INSANIA











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因縁の刻印
第五十一話「裏切りのツバサ」

「これでお終い」

 パンパンとズーが手を叩く。その話はにわかには信じられなかった。

「……じゃあ、Dシリーズって言うのは」

「初代ツワブキ・ダイゴの魂の入れ物を造るための大いなる実験。その被害者達か」

 プラターヌは存外に落ち着いている。それは話し終えたズーもそうだった。

「その通り。ボク達は元々、こんな顔でもなければこんな忌々しい刻印をつけられているわけでもない」

 ズーは刻印をさする。サキは呆気に取られていたがFは冷静な声を返した。

「あんた達は、孤児か?」

「それだけならばいいさ。ボクも協力した事があるから分かる。ボク達は、名前も出生地も何もかも別々の人間だ。ただカナズミの地を踏んだ、という共通点があるだけで、誘拐された不運な人々さ。孤児とか言うわけでもなく、ただただ不運だっただけの話」

 諦観を漂わせたズーの声にサキは返す言葉もない。それほどの狂気の所業が行われているとは思わなかった。自分の生まれ育ったこのカナズミシティで、二十三年の月日をかけて達成されようとしていた再現実験。あまりの忌々しさにサキは悔しくなった。自分が、どうして止められなかったのか。どうして今の今まで尻尾も掴めなかったのか。自分の弱さに拳を握り締める。

「お姉さん、どうして泣いているの?」

 だからか、その問いにサキは自分が涙を流している事に初めて気づいた。話の中で泣いてしまったのか、いつの間にか頬を熱いものが伝っている。目を擦りながら、「泣いていない」と抗弁を発した。しかし、自分の涙を彼らは笑わない。

「……ボクらみたいなののために、泣いてくれる人がいるなんて思いもしなかったな」

 その言葉一つに、重々しさが窺えた。彼は何年、いや何十年この職務を全うしているのか。自分達警察が無能さゆえに気づけなかったこの大事件を。

「私は、告発しなければ」

 この事実を一人でも多くの人に伝えなければ。しかしサキの正義感にFとプラターヌは現実的だった。

「いや、無理だろう。ここから出てしまえば、一両日中にこの実験の証拠も、跡形もなく消えてしまうだろう」

「我々は追えはしない。結局、いたちごっこだ」

「それでも!」

 サキは声を張り上げる。何とか手はないのか。ズーが立ち上がり、「けど分からないな」と言った。

「分からない、とは?」

「ボクらは今説明した通り、短命でね。だから実験から逃れた者達は多分、みんな死んでいるはずなんだ」

「初代と同じ死、か」

 思わぬところで天使事件≠ニの接点があった。だが分からないのはそれだ。

「どうして、天使事件の被害者達は同じ顔ではなかった」

「その頃には、もう偽装が解けているせいだと思う。所詮、逃げたのは初期ロットナンバー。初期ロットにはその遺伝子を定着させるものが足りなかった。だから死んだら元の顔に戻ったんだと思う。……ボクからしてみれば少し羨ましいな」

