INSANIA











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因縁の刻印
第四十五話「彼の岸の人」

「話してください。ダイゴには特殊な事情があるんです」

「特殊な事情? そういえば、あなたのお兄さんであるリョウさんもそう言い置いていましたが、何なのです」

 クオンはさすがに自分から言うのは憚られたのだろう。ダイゴが口にする。

「記憶喪失なんです」

 その言葉にハルカは聞き返す。

「記憶喪失、って、あの……?」

「そうです。俺……いや、自分はつい十日前に保護された以前の記憶が全くないんです」

 思わず一人称を言い直したがそのような事をハルカは気にしているわけではないらしい。無理もない。記憶喪失だと言われて、はいそうですか、ではないだろう。

「先生、これは本当です。警察でも何度も調べられたのよ」

 クオンが助け舟を出すがハルカは頭を振った。

「いえ、違うわ……。そういう事で、別に差別したり、驚いたりしているわけじゃないのよ。ただ、あなたがあまりにも、あの人に似ているから」

 あの人。その言葉に意味される人物を二人とも一人だけ知っている。

「それって、ツワブキ・ダイゴ、初代の事じゃないですか?」

 クオンの声にハルカは驚愕の眼差しを向ける。

「驚いたわ。初代は、だってあなたが生まれる前に……」

「はい、亡くなっています。本来、あたしが知るはずのない情報ですが、ダイゴの記憶の当てを調べるうちに知ったんです。初代もツワブキ・ダイゴという名前だったという事を」

 クオンは自分が思っている以上にしっかりとしていた。ダイゴの事を慮っての事だろうか。自分の状況を客観的に口にする事が出来るとは。素直に感心しているとハルカは、「そうね」と紅茶で喉を潤した。

「あなた達は、それを了承の上で、話を聞きに来たの?」

「兄様はダイゴに、それを知らせたいんだと思います。だから、初代の事を知っている先生にアポを取った」

 クオンの的確な言葉にハルカは笑みを浮かべた。

「考えている通りよ。私は、初代ツワブキ・ダイゴを知っている。それに、彼がとても似ている、という事も」

「教えてください」

 ダイゴは思わず身を乗り出していた。自分の事、ツワブキ・ダイゴという名前の事を、ルーツを知らねばならない。そうでなければ自分は永遠に進めない。

「ツワブキ・ダイゴという、男の事を」

 ダイゴのその言葉が嚆矢になったかのように、ハルカは決意の双眸を向けた。

「……誤魔化しても、あなた達ならば調べ上げそうね。私の知る、嘘偽りのない情報を与えましょう。ただし、条件がいくつかあります」

「条件?」

 クオンは聞き返す。ハルカは二本、指を立てた。

「まず一つ、私があなた達にこれを話す事を、誰かに語ってはならないし、教えてもらっては困ります」

 ダイゴは怪訝そうにする。リョウが既にアポイントメントを取っている事から公然の秘密のようなものではないのだろうか。だがハルカはそれにこだわった。

「……分かりました。あたし達の口からハルカ先生の名前は決して出しません」

 クオンが目配せする。ダイゴも頷かざるを得なかった。

「ではもう一つ。この話は主観の混じった話です。だから信じるに足るかどうかを判断するのはあなた達。私自身は決して、この話の信憑性に関わるものはないと言っておきます」

 奇妙、とも言えた。自分の話が主観だと断るのはまだ分かる。だがその信憑性さえも相手に委ねる、というのは。

「分かりました」

 クオンが頷くのでダイゴも了承する。

「話してください。初代の事が少しでも分かるのならば」

 ハルカはカップを持ち上げて紅茶を口に含む。優雅にカップを下げ、口を開いた。

「初代ツワブキ・ダイゴに私はトレーナーとしての教えを乞いました。当時、まだ四天王制度も各地方のチャンピオン制度も儘ならない時、帰国した初代は隠居していたそうです。カナズミではない、トクサネシティで」

