第四十九話「闇の中の真実」
引き金を引く。その瞬間、フォレトスが躍り上がった。
「馬鹿な奴だね! フォレトス、ジャイロボールで撃ち返――」
そこで言葉が途切れた。何故ならば、銃弾の行き先はフォレトスでもズーでもない。
銃弾がめり込んだのは、後ろにうず高く積まれていたコンテナだった。コンテナの装甲を問題なく破砕し、銃弾は、全てサキの思った通りの軌道を描く。
コンテナから液体燃料が勢いよく飛び出す。全員が固唾を呑んで見守っていた。サキは迷わず片手を伸ばす。プラターヌが呆気に取られている。
「博士、火を」
咄嗟に頭が回らなかったのだろう。何秒か要してから、「あっ、火か」と熱に浮かされたようにポケットからライターを取り出した。サキは手元で火を点けてから一拍呼吸を整える。
ズーはそれが瞬時に予想されたのだろう。「まさか!」と声を出した瞬間、サキはライターを放り投げていた。孤を描いてライターが気化した燃料に誘爆し、一瞬にして炎が燃え盛った。ズーは自分のすぐ後ろで熱が爆発的に膨張したのを感じ取って咄嗟にフォレトスを走らせる。だが、それこそがサキの狙いだった。フォレトスの銀色の表皮が炎に触れて融解する。
「そうか! フォレトスは鋼・虫。炎の攻撃はその堅牢な表皮を貫通する」
しかしズー自身に守る術はないはずだ。風に煽られて炎が勢いを増す。ズーは強がった。
「な、何だって言うんだ! ボクの退路を封じたつもりか? どちらにせよ、お前らに対して逃げるつもりは」
「逃げる? 何を言っているんだ、お前は」
サキの遮った声の冷たさにズーは息を詰まらせた様子だった。
「この状態こそが、私の望んだ戦略だよ。私達が逃げる必要は、もうなくなった」
ズーがその言葉を受けてようやくこの状況を把握した。
「くそっ! くそっ!」
悪態をつきながらズーはフォレトスで火を消そうともがく。Fは、なるほど、と納得した。
「相手は門番。本懐であるお家が燃えてしまっては話にならない。何としてもあれは炎を消さねばならないという事か」
「しかも、一般人に目につく前に。さぁ、ここからは交渉だ。それも対等な交渉。ズーって言ったな」
サキの言葉にズーは振り返る。サキは超越者の眼差しで言い放つ。
「このまま本拠地が燃えてしまっては意味がない。私達としてもな。だから取引きだ。飛行タイプ、ペラップならば風で火を消せるはず。どうする? ペラップで火を消させる代わりに降参して中を見せるか。それとも、このまま燃えるのをよしとするか」
ズーは苦渋を滲ませる。サキは既にこの勝負の行く末を見据えていた。
「悪党め!」
「そりゃどうも。悪党上等」
サキの言い草があまりにもおかしかったのか、Fが潜めた笑いを漏らす。
「ヒグチ・サキ警部。まさかそこまで考えているとは」
「笑い話は後でいい。F、約束は違えるな」
「はいはい」とFは羽ばたいて炎を鎮火させていく。ズーは唇を噛み締めていた。敵からの塩に悔しさが滲まないはずがない。
「ボクを嘗めているのか? あるいは極度のお人好しか? ボクは殺そうとしたんだぞ。お前達を」
「門番だから当然だろう。私の感想は、よく出来た門番だという事だよ」
意外だったのかプラターヌが口を挟む。
「……正義の味方が聞いて呆れるな」
「近頃の正義は複雑なものでして」
口元を緩めたサキの言葉に、「敵わないな」とプラターヌは癖のかかった頭を掻く。
「そこの、ズーとか言ったか? もう分が悪いとかそういう話じゃない。屈服させられたんだ、君は。それでも向かってくるのならば、それこそ立場を分かっていない、分の悪い勝負だと言わざるを得ないが」
ズーは嘆息を漏らし、「もう、そこまで物分りが悪くない」と答える。
「敗北した門番は素直に通す。それが礼儀だ」
「よく出来ました」
プラターヌが拍手を送る。サキは歩み出た。既に火は収まっており、工場の扉の表層が焼けただけで支障はない。
「ボクも焼きが回ったな。まさか、侵入者を通すなんて」
壁の一角に備え付けられたパネルに暗証番号を打ち込む。サキは、「礼儀の通った、いい門番だと思う」と素直に感想を漏らした。ズーは苦笑する。
「礼儀って奴が、ボクにもきちんとインストールされていた事が驚きだよ」
シャッターがゆっくりと開いていく。サキは開き切る前にそれを潜った。ズーも既に戦う気はないのかフォレトスをモンスターボールに仕舞う。
「だが、ここから先はちょっとしたショックをお前達に与えるだろう。それでも進むかい?」
「生憎だが、私達は真実を追い求めるためにここに来た。ショックくらいで後ずさるならば、それはその資格がないって言うんだ」
サキの言葉に満足したのかズーは前を行く。サキ達は素直に後ろに続いた。工場の中は暗く、明かりの一つすら差し込んでいない。
「明かりをつけよう。ちょっと待ってくれ」
ズーが離れる。Fが耳打ちした。
「彼が裏切るとは?」
「思っていない。ああいう手合いは自分の領分、っていうものを分かっている。門番としての自分が失格ならば、もう立つ瀬はないだろう」
刑事としての勘でもあった。Fはそれを笑わず、「大したものだ」と褒める。
「おべっかはいい」
「素直に、だよ。感心している。なかなかね、そうも思えないものだ。敵は敵、殺さねばならぬ、と思い切ってしまえば、そこまでだからな」
「私は刑事だ。人殺しで物事が前に進むとは思っていない」
「プライド、かね?」