 以前の自分を忘れ、ツワブキ・ダイゴの顔と容姿で生きるしかない人間の悲痛な叫びだろう。サキはその段になって彼の番号を思い出した。

「Dシリーズは、全部初代の再現技術が施されているって事?」

「まぁ、ほぼ全てだね。初代ツワブキ・ダイゴの入れ物だから、その辺は抜かりないと思うけれど」

「じゃあ、D015である彼はやっぱり……」

 その言葉にズーは首を傾げた。

「変な事を言うなぁ。D015? そんな番号はないよ」

 ズーの指摘にサキは疑問符を浮かべる。

「どうして? だってDシリーズはみんなそうなんでしょう? 初代と、同じ遺伝子で」

「いや、それでも違うんだ。だってDシリーズの001から050までは全部ロストナンバーだよ」

 言わんとしている事が分からずサキが怪訝そうに眉をひそめる。

「ロストナンバーって」

「その番号は既に廃棄されているって事。失敗作の中でもさらに失敗の中心。彼らは自分単体では動く事すら儘ならないと判断されたはずだよ」

 その言葉に戦慄する。じゃあ彼は何者なのか。サキは首を振る。

「そんなはずはない。彼は確かにD015の刻印がされていた。Dシリーズのはずだ」

「どこかで間違っているはずだよ。だってボクはきちんと知っている。五十番までの番号は使い物にならないはずだ」

 では彼は何だ? 疑問を氷解しに来たつもりがさらなる疑問にぶち当たる。サキが難しい顔をしているとズーは尋ねた。

「その、今ツワブキ・ダイゴを名乗っている人? 彼の特徴を教えてよ。もしかしたらデータ上に心当たりがあるかもしれない」

 サキはプラターヌとFに目線を向ける。二人とも頷いた。ズーは信用出来ると判断したのだろう。

「眼は赤くって、容姿は初代と同じ。遺伝子も同じで……、でもポケモンの血が流れていて」

「ポケモンの血?」

 思わぬところでズーが反応する。サキも確証を得られていない部分だ。

「ポケモンの血が僅かに血中に検出されて……」

 ズーは唇を指でさする。何か重大な考え事をしているようだ。

「まさか……、いやあり得ない。でもそれならば短命の謎は解けるか?」

「あの、どうかしたのか?」

 サキがうろたえているとズーは目線をサキに振り向けた。

「もしかすると、彼は重大な何かとして仕組まれているのかもしれない。だっておかしいんだ。実験はボクの番号で打ち止めだ。200以降の番号は存在しないし、五十までの番号は欠陥中の欠陥だ。だから彼が、生きているとは思えない……」

「で、でも彼は健康体そのものだ。記憶がない以外は……」

「記憶がない?」

 ズーはその点を追及する。

「どういう事? 記憶がないって」

 ズーの疑問が分からない。自分が話したのではないか。

「言った通り、記憶喪失って事なんだけれど。でも、別におかしな事じゃないみたいだろう? Dシリーズには元の記憶がないって」

 自分で言っていたではないか。しかしズーは頭を振った。

「いや、あり得ないのはそれもだ。確かに元の人間だった頃の記憶はない。でも代わりに埋め込まれるのがツワブキ・ダイゴとしての記憶だ」

「ツワブキ・ダイゴとしての?」

 サキが聞き返すとズーはこめかみを突いた。

「この脳髄にはね、ツワブキ・ダイゴ、つまり初代の記憶がメモリーバンクとして登録されている。元はと言えば再生計画だ。初代の魂が入り易いようにいじられている。初代の魂が定着すれば、簡単に動かせるような調整がしてあるんだ。つまり、これがボク達、Dシリーズの宿命でありメモリークローンと呼称される所以」