「それは聞き及んでいますけれど……」

 クオンの戸惑いにハルカは応ずる。

「どこで出会ったのか、ですよね。私が彼と最初に出会ったのはムロタウンの石の洞窟。彼は壁画をじっと見つめていました。その姿に心打たれたのが、最初」

 ハルカの目がダイゴを一瞥する。特別な感情を抱いた、と宣言しているのだ。ダイゴは自分ではないのものの緊張するのを感じた。

「ムロの、洞窟にいたんですか? 何で?」

 クオンの疑問が分からずにダイゴは耳打ちする。

「ムロタウンだと、不都合が?」

「ムロタウンなんて、今でも何もない田舎よ。そんな場所に、一時でもカントーの玉座に収まった人間が何の用で、って言う話」

「確かに、おかしいでしょうね」

 ハルカの声にダイゴは顔を向け直す。ハルカは静かな語り口でその当時を回顧しているようだった。

「でも、石の洞窟には彼の趣味で潜っていたところがあるみたいでしたね。ご存知? 初代がとても石好きだった事を」

「家にある石の種類から、ある程度は」

 クオンの返答にハルカは首を傾げる。

「あなたのお父様は初代の息子でしょう? そういう話はなさらないのね」

 そういえば、イッシンは初代を殺した可能性のある人間だ。だから初代の話を避けるのだろうか、と考えたがクオンの返事は違った。

「父は、初代の、お爺様の事を、あまり快く思っていないようですから」

 初耳の言葉にダイゴも驚く。ハルカは、「まぁ」とわざとらしく目を見開いた。

「どうして?」

「父は初代と違って商才もなければトレーナーとしての才覚にも恵まれていませんから。その劣等感があるんでしょう。一度、酔った拍子に聞いた事があります」

 イッシンの普段の柔らかな物腰とは正反対な事実だった。ハルカは、「そういうものなのね」と納得する。

「確かに初代はずば抜けていた。トレーナーとしての才覚も、あるいは社長としての器、王の資格もあった」

「あまりに恵まれていた初代は、恨みもよく買ったと思いますが」

 クオンの切り込んだ質問にハルカは、「いいえ」と首を横に振る。

「あの人は、他人の恨みを買うような人間じゃなかった」

 ハルカの断言する口調にダイゴは眉根を寄せる。

「何で、そう言えるんです?」

 ハルカはダイゴを見つめてから、「そうね」と濁す。

「カリスマがあった、っていうのでは納得出来ない?」

「納得出来ません」

 即座に返したクオンの声にダイゴのほうが肝を冷やす。ハルカとクオンは全く正反対のスタンスを取っているようだった。

「……お爺様にいい思い出がないのかしら」

「初代……お爺様は生まれる前に亡くなってしまいましたから。だから思い出も、何もかも父による後付です。先ほども言った通り、父は初代を快く思っていませんでしたから、いい話は耳にしていません」

「そう」とハルカは口にする。少しだけ、残念そうな声音だった。

「あの、ハルカ先生は初代と話したりしたんですか?」

 クオンとハルカの会話に割り込むようにダイゴが口にする。ハルカは、「もちろん」と頷く。

「いっぱい、お話をしたわ。あの人は一介の新人トレーナーである私に、とてもよくしてくださった。王だった、なんて嘘みたいに。あの人のお陰で、この地方のチャンピオンになれたんだもの」

 その言葉にダイゴは聞き違いかと問い返す。

「えっと……、チャンピオン?」

「言ってなかったっけ。ハルカ先生はホウエンのチャンピオンに一度なっている。だからトレーナーとしての臨時講師をしているのよ」

 クオンの紹介にダイゴはあんぐりと口を開けた。まさかそれほどの大人物だとは思いもしなかった。覚えず佇まいを正す。

「あの、俺……いや、自分、そんな人とは露知らずに……」

「いいのよ。むしろ、こういうしがらみを知らないで接してくれる人のほうがありがたいくらい。それにチャンピオンって言ったって、一度の防衛成績もないんだもの」

 しかしトレーナーとしては雲の上の人である。ダイゴは素直に感嘆した。

「それほど、って事は、初代はそれを見込んで?」

 その質問にハルカは首を横に振る。

「多分、そんな事はなかったんだと思うの。ただ純粋に、冒険心を持って欲しいと思ってあの人は語りかけてくれたんだと思うわ。行く先々で会ったけれど、不思議な人だった。石の事しか考えていないのかと思えば、一地方の事、その未来さえも視野に入れている。これが王の器かと私は圧倒されたわ」

