第五十九話「パンクロッカーの家に遊びに行こうT」
そう告げられ一も二もなくマコは駆け出した。
正確にはディズィーに号令させられて走らされた、が正しいが。どこまで駆けたのか分からない。どの道を通ったのかさえも判然としなかったがディズィーが立ち止まったところでマコは息をついた。肩を荒立たせて額の汗を拭う。ディズィーはまだ体力に余裕があるようで、「撒いたかな?」と後ろを気にしている。
「あの、ディズィーさん……。何で、こんな……」
「それを聞きたいのはオイラのほうだよ。何で君はいきなり殺されそうになったわけ?」
殺されそうに、という言葉にマコは当然戸惑った。殺されるいわれはない。ディズィーもマコの表情から読み取ったのか、「手がかりなし?」と聞き返す。マコは呼吸を整えてから言葉にした。
「……はい。ないと思います」
「本当? じゃあ何で黒服三人に追われるかなぁ」
マコはようやく落ち着きを取り戻して背後を見やった。先ほどの黒服の姿はない。どうやらカナズミシティ北方に向けて走っていたらしくすぐ傍には自然公園があった。自然公園を抜けると緑地が広がっており、ポケモンの出る草むらと洞窟があった。
「私、追われていたんですか?」
「ってか、あれは最初からつけられていたね。尾行されるような悪い事した?」
マコは首を横に振る。そのような真似はした覚えがない。ディズィーは顎に手を添えて考え込む。
「じゃあ、やっぱり偶然? でも出来過ぎているんだよねぇ。何にもしないで三人の黒服が現れました! ってゲームかよ、っていう」
しかし心当たりはないのだ。マコは、「何かした覚えはないですよ」と答える。
「でも明らかカタギじゃないじゃん。白昼堂々……いや、まだ早朝だけれど、街中でポケモン出したらさすがに目立つよ? グラエナなんて暗殺向きでもないし、手段は問わないから殺せ、っていう命令だと踏んだね」
それこそ分からない。マコには誰かに恨みを買うような記憶もない。
「その、本当に分からないんですけれど」
「まぁ痛めつけたし、もう同じ連中は追ってこないでしょ」
痛めつけた。その言葉にマコは先ほどディズィーの繰り出したポケモンを思い出す。
「クチート、でしたっけ?」
「そうそう。あれ? ファンにはお馴染みじゃない?」
「いや、確かどこかのインタビューでポケモントレーナーもやっている、とは聞きましたけれど……」
クチートというポケモンだとは聞いていないはずだ。ディズィーはモンスターボールをホルスターから抜いた。
「頼れる相棒だよ。グラエナに襲われる直前に出して一撃で倒した」
それほどの能力なのだろうか。マコには小柄なあのポケモンから窺い知れたのは凶暴さと可憐さの二面性だった。
「強い、んですかね」
「強いって言われるとどうかなぁ。まぁ趣味で使う人は多いもね。かわいいし」
かわいい、という言葉も先ほどの凶暴性を目にしてしまえば霞んでしまう。後頭部から生えたあの暴力器官はまさしく凶悪であった。
「君はポケモン、持っていないの?」
マコはそう言われて自分の手持ちを思い出した。
「あっ、持っていました……」
「出してくれりゃ、ちょっとは手間が省けたかもねぇ」
言葉もない。マコは項垂れる。ディズィーは、「何てポケモン?」と尋ねた。
「フライゴンです。その、ドラゴン・地面の」
「ドラゴンタイプ? 強いじゃん」
確かにドラゴンと聞けば強い印象があるだろう。しかしマコは幼少期から育てているために強くしたつもりはなかった。むしろ家族の一員で戦いには向いていないと感じる。
「私、あんまりポケモンで戦うってのは得意じゃなくって」
「ああ。じゃあブリーダーとか、コンテスト志望? まぁそっち方面に力が入っているのもホウエンだし」
一気に喋る事が増えてマコは戸惑っていた。何から語るべきなのか、と思っているとディズィーはベンチを指差す。
「ちょっと休憩。君の事も知りたいし」