 メモリークローン。思わぬところの合致にサキは息を呑んだ。

「そのメモリークローンって言うのはDシリーズ全部に?」

 その質問にズーは首を横に振った。

「いや、百番台からのはず。だからそのツワブキ・ダイゴがD015だと、本当にそうなのだとすればあり得ない。その処置を受けていないはずなんだ」

 ならば彼は何者なのだ。メモリークローンの処置がないとは。

「じゃあ、何だって言うんだ? 彼女は今のツワブキ・ダイゴに会っているしきちんとデータも取っている。嘘偽りはない」

「で、でもあり得ない」

 うろたえた様子でズーは後ずさる。ズーの言葉が真実ならば彼の存在は否定される。だが彼は現実に存在する。ツワブキ家がわざわざ引き取ったのだ。必ず何かあるはず。

「D015は失敗作のはずなんだ。それにポケモンの血が入っているだって? そんな処置、聞いた覚えがない」

「いい加減な事を言うなよ。だったら彼女が嘘をついているとでも?」

 プラターヌが詰め寄るがズーは否定する。

「あり得ない。その個体は何かの間違いだ」

「でも彼はいるし、彼を巡って抹殺派と保護派が動いているのも事実。それが確かな事はFが……」

 後を濁す。当のFは、と言えば先ほどから何も言わない。何なのだろうか、とサキは口にしていた。

「保護派であるお前が何も言わなければ、事はややこしくなるばかりだぞ!」

 サキの言葉にようやくFは気づいたようだった。

「私、か?」

 何を言っているのだ。わざとらしいにも程がある。

「聞いてなかったわけではあるまい? それにどうして彼を保護するのか、聞いていなかったからな」

 ズーとサキ、二人分の視線を受け止めFは嘆息をつく。

「彼を殺すなんて事は人道にもとる、という理由だけでは」

 二人の視線の圧力を感じたのだろう。Fは訂正した。

「納得出来ない、か」

「今さら人命なんて事を重視しているわけではないだろう。どうしてお前達は彼を保護する? 他のDシリーズは見殺しにしたくせに」

 ズーの語る真実ならば今まで何人ものDシリーズが死んだ事になる。それを保護せずにどうして彼だけを保護しようとするのか。保護派の動きが読めない。

「やれやれ。どうしてこうも理由を求めようとするのか」

「理由のない動きはあり得ない。特にそれが組織ならば」

 プラターヌも口を挟む。Fはようやく観念したように首を振った。

「……分かったよ。だが私とて末端だ。彼の保護、それを最重要課題として置かれている。組織の真意までは読めない」

「つまり、お前はただ言いなりだっただけだと?」

「信じられないかね?」

 サキは首肯する。

「信じ難い。Dシリーズの事を知っている風だった」

「装っていただけだ」

「それこそ信じられない」

 交わす言葉は平行線だ。どちらかが諦めるまでこの問答は続くだろう。ズーが口を開く。

「何で、ボクらを見殺しにした? それに、お前らの組織の動き、まるでボクらの作った第三勢力に敵対しているみたいじゃないか」

 それはサキも思っていたところだ。ズーの言った通りに勢力が分岐したのならばFの言う抹殺派こそがDシリーズだという事になる。

「答えろ。私は今までとんだ思い違いをしていたのかもしれない」

 Fは沈黙を貫く。サキはここに導いたのもFである事を思い出す。

「何も知らない、では済まされないぞ。既に何人もが犠牲になっている」

 Fはプラターヌへと視線を流すがプラターヌもそこは譲れない様子だった。

「わたしの事を知っていて彼女に密告したのだろう? 何か意図があるはずだ。あるいは、そうだな、ここに導いた、それそのものが意図か?」

 プラターヌの追及の声にFは一言だけ呟いた。

「……敵わないな」

「白状するか?」

「ヒグチ・サキ警部。それにプラターヌ博士。残念だよ」

「何がだ。ここで話さざるを得ない事か?」

「いや。君達とはここまでという事がさ」

 その言葉を解する前に声が弾けた。

「危ない!」

 ズーが前に出て身を乗り出す。その肩口に氷の弾が突き刺さった。サキが瞠目する。プラターヌも腰を浮かしていた。

「あれは……」

 Fが羽ばたいて影のほうへと向かう。それを阻む前にさらに氷の弾丸が放たれた。ズーが咄嗟にモンスターボールを繰り出す。

「いけ、フォレトス!」

 飛び出したフォレトスが氷の攻撃を受け止める。すると物陰から感嘆の声が上がった。

「驚いた。動けないように肩を狙ってやったのに。きちんと繰り出す辺りさすがDシリーズか」

 その声の主にサキが目を向ける。

「お前は……。こんなところに何で」

「飼い主がいてはいけない道理はないでしょう?」

 物陰から出てきた長身の女性の名をサキは口にする。

「――ツワブキ・レイカ」

「幼馴染とはいえ、礼儀がなっていないわね。ヒグチ・サキ」

 返された言葉にサキは、やはり、と確信を込めた。

「ツワブキ家は……」

