第四十八話「決意の引き金」
双眼鏡で窺うと工場周囲を警備している人間が数人確認された。やはり工場はまだ生きているのか。サキは呼び出された情報と端末をリンクさせる。
「工場は閉鎖、されているはずなんですよね?」
「先刻見た情報に間違いがなければそうに違いあるまい。だが」
プラターヌがサキから双眼鏡を引っ手繰る。その口元が微かに緩んだ。
「……なるほど、これでは閉鎖、の二文字は信用出来ないな」
「だから」とサキは双眼鏡を取り戻す。
「どうするべきか……」
「まさか応援を呼ぼうかなどと考えているのか?」
サキの心中を見透かした声に思わず硬直する。プラターヌは手を振って、「馬鹿馬鹿しい」と一蹴する。
「仮に応援が呼べたとして、何と報告する? ツワブキ家の暗躍を探っていたら異端の研究者を連れて? それで閉鎖されているはずの有害物質除去工場に侵入するために力を貸せ、と?」
プラターヌの目にサキは拗ねたような声を出す。
「……他にどう説明すれば」
「誰がそれを正常だと思うかね? 明らかに君は異常だとして警察の職は取り消されるだろうな」
サキとて事実をそのままに説明するわけにもいかない事は重々承知している。だが現実離れした事ばかりが立て続けに起きて感覚が麻痺してしまっているのだ。この際、現実に引き戻してもらう手前、同僚に支援を乞う事は出来ないだろうか。
「君はこう考えている。どうにかして、自分の精神が正常であると証明しながら、なおかつこの異常な事態に直面する手段を」
プラターヌは鼻を鳴らした。
「馬鹿な。もう正常、異常の範疇ではない。わたしも君も、そしてツワブキ家も保護派も抹殺派も、全員狂っているのだ」
サキはその言葉を受けながら双眼鏡から工場の様子を窺う。
「何とかして、警備の隙間を縫う事が出来ないでしょうか?」
「難しいだろうな。君がポケモントレーナーならば何とかする手段はあろうが、ポケモンの一体もなく――」
その言葉が途切れサキが疑問を発する前に状況が動いた。警備員が一人、また一人と昏倒して倒れていく。サキは思わず飛び出していた。プラターヌがその後についてくる。
「何が起こって……」
サキの視界に映ったのは羽ばたく極彩色の鳥だった。音符型の首をひねってそれが声を発する。
「やぁ、思っていたよりも早かったな」
「F……!」
サキは目にした相手――ペラップのFを見据えた。Fは翼を払い、「そう怖い顔をする事はないだろう」と言った。
「何せ、あんた達と私は目的が同じなのだから」
「保護派の尖兵か」
プラターヌの声にFが応じる。
「改めまして、博士。夜分に何の御用かな?」
「それはこちらの質問だな。この工場を張っていたな? しかも我々が辿り着く事を予期して。保護派は何のつもりだ? ここに何があるか、知っているから行動するのか?」
切り込んだ声にFは、「問答は後にしましょう」と返す。
「中に入らねばならぬはず。違いますか?」
Fの行動に不穏なものを感じながらもサキは首肯して歩み出た。
「通せ」
「意外だな、ヒグチ・サキ警部。警察のお仲間は呼ばないのか?」
「呼んでも無駄な事は知っているし、何よりも、その問答は終わった」
サキの言葉に満足したのかFは飛び上がって翼を翻した。その瞬間、空気が圧縮され、弾丸のように打ち出される。放たれた空気は即座に刃の形状を成し、扉を切り裂いた。
「行きましょう」
Fが先導する。サキとプラターヌはそれに倣った。工場の敷地は意外と手狭だ。学園都市であるカナズミシティではあまり用途として重宝されていないのが分かる。
「周囲には無人の工場がいくつか点在しています。それらの情報は」
「恐らくは誘拐した人間の収容施設だろう。当てはついている」
プラターヌの返答に、「さすが」とFは口にする。
「やはり研究の第一線を行っていた博士には簡単過ぎましたかな?」
「なに、病院の中では飼い殺し状態でね。いい頭の体操になった」
こきり、と首を鳴らすプラターヌを横目にサキは周囲へと注意を配る。
「あまり張り詰めても仕方ない。なにせここは敵陣のど真ん中だからな」
Fの声に、「分かっていて」とサキは返す。
「ここを案内したのか」
「安全な道だけが真実に辿り着けるわけではないだろう。こういう危険な道にこそ、重要な何かがあるものだと私は思うが?」
とんだ食わせ物だ。最初から自分達を死地に追いやる事を計算しているのだろう。
「Fとやら、彼女と話すのはいいんだが少しばかり迂闊じゃないか? 飛んで侵入するなんて」
プラターヌの言う通りだ。ほとんどFは丸腰同然である。飛んでいる的のようなものだ。
「ご心配なく」とFは翼を翻した。銀色の風圧の刃が顕現する。