ベンチへと駆け寄っていくディズィーの体力は本当に底なしだと思えた。マコは半ば呆れつつベンチに座る。憧れのロックバンドのボーカルがすぐ隣にいるというのに、マコの気持ちは有頂天とは正反対だった。どうして自分が狙われたのか。その一事に気を取られている。ディズィーは足を投げ出して、「なーんかさぁ」と呟いた。
「早朝ランニングがとんでもない方向に転がったもんだね」
前向きな発言にマコは感心するべきかそれとも失笑するべきか迷った。ディズィーが指先で節をつけて鼻歌を歌い出す。その曲名をマコは口にした。
「四枚目のシングルに入っていた、惑星迷宮ですよね」
「おっ、さすがファンだね。オイラの鼻歌でも再現出来てたか」
「再現って、歌っている本人でしょう」
「そりゃ確かにおかしいや」
ディズィーは爽やかに笑う。先ほどまで威圧していた人間と同一人物だとは思えなかった。マコはディズィーのサインが書き込まれた右腕を見やる。書いてくれたといっても洗えば消えてしまうだろう。それが少しだけ惜しかった。
「ディズィーさん、その……」
だからなのだろうか。ディズィーをただの憧れで終わらせたくなかった。ここで手離してしまえば全てが途切れてしまいそうで、マコは勇気を振り絞る。
「何? ファン一号」
鷹揚なディズィーの態度には驕りも何もない。ただ純粋に自分のファンでいてくれて嬉しいという声音であった。
「私、もしかしたら追われるような事、しているかもしれません」
ずるいのだろう。こんな事でディズィーを引き留めるなど。しかしディズィーは嫌な顔一つしなかった。
「だろうね。カタギじゃない連中に追われるのに理由がないってのもおかしい」
「でも、ディズィーさんを巻き込むみたいな形になっちゃうのが怖くって、その……」
まごついているとディズィーが質問してきた。
「君、名前は?」
「へっ? ヒグチ・マコですけれど……」
「よっし。マコっちと呼ぼう」
ディズィーは膝を叩いてマコの顔を真正面から窺ってきた。突然の行動に気圧されてしまう。
「マコっち。君はオイラのファンで、大切な一部分だ。だから無関係じゃないし、巻き込むなんて悪い、とかそういう事を思うんじゃないよ。むしろガンガン巻き込んじゃってよ。マコっちの力になりたいしさ」
その言葉にはマコも瞠目してしまう。どうしてディズィーは他人の人生まで受け止められるのだろう。自分の人生だけでもマコは精一杯なのに。
「ディズィーさんは、どうしてそこまでいい人なんですか?」
その質問にディズィーは笑って答えた。
「オイラ、正義の味方なんだ」
きょとんとしてしまう。ディズィーはてらうでもなく何でもない事のように言い放つ。
「普段は歌手やっているけれど、本当の顔はカナズミシティを悪の手から守る、ヒーローなんだ」
マコは思わず吹き出していた。ディズィーは、「おかしい?」と聞き返す。
「だってそんな。正義の味方だなんて」
子供じみた言い草に思わず笑ってしまった。そんなマコの顔をディズィーは両手で包み込む。手のぬくもりが頬から伝わってきた。
「ほら、笑った。人一人救って、誰かを笑顔にする。歌でも何でも。これで正義の味方じゃないんなら、何がヒーローなのさ」
ディズィーは冗談でも何でもない。本気で正義の味方だと言いたいのだ。マコもその信念には圧倒されるものがあった。彼女は歌手でありながら、同時にヒーローでもあるのだと。
「あっ、だからさっきみたいな大立ち回り?」
ようやく察したマコの声に、「気付くの遅いってマコっち」とディズィーは唇を尖らせた。
「普段から鍛えているんだ。こういう時のためにね」
ディズィーは構えを取って拳で空を切る。シャドーボクシングも様になっていた。
「プロ歌手からプロレスリングに転向するんですか?」
「いいかもね、それ」
マコとディズィーは思わず笑みを交し合う。ディズィーは思っていたよりもずっと気安い。憧れの存在がぐっと近くなったのを感じられた。
「ディズィーさんって思っていたよりも……」
「思っていたよりも、何?」
「子供っぽい」
「よく言われるよ」