「怪しいって言うぐらいは別に分かっていたでしょう。でも、まさかDシリーズの飼い主で、さらに言えば保護派と絡んでいたのは意外だったかしら?」

 レイカの肩にFが止まる。思わず歯噛みした。

「裏切っていたのか、F」

「裏切りも何も。私の目的は変わらないよ」

 それは今までやってきた事も含めて裏切りはないとでも言うのか。よろめいたズーが荒々しく息をつく。

「……レイカ様。ボクは何も間違っていません。ただ職務を全う出来なかっただけで」

「お黙りなさい。お留守番も出来ない番犬は要らないわ」

 切って捨てた声にサキは拳を握り締めた。

「お前、人の命を何だと思って……!」

「命? そうね、そういえば命ね。でも私はツワブキ家の血族。対して彼らは? 模造品に人権があるとでものたまうのかしら」

 サキはホルスターから拳銃を抜き放つ。引き金を即座に引いたが放たれた弾丸は空中で縫い止められた。

「弾丸は静止する。私に命中する前に」

 傍に侍っていたポケモンが前に出る。角ばったポケモンで氷の身体を持っていた。目元には複数の目のような意匠がある。

「レジアイス。分からせてやりましょう。ここで私に挑む事がどれほどに愚かなのかという事を」

 レジアイスと呼ばれたポケモンが甲高い鳴き声を上げ両手を振り回した。その直後、凍結した空気がサキ達へと吹き荒ぶ。先ほどと同じく冷気の弾丸が降り注いだ。

「氷のつぶて」

 サキは避ける事も敵わない。命中した、と目をきつく瞑ったが痛みは訪れなかった。そっと目を開けるとズーが全ての攻撃を受け止めていた。思わず声を上げる。

「ズー! お前は」

「行くんだ。お前達は、真実に辿り着きたいんだろう?」

 フォレトスが跳ね上がる。回転が閾値を越え、鋼の輝きを帯びた。

「ジャイロ、ボール!」

 放たれた一撃にレイカは軽く顎をしゃくった。

「レジアイス、雷」

 突然に空気が変動し、フォレトスの頭上に雷雲を形成する。次の瞬間、地面と天井を縫い止める雷撃がフォレトスの身体を貫いた。フォレトスの内側に生成されていたエネルギーが霧散する。

「危ないわね。Dシリーズには初代の再現、という性質上、鋼タイプを持たせるのは分かるけれど私のレジアイスに傷がつけられるのは勘弁願うわ」

「Dシリーズ……! やはりレイカ、お前は分かっていて彼を招き入れたのか」

 ツワブキ家に彼が招かれたのは何も偶然ではない。しかしレイカはその点に関しては否定した。

「心外ね。弟の勝手にやった事を私のせいみたいに言われるのは。あのツワブキ・ダイゴが許されているのは全くの想定外。私にもどうしてあれだけが存在しているのかは分からない。でも間違いはないわ。初代の再現に適した個体である事はね」

「初代ツワブキ・ダイゴをこの世に生み出してどうする? 何が目的だ!」

 サキのいきり立った声にレイカは対照的にため息をついた。

「どこまで話したところであなたには理解出来ないでしょう。それに話したって死ぬんだから、やっぱり意味がないわよね」

 レイカが手を薙ぎ払う。すると再び「こおりのつぶて」が精製され、こちらへと撃ち出された。

「フォレトス! 高速スピン!」

 フォレトスが回転して氷の弾丸を払う。レイカが舌打ちをした。

「何のつもりなの。Dシリーズでもあなたは特別にこの区画の管理を任せたのに。飼い主に噛み付くなんて駄犬ね」

「駄犬でもいいさ。彼らと話していて分かった。ボクらは、生きてちゃいけないんだって事を。そして生きるべき人は誰なのかという事を。初代の再現なんて、あっちゃいけないんだ」

「紛い物の意見は聞いてないわね」

 レイカが指を折り曲げる。すると地面から冷気が迸りズーの身体を突き刺した。

「地を伝って冷凍ビームを打ち込んだ。さて、飼い主に何だって?」

 冷凍ビームが身体を貫通している。最早ズーにはあと僅かの命しかなかった。しかしズーの目は死んでいない。冷凍ビームを掴んでキッとレイカを睨んだ。

「罰が下る! 絶対に! お前らには」

「罰? そんなものが怖くって、初代の再生実験なんて出来ないわよ」

 レジアイスが浮遊して接近する。ズーはサキへと振り返った。血の滴る唇をやっとの事で開かせる。

「ボクは、ここまでみたいだ。でも、やれる事を託したい。フォレトス!」

 フォレトスが跳ね上がりサキ達を突き飛ばした。後ろに身体を引かれる。ちょうど後部にはダストシューターがあった。サキはズーへと手を伸ばす。

「ズー! お前は」

「ボクはあっちゃいけない、悪魔の研究成果だ。出来るだけここで食い止める。だから、お前達は会うんだ。彼と同じく、外に出て行った仲間と合流するんだ。その者の呼称は――」

 そこでズーへと四方八方からの冷凍ビームが放たれた。ズーの身体が引き裂かれる。サキは無辺の闇へと落ちていく感覚を味わいながら声を張り上げる。

「ズー!」

 サキの声が吸い込まれていく。その闇の向こうまで声は届かなかった。








第四章 了


オンドゥル大使 ( 2015/12/25(金) 20:56 )