしれなかった。
「その……私の姉が行方不明でして」
「行方不明? それって何、さらわれたとか?」
「いや、大人だからそういう事はないと思うんですけれど……」
どこまで話すべきだろうか。マコの視線が気に障ったのだろう。ディズィーは胸元を叩いた。
「オイラ、これでも口は堅い! 絶対に秘密は守るよ!」
その言葉に勇気付けられマコは口にしていた。
「あの、刑事なんです、私の姉」
「何と、刑事さん。えっと……刑事さんをさらうってのは相当な闇だね」
ディズィーはどう解釈したものか迷っているのだろう。マコは自分の考えている事をいくつか憶測を交えながら話した。サキは恐らく何らかの巨悪の陰謀に巻き込まれたのだという事。それと同期するようにいくつかの出来事があった事。マコの確証に足らない言葉の数々をディズィーは真剣な面持ちで聞いていた。全て聞き終わった後、ディズィーは腕を組んで口にする。
「つまり、お姉さんが突き当たった悪党と、今回、マコっちを殺そうとした連中って同じじゃないか、と考えているわけだ」
「まぁ、そうなりますかね……」
自信はない。だが総括すれば自分に用があるという事はそうなのかもしれない。ディズィーは、「なりほどー」と声にする。
「こりゃマコっちあれだね。君は巨悪の陰謀に巻き込まれた無垢な少女! そしてオイラはその巨悪に君と共に立ち向かう正義のヒーローってわけだ」
ディズィーの口調にマコは困惑する。
「いえ、そのディズィーさんを巻き込むわけには」
「もう巻き込まれてるよ。それにいいじゃん。いい感じじゃん。オイラも歌手業はちょっとお休みして正義のヒーローやってみるかなぁ」
マコの頭を撫でてディズィーが真剣に考え始める。マコは、「でも」と口にしようとした。その前にディズィーの指先がマコの唇に触れていた。
「でも、じゃない。マコっちを一人で帰すわけにはいかないよ。ファンと助けを求める女の子にはヒーローは優しいんだ」
マコの唇から指を離し、ディズィーは背筋を伸ばす。
「よっし! まずはマコっち! 一つ任務を与える!」
「に、任務ですと?」
思わず口調がかしこまったものになってしまう。しかしディズィーは気安い笑みで言い放った。
「まずはオイラの家に寄り、シャワーで全身を洗うのだ! それがファーストミッションである!」
ディズィーの発言にマコは完全に面食らっていた。初任務、と言われていたから緊張していたのもある。
「あの、任務って、それ?」
「そう、それ。なに、簡単な話、マコっち汗まみれじゃん。シャワー浴びてないでしょ」
それはその通りなのだ。昨日も知らぬ間に眠ってしまっていた。マコはおずおずと尋ねる。
「やっぱり、においますかね?」
自分をくんくんと嗅ぐ。ディズィーは腕を組んで、「まぁ、それほどじゃないけれど」と付け加えた。
「女の子が何日も着の身着のままでいるもんじゃないでしょ」
もっともな意見にマコは納得しながらも尻込みする。
「でも、ディズィーさん、有名人ですし……」
「いいんだって。メンバーは来ないし、オイラは朝方には仕事入れないんだ。それに大事なファンが危ないってのに仕事を入れられないよ」
ディズィーの厚意は素直にありがたかったもののマコはやはり迷惑をかけているのではないかという疑念にかられた。
「でも、その、私なんかが」
「自分なんかが、なんて卑下するもんじゃないって。マコっちはオイラみたいな門外漢に相談してくれた。もうオイラの一部みたいなもんさ」
さっぱりとした言い草はディズィーの人格を表しているかのようだ。マコはベンチから立ち上がって困惑する。
「その、ディズィーさん、家ってカナズミなんですか?」
「カナズミじゃなければどこだって言うのさ。ちょっと郊外に部屋を間借りしてる。そう遠くもないから来なよ」
ディズィーは歩き出す。マコはその背中に続いた。
十分ほど歩いたところにあるアパートであった。売れっ子バンドのボーカルの住んでいる部屋とは思えない。思わずマコは周囲の家を見比べる。住宅街であり、目立った一軒家はない。だとすれば本当にアパート暮らしなのだろうか。
「本当に、ここで?」
「何気に失礼だな。オイラは質素な暮らしが好きなもんで」
マコは申し訳なさを味わいながらディズィーに通されて部屋に入る。驚いたのは部屋が散らかっている事だ。サキの部屋が簡素でほとんど散らかっていないのを目にしてからでは雑多なものが入り混じっている部屋には違和感がある。
「……たくさん物があるんですね」
「散らかっている、でいいよ。メンバーもそう言っている」
マコの申しわけ程度の礼儀を風と受け流しディズィーは早速ジャージを脱ぎ始める。思わぬ動作にマコは目元を覆って、「ちょ、ちょっと!」と声に出した。
「何?」
「いや、だってディズィーさん、急に脱ぐから」
「女の子同士だしいいじゃん」
