第五十話「魂よ、還れ」
あるところに、偉大な人間がいました。
その人物は本当にたくさんの業績を挙げ、稀人として人々に持て囃されてきました。彼の存在、それそのものが「奇跡」だと。人々は彼からもたらされる様々なギフトを得、彼は何十年もその生涯に影響を与え続けると思われていました。
ですが、誰一人として気づいていなかったのです。当たり前の事を。彼も一人の「人間」でありいつかは死ぬのだという事を。そのような、子供でも分かる当たり前の理屈が、どうしてだか人々には通じませんでした。彼の人物は決して死なず、常に明るい光を人々に投げ続けるのだと信じて疑わない報道と熱狂。彼はその人々からの期待に心底参っていました。
何故ならば、彼は紛れもなくただの「人間」だったからです。彼は、奇跡でもなければ神からの贈り物でもない、ただの、本当に凡夫と言っても過言ではない「人間」でした。
自分の代わりはいくらでもいる。ですが、彼がそう訴えても、人々は聞き入れようとしません。彼はもっとすごいはずだ。もっと自分達に見せてくれるはずだ。奇跡を。輝かしい業績を。
ですが彼には見えていました。自分の天井が。自分にはどこまでが出来てどこまでが出来ないのか。誰にでも当たり前に見える天井に彼は苦しみました。自分の事を稀代の天才だと人々は信じて疑わない。だが自分はいつか死ぬ。血が繋いでも自分は老いる。自分は衰える。それを自分自身が一番よく分かっているのに誰も止めない。誰も、歓喜の声が止まないと思っている。
プレッシャーに彼は押し潰されそうになりました。そんな時です。ポケモンのさらなる可能性、メガシンカの被験者に自分がなろうと決心したのは。今まで数多の犠牲を出しながらも全く世間に報告しなかった禁忌の実験。この実験で死ねば自分は英雄になれる。もう誰からの期待も背負わなくってもいい。
彼は進んで実験に参加し、そして人為的な実験の場で初めてメガシンカを成功させました。しかしその対価として彼は精神エネルギーを全て放出してしまったのです。
後に残ったのは彼の抜け殻だけでした。彼の最も満足する死が選べたのです。
めでたしめでたし……で終われば、この物語は何の変哲もない英雄譚だったのでしょう。ですが、運命は彼に安息の死を与える事を許しませんでした。
彼を復活させねば。周囲の人々は彼からもたらされる幸福、ギフトを永遠に得られないのは耐え難い事でした。彼の魂の再生実験。それが可能だと、ある人物が言いました。
「彼は精神エネルギーを放出して死んだ。つまり魂が抜けただけだ。その魂を呼び戻せばいい」
その理論はおぞましきものでした。
彼と全く同じ遺伝子と記憶を配置すれば、魂は戻ってくるに違いない。つまり抜け殻になった彼を再現すれば、まだ彷徨っているであろう彼の魂はきちんと入れ物に入るはずだ。
躍起になって再現実験が開始され、数多の人々が犠牲になりました。生贄として捧げられた人間の数は積み重なり、幾多の死と、人間の尊厳を踏み潰した実験によってようやく再現出来た彼の入れ物はしかし、魂を呼び寄せる器にはなり得ませんでした。
どれもこれも失敗作。彼の遺伝子を無理やり打ち込まれた哀れな実験体達は、短命、あるいは人格異常、あるいはどこか身体に欠陥を持つ人間になってしまいました。
実験を主導した者は告げました。「失敗作に慈悲など必要ない」
彼らは暗い倉庫に仕舞われ、悪魔の実験は継続しました。そして、彼が死んで二十三年経った現在、再現された入れ物の数は200となり、そこで実験は打ち切られました。
「これ以上の実験は無意味だ」と判断されたのです。
200の入れ物達は行き場を失くしました。彼らには元の記憶がないか、あるいは曖昧でどこに戻ればいいのかも分かりません。
彼らは主導者に代わり、この実験を、悪魔の所業を告白しようとしました。
ですが彼らは一様に失敗作であった事に変わりはなかったのです。
行った仲間は初代と同じ死に様で息絶えて、路傍に転がる始末。うち何体かの失敗作達は徒党を組んで主導者に反旗を翻そうとしましたが彼らの力が及ぶはずもありません。そのうち何体かは従うのが賢明だと判断しました。
こうして哀れな哀れな実験体達は二つに別れました。
一つはこの悪魔の実験を告発しようとする一派。
もう一つは下僕のように従い、今も続くこの実験を管理する一派。
彼らは自分達の抵抗力が最早失せ、ただ使役されるだけの肉になっている事に気づきながらも、反抗出来ずに今日に至るのです。