その質問には答えない。分かり切っているからだ。
「照明がつく。少し眩いかもしれない」
ズーの言葉が消えるか消えないかの刹那、ガンと重い音が響き渡り、一瞬だけ目が眩んだ。だが、次にサキの視野が捉えたのは信じられない代物だった。
眼前にあったのは、頭がくり抜かれた人体だった。培養液に浮かぶ人体の脳には直接電極が埋め込まれている。思わず後ずさった。
「何だ……」
「これがネオロケット団の研究施設だ、という事だよ」
答えたズーの声には少しばかり吐き捨てる響きがあった。自分もこの実験の犠牲者、という事なのだろう。
「これは、何をやっているんだ?」
質問を真っ先にしたのはプラターヌだ。研究者だからか、彼は冷静に事態を俯瞰している。
「人格のインストール。その実験の成れの果てさ」
ズーは歩み出す。サキは吐き気を堪えながら目の前の光景を直視する。額から切り込まれ、脳を剥き出しにした人体はどうやら死に絶えている様子だった。隣に備え付けられている心音グラフには心拍が0の値を示している。しかし、どうした事だろうか。脳波は全くの別物だった。
「脳波が、動いている?」
サキは信じられないものを目にした声音を震わせる。心臓が止まっても脳は動くものなのか? 否、そのようなはずがない。それは人間の道理を超えている。
「彼らはポケモンで言う瀕死状態に近い。つまり、完全に息絶えているわけではない」
ズーの説明にサキは、「どこまで知っている?」と尋ねていた。ズーは皮肉の笑みを浮かべてみせる。
「門番のボクに聞く事かな?」
つまり分からない、という意味だろうか。しかしプラターヌが切り込んだ。
「何を守っているかくらいは想像がついているのだろう?」
ズーは呆れ声で、「参ったな、どうも」と唇をさする。
「そこのおじさん、勘はいいみたいで」
「何を守っている?」
サキの質問にズーは答える。
「ネオロケット団、その研究成果物であった者達だ」
「あった?」
Fが食いついた。サキもそこを追及する。
「あった、とは?」
「もうあまり意味がないのでね。こうして生きているとも死んでいるとも言えない状態にしてある。何せ、人間っていうものは殺すと死体になるし、あまりむやみやたらと捨てるわけもいかない。だからこうする」
カプセルの一つにズーが手をつく。するとカプセル内の人体に変化が訪れた。激しく泡立ったかと思うと人体が見る見るうちに消滅していく。サキは思わず銃を突きつけた。
「何を!」
「喚くなよ。これは循環構造になっているんだ」
「循環構造?」
サキの疑問に人体が消滅したカプセルから伸びたパイプが重い音を響かせながら稼動し、別のカプセルへと供給した。するとそのカプセルに入った人体の脳波が微弱だが増幅する。
「なるほど。死にそうになった個体をただ殺すのではなく、養分として最大限に利用しているのか」
プラターヌの納得にズーは拍手を送った。
「ご明察」
サキはズーへと銃口を突きつけたまま叫ぶ。
「狂っている! 人の命を何だと思っているんだ!」
「それを言うならば、死んじゃって何の意味もないゴミになってしまう事のほうが無駄じゃないか。ゴミになると捨てるしかないけれど、こうして死にそうになれば循環構造が発動してきちんと命が繋がる。ボクらが他者の命を啜って生きているのと何が違う?」
サキは言葉に詰まった。人間が生きるのと何が違うというのか。その言葉に答えは出せない。
「……だが、間違っている。あってはならない構造だ」
それだけは断言出来た。このような構図、あってはならない。ズーは反論を出すかと思われたが返ってきたのは意外な声だった。
「だね。ボクもそう思う」
「何だと?」
この状況を平然と見ていられる人間が何を言っているのか。しかしズーは取り乱した様子もない。
「ボクも、この構造は要らないと思うね。どうせ、ボク以上はもう無駄だと思われている個体だし」
「どういう意味だ?」
サキはその言葉にこそズーが彼と同じ容姿をしている答えがあるのではないかと感じた。どうして、初代と同じ、どうして彼と同じ顔なのか。
「気になるな。君達は、何人いるんだ?」
プラターヌの言葉にズーはにやりと口角を吊り上げた。
「核心を突く質問をしてくるね、おじさん」
どういう意味なのか。サキがプラターヌへと振り返る。プラターヌは言葉を継いだ。
「彼……現ツワブキ・ダイゴの秘密を暴くのに、この場所こそ適性地であると感じる。どうして君達は同じ容姿をしている? 何故、初代を模倣する必要があった?」
「ボクらがDシリーズだからさ」
ズーが襟元をずらして首筋を晒した。サキは息を呑む。
そこには「D200」の番号が刻まれていた。
「D……、200?」
彼と同じ、どうしてだかナンバリングされている刻印。Dの番号。
「ズー≠チてのは同じ容姿の連中ばかりだから文字遊びが好きな研究員がつけた名前だ。本当の名前は、ボクももう分からない」
「200をZOOと読ませたのか」
察したプラターヌの声にズーはフッと笑みを浮かべる。
「本当に、嫌な事ばかり的中させるな、そこのおじさんは」
「どういう事なんだ。Dシリーズってのは何だ? お前達は、どうして同じ容姿をしている?」
サキは狼狽する。ここに来て戸惑ってはならない、とずっと感じていたがどうしても動揺を隠せなかった。何が彼らに起こり、何が彼らを変えさせえたのか。ズーは目を伏せる。
「長い話になる」