そう言われてみればディズィーも女性であった。オイラの一人称のせいで男と女の中間のような印象を受けている。
「いや、でもいきなり脱がないでしょう」
「うそ、オイラ、部屋についたらまず脱ぐよ? えっ? じゃあ何で部屋がいるのさ。気を遣うのならメンバーの相部屋に住むって」
ディズィーはジャージを脱ぎ散らかし桃色の下着姿になった。流麗な身体つきにマコは思わず自分の脇腹の肉をつねる。
「あっ、メンバーは相部屋なんですか?」
下着一着のディズィーが頷く。下着姿でもモンスターボールは手にしていた。
「クチートも洗ってあげるんですか?」
「まぁね。相棒だし」
クチートをモンスターボールから出す。クチートの顎状の角には血糊がこびりついていた。先ほどの凄惨な戦いを思い出しマコは唾を飲み下す。
「ああ、警戒しなくたって大丈夫。クチートは大人しいよ」
全く説得力がなかったがマコはとりあえず落ち着く事にした。
「えっと、私も脱がなきゃ駄目ですか?」
「服の上からシャワー浴びるんじゃなきゃね」
マコはいそいそと服を脱ぎ始める。ディズィーに促されてバスルームに連れて来られた。バスルームも普段自分の使っている浴場の半分ほどだ。今さらながら恵まれた境遇である事が分かってしまう。狭苦しい脱衣所には大きめの洗濯機が置いてあった。どうして洗濯機だけ最新鋭なのだろうか。尋ねると、「衣装とか洗うし」と至極真っ当な意見が返ってきた。
「衣装っていちいちテレビ局とかが用意してくれるんじゃないですか?」
「ロケとかは自分の衣装の時もあるからね。それに屋外ライブとかの衣装って存外、自分で管理しろって言われたりするんだ」
初めて聞く物事の数々にマコは改めてディズィーがプロの歌手なのだという事を思い知る。その憧れのプロがどうしてだか下着一枚で自分の隣にいるのが酷く不自然であった。マコも下着一着になる。水色の下着は同性でも見られると恥ずかしい。
「ほほう、マコっち、存外に脱ぐとすごいですな」
品定めするような目つきになるディズィーにマコは身体を手で覆い隠した。
「あの、あんまし見ないでもらえますか」
「どうせ洗いっこするんだから今さらだと思うけれど」
マコはホックを取ってブラのワイヤーを緩める。それならばディズィーのほうが、とマコは感じていた。均整の取れた身体つきで、出るところはきっちり出ている。自分の出るところは、とマコは脇腹をまたしてもつねった。自己嫌悪に陥りそうだ。
「じゃあ洗いますか」
シャワーから出てきたのは最初水であった。マコは、「冷たっ!」と過剰反応する。クチートは慣れているのか水のシャワーを浴びて角の汚れを洗い流した。
「おや、マコっち。さては意外とお嬢だな。水のシャワーも慣れていないのかい?」
「いや、慣れるも何も、普通お湯が出るもんなんじゃ……」
ガタガタ震えながら口にするとディズィーは根元をひねった。
「こうしないとお湯は出ないって。マコっち、もしかしてどこかの小国のお姫様? お連れがいつも洗ってくれているの?」
むっとしたがいつもお湯を沸かすのは研究員達の役目で自分はろくに家事をした事がなかった。言い返せないでいると、「うっそマジか」とディズィーが大げさに驚く。
「姫様拾っちゃったよ」
「姫様とかじゃないですからっ!」
マコは赤くなった顔でシャワーのヘッドを手に取りごしごしと洗う。それを目にしてディズィーが止めに入った。
「駄目だって、そんな風に洗ったら傷がついちゃうよ。女の子の柔肌は優しく洗わないと」
ディズィーが石鹸を取り出して泡立たせマコの身体を優しく洗う。他人に身体を洗われるのは何だかこそばゆかったがディズィーは慣れている手つきだった。
「洗い慣れているんですね……」
まさかそっちの気があるのか、と警戒した。ディズィーは、「クチートをね」と笑い飛ばす。
「洗ってあげているのさ。マコっちはポケモンを洗ってあげないの?」
「私のフライゴンは地面がついていますから。そう容易く水をかけられないんです」
ディズィーはマコの頭を洗いつつ、「なるほど」と納得する。ディズィーはいくつか質問を重ねた。
「フライゴンとは長いの?」
「私が幼稚園の頃にもらった初めてのポケモンですから。その時はまだナックラーでしたけれど」
「ドラゴンって大器晩成型のイメージあるからやっぱりそれくらいかかっちゃうもんなのかな」
「……いえ、私、トレーナーとしてはあんまし才能なくって」
本来ならばフライゴンはまだドラゴンタイプの中では育てやすいほうだ。それをここまで時間がかかってしまったのは己の未熟さに他ならない。
「やっぱブリーダーとか?」
泡をディズィーは洗い流す。マコは目を瞑りながら首を横に振る。
「いえ、そうでもなくって」
「じゃあマコっちは何になりたいの? 大学生でしょ?」