「身を守る術くらいは」
「身体はポケモンだからな。私としては保護対象が何個も増えるよりかは助かる」
「わたしは保護対象かね?」
肩を竦めてみせたプラターヌにサキは言い置いた。
「言っておきますけれど、勝手な行動して死なれても知りませんから」
「勝手な行動? 笑わせる。外に出ている時点で、わたしに勝手な行動を既に許しているではないか」
言外に、病院から出した事を口にしているようだった。サキは無視する。
「ここから先は、相手の懐に入ったも同然……。何が待っているのか」
視界の中に肩幅ほどのコンテナが点在して積まれているのが目に入る。中に入っているのは液体燃料だろうか。
「止まれ」
その声に一同はハッとする。どこから聞こえてくるのかまるで分からないからだ。不恰好に周囲を見渡したサキへと不意打ち気味の声が放たれた。
「危ない!」
Fが前に出て翼を翻す。銀色の風圧が何かを弾いた。弾かれた物体が高速回転しながらFとの距離を取る。サキはようやく闇討ちされた事に気づいた。
「誰だ?」
「その質問はこちらのものだろう。何者だ?」
声の方向へとサキは目を向ける。工場の屋根に一人の小柄な少年が佇んでいる。銀色の髪が月光を浴びてなびいた。思わず息を呑む。
「ツワブキ・ダイゴ……?」
その姿があまりにも彼――ツワブキ・ダイゴに似ていたからだ。しかし、彼と違うのは射竦めるかのような眼光と背格好だった。少年はぴっちりとした黒いスーツに身を包んでおり、眼は金色だった。
「驚いたな。そこまで知っていて、この場所に訪れたというのは」
少年が飛び上がる。今度はサキが悲鳴を上げそうになった。なにせ、工場の屋根から地上までは十メートルほどはある。無事に着地するにはあまりにも無謀だ。だが、少年の着地を助けた存在があった。先ほどFが弾いたものが身じろぎし、少年へと回転しながら絡みつく。
少年はそれに飛び乗って着地を補助させた。緩やかに回転が収まる。少年の足元にあったのはポケモンだ。ぎらぎらとした硬質的な表皮がまるで木の実のように丸まっている。円筒状の突起が何本か中央部から発達しており、そこから蒸気が漏れた。その瞬間、カシャン、と鋼鉄の木の実が開く。内部には一対の眼球があった。それより先は窺えない。
「フォレトス」
少年の声にそのポケモンが戦闘姿勢を取る。どうやらフォレトスという名前らしい。
「この場に立ち入る者はボクが始末する事になっている。だから悪く思うな」
鋭い声音にサキは訊いていた。
「名前は?」
「名前?」
少年は初めてその言葉を聞いたような口調になる。その様子が彼と酷似していた。だが少年はすぐさま答える。
「ボクは、D200、そうだね、個人的にズーって呼ばれている」
やはりDシリーズ。サキが警戒心を露にすると少年は、「いい顔になってきたよ」と微笑む。
「だけれど、無用心と言うか奇怪と言うか、喋るポケモンが手持ちとはね」
「私は手持ちではないが」
答えるFにズーと名乗った少年は拍手を送る。
「よく躾けられた手持ちだ。トレーナーを即時に守る事も出来る。だけれど、飛行タイプって言うんじゃ、ボクのフォレトスの敵じゃないね」
ズーが手を薙ぎ払うとフォレトスが静かに回転を始める。身構えたサキにFが声を発する。
「来るぞ」
「フォレトス、高速スピン」
空気を切る速度に達したフォレトスが回転しながらFへと特攻する。Fは即座に翼で払った。だが回転はやまず、まるでボールのようにバウンドしたフォレトスが再びFを襲った。
「間断のない攻撃……、これは」
「そう! ジャイロボールだ!」
フォレトスが中央の眼窩を仕舞い込み、さらなる高速の高みへと達したかと思うとその身体が銀色に輝いた。まさしく弾丸の勢いを伴ってフォレトスがFへと突進する。Fは空中でよろめいたものの立て直した。
「F!」
「大丈夫だ。ヒグチ・サキ警部。こちらの状況は何とか。だが、やり辛いな」
羽ばたくFは反動でズーの元へと帰っていくフォレトスを睨む。
「だろうね。鋼・虫タイプのフォレトスに飛行は等倍だが、決め手に欠ける。じりじりと持久戦になるだろう。普通ならば」
「何を」と踏み込もうとしたサキへとFが怒声を放った。
「やめろ! 踏み込むんじゃない!」
思わぬ声にサキは踏み止まる。すると足元で何かが月光を受けて輝いた。三本の針で持ち上がった凶器は黒く照り返しを帯びている。
「毒びしだ。これでは、あんた達はこの工場に近づく事さえ出来ない」
口惜しそうなFの声にズーは答える。
「物分りのいい奴は嫌いじゃない。つまりどういう事か、トレーナーに教えてやりなよ」
サキが戸惑っていると、「毒びしとは」とプラターヌが口を開いた。