 初めて聞く、初代の冒険譚。今まで自分の名前にまつわる話はろくに聞いた事がなかった。ハルカの話には躍動感と瑞々しさが感じられた。

「あの人は、鋼タイプがとても好きで、だからとても強く手強い人だった。チャンピオンの間で戦った緊張感は今でも忘れられないわ」

「あの」とクオンが口を挟む。ハルカが目を向けた。

「何かしら?」

「あたし達は初代に関する話を聞きたいとは言いましたけれど、あまり思い出話ばかりだと困るので。出来れば要所要所、きちんとどういう人間だったかを言ってもらえれば」

 失礼な物言いには違いなかったがハルカは応じた。

「そうね。あまりおばさんの話に付き合わせても申し訳ないわ。初代ツワブキ・ダイゴがどのような人物か」

 ハルカの目が再びダイゴへと注がれた。

「似ているわ」

 その言葉に込められた感情はいかほどのものだったのだろう。まるで久しく会っていない恋人に出会ったかのような憂いさえも感じさせた。

「初代に、ですか?」

「もちろん。あなた瓜二つよ。違うのは眼が赤い事くらい」

 こうまで初代と同じだと言う証言が揃えば自分は初代の生き写しなのかもしれないという実感も湧いてくる。だがそれでも分からない。何故ならばコノハによれば自分はフラン・プラターヌなのだ。それに顔もまるで違う――はずらしい。

「あの、どうして初代と同じような顔立ちなんでしょう?」

 思わず口にした疑問にハルカは困惑したようだ。

「どうしてって……私が分かるはずないわ」

 その通りだ。ハルカは自分の姿を見て涙しそうになったぐらいなのだ。少なくともツワブキ・ダイゴだという事を知っているはずがない。

「あの、先生。ここから先に話す内容を先生にも秘密にしてもらいたいんですけれど」

 クオンの前置きにハルカは首を傾げた。

「何かしら?」

「先生の話を聞いた交換条件という事で」

「構わないわ。何でも言って」

「では」とクオンは一呼吸置いてから核心を口にする。

「ここにいるダイゴは自分の事を知ろうとしている。その事を、父や兄、いいえツワブキ家には明かさないで欲しい」

 クオンの申し出が意外だったせいかダイゴは、「どうして……」と口にしていた。

「それは、構わないけれど、でもお父様やお兄様に頼らずに、彼の記憶喪失を解決するというのは……」

「分かっています。現実的なプランじゃないし、そもそも手がかりもない。でも、他の家族には言わないで欲しいんです」

「そりゃ、秘密は守るけれど……」

 ハルカはダイゴを窺う。クオンの後押しをするようにダイゴも頼み込んだ。

「お願いします」

 二人の言葉を受け、ハルカはようやく了承した。

「……分かったわ。でも、警察に所属されているお兄様の情報は当てになるんじゃ?」

「いいえ。兄には出来れば動きを悟られたくない」

 頑ななまでのクオンの言葉に何かあると感じ取ったのだろう。ハルカは、「分かったけれど」と返す。

「無茶はしないでね。あなただって大事な生徒なんだから」

 クオンが頭を下げる。

「ありがとうございます」

「感謝されるほどの事じゃないわ。私だって昔話を明かして欲しくないって言ったんだもの」

 ハルカの謙遜にダイゴは、「でも」と口を開く。

「ありがとうございます。俺みたいな、わけの分からない相手の話を聞いてくれて。やっぱり、あなたはいい人だ」

 ハルカは悪戯な笑みと共にダイゴを指差す。

「駄目よ、おばさんをからかっちゃ。昔焦がれた人と同じ容姿の人にそんな事を言われたら、私だって参っちゃう」

 ダイゴは困惑したがクオンが肘で突いた。

「あの、じゃあこれで……」

 立ち上がろうとしたクオンをダイゴは制する。

「もう少し、話を聞こう」

 その申し出が意外だったのだろう。クオンは目を見開く。

「ダイゴ。でも時間が」

「いいでしょう? ハルカ先生」

 ダイゴが目を向けるとハルカは、「今日だけなんだからね」と応ずる。

「クオンさんの出席は何とでも取り付けましょう」

「あの、俺、もっと初代の話を聞きたいんです。初代がどういう人だったのかを」

 あなたの言葉でいいので、と付け加える。ハルカは、「長くなっちゃうわよ」と笑った。ダイゴは頷く。

「長くなっても、俺は知りたい」

 クオンがソファに座る。再び、昔話が始まった。


オンドゥル大使 ( 2015/12/20(日) 21:11 )