その言葉に硬直する。自分が何になりたいのか。漠然とした未来ばかりが広がっており何一つ決定的なものはなかった。
「……まだ分からなくって」
「まぁ、今はまだそれでもいいかもね。でもいつかは決めなければならない」
マコの濡れた髪をディズィーは整える。
「綺麗な髪だね」
その褒め言葉も今は耳に入らなかった。いつかは何かにならなければならない。それが重石のようにマコの心に沈殿する。
「今度はオイラを洗ってよ。マコっち、いやらしい事はしないでね」
マコに代わってディズィーが椅子に座る。マコはどうしたものか、と迷っていたが子供の頃サキと一緒に風呂に入っていた事を思い出した。サキは昔から長い髪だったのでちょうどディズィーと同じくらいだ。毛先を整えてマコはシャンプーをつけてやる。
「ディズィーさんのほうが髪の毛綺麗ですよ」
「そりゃ人前に出るし、当然っしょ」
さばさばとしたディズィーの言葉と共にマコはサキの安否が胸を締め付けた。今頃どうしているのだろう。もしかしたら何日も風呂に入っていないかもしれない。シャワーも浴びず、それこそ泥を啜る勢いで真実に向けて走っているのかもしれない。それに比して自分は何をしているのか。勝手に調べて勝手に墓穴を掘っている。ディズィーがいなければ今頃血の海に沈んでいるだろう。途端に恐ろしくなってマコは指先が震え出すのを感じた。
「大丈夫だよ」
だからディズィーの声に驚く。マコの不安を関知したようにディズィーの声は穏やかであった。
「マコっちはオイラが守るから」
勇気と自信に満ちた声にマコは尋ねずにはいられなかった。
「どうしてですか……」
「だってオイラ、ヒーローだし」
「そうじゃなくって!」
手を止める。ディズィーは鏡越しにマコを見つめている。
「……何で、私なんて価値のない人間のために、ディズィーさんみたいな人がそこまで出来るんですか」
自業自得なのだ。自分でこのような結末になるように動いていたのにいざ危機が迫ると怖くて仕方がない。ダイゴに助けを求めたりディズィーに助けを求めたり、自分は卑怯だ。戦いもしない。悲痛に顔を歪めているとディズィーはマコの手を取った。何をするのかと思っているとそのまま手をひねり風呂釜へとマコの身体を押し込む。突然の事にマコは身体をばたつかせた。
「ちょっ……、何をするんです!」
「マコっちさぁ。自分を低く見るもんじゃないよ」
ディズィーはシャワーで髪の毛についた泡を洗い流しマコへと視線を振り向けた。碧かったはずの瞳の片方が赤く染まっている。その真紅の瞳にマコは射竦められたかのように動けなくなった。
「誰だって価値はあるんだ。価値のない人間なんていない。誰かのために命を張って、それが価値のある事、っていう風に美化されがちだけれどさ。オイラ、別に人間は誰のために生きているわけでもないんだと思う。最初から、それこそ生まれた時から、自分を一番に愛せる権利を持っているのって、自分だけなんだ」
「自分を、愛せる……」
「そっ。そうじゃなきゃ他人なんて愛せるわけがない」
ディズィーも風呂釜に入ってくる。二人分の体重を受けて湯船が大きく傾いだ。溢れ出したお湯を頓着せずディズィーはいつの間に取り出したのかタオルを頭に乗せて、「極楽極楽」と口ずさむ。
マコはしどろもどろになって呟いた。
「私、やっぱり守ってもらうなんて」
「オイラがそうしたいからしているだけさ。マコっちはいつか誰かを愛せるといいね。自分を愛してあげた分、誰かを愛せると」
ディズィーの声音はまるで自分にはその権利がないかのようだ。マコは返そうとしたが言葉にならない。そんな事はない。ディズィーも守られていいのだと。代わりのように口から出たのは眼の事だった。
「ディズィーさん、オッドアイなんですか?」
「ああ、外れてた? これ、コンタクトなんだよね。青い奴」
「じゃあ元が赤い眼で?」
「うん。画面映えするのはこっちだけれど普段は眼が悪いからさ。コンタクトつけているわけ」
どこで落としたかなぁ、とディズィーは探し始める。マコはこのように二人して湯船に浸かっている状況が世界のどこよりも平和に思えた。
「何だか切り離されている気分……」
サキの事も、謎の団体の事も、脅迫電話も遠い異国の出来事のようだ。しかし昨日今日降り注いだ現実でありマコはその当事者である事は隠しようもない事実。
「切り離されているように思えて、実のところどこにも繋がっていない人間もいないってね。どこかに繋がれている。オイラも、多分」
ここまで自由人のように振る舞っているディズィーが繋がれているものとは何なのだろうか。気になったが聞くのは無粋に思えた。クチートが風呂釜に飛び込んでくる。
「こいつめー」とディズィーが相手にしている間、マコはどうするべきか思案した。それも泡沫の一つだというように石鹸水の泡が弾けた。