「毒の追加効果を持つ技の一つ。毒の属性を持ったまきびしをばら撒いて相手の行動を牽制する。毒タイプや鋼にはその効果は通らないが、他のタイプならば重大なダメージとなりうる。だがFは飛行タイプ、これを無視出来る。しかし我々人間はそうではない」
その言葉にサキはハッとする。
「私達の行動をここで食い止めるのが狙い」
ズーは、「いいね」と手を叩いた。
「そこのおじさんは少しばかり詳しいみたいだ。だったら分かるはず。もうこの工場には近付けないし、絶対にボクやフォレトスを倒す事も出来ないって事が」
「やってみなければ」と啖呵を切りそうになったサキをプラターヌが制する。
「いや、やらなくっても分かる。考えてみたまえ。相手は工場を守るだけでいい。しかし我々は? 工場に入って真実を確かめない限り、応援も、ましてや何一つ確証も得られない」
畢竟、自分達が詰んだ、と言いたいのだろう。プラターヌは沈痛に顔を歪めている。ズーは、「物分りがいい」と口にする。
「ペラップの攻撃射程範囲は限られている。ボクのフォレトスならば全て防ぐ事だって可能だし、もっと言えば交戦して、接近戦をすればするほどに、毒びしの撒ける範囲は広がる」
先ほどFとフォレトスがぶつかり合った場所から毒びしは発生している。つまりいたずらにフォレトスへと攻撃を加えても逆効果。この場合、逃げるほかないのだという事が突きつけられていた。
「ヒグチ・サキ警部。出直そう。一旦立て直すんだ。そうしなければ逆に消耗戦ではこちらがやられかねない。これではミイラ取りがミイラに、だな。朝まで耐久するだけの手持ちがこちらにはないし、朝まで待っているだけの時間もなさそうだ」
警備員の事を気にしているのだろう。進むにはズーが、退くには警備員がいる。ここで立ち止まるほかないのか。あるいは逃げるか、しか。
「……この門番はやりにくいな。ヒグチ・サキ警部。今回ばかりは」
「いや、行こう」
行かなければ、という思いがサキの胸を満たしていた。思わぬ言葉だったのだろう、Fもプラターヌも驚愕している。
「だが、毒びしを食らえば死は免れないぞ」
プラターヌの忠告にサキはズーを見据えた。ツワブキ・ダイゴの似姿の少年は不敵に笑う。
「何が出来るのか知らないけれどさ。見せてみなよ。やりようによっては、ボクとフォレトスを退かせられるかもしれない」
「策はあるのか?」
振り返ったFへとサキは頷き腰のホルスターに手をかけた。次の瞬間、抜き放っていたのは拳銃である。それにはズーでさえも参ったように額に手をやって哄笑を上げる。
「こりゃあ、参ったね。まさか今さら拳銃? 言っておくけれど、フォレトスは鋼タイプ。そうでなくっても銃なんか通らないのに、まさかここに来て手持ち以外を使ってくるとは」
ほとほと度し難いと付け加えられる。Fとプラターヌも声を上げた。
「血迷ったか? 警部」
「わたしも同感だ。拳銃程度ではポケモンの表皮に穴さえも開けられないぞ!」
ポケモンの権威の言葉だ。それは真実なのだろう。だが、サキはズーへと銃口を向けた。
「察するに、お前は警察なんだよね? いいの? 一般人に銃を向けて」
「私には目的がある」
ツワブキ・ダイゴの事を、彼の事を知らねばならない。そのためには手段は選べない。
「驚いた」とズーは手を叩いて高笑いを上げた。
「目的のためには人でも殺す? でも無駄だね。フォレトスの反応速度以上で銃弾はボクには当たらない。この距離なら確実に防御出来る」
「その通りだ。トレーナー相手に銃など……」
Fも声を詰まらせている。サキの行動があまりに突拍子に見えたせいだろう。プラターヌは、「逃げるべきだ」と提案する。
「今退けば、立て直せる時間がある。警備員も起きないだろう。今しかないんだ、分かっているのか?」
「分かっています。でも、今しかないのはこちらも同じでしょう」
今退けば、この工場に相手がいつまでも居を構えているとは思えない。すぐに場所を移すはずだ。その前に真実を。サキにはその思いがあった。
引き金に指をかける。
「駄目だ、よせ」
Fが制する声を出したがサキは、「もう決めている」と答える。
「標的は」
「いいね、そういうの。迷わないのは嫌いじゃない。でも、後悔する事になるよ。フォレトスが銃弾を弾けば、そうだな、お前の胸にそのまま撃ち返す事だって出来る。それくらいボクのフォレトスは器用だ。だって言うのに、撃つ?」
「ハッタリではないぞ。ポケモンにはそれくらいは出来るんだ。今は退け」
プラターヌの再三の通告にもサキは応じない。遂には怒声に変わった。
「聞いているのか、ヒグチ・サキ!」
「……聞いていますよ。でも、私は決めたんだ。だから、撃つ」